【哲学】勉強がよくできて出世し、成功できたとしても、知能と幸福は比例しない。
勉強ができて出世しても、なぜか心が満たされない。むしろ考えれば考えるほど苦しくなる――そんな感覚を持つ人は少なくないだろう。哲学者は、その理由を知性そのものの性質から説明している。 ● 知能と幸福は、必ずしも比例しない 勉強がよくできて、出世し、社会的に成功を手にしたとしても、知能の高さと幸福度が、そのまま比例するわけではない。むしろ、頭がよく、物事を深く考えられる人ほど、別の種類の苦しみを抱えやすくなることがあるという。ショーペンハウアーは、知能というものを、生存のための道具であり、生きる意志に奉仕する補助的な役割しか持たないものとして捉えている。つまり、知性そのものが幸福を生み出すわけではなく、生きていくうえで必要な問題を解決するための手段に過ぎないという見方だ。● 知性は「問題が解決すると働きを止める」 勉強がよくできて出世し、成功できたとしても、知能と幸福は比例しない。ショーペンハウアーは知能について、それは生存のための道具であって、生きる意志に奉仕する補助的な役割しか持たないと考えた。知性は生存の問題を解決するためには役立つが、それが解決されると働きを止めてしまう。むしろ幸福を得るには、そんな知性が過度に作動することから生まれる想像や記憶を制限する必要がある、というのだ。ショーペンハウアーは、知能が発達した高等生物であるほど、認識が明確になるため、苦痛が増大すると考えた。 ――『求めない練習 絶望の哲学者ショーペンハウアーの幸福論』(カン・ヨンス 著)より 知性は、目の前にある生存の問題を解決するためには非常に役立つ。しかし、その問題が解決されてしまうと、知性そのものは働きを止めてしまうという。むしろ、幸福を得るためには、知性が過度に作動することによって生まれる、想像や記憶といった働きを、ある程度制限する必要があるとされている。さらにショーペンハウアーは、知能が発達した高等な生物であればあるほど、物事の認識がより明確になるため、それに伴って苦痛も増大していくと考えた。理解力が高まるほど、現実の理不尽さや矛盾、自分自身の状況を、よりはっきりと捉えてしまう。その明確さこそが、知性の高い人がより多くの苦しみを感じやすい原因になっているという。● 「考えすぎない」ことが、幸福への一つの道になる この考え方が示しているのは、知性そのものを否定することではなく、知性の使い方を見直す必要があるという視点だ。過去の出来事を何度も思い返したり、まだ起きていない未来を必要以上に想像したりすることは、知性が生存のための役割を超えて、過剰に作動している状態だと言える。頭の中で考えを巡らせ続けることが、必ずしも良い結果につながるわけではない。むしろ、考えることを少し止め、想像や記憶の働きをあえて制限してみることが、心の負担を軽くするための一つの方法になるかもしれない。知性をどう使うか、そしてどこで止めるかという視点を持つことが、幸福に近づくための、現実的な手がかりになる。
今日から試すなら、考えすぎていると感じたとき、一度頭の中の思考を止めてみることだけでいい。 (本記事は『求めない練習 絶望の哲学者ショーペンハウアーの幸福論』をもとに作成しました)
ダイヤモンド社書籍編集局