小学校の「算数」名称維持へ 「混乱招く」教育現場からの指摘相次ぎ
朝日新聞配信
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主なヤフコメは?
- 算数と数学は異なるものであり、それぞれの目的や教育の意義を理解し、名称の統一は現場を混乱させるだけでメリットがないと考えています
- 教育の抜本的改善が必要であり、授業の量を減らすなどの改革が求められるという意見もあります
関連ワードは?
- 算数
- 数学
- 教育環境
コメント789件
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何でもかんでも海外、しかも英語表記に合わせる必要はないと思います。 算数は「数学の初歩」というような、日本語ならではの素晴らしいニュアンスが含まれています。 四則計算とか、分数の計算、簡単な図形の計算など、数学というより算数と言った方がしっくりきます。 国は呼称なんかにこだわらず、算数や数学が楽しく、得意な子どもたちを育てるような学習指導要領を考えて欲しいです。
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文科省はこう言う些細なことより、全国の学校を巡ってマトモな授業が行われているか調査すべき。多くの学校の日常を知り得る立場だが、学級崩壊により正常な学校生活を送れていない生徒が多数いる。その結果として不登校の子ども、体調を崩す子ども、精神を病む子どもが増えている。どの子も安心して学校に通える為に、何年経っても授業が下手な教師、授業中に暴れる子どもの対策を強めるべきだ。
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外国に習えのスタイルでやるのなら、まずは電卓の解禁では? 算数、数学が苦手な子どもの殆どが計算ができないから苦手。日本の算数、数学は計算力がなければスタートラインにも立てない。 しかし社会で計算力はそこまで必要ではなく、暗算ができても結局は確実性の為に電卓などを使っている。 今までの教育のように計算力を求めるなら、計算力を身につける時間を十分に取るべきだし、逆に意味理解に重きを置くのなら計算力は捨てるべきだと思う。 理想としては計算力もあり、意味も理解しているというのだろうが、現実はそううまくいかない。できる子はできるが、できない子は全てを諦める。現実としてこうなってしまっている。
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文科省はよくぞ見送りを決めてくれた。本質は科目名称の問題ではないから。学習指導要領も本質じゃない気がする。どこに焦点を当てるか…やはり中間層やその下の層の底上げじゃないのかな。特に家庭教育に期待することが難しい層の子供達の教育環境の整備を、公立校の教育環境の充実を図ってほしい。
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よく新語や造語を作って、これ私が言い出したのですと得意気に言う人居るけど、ほとんどの言葉は変で従来から使用してした言葉の方が意味もわかって親しみやすいことが多い。
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変えても良いと思うが。 そもそも「算数」は、古代中国の言葉。 戦前では、「算術」と言われたようです。 各科目は、特性がそれぞれあるが、これに関しては、四則から、高度な公式、演算、方程式までが繋がって行く教育は必要だと思います。
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算数の目標には、「日常の事象を」という文言があり、子どもたちの生活場面から、必要感をもって学ばせている。そこで培った数学的な思考を活かして、中学校からは、数学として関数等、「日常」では見えない「事象」の部分まで学んでいく。算数は算数の目的があり、数学には数学の目的がある。 この意味が分かっていたら、教科名や目標の統一なんて、現場を混乱させるだけで、何もいいことはない。
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教科名なんてどっちでもいいと思いますけどね。お上が決めて国全体がそれに従うって必要あるのかな? その点、大学は自由でしたね。私らの大学では「日本史」はなく「国史」でした。世界史もなく、東洋史と西洋史でした。他大学はどういう教科名なのかな?
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数学は大人数授業との相性が悪いのです 理解のスピードというか詰まる部分は人によって様々な上に 過去の授業での知識を前提に新たな授業が行われるので 一度でも授業に追いつけなくなった瞬間に雪だるま式に分からない事が増えて取り返しがつかなくなります 可能な限り個別授業化する事が必要だと思います
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還暦過ぎのオヤジです。 今でも覚えているのは、小学6年生の時に算数の教科書で習った確率を、当時は「確からしさ」と言ったんだよ。 自分は確率と言った方がしっくりきたんだけど、先生の説明によると、難しい言葉を使うと入り口の段階で萎縮する児童がいるかも知れないから……ということで、妙に納得した記憶がある。 文部省(当時の監督官庁)も色々考えてるんだなと、後になって感心したな。 確かに、小学生には数学って言うより、算数と言って方が易しい感じがするし、しかも語感が優しいと思う。
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