ゆえにyou end me.
君は愛 そのものだ
杏山カズサと柚鳥ナツが卒業する話
『ヤンキーガール』の、1つの未来の話
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ゆえにyou end me.
生きていく故に
雨が降っている。
カーテンの向こうで、雨粒が窓ガラスを叩く音がする。規則的なようで不規則で、それでいて途切れることがない。部屋の照明は消していたから、窓の外の街灯だけが、薄い光をカーテン越しに滲ませていた。
カズサは私のベッドの脇に座っていた。
制服のまま。聖堂での卒業式から、もう何時間が経ったのだろう。ブレザーの肩の部分が少しだけ濡れていて、それが街灯の光を反射して黒く光っていた。彼女は座った瞬間、小さく息を吐いた。それは溜息ではなかったが、何かを吐き出すような、そんな息だった。
私はベッドに背中を預けて、壁に寄りかかっていた。膝を立てて、両手で膝を抱えている。カズサは私の隣に座り、それから少しだけ躊躇うように間を置いて、私の肩に頭を預けた。
重さがあった。
物理的な重さではない。もっと別の、言葉にできない種類の重さだった。
私は何も言わなかった。言葉を探したが、適切なものが見つからなかった。慰めの言葉? 励ましの言葉? どちらも違う気がした。それに、言葉にした瞬間、どれも形をなさない息として溶けていく。
だから、ただ背中に手を添えた。触れるか触れないかくらいの、そっと。カズサの呼吸が、肩越しに伝わってくる。ゆっくりとした呼吸。落ち着いているように見えるが、その奥に何があるのかは、私には分からない。
慰めたいんじゃない、と私は思った。
ただ、彼女の沈黙に居場所を作りたいだけだ。
でも、それすら「理解したつもり」かもしれない。
その考えが浮かんだ瞬間、胸の奥が冷えた。私は本当に、カズサのことを分かっているのだろうか。
今、彼女が何を考えているのか。何を感じているのか。どれくらい傷ついているのか、あるいは傷ついていないのか。
私には何も分からない。ただ、彼女がここにいて、私の肩に頭を預けている。それだけが事実だった。
カズサは先生に告白した。
そして、まあ、フラれた。
それは今日の午後のことだ。聖堂での卒業式が終わって、彼女は走り出した。「行ってくる」と笑って、階段を駆け下りていった。
私たちは予約していたスイーツビュッフェの会場で待っていた。昨日も特大のスイーツを食べたばかりだが、関係なかった。ヨシミとアイリと私。三人で、テーブルの上のマカロンやタルトを眺めながら、カズサの帰りを待った。
戻ってきたカズサは笑っていた。
「ダメだった」
そう言って、椅子に座った。その笑顔には何の翳りもないように見えた。明るく、いつも通りで、フラれた悲しさを隠し通すための、貼りついた笑顔のようには、とても見えなかった。
笑っている。でもあれは、誰のための笑顔だろう。
その疑問が、今もまだ胸の奥に引っかかっている。
その後は、ケーキを食べて、お互いの写真を撮り合って、くだらない話をして笑った。アイリは三年間ずっとチョコミントが好きだった。チョコミントアイスを取ってきて、ヨシミが「また?」と呆れて、カズサがフォローした。私も笑った。笑いながら、ふとカズサの横顔を見た。
彼女のその目は、切に楽しそうだった。
雨の音が続いている。
カズサの呼吸も続いている。
私は目を閉じた。暗闇の中で、今日のことを思い返す。聖堂の光。拍手の音。
何かが終わった。そんな気配があった。
それは卒業式だから当然のことなのかもしれない。でも、それだけじゃない気がした。もっと別の、もっと深いところで、何かが終わった。
そしてカズサは今、私の肩に頭を預けている。
私は彼女を支えているつもりだ。でも、本当にそうなのだろうか。彼女は私に支えられているのだろうか。それとも、ただ疲れて、適当な場所に頭を置いただけなのだろうか。
理解したつもりになっている。
でも、何一つ理解していない。
その事実が、じわじわと胸に沁みてくる。
私はカズサのことを知っている、と思っていた。
三年間、ずっと隣にいた。一緒に映画を観て、一緒にスイーツを食べて、一緒に笑った。彼女が変わっていくのを見てきた。不良だった彼女が、少しずつ柔らかくなっていくのを見てきた。その変化を、私は傍で見守ってきた。
でも、本当はどうなんだろう。
私は彼女の何を知っているんだろう。
表面的なことなら知っている。好きなスイーツはマカロンとプリン。甘いものが好き。でも辛いものも意外と食べる。朝は弱い。猫は嫌い。メイクはしっかりとやる。スイーツ部の活動が楽しい。アイリのことを大切に思っている。ヨシミとよく喧嘩するけど、仲は悪くない。
でも、それだけだ。彼女が夜、一人でいるときに何を考えているのか。彼女が先生に恋をした理由。彼女が告白して、断られたときに何を感じたのか。そして今、この沈黙の中で何を思っているのか。
分かるはずがない。
雨が少し強くなった。
窓ガラスを叩く音が大きくなる。カズサは微動だにしない。呼吸は穏やかなままだ。もしかしたら眠っているのかもしれない。
でも、起きている気もする。
確かめようとは思わなかった。どちらでもいい気がした。眠っているなら、それでいい。起きているなら、それもいい。
私はただ、ここにいる。
三年前の雨の夜を思い出した。
あの夜、私たちは電話をしながら映画を観た。『雨に唄えば』。カズサはソファで眠ってしまったと言っていた。でも、その映画のことを後日、楽しそうに話してくれた。「雨の中で歌ってるシーン、良かったよね」と。
あの頃から、きっと、私はカズサのことが好きだった。
好き、という感情がどこから始まったのかは分からない。でも、あの夜の電話の声が、妙に心に残っていた。眠そうな声。でも、どこか嬉しそうな声。
それから、彼女が少しずつ変わっていくのを見るのが楽しかった。授業中に寝なくなった。ノートを取るようになった。スイーツ部の活動を楽しんでいる様子を見るのが、私は嬉しかった。
でも、それは私のためじゃなかった。彼女は私のために変わったわけじゃない。彼女は、彼女自身のために変わった。そのことに気づいたのは、いつだっただろう。
カズサが少し動いた。
息を吸う音がして、それから小さく吐く音がした。でも、頭は私の肩から離れない。
私は動かなかった。このまま、時間が止まればいいと思った。でも、時間は止まらない。雨は止むし、夜は明ける。明日になれば、また違う一日が始まる。
卒業式は終わった。私たちは、もう高校生じゃない。それぞれの道を歩いていく。
でも、今はまだ、ここにいる。カズサは私のそばにいる。それだけが、確かなことだった。
雨の音が、少しだけ優しくなった気がした。
私は目を閉じて、また記憶の中に潜っていく。あの日の聖堂。カズサが走り出した瞬間。スイーツビュッフェで待っていた時間。戻ってきたカズサの笑み。
あの笑顔の意味を、私は知りたかった。
でも、知ることはできない。それが他者というものなのかもしれない。
私はゆっくりと息を吐いた。カズサの呼吸に合わせるように。
そして、静かに思った。この沈黙ごときで慰めたつもりになるなんて、本当は何ひとつ分かっていないのに。
でも、それでもいい。
今は、ただここにいよう。
彼女のそばに。
それだけが、今の私にできることだから。
ありがとう…