同国観察日記

同級生D

同国観察日記


3月14日(土)◇ 沖縄修学旅行・1日目


沖縄だ!


窓の外を流れてる沖縄の海は、まるで青い絵の具を溶かしたように鮮やかだった。バスガイドさんが教えてくれる明るい方言に、車内は和やかな笑い声に包まれていた。


そんな空気の中、空港を出て数分後?

知らない人がバスに乗り込んできた。

学校からは何も聞いてなく、「平和ガイド」と名乗るその知らない人の口調には、感情の起伏がほとんどない。

抑揚がないというか、ロボットのようなボソボソとした声がマイクを通して車内に響いた。


熱弁し始めたのは、故・安倍元総理のことだった。

批判してた。

他にも何か話していたが、覚えていない。

覚えてないけど、私は隣りの席の友達と戸惑うように顔を見合わせたのを覚えてる。

(この人は本当に平和を訴える人なのだろうか…?)


思えば、この一年の「平和学習」は、ずっとこうした違和感の連続だった。


学校が教えてくれたのは「沖縄は捨て石にされた」という固定された歴史観のみだったように思う。

私は沖縄戦が民間人を巻き込んだ悲惨な地上戦であったことを知っているし、忘れてはならない悲劇だと思っている。

だけど、日本全国からこの地に赴き、命を落とした兵士たちの存在には、授業で一度も触れられることはなかったように思う。

あまりに偏った視点の押し付けに、不快感を拭えなかった私は、一学期と二学期の『探究の日』を、どちらも欠席するという選択をした。


後日、ビデオで見せられた二学期の「平和劇」の映像は、想像を絶するくらい狂気に満ちていた。

ガマの中の惨劇を描いたその演劇では、ミサイルの爆音が轟き、理性を失った演者たちが発狂し、口に銃を突っ込んで自決しようとする凄惨なシーンがこれでもかと繰り返されていた。


海外で育ち、日本の教育事情に疎い私には、あまりにもショックだった。


「日本の学校って、こんなトラウマを植え付けるような劇を平気で高校生に見せるんだ…」


呆然とする私に、友人が深刻そうに言った。


「あの劇の間、クラスの半分くらいが泣いていて、ショックで失神しちゃう子までいたんだよ」


それはもはや教育とかではなく、恐怖による洗脳のように思えた。




始まったばかりの研修旅行は、その最初の段階からどこか異様だった。


旅行の開会礼拝をする教会に到着した私は、

朝は早起きしたこともあって、正直かなり眠かった。

そのため内容のすべてをはっきり覚えているわけではないけれど、いくつか強く印象に残っている場面がある。


礼拝のなかで、キリスト教の牧師さんから海上保安庁を批判するような発言があったこと、そしてその牧師さんが「自分もFコースの子と一緒に船に乗る」と言っていたことを覚えている。

Fコースはキリスト教とは無関係で、てっきり現地の人が生徒と一緒に乗船するものだと思い込んでいた。そのため、牧師さんが乗ると聞いたときは「なぜ牧師が?」と驚いた。




その後、フィールドワークへと移り、大謝名さくら公園の近隣に到着。大人がすっぽり隠れるほどの大きさを持つ、防空壕の岩の前へと足を運んだ。


「この中に、日本兵が入って、小さな穴から銃撃していたんだよ」


そう話しを切り出した平和ガイドの解説を熱心に聞こうとした直後、


「馬鹿の象徴です」


冷たい声でそう言い放つと、ガイドはさっさと次の場所へ歩き去ってしまった。


胸が痛んだ。

国のために命を懸けて戦った人たちに対して、あまりにも敬意を欠いた言葉だと思った。

私は思わず、友人の耳元で囁いた。


「ねえ、あの人ちょっと思想強すぎない…?」




夕方の閉会礼拝では、別のガイドが予定時間を大幅に超過し、無表情な顔で数字ばかりを並べ立て、なぜか沖縄とは関係のない「福島県」の批判を淡々と続けていた。

その時点でもう、私は心底疲れてしまった。






3月15日(日)◇ 沖縄修学旅行・2日目


二日目のガマ体験は、恐怖そのものだった。


ガマの入り口にあるチケットブースみたいな建物は「本当に人が立ち入る場所なの?」と思う程にボロボロに朽ち果てていた。


ガマに入る。

照明設備など一切なく、吸い込まれそうなほど真っ暗な洞窟。

天井から冷たい水滴が落ちるたび、生徒たちの悲鳴が響く。

酸素が薄いのか、胸が苦しい。

引率の先生たちはなぜか先頭のガイドの真後ろに固まり、私たちのクラスの後方には大人が一人もいなかった。

背後から迫る暗闇の恐怖に、生きた心地がしなかった。


たどり着いたのは、かつてひめゆり学徒隊すら立ち入りを禁じられたという、脳症患者の収容場所。

ガイドが懐中電灯の光を当てても底がまるで見えない深い傾斜(奈落)があった。


「ここに患者が叫び声をあげながら走って落ちていったかもしれないね」


と、まるで怪談話のように語った。

全身の血の気が引いた。


さらに「実際の暗闇を体験しましょう」と指示され、光を完全に遮断されたブラックアウトの恐怖に、私はただ震えるしかなかった。



その後に訪れた資料館でも、配慮のない死体写真が巨大なパネルで並んでいた。

ウジの湧いた男の子の遺体、黒焦げの焼死体。

心の準備もない生徒たちにこれを見せることが、本当に教育なのだろうか。

憤りというよりも、ただ頭がクラクラした。






3月16日(月)◇ 沖縄修学旅行・3日目


三日目は、それぞれ別のコースに分かれての探究学習。


私はCコースを選んだので、地元のガイドさんらしき人に連れられてカヌー体験とマングローブの観察へ。

楽しかったと思う。

でも、カヌーをやった場所がほとんど「海」だったのには驚いた。

なぜならコース説明やしおりには「慶佐次川カヌー」と書いてあったから、私はてっきり川をのんびり漕ぐものだと思っていたのに、実際は川の下流からそのまま海に出ていくルートだった。


湾の中だから何事もなく済んだのかもしれないけれど、参加した子のほとんどが初心者。

それなのに、結構波が大きくて流れの速い「川と海の境目」を漕がされて、内心『これ、本当に大丈夫なのかな…?』と少し怖かった。








学校に戻ってきた。

他の同級生の子の手記を見た。


私はその同級生の子たちが書いたみたいに、先生が言った言葉を一語一句すべて覚えているわけじゃない。

だから、ちゃんとした情報になっていないんじゃないかって、申し訳ない気持ちになる。

でも、私が授業や礼拝の中でずっと感じていた「あの空気感」だけは、どうしてもはっきりと残っている。


一言で言うなら、学校の教育方針がいつもアメリカの共和党や日本の保守派をやんわりと批判する方向を向いている、ということ。

逆に、民主党や左派を批判するような内容は一度も聞いたことがない。


去年の礼拝では、自分の思想をはっきり出す◯◯◯先生が、トランプ大統領のことをかなり強めに批判していた。

今年度に入ってからも、国語の授業で「ポピュリズムとは何か」という文章を読んだ。

教科書には明確に書かれていないけれど、なんだか「社会主義、共産主義の方が良い」と言いたげな書き方だったし、その授業でもやっぱりトランプ大統領をポピュリストの例として批判していた。


それから、価値観の押しつけみたいに感じる授業も多かった。


昨年度の聖書の時間は、「みんな当然、LGBTを認めてるよね?」という前提で授業が進んだ。


国語の授業でも、「選択的夫婦別姓を認めるのが当たり前」という空気のなかで、結局何が言いたいのかよく分からない、別姓をサポートする立場の文章を読まされた。


一番苦痛だったのは、それがテストに出ること。

正直、自分の中では納得がいかないし、勉強したくもない内容だった。


でも、テストに出る以上、点数を取るためには学校側の「正解」に合わせて勉強せざるを得なかった。


自分の気持ちを抑えて、割り切って机に向かう時間は、本当に窮屈だった。


私の覚えていることはこれだけ。


他の同級生が書いたものと違い、参考になるのか分からないけれど、あの教室で私が感じていた違和感や、心の中のモヤモヤが、少しでも何かの役に立ってくれればいいなと思う。






同級生D






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