私の隣の席にはドパオジがいる。
40代半ば。白髪混じりの短髪に日焼けした肌。骨太の中肉中背で、いつも腕まくりをしている。目がクリッとしているところがチャームポイントだ。かけているのか外しているのかわからない、印象の薄いメガネをしていて、夕方ごろになるとそれを外して目をごしごしする。すると、たまたま通りがかった若い女性社員に「泣いてるんですか?」と心配してもらえたりもする。
とても腰が低く、丁寧で、不器用なところもあるが仕事熱心。上司にも部下にも周囲にも慕われている。もちろん私も大好きである。
この人を仮に権藤さんと呼ぼう。
権藤さんはドパオジである。最初からそう思っていたわけではない。一つ一つの光景が積み重なって、ある日ふと、ああ、権藤さんはドパオジなのだ、と思うようになった。
私の職場では、管理職になるために社内資格を取る必要がある。制度としては大学の学位に近く、オンライン講義を受け、レポートを書き、最終的には論文を書く卒業試験のようなものがある。
単位を取りやすい講義は、社会人になってもやはり人気が集中するらしい。オンライン講義なので人数制限もない。楽な方へ流れようと思えば、いくらでも流れられる。
でも、権藤さんはそうしない。一番大変だと評判の、会長直々の講義を自分から受講する。内容はお堅い思想、哲学系のテーマが中心で、権藤さんももともと背景知識があるわけではないため、とても難しいとおっしゃっていた。しかも一つの講義につき、小論文が二つ、三つ課されるというハードなものだ。そうした講義を自ら選び、どうにか食らいついている姿は、先輩として素直にかっこいいと思う。
権藤さんは、日中仕事をしながらオンライン講義も並行して受けている。Excelを開いて作業している画面の右下に、小さなウインドウが出ている。そこでは会長が熱のこもった講義をしている。うっすら音漏れしていて、すごく早口だ。
再生速度は2倍である。動画の会長も、そのせいでチョロチョロとどこかコミカルな動きをしている。講義ごとの小論文も、もちろんChatGPTに考えてもらう。その割に、できあがった文章は小学生の読書感想文のようにピュアな仕上がりになっている。
小論文には文章生成AIを使ってはいけないというルールがあるそうで、それに引っかからないよう工夫しているのだという。AIを使っているのに、AIらしさを消した結果、本人の不器用さだけが残る。
権藤さんのデスクには、飲み干したエナジードリンクの缶やペットボトルが、いつも二つ三つ置かれている。NOPEやZONeなど、ジャンクな味わいの炭酸飲料を好む。
ペットボトルを開ける時は、ゆっくりと、ゆっくりと蓋をひねる。すると、静かに、小さく、「プシューッ」という音が長い余韻を残して漏れる。本人はたぶん、炭酸が抜ける音を最小限に抑えようとしているのだと思う。だが、そういう時に限って職場は静まり返っているので、かえって目立つ。
権藤さんは、飲む時、口から迎えにいく。飲みたくて、飲みたくてしょうがなくて、手で持って飲むというより、顔の方から飲み物へ向かっていく。ただし、左手を添えて飲む丁寧さは忘れない。
恋人を乗せた汽車がホームに入ってくる。会える喜びがどっと込み上げてくる。もう間もなくだ。汽車がゆっくりと停まる。ペットボトルの蓋がゆっくりとひねられる。プシューッと空気が抜ける。ドアが開く。蓋が開く。恋人の姿を目にして、思わず駆け寄る。権藤さんは口から炭酸飲料を迎えにいく。そんな風に景色が重なって見えた気がした。
職場では、ごくたまにチームでの飲み会がある。そうそうない機会なので出席率はわりと高いが、権藤さんはあまり顔を出さない。ただ、お酒や飲み会が苦手というわけではないらしい。たまたま予定が合わないだけで、比較的、家族との用事を優先されているようだ。
なんでも家事や子どもの世話を少し怠ると、奥さんから「ネグレクト」と叱られるそうだ。公私ともに緊張感にさらされている権藤さんは、仕事終わりにストロング缶を一つ買い、それを電車の中で飲む。
レジ袋で隠したりはしない。裸のまま握りしめる。30分ほど電車に揺られ、ほろ酔い気分で最寄駅に着く。すると、コンビニでストロング缶を二つ買い足す。一つは家に着くまでに飲み、もう一つは冷蔵庫の野菜室の奥の方に隠しておく。それがルーティンになっている。
以前は自宅で毎晩ストロングを三缶飲んでいたらしい。だが、奥さんから心配されて、お酒は禁止されてしまった。以来、権藤さんはコソコソとそんなことをしている。
野菜室の奥に隠した缶はいつ飲むのか。夜中、奥さんと子どもが寝静まったのを見計らって、ベランダで夜風にふかれながら飲む。あるいは土日の早朝、家族が起きてくる前に、同じくベランダで飲み干すのだという。
ドパガキが無限に開かれた刺激に溶けているその時、ドパオジは生活に管理された生を解放するために、ひっそりと、制約の中で刺激を得る。それは退廃ではないが有用でもない。ゆっくりと蓋をひねり、プシューっという音が静かに、細く、たなびいている。ドパオジはまっすぐに蓋を見つめている。
これ自体が、「増田のAIドパゴミのはなし」