仮面の下で休息を
弱った司を類が甘やかすだけのお話。
恋心は後から遅れてやってくる。
彼らがどんな朝を迎えるのかは想像にお任せします。
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君はいつだってキラキラと輝いて周りを照らしてくれる太陽のような人だ。
だからこそ、少し休みたくなった時はこちらを頼って欲しい。
そう告げたのは、いつのことだっただろう。
丁度ワンダーステージで行う期間限定のショーが千秋楽を迎えた日だったかもしれないし、何もない平凡な放課後のことだったかもしれない。
覚えているのは、ふと君の顔から笑顔が消えたのを見てしまったこと。
そりゃあ彼だって普通の高校生なのだから、終始笑顔を絶やさないなんてことはないだろう。
それでも、司くんに人間離れした何かを感じていた僕に取って、それは少々衝撃的なことだった。
僕を孤独の底から掬い上げてくれた彼を、どこか特別な存在としてみていたから……憂いを帯びた目をしている彼がひどく心配になって、ついそんなことを口走った。
その時彼は確か曖昧に微笑んだだけだったけれど、記憶の隅でそのことを覚えてくれていたのかもしれない。
そうでなければ、こんな顔で僕の前に現れることなんてなかったはずだから。
ワンダーステージでショーを行うようになってからも、僕は路上パフォーマンスを続けていた。
舞台上から見るのもいいけれど、たまにこうして同じ目線で観客の表情を眺めると思いつく演出の幅が広がるし、演者としてまだまだ力不足な自分を鍛える練習にもなる。まあ、司くんがエキストラのアルバイトをしているのと同じような感覚だろう。
今日は『ハーメルンの笛吹』をアレンジした喜劇を、いつも通りロボットやドローンたちを使って演じていた。
原作だと笛吹男に連れて行かれた子どもたちは帰ってこないまま物語は終わってしまうけれど、それではショーとして面白みが足りない。
そこで、反省した街の人々が楽しい音楽を奏でて笛吹男を呼び寄せ、子どもたちが戻ってくるという喜劇的なラストを付け加えた。
街は様々な音に包まれて、人々は歓喜のあまり狂ったように踊り出す。こんなラストを演出できるようになったのも、司くんが作った台本に触れるようになったからだろうか。
背中につけられたスピーカーから音を鳴らして踊るロボットたちの動きを、手袋の下に隠したスイッチを使って止めると、僕の動きに合わせて一礼させる。これにて今日の路上パフォーマンスは終わりだ。
まばらな拍手に包まれ、少ないとはいえ周囲が笑顔になってくれたことに満足していると、一人だけ笑顔でない人物がこちらを黙って見つめていることに気づいてしまった。
もちろん、僕一人のパフォーマンスでは演じられることに限界があり、全ての人を笑顔にすることはできないということは十分に承知している。
ワンダーステージで行うショーは元々ショーを観に来た人を対象にしているけれど、路上ではそうもいかない。
普通だったら仕方がないと割り切るけれど、それがよく見知った人物であれば話は別だ。
どうして……僕の演出をいつも全力で楽しんでくれる彼が、そんな目で僕のショーを見ているのだろう。
今にも倒れそうなほど真っ青な顔で、憂いを帯びた目で、僕を見つめているのだろう。
慌ててロボットたちを片付けると彼の……司くんの元に駆け寄る。
「どうしたんだい、司くん。どこか気分でも……」
司くんは大きめのショルダーバッグを肩にかけ、焦点の合わない目で僕を見つめていたけれど……やがて、ぽつりと言葉を漏らした。
「家出をしたんだ」
と。
司くんが家族とうまくいっていないなんて話は聞いたことがない。
以前フェニックスワンダーランドで会った妹さんとは、世間一般の兄妹と比較すると仲が良すぎるくらいに距離が近かったし、険悪なムードなんて一切感じられなかった。ただ、彼はいい兄なのだろうな、という感想が加わったくらいだ。
だから家出の理由なんてさっぱり分からない。ただ、一言自分の口から漏れたのは、
「では、僕の家にくるかい?」
という誘いの言葉だった。
以前彼を自分の家に招こうとした時には全力で拒否をされてしまったが、今回はどうやら心境も違ったようだ。
コクリと頷いた司くんは、縋るような目で僕を見た。
まるで、僕だけが頼りだと言わんばかりに。
僕は家族と不仲という訳ではないけれど、普段はガレージを改修した自室兼作業場で大半の時間を過ごしている。そこの方が居心地がいいのだから仕方がない。
夕食の時間も忘れて熱中してしまうこともしばしばあり、親も僕をガレージから強引に連れ出すことを半ば諦めている節があった。もしかしたら、僕が以前いたずらで入り口に設置した仕掛けが怖くなって近づかなくなった説もある。
それでも、重ね重ね言うが不仲という訳ではない。
何度教師に呼び出されようとちゃんと学校に来てくれて僕に向かい合ってくれるいい親だ。
野菜を強引に食べさせてこようとするところだけはあまり好きではないが。
いや、そんな僕の両親のことはどうでもいい。今は、司くんのことだ。
「それで、どうして家出をしたか聞いてもいいかい?」
昨日もほとんど寝る間を惜しんで作業をしたせいで、床からベッドの上まで工具や部品で散らかっている。
それを適当にどかして場所を空けながら、ショー道具の山からクッションを引っ張り出して座ってもらった。
「……少し、疲れてしまったんだ」
膝を抱えて座った司くんは、本当に彼の口から発せられたのかと疑ってしまうほどか細い声を出す。
こんな声を聞いたのは初めてで……ちゃんと耳を澄ませていなければうっかり聞き逃してしまいそうだ。
「なあ、類。街の人々はいつまで音楽を奏でればいいんだ?」
「え?」
「楽しい音楽をやめたら笛吹男がまた子どもたちを攫ってしまうかもしれない……そんな気分で永遠に奏でていないといけないのか?」
一瞬何のことかと思ったが、どうやら僕が先ほどまでやっていたショーのことらしい。
街の人々は子どもたちを取り戻すために音楽を奏でる。やがてそれを聞いた笛吹男が戻ってきてもなお、音を鳴らして踊り続けるのだ。
それは、皆に笑顔になって欲しいからと付け加えた愉快なラストのつもりだった。
それなのに、目の前の友人を苦しませている。一体何故?
「オレは兄として咲希を……身体の弱い妹を笑顔にしないといけない。それは分かっているんだ。分かっているのだが……ふと、いつまで続けるのだろうなと……そんな、兄失格なことを思ってしまった」
司くんは、街の人々と自分を重ねているらしい。
僕は一人っ子だからよく分からないけれど、それは世間一般の「兄」が担うような役目なのだろうか。
そうは思えないけれど。
「同じようなことを、ふとステージの上でも思ってしまったことがある。オレは座長としていつまでこれを続けられるのだろうか……と。そう思ってしまった自分がとてつもなく怖かった」
「司くん……」
「すまん、こんなこと仲間の前で言うことではなかった。その……軽蔑、するよな」
僕もショーで人を笑顔にしたいと思っている。けれど、彼のような責任感をもったことはなかった。
人を笑顔にすることは僕にとってのライフワークで、自然に手元にあるものだったから。
司くんは兄として……座長として……未来のスターとして、どれほどのものを背負っているのだろう。
「軽蔑なんてしないよ」
震える背中に手を伸ばす。
「軽蔑なんてしない。君だって普通の高校生であることは変わりないだろう? 頑張り続ける必要なんてないさ」
背を撫でると、司くんはぎこちなく僕の方に身体を寄せた。もっと撫でて欲しいと言わんばかりに。
「司くんはいつも皆を笑顔にしようと必死になってくれているし、僕はその姿をずっと見ている。だからたまには休んだって構わない」
もしかしたら司くんはこういう言葉が欲しかったのかもしれない。
頑張りすぎなくていいと……誰かにそう言って欲しかったのかもしれない。
そんな言葉、僕ならいくらでもかけてあげられるのに。
「咲希の前で笑顔でいることに少し……疲れた、と感じてしまった。それが怖くて家を出たんだ。親には友人の家に泊まりにいくとだけ伝えてあるから……然程問題はないはずだ」
こういう時でも律儀に親の許可をとっているのは司くんらしい。これでは家出と言えないのではないだろうか。
「それなら大丈夫だね。今日は僕の家に泊まるといい」
「……いいのか?」
「もちろん。このガレージには親もなかなか近づかないし、人を泊めても問題ない」
司くんは少し顔を上げた後、また目線を下げる。
笑顔の仮面を外してもなお、彼の整った顔は健在だった。
舞台映えする、目鼻立ちのくっきりとした顔。一瞬、憂いを帯びたその顔に吸い寄せられそうになり、すぐに我に返る。僕は今、何を考えていたのだろう。
「すまん、類」
「いいんだよ、気負わないで。ゆっくり休むといい」
そっと、司くんの柔らかい髪を撫でる。謝らなくていい。もっと僕に頼って欲しい。
僕が救われた分、僕だって彼を救いたい。
そんな想いを込めて。
「何か夕飯になるものでも買ってこようかな。司くんはここで休んでいてくれ」
「……ああ」
親に、夕食はいらないとLINEを入れて立ち上がる。
いつもなら自分も行くと言いそうなものだけれど、今日はその元気すらないらしい。
ショー用に着ているいつもの衣装を脱いでパーカーを羽織ると「なるべく早く帰ってくるからね」と伝えて家を出た。
◆ ◆ ◆
十数分後。近所のコンビニで弁当を二つ買って家に戻ると、司くんはクッションを枕にして横になっていた。
眠っているかと思ったけれどそうではなく、身体を丸めて何かを抱きしめたまま、苦しそうな表情を浮かべている。
「つ、司くん……それ」
何を抱きしめているのかと見てみれば、それは僕がショーの際に羽織っているコートだった。
昔馴染みの手によってアレンジを加えられた、世界に一つしかない派手なコート。出かける前にハンガーにかけたはずだったけれど、それを何故司くんが抱えているのだろう。
「あ……」
近づいて顔を覗くと、司くんは初めて僕の存在に気づいたらしい。
よく見ると、頬には涙の痕があった。
「類……るい、」
ゆらゆらと視線を彷徨わせながら、司くんは身体を起こしてこちらに手を伸ばす。
側で屈んでみれば、弱い力で抱きしめられた。
抱きしめた……というより、縋りついた、というべきか。
「るい……るいが、いる」
「うん、そりゃあ僕の部屋だからね」
余程心細かったのか、司くんは何度も僕の名前を口にする。それに返事を続けていると、僕の胸に顔を寄せたまま静かになってしまった。
「司くん……何か、あった?」
そこでようやく質問を投げかけると、やはりか細い声で
「……夢を見たんだ」
と、返ってくる。
「夢?」
「オレが笑えなくなって……みんながオレから離れていく夢……咲希も、えむも、ねねも、類、も……」
どうやら司くんは相当精神的に参っているらしい。彼に救われた僕たちが、そんな簡単に離れていくわけがないのに。
「その、僕のコートを手にしているのは?」
「……類の、匂いがするから」
「え?」
「類が側にいてくれていると思って……安心、するんだ」
ねえ、どうしてそんな可愛いことが言えるのだろう。予想もつかなかった言葉に言葉を詰まらせていると、
「き、気持ち悪いよな……こんな」
と、司くんが不安そうな声を出す。
黙っていても、不安にさせるだけか。なら……少しでも声をかけた方がいい。
「大丈夫。僕は……たとえ司くんがうまく笑えなくなったって側にいるから」
「でも、」
司くんの声に涙が混じる。表情は見えないけれど涙を流しているのは間違い無いだろう。
僕は人を笑顔にしたいけれど、辛い時に無理に笑顔になる必要はないと思っている。そういう時は休息だって必要だ。
「司くんが好きな生姜焼き弁当を買ってきたんだ。これでも食べて、今日はもう寝てしまおう」
普段だったら、僕らが揃うと次のショーの案を練ったり、各々が見たショーの感想を言い合うものだろうけれど。今日だけはそういうのもお預けだ。
今は何も考えなくていい。だから、僕に身を預けて欲しい。
僕にとって司くんが特別であるように、僕も司くんの特別でありたい。
そう思ってしまうのは……何故だろう。
「なんか……至れり尽くせりだな」
生姜焼き弁当を食べて少しは元気が出たのか、司くんは自嘲気味にそう溢す。確かに一友人としてやるには少々過剰かもしれない。
僕は司くんにとって友人で、演出家で……それで。
それで、何だろう。あと少しで言葉が浮かびそうなのに、何かがつっかえている。
「お礼なら後日身体で払ってくれればいいよ」
「へ、変な言い方をするな!」
揶揄ってみればちゃんとツッコミも返ってきた。大丈夫、さっきよりは精神も安定している。
「なあ、類」
「ん?」
「ショーを見せてくれないか?」
「え、でも……」
もう今日は寝てしまおうと提案しようとしていたところに、予想も付かなかった言葉がとびこんできて驚く。
昼間、司くんは僕のショーを見て悲しい気持ちになっていたはずだ。だから敢えて話題に出さないようにしていたのに。
「お前の声を聞くと落ち着くんだ。だから……ダメか?」
ああ、また可愛いことを言う。
「……リクエストをされたら演者として応えないわけにはいかないね」
それなら今度は司くんを傷つけない物語にしなければ。
ショー用の道具箱からロボットを取り出し、床のガラクタを左右にどけて小さなステージを作る。
例えば、泣き虫な王様と錬金術師が出会って二人でショーをするお話なんてどうだろう。
周りの人を笑顔にして、でも泣きたい時には泣いて。大きな起伏もないような穏やかな物語。
子守唄のように優しく、蕩けそうなほど甘く。即興でゆったりと言葉を紡いでいると、じっとこちらを見つめていた司くんはやがてうとうとと船を漕ぎ出した。
「眠たいかい?」
「う……」
「いいよ、眠って。ただし床じゃなくてベッドでね」
普段の司くんだったら、ベッドを使うなんておこがましい真似はできないとか言い出しそうだけれど、眠気でそれどころではなかったらしい。
のろのろとベッドに上って、それから少し不安そうな顔をする。
「類、お前はどこにも行かないよな……」
いつもの自信満々な様子はどこへやら。今日の司くんは終始不安げで、子どものようで。
だからもっともっとと甘やかしてしまう。
「うん、行かないよ。だから、安心しておやすみ」
そっと頭を撫でて、司くんが目を閉じたらその瞼に触れる。
「ん……?」
「悪い夢を見ないおまじないさ」
適当なことを言って暫くすれば、やがて司くんはすやすやと心地良さそうな寝息を立て始めた。
こうして司くんに触れてみて一つ分かったことがある。
どうやら僕は……司くんに随分と心酔しているらしい。
キラキラと輝く彼だけではなく、こうして弱っている姿まで全部を見てみたいと思う。支えたいと思う。
それはきっと僕が司くんのことを好いているからだ。
それが恋愛感情のようなものかはまだ分からないけれど……少なくとも、こんなに人に執着したのは初めてのことだった。
心地良さそうに寝息を立てる司くんを眺めていると、段々僕も眠くなってくる。
普段の寝不足もたたっているのだろう。なんだかんだで限界が近い。
床やソファーで寝てもよかったけれど、ふと思い立って僕もベッドに乗り、司くんを閉じ込めるように抱きしめてみた。
「ふふ」
それだけで何か多幸感のようなものに包まれるのだから不思議なものだ。
司くんも僕と同じ気持ちだったらいいのに。
朝起きて、相手が側にいることに安堵するくらい、想いを寄せてくれたらいいのに。
そんなことを思っていると司くんがぼんやりと目を開けた。しまった、起こしてしまったかな。
慌てて体勢を変えようとしていると、司くんはふにゃりと何故か嬉しそうに笑う。それから僕の方に身体を擦り寄せた。
「すきだなあ」
「え……?」
今、寝言のようにふわふわと発せられた言葉はどういう意味だろう。
司くんが僕のことを好きだということ? それとも僕が司くんのことを好きだと気づいている?
それとも……両方?
心臓が爆発しそうな僕をよそに、司くんは再び目を瞑ってしまう。
なんだか生殺しを食らった気分だ。
明日はきっと……司くんは元の司くんに戻る。兄の仮面を……座長の仮面をぴったりと貼り付けて、みんなを笑顔にできる彼に戻る。
でも、時には甘えたくなるだろうから……その時はまた僕の元へ来て欲しい。
この感情に名前をつけるなら、確かに恋や愛といった言葉がしっくりくるかもしれない。
それに馴染むためにはもう少し時間がかかりそうだけれど。
「おやすみ、司くん」
それまではただ、いい夢を。
僕は次第に押し寄せてくる微睡の中に身を委ねた。