【ご報告】結婚して、離婚しました
結婚して、翌日に離婚しました
皆さんこんにちは。めもりです。
6月も終わりに近づいてきました。皆さんは、この月をどのように過ごしてこられたでしょうか。
おそらく、私のフォロワーの多くを占めるであろうシャニマス好きの皆さんにとって、この月は特に「結婚」というものを意識することの多い月だったのではないでしょうか。
6月と言えば、「ジューンブライド」という概念があります。シャニマスにおいても、ジューンブライドを強く意識した各種施策が例年通り展開されました。そして何よりファンコミュニティにおける大きな象徴的ニュースとなったのが、シャニマスのアイドルを演じる声優としては初となる、6月7日の黒木ほの香さんのご結婚の発表です。
6月という時期は、自分の幸せというものを形にしていく決意を多くの人がする季節とも言えるかもしれません。
そうした時期に、私からも一つ報告があります。
少し前のことにはなりますが、友人と結婚して、翌日に離婚しました。
もう少し細かく言うと、私は今年2026年1月23日に、友人のYさんと婚姻届を提出し、そして翌日の1月24日に、協議離婚の届け出を提出しました。
6月は、ジューンブライドと同時に、もう一つの意味をもつ月でもあります。プライドマンスです。
私は出生時に割り当てられた性が男性(Assigned Male At Birth)であり、Yさんは出生時に割り当てられた性が女性(Assigned Female At Birth)です。しかし、ともにノンバイナリーを自認し、他者に対する恋愛感情も、性的な関係への惹かれも抱かないアロマンティック・アセクシャルであり、実際互いに身体的な繋がりや恋愛感情を持ったことは一切ありません。さらに、Yさんの情緒的な関心は基本的に男性よりも女性に向いているため、レズビアンとしても自認しています。
6月5日にはアロマンティック可視化の日があります。恋愛感情を持つこと、恋愛関係に入ることが人生における価値として当然視されている社会において、恋愛を中心に置かない生き方や、恋愛とは限らない親密さも存在するのだと示す日です。6月28日は国際LGBTプライドデーであり、セクシャルマイノリティが自らの存在・権利・尊厳を可視化し、差別や排除に抗ってきた歴史を確認する、プライドマンスにおける象徴的な日です。
多くの異性婚カップルが大々的に承認され、祝福される一方で、既存の制度や規範から疎外され、自由な生き方やつながりの形を社会的に認められていない人々が存在している。私たち自身も、その当事者としてこの社会に対して問いを投げかけたいという思いで実践したものです。
私とYさんの誕生日はそれぞれ1月23日・1月24日と連続しており、今年に関しては1月23日が金曜日、1月24日が土曜開庁日にあたっていました。私たちにふさわしいタイミングは、まさにこの時だと考え、今回の行動に至りました。
私たちがやったことは何かのネタや悪ふざけ、あるいは制度の悪用や揶揄を目的としたものではなく、私たちなりの関係性や考え方に誠実に向き合った結果として挑戦した政治的・社会的実践です。
この文章は、その報告と、込めた願いや思いについて説明するものになります。
私たちの関係について
ここで、私とYさんの関係について軽く紹介します。
私とYさんは、VTuberオタクのコミュニティからつながり、シャニマスや声優さんの現場に通うようになってからリアルでも会うようになりました。一緒にライブやイベントに参加しながら交流するにつれ、趣味嗜好の近さのみならず、社会構造や規範に対する疑問や違和感でも通じ合うようになりました。私たちは恋愛感情を共有する「恋人」ではなく、一対一のペアとして閉じた関係の「パートナー」とも違う関係である一方、「友人」としての枠組みの中で生活上の協力と信頼関係を重ねてきた間柄です。ともにアロマンティック・アセクシャルやノンバイナリーを自認し、そして二元論的なジェンダー観に違和感を覚えながら生きてきた人間として、互いの存在はかけがえのない価値をもつものになっていきました。
以前母に私たちの関係を説明した時には、「同志みたいな感じ?」と言われたことがあります。価値観や問題意識を共有し、助け合い、時にある種の政治的共犯関係でもあるその関わりは、確かに「同志」的なものかもしれません。
そんな私たちが何故結婚をし、すぐに離婚する、という行動を取るに至ったのか。
私たちは以前から、どちらかが生活上の困難に直面した時の制度的な安全保障ができないか、という話をしていました。つまり、互いに急病や何らかのトラブルが発生した際、客観的に明確な関係者として扱われる保障が欲しいと考えていたのです。私たちにとって結婚は、「恋愛関係の承認」ではなく、「信頼できる他者とのケア関係の保障」を中核とする手段として選ばれたものになります。
しかしながら、現状の婚姻制度は異性愛規範や家父長制に強く結び付いた文脈を内包しています。同性婚も選択的夫婦別姓も法制化されていない現状において、私たちの関係性がそうした既存の文脈に回収されることは拒みたかったですし、加担者として見られることも避けたいと思いました。
そこで選んだのが今回の「結婚即離婚」という手続きです。実務上の必要性に基づく結婚については後回しにして当面は別の制度での補完を模索するとし、今回はあくまで手続きの確認と、文脈の拒否という象徴性に重心を置いた実践とすることにしました。
とはいえ、実務上の弊害などは特にないとしても、制度に対する挑戦的な実践というのは多少勇気のいるものでもあります。しかし、そこで私たちの決断の後押しをしてくれたのは、共に愛好する創作の中で描かれている関係性の存在でした。
脱恋愛規範的な関係性は、既に描かれている
イルミネーションスターズの「クワロマンティック」性
例えば、シャニマスのセンターユニット、イルミネーションスターズの関係性。彼女たちは、ユニットメンバーであり、友人関係でありながら、互いに向ける親密さは単なる友達として扱うだけでは足りない、深く特別なものです。彼女たちの楽曲のひとつ、「KoiKyun!」は、深く親密な人と共にいるときの高揚や、その関係性を自分の居場所だと感じる感覚を「恋よりも濃い」「恋だけのものじゃない」と歌っています。深い高揚、相手の人柄に動かされ、相手をもっと知りたいという気持ち、すべてを賭けて守りたいという意志を、恋愛だけに独占させない語りは、私たちの関係性においても支えになるものだと感じています。
こうした関係性は、「クワロマンティック」と呼ばれる親密さの言葉に通じるものとして読むことができます。クワロマンティックとは、自分が他者に抱く好意が「恋愛感情」なのか「友情」なのか判断できない、あるいはその区別をする必要性を感じないという親密さの指向を意味する言葉です。
他者との深い心理的つながりにおいて、性愛や恋愛感情の有無によって、その価値が毀損されたり、優劣をつけられたりするものではない。そうした関係性の実在を可視化したい。
イルミネの関係性や、クワロマンティックという概念との出会いは、そうした思いを後押しするものになりました。
さらに、イルミネの三人が結婚について考えるサポートカード、【だいすきだよ】櫻木真乃 のコミュでは、花嫁にとって花婿がどういう存在か、ということを三人が一緒に考える場面が描かれます。灯織、めぐる、真乃は「一緒に過ごす時間が心地よく感じる人」「お互いを大切に思い続けられる人」「一緒にいると、自分らしくいられる人」──とそれぞれの考えを共有し、そしてそれらが自分たちにも当てはまるものであることに気づきます。
そして、このカードは三人が共にウェディングドレスで手をつないだカードイラストで終わります。このカードでは「結婚」という表象を既存の異性愛や単婚を所与のものとする規範に基づくものではなく、一対一で独占されるものや、また恋愛感情によるものでもない親密さでも実現されうるものとして描かれていると解釈することができます。
この関係性は「ポリアモリー」という関係性とも接続できます。ポリアモリーとは、性的な関係の有無を問わず、関係する全員の認識と合意のうえで、複数の人と同時に親密な関係を築くあり方を指します。隠れて行うものではなく、正直さと各人への誠実さに基づくオープンな関係である点で、いわゆる「浮気」や「不貞」とは性質が異なります。
『わたなれ』が描くポリアモリー
上記の「ポリアモリー」という関係性の持つ特性をより精緻に描き、社会規範への挑戦という点で私たちを強くエンパワーメントした作品があります。『わたしが恋人になれるわけないじゃん、ムリムリ!(※ムリじゃなかった!?)』、通称『わたなれ』です。アニメ版を全話視聴したうえで、昨年11月に劇場公開版『わたしが恋人になれるわけないじゃん、ムリムリ!(※ムリじゃなかった!?)〜ネクストシャイン!〜』を観ました。
『わたなれ』は百合作品としてはコミカルでラブコメ的な印象が強い作品ですが、そこで描かれている物語は強く挑戦的なエネルギーを持っています。主人公の甘織れな子は、王塚真唯・瀬名紫陽花という二人との親密さの並立や、「友人」と「恋人」の区別といった多重の「普通」という規範の中で悩みながら、劇場公開版のクライマックスにおいて「二人と付き合う」という選択を堂々と宣言します。
さらに、恋愛関係である真唯・紫陽花との関係性に加え、琴紗月・小柳香穂との友人としての関係性もまた、恋愛に劣後するものではなく、併存するからこそかけがえのない価値を持つものとして描かれます。
れな子に関しては、作品のコミカルな雰囲気に伴うミーム的な揶揄として「クズ」や「二股」といった表現が用いられることがあります。作中で当人や登場人物自身も言っていることではありますし、多くの人は本気で彼女の選択を否定する意図でそう言っているわけではないと思います。しかし、そうした表現は一対一の恋愛関係を当然とする「普通」の価値観から発せられる表現であり、彼女たちの関係性を規範から逸脱していることを所与のものとして扱い続けてしまう表現でもあるのです。
れな子の選択は、「普通」という名前で多くの人々が強制されている「恋愛関係は友人に対して排他的でなければならない」「親密さは一対一で閉じるべきだ」という規範を拒絶する物語でした。彼女は相手一人ひとりにごまかさずに向き合い、その結果として二人と誠実に付き合うことを選んだ。相手を大切に思うことは、ただ規範への従属に甘んじることではない。私たちもこの作品を観たことで強く勇気づけられたことが、今回の実践の直接的な決定要因となっています。
「最小の結婚」という概念と、その実践
問題は、私たちが可能な限り実体化しようとしている関係性が、現実の制度のなかでほとんど保障されていないことです。
結婚という制度には、複数の機能が折り重なっています。愛情の表明。生活の共同。家族としての社会的承認。行政手続き上の証明。医療・住居・職場・親族関係で「関係のある人」として扱われること。相互扶助。周囲からの祝福。どれも重要なものですが、問題は、これだけの機能を担う承認と保障が「男女一組・恋愛・性的関係・生殖・同居・同姓・単婚」という限定された夫婦像にだけ強く結びつけられていることです。先に挙げたような多様な関係は、この枠から外れるというだけで保障からこぼれ落ちます。
この問題を正面から扱った理論があります。哲学者エリザベス・ブレイクの「最小の結婚」という構想です。この概念を論じた「最小の結婚 : 結婚をめぐる法と道徳」という本は、残念ながら現時点で書店での取り扱いはほとんどありませんが、全国の図書館で借りることができます。
ブレイクはまず、私たちの社会が「一対一の恋愛的・性的な関係こそが人生の中心であり、ほかのどんな関係よりも価値が高い」と暗黙に前提していることを指摘し、これを「アマトノーマティビティ(恋愛規範性)」と呼びました。恋人や配偶者をもつことが当然の到達点とされ、友情やその他のケア関係が一段低く扱われる偏りのことです。
そのうえで、結婚を核まで削ぎ落とすことを提案します。結婚が本来守るべきなのは「人と人が互いをケアし支え合う関係」そのものであって、その関係が恋愛か、性的か、二人か、男女か、といった条件は本質ではない。余分な前提を取り払い、ケア関係を支えるという核だけを残したもの──それが「最小の結婚」です。恋愛を伴わないパートナーも、複数の相手も、信頼し合う友人同士も、それぞれが必要とする権利と責任を関係の形に応じて柔軟に分け持てる。結婚による承認と保障を、特定の「夫婦の形」に限定せず、多様なケア関係へ包括的に開く構想です。
私たちが試みたのは、この「最小の結婚」を、現在の日本の制度のなかで実際に検証することでした。
手続きは正式なものです。共通の友人二人に証人になってもらい、2026年1月23日に婚姻届を提出しました。法的に有効な、不備のない届け出です。
現行制度では、両者の姓を一方にそろえる必要があります。今回は一時的に私がYさんの姓に合わせましたが、短期間とはいえ、自分の姓を書類上で手放す経験には相応の重さがありました。短期間での離婚のため、今回は実務上の大きな影響は発生していませんが、本来であれば姓の変更に伴って、銀行や職場などで多くの手続きが発生します。そして、姓の規定や戸籍の作成など、手続きのあらゆる段階において、家父長制的な影響を未だに色濃く残し、当事者のどちらか一方を主とし、もう一方を従とする非対称的な形を要求するシステムに強い違和感を覚えました。
手続きを通じてもう一つ明確になったのは、制度の偏りです。「男女」とされる私たちは、恋愛や性愛、共同生活の実体がなくても婚姻できた。一方、同性同士のカップルは、どれほど深い愛情・信頼・生活の共同があっても婚姻できない。関係から要求される必要性に応じるのではなく、異性としてみなされた二者のみを婚姻制度の当事者とする異性愛中心主義的な固定観念によって、承認と排除が分けられている。その不平等性を改めて実感しました。
中長期的には、私たちは婚姻を代替する契約関係として公正証書の作成を検討しています。しかし、公正証書の作成は婚姻に比べてはるかに煩雑で困難なうえに、婚姻制度を完全に代替できる機能性を保証するものにもなり得ず、婚姻制度が持つ制度的優位性は依然として大きいと感じています。
スイパラで婚姻届と離婚届を並べる異常者になっていました。
まず実現されるべき改革
私が最終的に目指すのは、性別・恋愛感情の有無・性的関係の有無・人数・同居の有無・戸籍上の形式といった条件でケアの価値が測られるのではなく、それを必要とする人が実生活で実効的な保障を得られる社会、あるいは、ケア関係が差別なくその価値を発揮できる社会の実現です。
正直に言えば、この方向を突き詰めた先にあるのは、現行の戸籍制度・婚姻制度の解体と再構成かもしれません。しかし、私は決して婚姻そのものを否定しようとしているのではなく、その意義を認めているからこそ、より広い関係性を包括可能な形へ拡張すべきだと考えています。
だからといって、今現実に声が上がっている改革の要求を後回しにしてよいということにはなりません。「あらゆるケアを包括する」ことを掲げながら、今まさに承認を求めて声を上げている人たちを飛び越えてしまえば、それは「あらゆるケアを包括した結果」とは呼べません。目の前で求められている包括を飛ばしてしまっては、そもそもの主張の原理から逸脱してしまいます。
だから私は、まず早急に実現されるべきこととして、すでに多くの声が上がっている二つの改革を、改めてはっきりと支持します。
一つは、選択的夫婦別姓です。婚姻に際して一方が必ず姓を変えねばならない現行制度には、必要以上の心理的・手続的負担があると思っています。既に何度も言われていることではありますが、姓を変えて配偶者としての一体感を持ちたい人を排除するものではなく、単に選択肢を増やし、姓を変えるかどうかを当事者が選べるようにすること自体は、決して過大な要求ではないはずです。
もう一つは、同性婚の法制化です。「男女」とされる私たちは恋愛や性愛の実体がなくても婚姻できる一方、同性のカップルはどれほど深く結びついても入り口にすら立てない。制度が関係の中身ではなく形式で承認と排除を分けている、最も明確な例です。
この二つは、遠い理想への迂回でも後回しにできる前段階でもありません。あらゆるケアを包括する道を、誰も取り残さずに歩むための、最初の、そして急がれるべき一歩です。その先には、二人という枠にとらわれないパートナーシップを望む人や、恋愛とは異なる形のケア関係を生きる人など、現在の制度から取り残された多くの関係がある。今回の結婚と離婚は、そうした人々と根本で同じ問題を共有しているという、連帯の表明でもあります。
私は婚姻制度を弱めたいのではなく、婚姻が持つ「人を承認し、守り、支える」力を、より多くの関係に開きたいと考えています。婚姻とは別のパートナーシップ制度、ケア関係を登録する仕組み、あるいは婚姻の枠を離れて医療・住居・相続・緊急連絡・行政手続きの場面で「関係のある人」として扱われる保障。そういった仕組みは、より多くの人々が必要としているはずです。
誰かの結婚が祝福され続けることと、これまで承認されてこなかったケア関係が新たに承認されること。この二つは両立しながら進められるべきだと思っています。
最後に
長くなりましたが、改めて整理すると、私たちの結婚と離婚は、創作から受け取ってきたものの実践であり、そして問いかけです。バックラッシュの強まる昨今の情勢ではありますが、これを読んでくださった皆さんにも、親密さやケア関係についての疑問や違和感、あるいは新しい視点を共有できていれば嬉しいと思っています。私たちが目指すのは、SOGI・恋愛感情・性的関係・人数・同居・戸籍上の形式にかかわらず、あらゆるケア関係において、それを必要とする人が適切な保障を得られる社会です。その現実的な第一歩として、選択的夫婦別姓と同性婚の法制化を求める声に明確に連帯し、後押しし続けていきます。
今年8周年を迎えたシャニマスのテーマは「L∞VE」となっています。その意味については明言はされていませんが、有為転変の世において、それでも誰かが誰かに向ける「あい」は、常に存在している(と、信じたい)──これまでのシャニマスが描いてきた物語も振り返ったうえで、今年のテーマはそんな意義を含むものだと理解しています。
8周年(∞th)ライブ「iと夢」においては、その演出の中で、登場した女性がお腹をさするシーンがありました。確かに、愛を受けて連綿とつながる存在として、異性間での婚姻を経て子どもをもうけていく、という循環は分かりやすいものかもしれません。しかし、L∞VEの形は異性愛だけでも結婚だけでもないはずです。そもそもシャニマス自体は恋愛ゲームではなくアイドル作品ですから、その点は分かっていると信じています。一方、公式の意図の代弁や迎合ではなく、作品を追ってきたファンとして受け取ったものを主体的に還元する行動として、私たちなりの「L∞VE」を実践し、表明したい。そうした思いが、私たちの実践のモチベーションになっています。
私たちは、人と人をつなぐあらゆる「あい」の形が、差別や抑圧、障壁なく承認される世界の永続的な実現を、心から願っています。
最後に、婚姻届・離婚届の作成にあたり証人の一人になってくれたガーネット君(@master_GarnetH)、原稿のレビューに協力いただいた王党派土龍君(@N0blese_oblige)、そしてnote公開に先立ち報告を祝福してくれた友人たちに、改めて感謝します。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
めもり



えっと、・・・異性の婚姻に対して補償が手厚いのは男女の組み合わせでないと子供が生まれないから、それ以上でも以下でもないです。愛情だなんだは関係ありません。日本は婚姻しない人に対しても十分な社会補償があります。だれもあなたたちを差別してないのに勝手に盛り上がって、婚姻を否定している…
同性婚の議論ですらも「結婚」することや「婚姻」関係に拘る人が多いのがイマイチ自分には理解できない。「婚姻」は権力者が社会を維持するために、子どもを作る可能性が高い人達へ与える「優遇措置」「特権」(=補助金)にすぎないと思うのだけども… 同性婚を認めるみたいな中途半端なことをする…
はじめまして。ヘテロノーマティブな社会に疎外感を抱いているノンバイナリーのシャニマスオタクです。 最近、キャスティングコレクションのコンセプトや8周年の演出などで引っ掛かりを感じる機会が時々あったのですが、同じコンテンツを愛好している方々がこのような政治的実践をされていることを知…