【映画】そうはならんやろ大集合『ザ・スーパーマリオギャラクシー・ムービー』を家族で観に行ってスッキリした話
家族で超かぐや姫を観に行こうと提案したら、いつの間にか『スーパーマリオギャラクシー』を見物に行ってました。世の中そんなもんだと思いますが、家族が観た後も全員ノリノリだったため良かったんじゃないでしょうか。
私(53歳)は、と言えば、徹頭徹尾「そうはならんやろ」と思いながら見ておりました。これはネガティブな印象なのではなく、このスーパーマリオという世界観が、奇妙で、不条理で、不可解で、因果律が崩壊し、物理法則は簡単に無視され、誰もが何の衒いもなく完全に発狂し、ひとりとしてまともな登場人物はいない。いや、人ですらないのもいる。それどころか、存在が許されないのもいるし、誕生する。どういうことなのだ。
しかしそれは、私の目が歪んでいるからなのです。このくさく、汚く、穢れた現世に毒され過ぎ、出てくる登場人物を見て「お前なあ」といちいち思うこと、それそのものが許容されないんですよ。だって、相手はカメだったりキノコだったり、およそ知的とは言えない連中が続々と出てきて、喋り、困り、考え、対処しようとしていて、果ては国の将来を憂いてピーチ姫が無謀な冒険に出発するのを止めようとしたり、崩壊する世界の行く末を考え一致団結したりする。それどころか、知性のかけらもないはずの連中と会話がつつがなく成立し、交渉し、目的をお互いが果たそうとしている。これをいちいち「ありえん」とか思ったら、むしろこちらの身がもたないのです。
問題は、登場人物のいずれもが、魅力的なキチガイが続々登場し理不尽なことをし有り得ない問答をすることに留まりません。あいつらは、とにかく飛び降りるのです。いやいやいやいや、そこ普通飛び降りないだろ。ご都合主義のレベルを超えて、重力は歪み、舞台装置は動く。確かにこれはスーパーマリオなのだが、程度の問題というのがあると思います。いや、万が一、可能なんだとしても、しくじったとき落下による怪我や死亡というリスクを考えたら、常識的には絶対にやってはならない行動を平気で取り、画面を所狭しと走り回り、そして物理法則は完全に無視される。ギャラクシーとか森羅万象を司る大物理の制約を超え、とにかく何となくやることなすこと全部無傷で完璧に完遂する配管工兄弟やピーチ姫の動きをただ「すげーな、このキチガイども」と思いながら座席の上で過ごす99分間なのです。
それは、退屈でも駄作でもない、もう考える暇もなく次々と発生するジャックバウアーの24時間と変わらず、そういえばあれはどうだったけなとか疑問に思う隙を与えないぐらい、マリオとルイージは戦い、飛び降り、余計なことをして、結果的になんか知らんが全部上手くいくのです。
これはもう「スーパーマリオという世界観を無条件に受け入れる訓練をカネ払って施される時間」なのであって、常々リスクとか自重とか安全とか安全保障を考える我々の日々の活動がいかに無駄であったか、どう考えても飛び降りても即死のところを飛び降りる勇気、よく知らんけど酸素も調達せず宇宙空間を旅して無事に戻ってくるという挑戦、本来なんの信頼関係もない連中に対価も満足に支払わず困難な物事を頼んで何事もなく成立してしまう友情、こういったスーパーマリオがゲームとして表現したかったこと、そのすべてをポツダム宣言のごとく反論せず受容することが求められているのです。
しかも、物語中、話がうまく進まないとマリオが「でも俺たち、配管工だからさ」みたいに現実に級に戻りやがります。何だその落差。そしてその後やり遂げることのテンション。葛藤感じてんじゃねえよ。こっちはさっきからずっとお前らの世界観に違和感なく入り込める努力をしてるところなんだよ。必死なんだよ。なんでカジノの中がサイド7みたいになってるのかとか、その先がどうなってるかよく分からんワープゾーンに何の躊躇もなく飛び込むとか、そもそもお前らのそのリスク判断が狂い過ぎていて困惑してるんすよ。
そして、大団円はやってくる。いや、もうその時点でこっちは精神的にゼーハーしております。そこに辿り着くためにどんだけこっちのリスク判定の警報が鳴りまくっておったか。なんか派手に星が生まれてるし。あの姉妹ってガス雲の擬人化かなにかなんですか。そういえば、ピーチ姫誕生の秘密も明かされていましたが、今回はピーチ姫まったくさらわれてませんでしたね。しかし、誕生日プレゼントされた傘で虚空の高さから飛び降りて無傷で着地し生還してました。そんな。本来なら今日がピーチ姫の命日になるはずだったのに。
そんなわけで、大変な疲労に見舞われましたが、最高に楽しかったですスーパーマリオギャラクシー。人間、本来こうであるべきだ、困難には立ち向かうべきだ、リスクを取って挑戦するべきだ、意義のあることに人生を使うべきだ、優れた友人を見つけて共に歩んでいくべきだって改めて感じさせてくれる素晴らしい映画です。
ただ、唯一の問題はこの映画を観て10日ほど経過しているんですが、びっくりするほど何も覚えていません。ADHDでサバンな私も一つひとつの画像は覚えているんですが、画像にある意味を思い出せんのです。ただ、家族で見たスーパーマリオギャラクシーは面白かったな、子どもたちが喜んでいたなってことで。それが目的で観た映画ですから、それでいいんですけどね。
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神から「お前もそろそろnoteぐらい駄文練習用に使え使え使え使え使え」と言われた気がしたので、のろのろと再始動する感じのアカウント


マリオのゲームって、最後にクッパを倒した以外、なんとなくフレーバーと共に 「あー楽しかったなぁ」で終わる感じかなあと思います。 映像でも同じような感覚を味わえるのは、ある意味凄い事なのかなぁと 来年のゼルダは、心に刺さって忘れられないものにしてほしいですけど
IT関係は人間の生存にまったく寄与しないサービスを生んでいる。自分たちがウンコ以下の人間だと分かっていたら許せるけれど。分かってないだろ。西村博之とかアメリカの外圧を利用して日本の後進性を強調してるんや。人生でやることなかったらはよ死ねよ。勤労者の寄生虫。
山さーん。いい加減にして下さいよ。危うく、滅亡してしまうところだったではないですか。
山本さん、映画の感想を読ませていただきました。家族と一緒に楽しむことを目的にするなら、内容の細かい整合性よりも体験そのものの価値が大きいのだと改めて感じます。 個人的には、ああした非現実的な世界観の中でのリスクや挑戦の描写って、日常での判断や勇気とどう結びつくかが興味深いと思いま…