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初めて操縦桿を握った日——航空学生3次試験までの話

27年間、航空自衛隊で戦闘機に乗ってきました。今は退職して、死ぬまでにやりたいことをやろうとしている元パイロットです。


前回は、私が航空学生という道を知るまでの話を書きました。

19歳でその存在を知り、翌年20歳で受験しました。受験資格は20歳まで——つまりラストチャンスの1回です。「3次試験で飛行機に乗れる」という下心を抱えて、試験に臨みました。

今回はその試験の中身を、記憶の限り正直に書いていきます。


1次試験——ゲーマーが有利な試験だった

1次試験は学科試験と適性検査です。

学科試験については、国語・数学・英語といったいわゆる大学受験に近い科目が出ます。正直、あまり記憶にありません。勉強が嫌いだった私には、特筆するほどの戦略があったわけでもなかったと思います。

むしろ印象に残っているのは適性検査の方です。

これが普通の大学入試では絶対に出ないような問題でした。

飛行機のイラストが何種類か並んでいて、「同じ方向を向いているものを選べ」という問題。あるいは機体がどのくらい傾いているか(バンク角)を読み取る問題。飛行機の状態を頭の中で三次元的に把握できるかを見ているのだと思います。

対策本があるわけでもないし、そもそも一般の高校生が触れるような内容ではありません。

ただ、私にとっては「それ、ゲームでやってるやつだ」という感覚でした。当時からゲームが好きで、飛行機系のゲームをよく遊んでいた。そのおかげか、適性検査はそれほど苦労しなかったと思います。

受験対策として飛行機ゲームをやる、というのは冗談のようで、あながち間違いではないかもしれません。


2次試験——「これは落ちた」と思った

1次試験を通過すると、2次試験の案内が届きます。

会場は自衛隊の基地です。私は福岡県の芦屋基地に行ったと記憶しています。それまで自衛隊の基地に足を踏み入れたことなど一度もなかった高校生にとって、基地の入口をくぐるだけで緊張感が違いました。

2次試験の内容は2つ。面接と、航空身体検査です。

面接は、今でいう圧迫面接に近い雰囲気だったと思います。試験官が誰だったか当時はわかりませんでしたが、今思えば、航空学生出身のパイロットが必ず入っていたはずです。なぜなら、その試験官が後に自分の上官となることがあるからです。

国防について聞かれたような気がしますが、何を答えたか覚えていません。

ただ、面接室を出た瞬間にはっきり思いました。

「これは落ちた。」

何がまずかったのかも分からないまま、その日は帰りました。

身体検査は、思春期の私にはかなりのインパクトでした。どこまで確認するんだという話ですが、詳細は割愛します。要するに、全身くまなく診られます。

この試験だけは、どれだけ勉強しても対策できません。5体満足に産んでくれた両親にただ感謝するしかない。

当時は裸眼視力が必須条件で、視力が基準を満たさずに落とされる受験者がかなりいたと聞きます。今は矯正視力でも問題ないようですが、当時は眼鏡やコンタクトが不利に働く時代でした。


まさかの2次合格——そして防府北基地へ

「落ちた」と確信していたので、合格通知が届いたときは本当に驚きました。

めちゃくちゃ嬉しかった。

ただ、まだ3次試験があります。万が一不合格になったときのために、大学受験の準備も並行して進めながら、山口県の防府北基地へと向かいました。

基地に着くと、隊舎に寝泊まりします。初めての集団生活、初めての基地。右も左もわからない18歳そこそこの小僧が、そこに放り込まれるわけです。

一番怖かったのは、ラッパでした。

数時間ごとに基地中に鳴り響く起床ラッパや消灯ラッパ。あの音は今でも耳に残っています。そのときはまだ知らなかったのですが、これが自衛官になってからの日常になるとは思ってもいませんでした。


初めて操縦桿を握った日

試験の流れは、まず操縦の基礎についての説明を受け、その後実際のフライトに臨む形でした。使用する機体はT-3練習機(現在はT-7に変わっています)。

確か3回のフライトを行いました。

実際に操縦桿を握って飛ばすわけですが、何かを評価されているというより、自分がどれだけ吸収できるか、操縦の飲み込みがどれくらい早いかを見られている感覚でした。

コックピットは狭かったです。独特の匂いがありました。エンジンが動き出すと、機体全体が細かく振動しています。操縦桿は、想像していたよりずっと重かった。

でも、いざ飛んでみると——最高の気分でした。

旅客機に乗ったことは何度かありましたが、あちらは小さな窓から空を「覗く」感覚です。T-3のキャノピーは違います。頭上まで広がる透明なガラス越しに、空がそのままそこにあります。視界が、全部、空でした。

あの感覚は今も忘れていません。

試験官の一人に、後にお世話になる教官がいました。そのときはとても優しかった。が、航空学生として入隊してからそのかたと再会することになるのですが——鬼教官でした。優しかったのはあのときだけだったようです。

最後のフライトでは、教官がいろんな機動をデモンストレーションしてくれました。

もう不合格でもいいや、と思うくらい興奮しました。

同時に、やっぱりこの世界に飛び込みたいという気持ちが、これまでより強くなっていました。


合格発表——即決だった

航空学生の合格発表は、大学の合格発表よりもかなり早く来ます。

航空学生に行くか、大学に行くか。究極の選択です。

私の答えは即決でした。迷いはありませんでした。

一応、2流ではありましたが大学も後から合格しました。でも、そちらの合格通知は最後まで封すら開けなかった気がします。


着隊の朝

入隊が決まり、着隊の日を迎えました。

実家からタクシーに乗って、最寄りの駅へ向かいました。親が車で送ってくれなかった理由は、別れ際の不安そうな顔でなんとなくわかりました。

タクシーの運転手さんは、察していたのだと思います。親の顔を見たのか、若造が一人でタクシーに乗っているこのシチュエーションを見たのか——「就職ですか?」と聞いてくれました。

「自衛隊に入ります」と答えました。

運転手さんが何と返してくれたかは覚えていません。ただ、その短い会話が、20歳の自分にとって小さな区切りになったような気がしています。

こうして私は防府北基地へと着隊するのでした。


このシリーズでは、27年間戦闘機に乗ってきた経験を、よく聞かれる質問に答える形で書いていきたいと思っています。「フォロー」「スキ」大歓迎です!

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