40歳過ぎて大学へ入った話(2)【エッセイ】
すいません、大幅に更新遅くなって。「40歳過ぎて大学へ入った話」の第2回目をやっていきたいと思います。前回の話を一応冒頭に掲載させてもらいます。あと写真は通っている大学とは関係ないです。念のため。
初回ではなぜ40歳を過ぎて大学に入るに至ったかについて書いて、大学合格までの話でしたが、第2回目以降はずっと夢見てきた大学入学後について書いていきたいと思います。
2021年の4月に地元の国公立大学に晴れて合格して、高校の頃から夢見ていた大学生活を送るわけですが、その頃はその1年前に世界的に流行し出した新型コロナが猛威を振るっていた時代でして、入学式も親御さんの参観などはなく、学生だけでやったり、入学後も一週間はまだ対面での授業とかでしたが、すぐに感染拡大とかでリモートの授業とかになったりしていました。ここでつくづく運がいいなと思ったのは、家があまり経済的に豊かでなく、20歳越えて引きこもったり、ずっと新聞配達などのアルバイトや介護の非正規労働などで受験勉強しながらの収入とかで、パソコンの15万円とか出すお金がなかったのですね。しかしながら入学前の2020年に国からコロナ給付金という名目で、確か国民全員に一律10万円の給付金が配られ、その10万円と介護職に従事していてそれは大阪府でしたか、国でしたか忘れたのですがさらに5万円も給付金を頂き臨時収入として15万円も手に入り、それとわずかながらの貯金と合わせて20万円で新しいノートパソコンとプリンターを購入できたわけです。これがないと大学の学業、とくに課題作成はほとんどWordだったり、工学部の理系の授業はハードにパソコンを使うのが多かったので、全くパソコンなかったらホントにヤバかったですね。それがコロナとかなく、給付金が出なかったら手に入るお金ではなかった15万円とかで買えたのですから、コロナパンデミックのタイミングで大学に入学できたのも勝手に何か運命めいたものも感じたりします。
そんな感じで入学当初はすぐにリモートになってそこまで対面とかなくて、でも英語とかフランス語とか大学に入ってからの勉強が始まり、1年の内は理系科目も易しめでついていきやすかったですね、まだ受験勉強勝ち抜いたっていうプライドも旺盛にありましたし。「本気出せば行けるって」とかなんとか。だけど、入った大学の課題とかゴールデンウィーク明けからもう「ぜえぜえ」息を切らすレベルになってきて、余裕かましたりすることが出来ず、「あれ、おかしいな、こんなはずじゃなかったけど」「ああ、まだあの科目終わってないのに、もうこっち増えてやがる」という課題の嵐が一回生前半にして出て来たりして、受験の偏差値とかあんまりプライド持っていた時間とかは短かったです。しかも周りは結構てきぱきこなしているように見えて、結局みんなGPA(大学での成績評価」が3点台とかだったりで「なんであれだけの課題多めなのにそんなにいいん?」っていろいろズタズタにされていく感じではありました。それでもまだ1年の間はなんとか「折れないで」乗り越えていったりはしたのですが。
まあ40歳越えて初めて大学に入ってそれまで受験勉強を働きながら自分のペースで趣味みたいな感じでやっていたものが大学に入ると「世間」という枠組みの中での勉強に変わり、大人数での授業、期間を決められた課題、そしてこれが一番きつかった「入ってみたらそんなに向いていない学問」という現実。そう、共通テストでD判定が出てしまい本来大学に行って学びたかった理学部物理学科の物理の勉強ではない土木系の勉強、それが思っている以上に興味なくて、そしてこの大学のレベルの課題の量、難しさ、それが本当に徐々に心を蝕んでいきましたね。「あそこで共通テストで妥協しないで理学部物理学科に入って物理を学べていたら」と面白くもない勉強をやらされる度に遅れてきた思春期のなごり、「反抗期」の自分が自我を膨大させていきました。もう40歳を過ぎているのに、心の中は発達課題を乗り越える前の思春期的な心情も色濃く残していると言う、ややこしさ。見た目もそれにふさわしく(?)年齢よりもはるかに若く見えて、18歳の大学生とほとんど違和感なく溶け込めたり、ため口しか最初の頃は、声かけられないくらい「同じ年齢」だと思っていた同級生が多かったです。たぶん今実際に僕に会っても一発で僕の年齢を当てられる人はほとんどいないと思います。それくらい、電車の中で窓に映る自分の姿見ても自分で「まだ20代かな」と思ってしまうくらい浮世離れしていて、気持ち悪さとかではないとは思うのですが、まあ違和感というか「この人はここに来るまで実際にどういう人生を送ってきたのだろう」とおそらく僕を直視した人はみんなそう思っているのではないかと想像したりします。それくらい「この世に削られた跡がない」感じ、世間を知らない思春期止まりなよく分からない見た目を今でもしていると思ったりします。気持ち悪いとかじゃなく(何回言うねん笑)、世間に溶け込めなかった時間が20歳くらいで見事に止まってそこから再開出来てしまっている「何か」を僕の中に人は見ることになるかもしれないです。これを読んでいる人には会うことはないとは思いますが、これまでいろいろなところで書いてきた数奇な運命とかが大きく作用している、そんな風貌はしていると思います。
で、何の話してたんやっけ。あ、そうそう、思っているのとはだんだん違っていた大学という感じの流れでしたね。そう、大学ってやっぱり好きな勉強をしに行ったもん勝ちなところがあって、ミスマッチを起こすと、よほどの人格者でもない限り、学問ではなかなか一発で食い込めない、そんな空間でした。まあ高校程度でそこまで学問に「バチッ」ってはまる人はなかなかいないから、みんな文句言いながら課題やったり、それまでの進学校の延長みたいな感じでこなすべき課題を黙々と「処理」できてしまうクラスメイトが羨ましかったです。そう見えていただけで、裏ではいろいろ苦しい思いもしたのでしょうね、ただ残念ながら僕はまた大学入って自分の「人見知り過ぎる」性格とも向き合わなくてはならなくなり、年齢差もダブルスコアというかふた回りも下の「Z世代」との付き合いは普通に困難を極めました。だけどなるべくそこには蓋をして、「溶け込む」しかなく、そこは幸いにして見た目が「若い」というのが自分を大学に馴染ませるアイテムとして作用していたような気もします。みんなため口でしたし、己の父親くらい離れている昭和生まれのおっさんの年齢の僕に、あれってみんな何が見えていたのだろう、って不思議でしかたないです、今振り返ると。で、溶け込む努力は人見知りなりに一応頑張りました。入学式で学長が「大学に入ったら是非サークルなどの活動をして欲しい。授業だけでは作れない人間関係とか出来てきっと大学生活は充実したものになるよ」と言っていたことが心に残り、まだ一回生前半で「学問的に外れ」を認識し切った訳ではなかったですが、オンラインの授業での小さなやり取りな人間関係ではなく、これまた入るつもりのなかった「文芸サークル」にまずは思い切って体験入部してみました。
実のところ、「文芸サークル」には当初入部するつもりはなかったです。何故かと言いますと、まあ詩みたいなものはこのnoteに投稿する前、20歳過ぎたあたりから、いろいろ引きこもりなどで屈折した思いなどを吐き出す形で、紙のノートにボールペンとかで書いたりしてましたが、やっぱりなんか大学行ってまで、そんな「ネクラ(死語?)」な自分でいたくないと思い、もっと積極的な人間、外向的な感じでいた方がいいと考えて、それまで散々愚痴って書いていた詩を、大学入ってピタっと止めたんですね。しかしながら、大学入って人見知りやし、課題多いしなど、いわゆる「五月病」になってしまい、「吐き出さず」にはおれない感じでまた2ヶ月も経たないうちに詩を書いて、「あ、まだ書けるやん」で「じゃあ文芸サークルにもちょっと」って感じで体験入部からの正式な部員とかなりました。最初はZoomで顔出しなしとかで、声だけでしか相手が分からなかったから、10月くらいの学園祭でコロナ明け対面式が戻ってから初めて会って「こんな感じの人やったんや」ってのが新鮮でしたね。個人情報とかもあるので具体的にはなかなか書きにくいですが、こういう感じで自分を表現出来てそれをまた人に認められる経験は大学生活を普通に授業だけで過ごしていたら得られなかったことだし、おそらくあまり授業内容はわからない、面白くないとかでやはりかなり大学生活自体が灰色の味気ないものになっていったのかなと思います。入学式で学長が言っていた「サークルに入って人間関係をクラス以外に作る経験はした方がいい」というアドバイスはとても役にたったなあと今振り返って思います。
と、ここまで書いてきましたが、すいません、ちょっとかなり長くなりそうなので続きはまた次回(3)とかでやっていきたいと思います。5回くらいに分けてやる感じになりそうです。気まぐれな更新ですが、無事に3回生から4回にこの春上がれたので、なんとかあと1年で卒業してこの「40歳を過ぎて大学へ入った話」シリーズを来年春以降に完成させて完結させたいと思います。何とか今回休みが出来て出せてよかったです。4回生進級かけてのテストやらレポートやらで忙しかったので。これから卒業研究とかでまた忙しくなりそうですが、夏休み辺りにまた続き書けたら書きたいと思います。最後に次回以降の記事も貼り付けて……今回はこれで失礼します。


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