第26話 空っぽの欲望と、有効活用

 彼女は、真剣な眼差しで俺を見つめていた。


 俺も、腹をくくることにした。


「条件をつける。まず、コアちゃん。俺以外の欲望を具現化するときは、必ず相手の残りの欲望を見定めてほしい。ギリギリのラインじゃなくて、生活に支障がないラインの見極めだ。できるか?」


「そうじゃな……妾は、生物が持つ欲望の量なら、おおむね理解できる。駆の欲の量が果てしなく大きいことも話したじゃろ? それに、鐘々が倒れたときの残りの量も把握しておる。結果から言えば、可能じゃ」


「じゃあ、それで。ラインを越えそうなときは、叶えなくていい。絶対に断れ」


「わかった」


「鐘々、浅葱さん。二人も、一度コアちゃんに願いを聞いてもらったら、必ず休憩を入れること。どんどん際限なくコアちゃんを使うのは禁止だ」


「仕方がないね」


「わ、わかりました」


 最低限のルールは作った。


 これで安全だ、とは言えない。


 だが、何も決めずに試すよりはずっとましだ。


「さて。浅葱さん、試してみようか」


「はい」


 今回は、俺が監督する形での欲望実験である。


 浅葱さんの欲望がなんなのかは分からない。


 彼女は、いったいどういうものを作るのだろうか。


 そこの草原に打ち捨てられた、うどぅん。


 うどんとは呼びたくないので、うどぅんと呼ぶことにした出来損ない。


 あれを越えた作品は、出来上がるのだろうか。


「それじゃあ……机を作ってください」


 なるほど。


 机か。


 俺の作品を越えられるかな?


 コアちゃんに出会った頃、洞窟の中で作ってもらった机を思い浮かべる。


 あのときも、机を作ってもらうにしては、色々と細かく注文しなければならなかった。


 高さや机の広さ。脚の形。そもそも何に使う机なのか。


 そういう部分を、ちゃんと想像しないといけない。


 浅葱さんに、それができるだろうか。


「ふむ。その言葉だけで十分なようじゃな」


「えっ!?」


 机。


 その単語だけで作れると、いまコアちゃんは言ったのか?


 なんか、めちゃくちゃ細かく注文しないといけないルールはどこへ行った?


 次の瞬間だった。


 目の前に、ワークデスクが現れた。


 天板は広く、手前には作業しやすい丸みがあり、左右には引き出しがついている。


 一番上の引き出しには鍵穴まであった。


 奥側には、パソコンを置くことを想定した配線用の穴があり、足元にはコードをまとめるための浅い受けまでついている。


 オフィス用品として販売されていても、なんの違和感もない。


 そんなワークデスクが、そこにはあった。


「すごい……本当に、出た」


 浅葱さんが、息を呑む。


 俺も、正直驚いていた。


 見た目だけなら、俺の作った机とは比較にならない。


 いや、比較するのも失礼なくらいだ。


「ふむ……じゃが、これは……うむぅ……」


 だが、コアちゃんは首を傾げていた。


 なにやら悩んでいる。


「どうした?」


「非常に具体性のある、よい欲じゃ。形もよい。だが……味がないのじゃ。いや、ないというより、非常に薄いというか……霞のような欲を食べているときの味に近いというか……」


「味が薄い?」


 どういうことだろうか。


 物は、しっかりできているように見えるが……。


 俺は、ワークデスクに近づいた。


 天板へ手を置く。


 その瞬間、違和感があった。


 なんだろう……軽い?


 触った感覚が、そう、あまりにも軽い。


 試しに端を持ち上げると、デスク全体が紙細工のように浮いた。


「……軽っ」


 見た目は完璧だった。


 木目もあるし、金具もある。引き出しの取っ手もある。


 だが、重さがない。


 そして――。


 俺が少し力を込めただけで、天板がぺこんと嫌な音を立てて沈んだ。


 強度もない。


「え……」


 浅葱さんの顔から、血の気が引いていく。


 俺は慌てて手を離した。


「いや、待て。まだ壊れてない。壊れてないから」


「でも……」


 浅葱さんが、小さく呟く。


「見た目だけ、なんですね」


 その言葉は、やけに静かだった。


 静かすぎて、痛かった。


「いや、見た目だけでもすごくない? だって、お兄さんのうどん、それだよ?」


 鐘々が、草原に落ちた出来損ないを指差す。


 指を差すな、指を。


 あと、それはうどんではない。


 うどぅんだ。


「でも、これじゃあ使えないじゃないですか」


「それはそうだけど……あ、食品サンプルとかは作れるんじゃない?」


 なるほど。


 その手があったか。


 だが、これだけ強度がないと不安ではないだろうか。


 見た目だけなら完璧なんだが……。


 待て。


 サンプル?


「ちょっと待て、鐘々。サンプル。サンプルって言ったよな?」


「え? うん。それなら少しは売れるんじゃないかなって」


 鐘々に、いつもの調子が少し戻ってきている。


 だが、重要なのはそこじゃない。


 そう。サンプルだ。


「コアちゃん」


「なんじゃ?」


「今度は俺の欲望から、机を作りたい」


 そこで、俺は先ほどの浅葱製ワークデスクを指差す。


「あの机を作りたい。できるか?」


「ふむ。それならば……ほう? 味が変わったのう」


 味が変わった。


 コアちゃんは、確かにそう言った。


 次の瞬間。


 草原から、先ほどと同じ形のワークデスクが生えてきた。


「こ、これ……」


「え、マジで?」


「実験は成功みたいだな」


 俺は、すぐに天板へ手をついた。


 凹む様子はない。


 続いて、軽く天板を叩く。


 鈍い音が返ってくる。


 ノーダメージ。


 端を持ち上げようとすると、今度はずしりとした重さが腕にかかった。


 一人で持ち上げるのは難しい。


「これ、どういうこと?」


 鐘々が目を瞬かせる。


 俺は、浅葱さんの作ったワークデスクと、俺の欲望で作らせたワークデスクを見比べた。


「浅葱さんの欲望を具現化すると、見た目だけなら、かなり精度が高いものが生まれた」


「はい……中身はなかったですけど」


「だが、それはつまり、完璧な設計図として機能したんだ」


 そう。


 俺に足りないのは、想像力だ。


 だが、以前も写真を見ながら壁を作ったときは非常にうまくいった。


 つまり、見本があればいけるのだ。


 そして、彼女の作る欲望は、見本としては完璧だった。


 三百六十度どこからでも観察できる、完璧な立体設計図。


 これがあるなら、俺の欲望を用いた生産体制は、一気に価値が変わる。


 いや、跳ね上がる。


「浅葱さん」


「はい」


「浅葱さんが作ったものは、失敗作じゃない」


 彼女は、少しだけ目を伏せたまま、何も言わなかった。


 たぶん、すぐには信じられないのだろう。


 家を奪われ、仕事道具を奪われ、自分の持っていたものに価値がないように扱われた人間が、そんなに簡単に、自分の役割を信じられるわけがない。


 だから、俺は続ける。


「これは、使えない机じゃない。完璧な設計図だ」


「設計図……」


「ああ。俺が一人で作ろうとすると、うどぅんになる」


「それは、それで、すごく分かりやすい失敗例だね」


「うるさいぞ、鐘々」


「ごめんごめん」


 鐘々は笑った。


 その笑い方も、少しだけいつもの調子に戻っている。


「とにかく、俺には具体的な形を思い浮かべる力が足りない。だけど、浅葱さんにはそれがある。俺の欲望と、浅葱さんの形。それを合わせれば、使えるものができる」


「私のは……中身がないのに」


「中身は俺が欲しがる。形は浅葱さんが出す。それでいい」


「それで、役に立てるんですか?」


「少なくとも、今の俺には必要だ」


 俺は、浅葱さんの作ったワークデスクを指差した。


「これがなかったら、俺はあの机を作れなかった」


 浅葱さんの大きな目が、少しだけ揺れた。


「……本当に?」


「本当に」


 こういうとき、気の利いた言葉がすらすら出てくればいいのだが、残念ながら俺はただの元役所職員である。


 窓口で磨かれたのは謝罪と説明であって、落ち込んだ女の子を励ます技術ではない。


 だから、言えることはひとつだけだった。


「助かった」


 浅葱さんは、しばらく黙っていた。


 それから、ほんの少しだけ、肩の力を抜いた。


「……よかったです」


 その声は小さかった。


 けれど、さっきの「見た目だけ、なんですね」と言ったときよりは、少しだけ温度があった。


「これ、他のものも作れるの? 試したほうがよくない?」


 鐘々が言った。


「やるにしても、消耗が少なそうなものの方がいいか」


「えっと、それじゃあ……お昼に食べたうどんとかはどうでしょう?」


「ふむ、それくらいなら問題はなさそうじゃぞ」


 早速、うどんを作ってもらう。


 ……ワークデスクの上に、昼に食べたうどんが現れた。


 いや、現れてしまった。


 昼に俺たちが食べた、あの三人分百二十円のうどんが、そこにあった。


 完璧すぎて怖い。


「うわ、完璧に昼に食べたやつじゃん」


「写真から出てきたみたいだな」


 そう。


 それが素直な感想だった。


 コアちゃんが、暦をじっと見る。


「暦が口にしたとき、もうその見た目が浮かんでおったぞ?」


「え?」


「妾が形を探すまでもなかった。器の縁も、麺の曲がり方も、汁の表面も、すでにそこにあった。あとは、妾がそれをなぞっただけじゃ」


 とんでもない想像力だ。


 いや、想像力というより、記憶力なのだろうか?


 そこで、暦がおずおずと口を開いた。


「あの、私……完全記憶能力があるので……それのせいかと」


「完全記憶能力?」


「はい。一度見たものを、かなり細かく覚えています。文字も、絵も、部屋の配置も、物の形も。忘れようとしても、あまり忘れられません」


「それ、かなりすごくないか?」


「便利ではあります。漫画の背景資料を覚えたり、家具や建物の細部を思い出したりできますから。でも……いいことばかりではないです」


 暦は、少しだけ目を伏せた。


 それ以上は、今は聞かないほうがいい気がした。


 たぶん、彼女は見たくないものも忘れられない。


 母親の言葉も。


 自分の部屋から運び出される家具も。


 雨に濡れた公園も。


 それでも、今は別のことを考える。


「つまり、浅葱さんは、一度見たものをかなり正確に思い浮かべられる」


「はい」


「だから、コアちゃんはその形を読み取れる」


「そういうことになるのう」


「……マジでチートじゃないか」


 思わず声が出た。


 これなら、図書館で本を読み込んでから帰ると言っていた理由も分かる。


 持ち帰らなくても、内容は頭に入る。


 いや、正確には、仕事で使う資料なら出典やページ確認のために手元に置けたほうがいいのだろう。


 だが、見ることができれば、少なくとも形は失われない。


 どんなものでも一度見れば、彼女の中に残る。


 天職では?


 いや、天職だったのか。


 その天職を、あいつらは踏み潰した。


 パソコンを奪い、画材を奪い、仕事先へ連絡して、彼女の仕事を断ち切った。


 胸の奥が、少しだけ熱くなる。


 だが、今は怒鳴る場面ではない。


 この怒りの使い道なら、あとで考えればいい。


 今は、この手札をどう使うかだ。


 俺は、浅葱さんの作った軽いワークデスクを見た。


 それから、俺の欲望で作った重いワークデスクを見る。


 見た目は同じ。


 だが、片方は空っぽで、片方は使える。


 空っぽだから無価値なのではない。


 空っぽだから、こちらの欲を流し込める。


「なんにせよ、これなら次の手に移れる」


「次の手?」


 鐘々が首を傾げる。


 俺は、草原を見渡した。


 どこまでも続く地平線。


 空っぽのようで、いくらでも広げられる空間。


 俺が欲しかったのは、金だ。


 安全な家だ。


 誰にも奪われない生活だ。


 そのためには、ただ素材を売って小銭を稼ぐだけでは足りない。


 もっと大きな収入源がいる。


 このダンジョンだからできる、このダンジョンでしかできない事業が必要だ。


「よし」


 俺は、両手を叩いた。


「ダンジョン賃貸化計画……始めるぞ!」


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