来劇 ──たとえ目が見えなくても
鳥がチュンチュン鳴いている。昼間から夏の日差しが右首に射し込む。思い出のひとつでも、鳥の囀りより心地良いものを記憶したい、そう思った。気になることは、雪子が思い出を作りたいという願望に囚われていることだ。人生、一度くらい最高の悦びを得たいものだ。雪子にその悦びを分かち合いたい、そう願ったときだった。雪子が白内障が悪化した。二ヶ月、いや三ヶ月も悪化しなかったのに、ここで雪子の目が見えなくなるのか──雪子は失意のまま言葉を失った。声にならない泣き声で泣いた──雪子は哀しみを快復させるすべを知らなかった。鳥の鳴き声が哀しみを伝えるように感じた。雪子に励まさなければ──彼女は悲劇を受けたのだから──彼女の苦しみを分かち合いたい、心から願った。雪子の視界は真っ暗であった。何も見えない。視界というものすらない。雪子は「私はどうすればよいのですか」と訊いた。「雪子さん、ぼくはあなたとともに目をつむります」雪子は衝撃を感じた。
「上堂さんも、この身と同じですか」と泣きながら言った。
「ええ」と言うと、爪楊枝をポケットから取り出した。そして爪楊枝で自分の右目を刺した。右目は視力を失った。もう少しであなたと同じ身ですよ、と伝えた。左目も爪楊枝で刺した。「雪子さんと同じ身ですよ、苦しみは分かち合いたくて」と半分気分が逝っていた。
「上堂さん、こんなことに巻き込んでごめんなさい」と半泣きで言った。「いいんです」と言うと、鳥の鳴き声を傾聴した。鳥がぴよぴよ鳴いている。鳥の羽搏きと夏の日差しを想像した。それから一年が経った。
「あれから一年が経ちます」と雪子は言った。「鳥の鳴き声が聴こえやすくなったのは面白いですね」と話したときもあった。雪子も聴覚が冴え渡っていったということくらい了解していた。地獄耳になったということは、雪子も自身にことをそう認めたし、上堂も自身をそう認めた。鳥が意外と言うのだろうか、僕も目を失えば、上堂たちと苦しみを分かち合える、と知り合いの鳥に話していた。上堂は、その鳥にそんな勇気はない、と思った。思い出は何かないかと探すこともないが、雪子と苦しみを分かち合えたことは大切な1ページになった。鳥も心から分かち合いたいわけではないだろう。鳥と上堂の気概はまた格別のものであろう。上堂は、雪子の顔を視ることもできないが、首に口づけした。雪子は驚いた様子で、上堂の髪を泣きながら撫でた。ごめんね……。あなたの口づけがどんな痕跡かは分からない、でもあなたの思いは伝わるわ……。もっとキスしたいよ……。上堂さんもキス、したい?
上堂は首に口づけしただけで最高の悦びに達していた。もう十分です。ぼくは嬉しすぎてハイテンションです、と言った。
鳥がその口づけを窓の外から見ていた。鳥は、羨ましくないな、と誰かに話したようだった。
──朝日が射し込んだ。ぼくの口づけは最高の思い出になるだろうか。それは雪子にとって最高の思い出だろうか。女性は意外にも口づけを悦ぶのか。朝日がぼくを勇気づけてくれることは素敵な思い出だった。雪子も快晴の時節はテンションが高かった。でも色恋には発展せず、唄を歌っているときにテンションが高かった。「数え切れないでも 少しの 歳月は流れ」とどこからともなく聴こえてきた。
いま、雪子を愛しているということ、雪子が永遠を夢見ていそうなこと、を見つめようと思った。雪子、ぼくは永遠を信じたい。人は信じたいものを信じ、信じたくないものを拒絶する。雪子、実はこの世界では目が見えない人が永遠に生きるんだよ。目が見える人は永遠に生きられないんだよ。
雪子「永遠はあなたとともに」
そう、永遠に


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