インタビュー

ヘイトデモが消えた街、防刃チョッキ今も 解消法10年の絶望と希望

聞き手・山本知佳 岡田玄

 外国出身者やその子孫への不当な差別的言動の解消をめざすヘイトスピーチ解消法ができて10年。被害に遭いながら実名で声を上げ、法制定を後押しした在日コリアン3世の崔江以子(チェカンイジャ)さん(53)は、差別をなくすための訴えをやめるわけにはいかない、といいます。「絶望」にのみ込まれそうになりながら、それでも崔さんが口にするのは「希望」でした。

遠ざかった共生社会

 ――解消法の成立・施行から10年が経ちました。

 「これからは共生社会が成熟していく。法律ができたときはそう思っていましたが、この10年で、むしろ遠ざかったと言わざるをえません」

 「怖いです。外出する時は今も防刃チョッキを着ています。この取材を受けるのも本当は怖い」

 ――それでも、なぜ取材を受けていただいたのでしょうか。

 「差別の実態を広く知ってもらい、決して許されないことだと示すためです。矛先はより弱いところに向けられる。民族的背景や女性であることも含めて攻撃の対象にされているのではないかと感じることもあります」

 「被害をそのままにしていると『攻撃されるから黙っておこう』と、同じように差別や偏見の対象にされている人たちに思わせてしまう。だから、自分自身のためにも、そうした人たちのためにも黙らないし、黙れません」

絶望を感じた10年前のデモ

 ――2015年と16年、在日コリアンが多く住む川崎市川崎区の桜本地区を標的にしたヘイトデモがありました。

 「桜本は私が生まれ育った地域です。私は、桜本に市が設置した在日外国人と地元住民の交流施設で働いています」

 「この地域の子どもたちは、『違いは豊かさ』といった考えに触れて育っています。だから、最初のデモの後、施設に通う子どもたちがすごく怒ったんです。『大人は差別はダメっていうのに、どうして大人が差別をするんだ』って」

 「『差別をしてはいけないというルールがないから』と情けない答えをしたら、子どもたちは『ルールがないなら作って。大人は何をやってるんだ』と、もっと怒りました」

写真・図版
かつてヘイトスピーチが行われた現場付近に立つ崔江以子さん=2026年5月18日、川崎市川崎区、金居達朗撮影

 ――ヘイトデモは13年ごろから、桜本地区から約2.5キロ離れたJR川崎駅前でありました。

 「外出でデモに遭遇しそうなときは、病院の予約を変更したり、サッカーの試合を見に行く時間をずらしたりしていました。そうすれば、見なくて済みました」

 「でも、生活の場に来たらもう逃げ場はありません。デモをただ避けることは、子どもたちのためになっていなかったのだと気づきました」

 ――在日コリアンへの差別には長い歴史があります。

 「在日1世、2世の先輩たちは、公務員の国籍条項の撤廃に声を上げ、児童手当や国民健康保険などを外国籍住民も利用できるようにするために働きかけをするなど、下の世代が生きやすいようにしてきてくれました」

 「そんなハルモニ(おばあさん)たちが、ヘイトスピーチを目にして、『悔しい、悔しい』と胸をたたいて言うんです」

 「最初のデモの日は雨でした。私は街が泣いていると思ったんです。デモが桜本近くの交差点に差しかかった時、私の脳裏には『絶望』という言葉が浮かんでいました」

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「日本浄化デモ」と称し、日の丸や旭日(きょくじつ)旗などを掲げてデモ行進する人たち。デモに抗議する人々も来た=2016年1月31日午後3時1分、川崎市川崎区、北野隆一撮影

 ――崔さんは参議院法務委員会で参考人として意見陳述しました。国会議員が視察に桜本を訪れ、16年にヘイトスピーチ解消法が成立しました。

 「解消法は地方自治体に、地域の実情に応じた施策を講ずるよう求めています。川崎市では19年にヘイトスピーチを禁じる条例ができ、全国で唯一、罰則規定も盛り込まれました。施行以降、条例違反のデモは行われていません」

子どもにも広がる不安

 「でも、川崎市を出れば違う。例えば、条例のない埼玉県川口市や蕨市では、川崎では発することができない言葉がクルド人に向けて使われています」

 「また、選挙という公的な場でも、外国人は負担や懸念材料だと繰り返し語られました。三重県では外国籍の公務員採用の取りやめの方針が表明され、茨城県では『不法』就労通報制度が創設されました。共生社会をつかさどる行政機関が逆行するような動きをみせていることは、残念でなりません」

 「海外にルーツのある子どもたちは、不安をもらします。日本人ファーストなら、私たちは2番目、3番目……。いま大災害が起きたら、避難所に入れてもらえないんじゃないか、お水ももらえないんじゃないか、って」

「しっかりと傷ついています」

 ――ヘイトスピーチはネット上にも広がっています。崔さんは先日も新たな訴えを起こしました。

 「この10年、私に対する『出て行け』などの差別的な投稿は繰り返し行われてきました。もう数の多さには驚かなくなりましたが、一つひとつにしっかりと傷ついています」

 「以前、ネット掲示板で私を侮辱したとして書類送検されたのは、10代の少年でした。強い言葉ほど反応が集まりやすいことが、そうした投稿を後押ししている面もあるのではないでしょうか。他にも、特定された人はだいたい、『傷つけるつもりはありませんでした』『日記のようなつもりで書いていました』って言うんです。」

 「私は連休になると緊張して、心が休まらず、呼吸が浅くなります。書き込みが増えるのって、お盆や年末年始とか連休の時が多いんです。余暇なんでしょうね。相手は誰でもいいんだと思います。連休が終わるとほっとするんです」

 ――暇つぶしにヘイトですか。

 「ガの死骸や、頭が切断されたゴキブリの死骸が入った脅迫状が届いたこともあります。ヘイトスピーチで、朝鮮人をゴキブリに例えていますから、意味は想像がつきます。警察には毎回届け出ていますが、こうした郵送物から指紋が出たことはないそうです」

解消法、意味はあったのか

 ――解消法には意味が無かったのでしょうか。

 「差別のない社会は自然に生じません。行政施策や教育、市民社会の良識で作り上げるものです」

 「実際、行政の共生施策には大きな力があります。川崎市には、差別を生まない土壌作りをしていくという強い姿勢がある。2月の衆院選ではX(旧ツイッター)の市の公式アカウントで、選挙の場でも差別的言動は許されないという内容の投稿をしていました。そうした取り組みで、『私たちも住民であって、施策に支えられているんだ』と感じられます」

 「法律も同じです。それまでヘイトスピーチは社会の多くの人にとっては、少数者の問題で、距離がある話題だったでしょう。しかし、解消法ができたことで、自分たちが生きる社会の問題だと捉えるきっかけになったと考えています。解消法により、差別は許されないという社会の共通認識が前進した面は確かにあったと思います」

差別は無くさないといけない

 ――ヘイトスピーチも表現の自由だと主張する人もいます。

 「『殺せ』と直接言葉を投げつけられた時だけが、差別の被害ではない。絶望した最初のデモに遭遇したときにわかりました。デモが予告されてからの恐怖。その恐れを抱えながら迎えた憂鬱(ゆううつ)な朝。デモが去ったあとの空しさで眠れない夜。翌日からは再び、次の差別に対する恐怖が始まります」

 「変えられない出自に対して否定されたり傷つけられたりすれば、逃げ道がありません。人の尊厳を踏みにじる差別は、無くさないといけない」

 「全国でも先駆的な川崎市の条例は、大きな成果を上げています。しかし、事後の処理だけでなく、差別を未然に防ぎ、加害や被害を生まない社会を支えるためには、国レベルでのさらなる法整備や議論も必要だと思います」

 ――解消法にも罰則が必要だということですか。

 「状況に応じてではあります。ただ、罰則付き条例のある川崎市では、十二分に抑止効果が発揮されています。この条例は、レイシスト(人種差別主義者)を懲らしめるためではなく、被害を止めるためのものです。表現の自由を侵害するような憲法違反ともされていません。国には、川崎の成功例をモデルにすることが求められていると思います。立法府での議論を期待します」

写真・図版
崔江以子さん=2026年5月18日、川崎市川崎区、金居達朗撮影

 ――「日本が嫌なら、祖国に帰れ」というヘイトもあります。

 「私のふるさとは川崎、ここ桜本です。ルーツは朝鮮半島で、先祖のお墓もありますけど、私にとって韓国は訪ねる場所です」

 「桜本で育った子どもたちは、高校に進学する15歳の春、地域の外へ出るときに、差別を恐れて日本名を名乗らざるを得ないことがあります」

 「それでも私は、この日本の社会に希望を持っています。10年前に、怖い、やめてほしいと絞り出した声を、この社会は置いてけぼりにしなかった。私たちの隣に立ち、私たちよりも大きな声で差別に反対の意思表示をする市民の人たちや、立法を支えたNGOや弁護士の人たち、研究者や議員の人たちがいました。それを過去の奇跡とか良い思い出にとどめたくありません。たとえ時代の針を巻き戻されたとしても、1センチでも1ミリでも上書きして、次世代につなぎたいのです」

        ◇

 1973年生まれ。2019年から川崎市の多文化交流施設「ふれあい館」の館長。地元のサッカーJ1・川崎フロンターレのサポーター。季節の花を育て月をめでるのが趣味。

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この記事を書いた人
山本知佳
社会部
専門・関心分野
教育、大学、海外ルーツ、ジェンダー
岡田玄
オピニオン編集部 記者
専門・関心分野
中南米、沖縄、移民、民主主義、脱植民地主義、働き盛り世代の脳卒中、武道、武術の身体操作
  • commentatorHeader
    平尾剛
    スポーツ教育学者・元ラグビー日本代表
    視点

    ありったけの想像力を使って崔江以子(チェカンイジャ)さんの胸の内を思うと、ものすごい苦しみが湧いてくる。それと同時に、差別をする人たちへの激しい怒りが生まれる。同胞を苦しめる言葉を軽々しく口にする、その無責任さに。 私は、この「怒り」を忘れない。決して忘れてはならないし、それどころかずっと怒り続けなければならない。私たちに必要なのは、この「怒り続ける体力」だ。差別なんて、くそくらえ。

    2026年6月30日 16:58
  • commentatorHeader
    雨宮処凛
    作家・反貧困活動家
    視点

    「大人は差別はダメっていうに、どうして大人が差別をするんだ」「ルールがないなら作って。大人は何をやってるんだ」 崔さんが語った地域の子どもたちの言葉に、目の前が暗くなりました。 この記事で触れられている「病院の予約を変更したり」といった日常の制約、そして脅迫状、また崔さんが今も防刃チョッキを着ていることなど、ヘイトは生活を、人生を破壊します。 一方で、ネットに書き込む方は「余暇」。年末年始や連休にヘイト投稿が多いという指摘に驚きました。 それでもヘイトスピーチ解消法には罰則規定がありません。 かたや、本日野党欠席で衆院を通過した国旗損壊罪には「2年以下の拘禁刑または20万円以下の罰金」があります。 納得しない思いですが、崔さんが苦しんできたヘイトとそれに抗うための裁判の記録は『「帰れ」ではなく「ともに」』という本に詳しく書かれているので、この機会にぜひ読んでほしいです。

    2026年6月30日 17:06

朝日新聞

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