歴史にたずさわる資格、私にあるのか 沖縄戦「集団自決」教科書記述の修正――執筆者の後悔

 歴史教科書の執筆に長くたずさわった元高校教諭が昨秋、病気のため69歳で亡くなった。66歳まで教壇に立ったが、教科書執筆は50歳過ぎで離れ、戻ることはなかった。文部科学省の教科書検定で沖縄戦の記述を修正し、罪の意識をかかえ続けた。

 坂本昇さん。1981年から40年余り計六つの都立高校に勤務し、日本史を教えた。時にユーモアを交え、古文書などの一次史料を多く用いる授業に、生徒の信頼は厚かった。

 社会科の授業のあり方を研究する教員や学生らの団体「歴史教育者協議会」に参加し、知見を積みながら、30代半ばからは東京書籍の教科書執筆に関わった。同協議会委員長の山田朗・明治大教授(日本近現代史)は「教育と研究のマインドとバランスに優れており、『教科書の監修者』として欠かせない存在だった」と振り返る。

 学生時代は、日本近現代政治史研究の第一人者でオーラルヒストリーを拓(ひら)いた伊藤隆・東大名誉教授(故人)にも学んだ。保守派の論客とされた人物。後年、坂本さんは「考えは相いれなかったが、史料にない歴史を証言で掘り起こす重要性を学んだ」と語っている。

 ■まなざしを大切に

 90年代に両国高校(墨田区)に勤務していたころには、23年の関東大震災で起きた朝鮮人虐殺などに関する公文書を発掘した。共著を出し、継承運動の先頭にも立った。大切にしたのは「歴史から取り残された人々へのまなざし」だった。

 沖縄戦の教科書記述では、渡嘉敷島の「集団自決」で兄とともに、母と妹弟を手にかけたという金城重明さん(故人)の証言を決まって取り上げた。

 そんな坂本さんが、2007年、駒場高校(目黒区)で教えていた時に直面したのが「集団自決」をめぐる文科省の教科書検定問題だった。

 沖縄戦では、県民の4人に1人が犠牲になったとされ、各自治体によると、少なくとも1千人が「集団自決」で亡くなっている。背景には、皇民化教育や「軍官民共生共死」という軍の方針があった。

 第1次安倍政権下、高校日本史の教科書で「軍の強制」記述の修正を求める意見がついた。修正に応じなければ検定は通らず、反論の申し立てをしても意見が変更される可能性は極めて低い。坂本さんは応じざるを得ないと判断した。「集団で『自決』を強いられた」という記述を「『集団自決』においこまれた」と修正した。

 沖縄では政治的立場を超えて抗議が広がり、07年9月29日、検定意見の撤回を求める県民大会が開かれた。坂本さんも会場にいた。主催者発表で11万人。海浜公園を埋め尽くした人たちが、戦争体験者や高校生らの言葉にじっと耳を傾ける静粛な雰囲気に、県民の怒りの大きさと歴史の重みを感じた。

 東京に戻った直後、日本史の授業冒頭で「沖縄の人々に申し訳ないことをしてしまった」と告げ、生徒らを前に涙した。

 「執筆者としての責任を果たし、検定の密室性にも一石を投じたい」。1カ月後、坂本さんは都内で記者会見し、記述の再修正案を公表した。教科書執筆者が実名で会見を開くことも、訂正申請前の内容を公にすることも異例だった。

 多くの激励が届いた一方、校門で見知らぬ男性から「政治にたてつくな。皇軍の加害性を強調し貶(おとし)める反日教師は現場を去れ」と腕をつかまれたことがあった。恐怖を覚えつつも「軍隊組織は住民を守らず、崇高で美しい殉国死などあり得ない。それが、歴史学が教える戦争の本質」と伝えたという。

 ■「強制」使えず後退

 最終的に、教科書会社の訂正申請を文科省が認めるという形で、「軍の関与」を示す表現は復活した。しかし、坂本さんは16年の取材に話した。「これまで使えた直接的な『強制』の表現が本文で使えなくなったのは大きな後退。歴史にたずさわる資格が私にあるのだろうか」

 「軍の強制」に検定意見がつくきっかけとなったのは、「大江・岩波訴訟」だった。作家・大江健三郎氏(故人)と岩波書店を相手に05年、旧日本軍の元隊長らが起こした。11年、「軍が深く関与」したと認定する判決が最高裁で確定した。

 一連の経過や意義を岩波書店がまとめた「記録 沖縄『集団自決』裁判」(12年)に、坂本さんは寄稿した。「より良い教科書づくりと正しい歴史認識・戦争認識の共有の努力を続けなければならない」。文章をそう締めくくった。

 請われて検定問題に関する講演で各地を訪れた。しかし、後悔の念はぬぐえず、再び、教科書執筆にたずさわることはなかった。「心の芯が溶けてしまったような感覚がずっとある」。20年以降、何度も記者にそう話した。長年の透析治療の末、25年11月に亡くなった。

 山口剛史・琉球大教授(社会科教育)は「現行の教科書はこの約20年で、背景や要因の理解を深められる内容に落ち着いてはいる」と言う。しかし、検定意見は撤回されていない。「今後も政治介入が起きる可能性はある。あの問題の再検証と、最低でも意見撤回が不可欠。坂本さんのような執筆者を守る仕組みも必要」と話す。

 亡くなる1年前の夏。「何のために、虐げられて消されそうになっている人々の歴史を教科書に残し、生徒に教えてきたのか」と質問した記者に坂本さんはこう語った。

 「時代の矛盾や構造をとらえること。あと、ヒューマニズムへの信頼、だろうか」

 ■弱者への不条理、要因は構造に

 弱い立場の人に凝縮して向けられやすい不条理の要因を、個人ではなく構造の問題としてとらえ、その延長線上に私たちが立っているという恐れ。そして歴史学の成果に忠実に学ぶことを通して、人はより善い方向へと変わっていけるはずだ――。最後に聞いた言葉の意味を、そう受けとめている。

 記者(36)は駒場高校で2年間、坂本先生から日本史を学んだ。日に焼けた先生が突然、教卓に両手をつき、むせび泣いた姿を忘れることはない。(森本大貴)

「デジタル版を試してみたい!」というお客様にまずは1カ月間無料体験