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ネバーランドじゃ猫は飼えない/Novel by 藻屑

ネバーランドじゃ猫は飼えない

15,006 character(s)30 mins

「飼ってくれ」「ちょっと待て」って感じの⚠️大人ルツ⚠️
カテコ読みながら、逆に解散軸のIFを書いとかないと後々書けなくなるだろうと思い、下書きにあったものを慌てて書き上げました。

最後はハッピーエンドです。
ワョはそっちのが似合うので。

――――

追記①:まさかこれ投げたあとに鳳さんがバナーでピーターパン衣装持ってくるとは思いませんでした。今回の話とは無関係です。愛してます鳳さん。

追記②:ワンダショNEXTによって矛盾が起きましたが、こちらは勿論想定内です!あくまで解散IF軸としてお楽しみください。愛してますワンダショ。

追記③:2025/05/09
解散if軸なんてないしなって書いたら解散if軸公式が叩き出してきた世界なんなんですか

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『ネバーランドって、結構面白いと思わないかい?』

 そう言ったのは、高校生のときの類だったか。
 残念ながらこの世界には、ネバーランドなんて夢みたいな国はない。
 それくらい知っているくせに、あいつは卒業するまで「大人になりたくないなぁ」なんて、小さな子供のように駄々を捏ねていた。
 別に類は、停滞を望んでるわけじゃない。ただ、先を進むのが惜しいほどに、この居場所が楽しかったのだと思う。
 オレだって、えむと寧々それに類と、出来ることなら、一緒に終わらないショーをし続けたかった。それでも、未来のスターという目標を掲げているから、ここで止まる訳にはいかなくて。
 ワンダーランズ×ショウタイムのキャストたちは、各々夢を叶えるために、あの居心地の良い空間から飛び出したのだ。
 小さく砕いて、少しずつ削り落として、飲み込んで。妥協して。我慢して。
 寂しくないと言えば嘘になるけれど、大人はみんなやっている。だからオレも、そうしなければならない。
 そのために最優先すべきはショーだけだ。スターになるため、夢を叶えるために多少の我慢はつきものだ。
 それに環境の変化は何も悪いものだけでは無い。本格的な大きな舞台、稽古、新しい仲間、メディア含めて全部が刺激的だ。
 多忙だけれど、充実した毎日と言えるだろう。
 少しばかり感傷的にはなってしまったが、仲間たちもきっとこんな毎日を繰り返して、夢に向かって走っている。元座長であるオレも負けてられないのだ。
 この未来のスター天馬司、何事にも全力前進。数々の難題や苦難を乗り越え、必ずや野望を掴み取って見せよう。


「ま、まあ今日の苦難は少しハードすぎたがな……」
 よろりと口元を抑えながら酒臭い息を吐く。
 端的に言えば飲みすぎた。こんなおぼつかない足取りで、よくここまで辿り着いたものだ。老朽化した二階建てアパートの階段をゆっくり登りながら、オレは自分を賛美する。
 酒は嫌いではないけれど、特に好きでもない。この歳になれば、親睦を深める一環として飲みに誘われるものだ。
 役者同士、演出家や監督とのコミュニケーションも最高のショーをこなすための第一歩。互いのことをよく知っていたほうが、稽古も円滑に進むというものだ。が、如何せんオレの人望が厚すぎる。人付き合いにも限度というものがあってだな。
 特に最近は睡眠時間を確保出来ていないくらい忙しいから、余計に目が回る。それだけ仕事があるというありがたい状況でもあり、今がまさに踏ん張りどころでもあるのだが。
 仕事を受け続けて、ようやくこの業界で名を知られるようになってきた。でも足りない。まだ足りない。
 オレはもっと、人を笑顔にできるショーを作り続けたい。夢に向かって、突き進んで行かなければ。オレの道を応援してくれた、仲間たちのためにも。
 酔いのせいなのか寝不足が祟ってか、身体がフラフラする。
 明日はオフではあるが、朝一で今日の舞台の反省点をまとめあげておきたいから、帰ったらすぐに寝てしまわねば。
 錆びた鉄筋階段を上がっている途中で、風がそよりとオレの頬を撫でた。酒で火照った体に当たる夜風が妙に心地良い。
 空を見上げると、今夜は月が見えない代わりに、小さな星々が都会の中で懸命に輝いていた。
 あいつらにも、この星を見えているのだろうか。
 真っ先に思い浮かんだのは、高校時代の稽古帰り。くたくたになった身体で笑い合いながら、四人で星を見ながら帰った何でもない日常。
 もう遠い昔に思えるような、過去のこと。
「……いや、さすがに類のとこでは見えてないか」
 卒業後に海外留学した男の顔を思い出す。
 あんなにあの居場所にこだわってた奴が、渡航を決断したのには驚いた。向こうはきっと今、昼頃だろうか。
 スマホに電源をつけて、おもむろに画面を撫でる。今でもみんなとは連絡を取っているし、時間が合えばセカイに集合だってする。
 しかし類に至ってはなかなか忙殺されているようで、時差まであるのだからここ数ヶ月は顔を合わせるどころか、声すら聞いていない。
 天才若手演出家として、名を馳せているのは知っている。やっぱりオレたちの演出家は最高で、それは自分のことのように誇らしい。遠くであいつも頑張っているのだと思えば、自然と元気を貰える気がした。
 大人になりたくないなんて言った男が、今一番世界で注目されているのだ。
 胸にぽっかりと穴が空いたような感覚に首を振り、オレは拳を高くつき上げる。
 オレがさっさとスターになれば、いつかまた一緒にショーができるかもしれない。だって道は違えど、目的地は一緒なのだから。
 あいつは最高の演出家になって、世界中を笑顔にするために、きっと今も無我夢中で勉学に勤しんでいるに違いない。だからオレも頑張ろう。
 今だけは、削って、捨てて、我慢して。この険しい業界をのし上がって行くしかないのだ。
 そうして階段を上がりきった、廊下の一番奥。オレは思わず目を見張る。
 自分の玄関扉の前、何か大きな塊が地面に落ちていた。
「うおっ!?」

 もぞり。
 大きな塊が今、動いたような。
 ついつい大きな声を出してしまったが、今が深夜なことを思い出してオレは慌てて口を塞ぐ。
 猫や犬の大きさには見えない。と、なると人の可能性が高い。
 人が、オレの家の前に落ちている。
 いやなんでだ。酔っ払って寝ているお隣さんとかだろうか。
 まとまらない思考回路のまま、スマホを取り出してゆっくりと近寄る。いきなり襲われても対応できるように、スマホはいつでも連絡可能状態だ。嫌な緊張感である。
 安っぽいアパートでは消灯も暗くて、よく見えない。仕方なくオレがライトをつけて、目の前を照らすと、その塊がもう一度小さく動いた。
「…………、は?」
 見慣れた菖蒲色の髪が、夜風に吹かれてさらりと靡く。
 見間違えるはずもない。絶賛海外で活躍の場を増やしてる、かつての仲間。
 ――神代類がいる。
 いるというか、落ちている。いやなんで。なんでオレの家の前に。
 軽くパニックを起こしながらも慌てて近寄って、寝ている身体を揺り起こす。目の前の男が重たげな瞼をゆっくりと開いた。
 ぱちぱちと瞬きを繰り返し、オレの顔を見てから、ふにゃりと気が抜けたように破顔した。
「……やあ、久しぶり。今夜は星が綺麗だね」
 もう何ヶ月も耳にしていない、聞きなれたテノールが、やけにのんびりとした口調で降ってきた。
 そうして、類は艶やかな微笑みを浮かべて、薄い唇を柔らかく開いた。

「司くん、今日から僕のこと飼わないかい?」


  〇


 頭痛がする。
 別に体調が悪いわけでもなんでもない。オレの頭痛の原因は、
「お風呂貰ったよ、ありがとう司くん」
 この男である。
 にこやかにひらりと手を振る姿は、紛うことなきオレたちの演出家、神代類だ。いや何故だ。
 この天才演出家が、秋空の夜中にどれだけ外で待っていたのかは知らないけれど、風邪を引いたら大変なので久しぶりに湯船にお湯を張ってしまった。
 さっきまであった酔いも眠気もとうに吹き飛んでしまって、オレは現実逃避のために酒を追加したところである。
 聞きたいことが山ほどありすぎて頭を抱えるだろうこんなもの。酔わないとやってられないとはこのことだ。
「司くん、飲みすぎじゃない?」
 半分ほど中身が残った飲みかけの缶をオレの手から取り上げて、類はそれをちゃぶ台の端に避けた。
 タオルで乱雑に髪を拭きながら座る類に、オレは本日何度目かのため息を吐く。
 久々に会った類の髪は少し伸びていた。それにちょっと痩せた気がする。
 まあそうだろう。売れっ子で多忙なのはこちらの耳にも届いている。あとは目の下の隈が恐ろしいことになっているぐらいだな。これに関してはオレも最近はコンシーラーで誤魔化すことがあるから、今は何も文句が言えないが。
 さて。いい加減現実逃避をやめて、風呂上がりで上機嫌のこの男に色々と問いたださなければ。
「とりあえず質問いいか?」
「もちろんどうぞ」
「……飼わないか、と言うのはどういう意味だ?」
「そりゃあそのままの意味だね」
「いや分からんわ! というかお前仕事はどうした仕事は!」
「しばらく大きな仕事はなくてね。それに休むことも仕事のうちだろう?」
 なんでもない顔で、類は先ほどのオレが飲んでいた缶を人差し指でつついて、中身を揺らした。
「……ちゃんと家族には連絡したか?」
「顔は出したよ、寧々にも会った。すごく驚かれた」
「だろうな。ていうか、ならそのまま家に泊まれば良いではないか。なんでわざわざオレの家で寝泊まりしようとしてるんだ?」
 きょと、とした類がそのまま考え込むようにつついていた酒缶を一口呷る。
 いや、それオレの酒なんだが。飲みたいなら新しいのを出してやるから返せそれ。どこでそんな行儀の悪いことを覚えてきたんだ。
 オレの心情をよそに、類はわざとらしく小首を傾げておどけたように笑みを浮かべた。
「まあ何でもいいじゃないか。ね、飼ってくれるだろう?」
「おい流されんぞ。誤魔化すんじゃない」
「僕が来たのに、司くんは嬉しくないの?」
「嬉しいぞ。嬉しいけどもな?」
「フフ、ありがとう。これからよろしくね」
「人の話を聞けーッ!!」
 こんなにまともな回答が返って来ないなんてことあるのか。
 何故だ。人には都合というものがあってだな、類。何故分からないんだ。いや分かっててやってるんだろうな、類だしな。ていうか飼うってなんだ。普通に泊まるって言え。感動の再会だと言うのに、奴の図々しさが増している。気がしないでもない。しかもそんな類の押しにちょっぴり負けそうな自分がいる。こんなはずでは。
 会話の嚙み合わなさに頭痛を覚えながら、オレはふと自室を見渡す。最近忙しすぎて、ろくに掃除もできていなかったことを思い出した。
「る、類。オレは未来のスターとは言え、まだ駆け出しで、こんな家じゃ類が休むにしたって狭いだろう? 来客用の布団だってあるわけじゃないし……」
 安さと駅の近さで選んだボロアパートは、お世辞にも広いとは言えない。どちらかと言えば綺麗好きだけれど、最近は特に忙しくて昔のオレなら発狂しそうな散らかしっぷりだ。
 ちゃぶ台の隣に布団は敷きっぱなしだし、食事も外食ばかりだし。こんな場所に、仕事で忙殺されていた友人を泊めていいものか。
 そう説明すると、類は首を傾げて不思議そうに笑った。
「大丈夫だよ、今の僕は拾われた野良猫のようなものだもの。寝る場所なんて気にしないさ」
 それに僕の部屋のが汚いから安心して。という謎のフォローまで添えられて、オレは口を開けて呆けるしかなかった。
 こちらの様子を全く気にすることなく、類はちゃぶ台に手をついて立ち上がる。
 敷きっぱなしの薄い布団へ、するりと猫のように潜り込んだかと思えば、そのままオレの腕を掴んで思い切り引っ張った。
 見事に体勢を崩したオレは、そのまま類の鮮やかな手つきで布団の中へと収納される。親が子供を寝かしつけるときのように、ぽんぽん、と布団の上から軽く叩かれた。
「一緒に寝ようね、司くん」
「成人済みの男二人でか!? 狭いわ!」
「でも暖かいよ?」
「そういう問題ではなく……って足を絡ませるな!!」
 がっちりと足でホールドしたまま、ニコリと笑みを浮かべた類は楽しそうに目を細める。
 この隠れゴリラめ。痩せたくせに筋肉は健在か。ていうか、どういう状況だこれは。
 金の瞳に被さる長い睫毛をひとつ睨みつけてから、オレは大きく溜息を吐いて、類に背を向けるように寝返りを打つ。
 背中にじんわりと伝わるぬるい体温に、悔しくも心地良さを覚える。ある意味夢なら覚めてくれと念じながら、オレは静かに目を閉じた。


 結論から言えば、夢ではなかった。
 というか現実が非情だった。
「な、しまった! 寝過ごした!!」
 午前中に昨日の反省点をまとめて、午後には台本をもう一度読み込む予定だったのに。
 ていうか友人が来ているのに。スマホを見ながら飛び起きれば、ちゃぶ台に肘をつきながら、こちらを眺めている類と目が合った。
「おはよう、司くん。うん、隈は多少マシになったね」
 オレの傍で膝を折った類が、こちらに手を伸ばす。
 まるでヒロインの涙を拭うように、目の下をすりっと撫でられて、咄嗟に身を引いてしまった。
 昔から近かった類の距離感が、更に加速してバグをおこしている。
 いや今更気にならんが、さすがに久々となるとこちらも緊張してしまうというもの。海外ではこのくらいのスキンシップが、やはり普通なのだろうか。
「……起こしてくれても良かっただろ、類」
「いやだね」
 そう言った類の視線は、ちゃぶ台の上に置いてあったタブレットへと戻っていく。趣味なのか仕事の一環なのか、楽しそうに映画を眺めてメモを取っていく類が少し恨めしい。
 いやオレの家でくつろぎすぎだろ。拾った初日の野良猫は、もう少しそわそわしているものだぞ。
 とりあえず水でも飲もうかと台所へ立ったときに、ふと首を傾げる。
「……類、これはなんだ?」
 オレの記憶が正しければ、台所のシンクには洗い物が溜まっていたはず。
 それが今では綺麗さっぱり無くてなっていて、代わりにシンクの左端に四角い大きな機械がひとつ。
「あ、それ食洗機。今朝作った」
「作った!?」
 技術に磨きがかかりすぎだろうが。そういやこの演出家は、演出だけではなく発明品に対しても天才だったことを思い出す。
「明日には自動掃除機ロボットも出来るよ。部品は昨晩調達したからね」
 口をぱくぱくとしているオレに対して、相変わらず映画に釘付けの類はタブレットから顔を上げず、何でもないことのようにそう言い放った。
 お前のカバンどうなっているんだ。前から思っていたけれど、お前は未来から来た猫型ロボットにも負けてないぞ。すごいな。もう驚きすぎて声が出んわ。
 あ、と小さく声を零した類が、タブレットから顔を上げる。
 何事かと首を傾げれば、類はおずおずと気まずそうに視線を彷徨わせながら、小さく声を漏らした。
「……そうだ。いや、あの、朝食だけは、ちょっと、頑張ってみたんだけど上手くできなくて」
 食事方面は司くんがよろしく、なんて申し出る類に、オレはポカンと口を開く。
 類が指さしたちゃぶ台の上に、よく見ればラップのかかったサンドイッチのようなものが置いてあった。
 サンドされている卵が焦げてて、オレのために入れようとしたのか野菜は水が切られておらず、べちゃりとパンが水分を吸ってしまっている。
「…………、ぶはっ」
 ふるりと肩を震わせて、耐えきれずオレはそのまま吹き出した。
 ゲラゲラと声の大きさを気にせず大笑いすれば、類は頬を膨らませて拗ねた猫のように視線を逸らす。
 こんなに笑ったのはいつぶりだろうか。
 だって「飼ってくれ」なんて押し掛けてきたくせに、甲斐甲斐しく他人の家の家事を手伝おうとする姿から「捨てないで」という健気さが滲み出ていて、それがオレにはどうにもおかしくて。
 いうなれば多分、可愛いというやつだろう。180センチの男友達に言うセリフじゃないかもしれないが、しっくりくる言葉がこれしか思い浮かばない。
「はあ、笑った。すまんすまん、次からは一緒に作ろうな」
「……飼い猫にご飯を作らせるなんて、酷い飼い主だね」
 中途半端に猫を演じる類を横目に、サンドイッチひょいと持ち上げぺろりと平らげる。
 卵に殻は入ってるし、ちょっとしょっぱい。でも類がオレのために作ったものだと思えば、あまり気にならなかった。
 そんなオレの行動に目を丸くした類は、数秒固まってから、毛を逆立てて威嚇する猫のように声をあげた。
「た、食べたの司くん!?」
「いやそりゃ食べるだろ。ダメだったか?」
「だって、明らかに失敗しちゃったし……だから、それ、僕のお昼ごはんにしようと思ってたんだけど……」
「あ、そうだったのか。それは悪かったな、お詫びにお前の昼飯はチャーハンを作ってやろう」
 綺麗になっている台所で、久々にフライパンを握る。
 時間が無くて買い物にも行けなかった日が続いていたから、自炊は久々だ。冷蔵庫にかろうじてあったもので、卵とハムだけの節約チャーハンを作る。少し悩んでからカイワレ大根をそっと添えて、類の目の前に差し出した。
 大人になってもさすがに子供舌は治ってなかったようで、類は思った通り眉間に皺を寄せて、皿の端にそれを避けた。それがまた少しおかしくて笑ってしまう。こいつは変わったけれど、何も変わってない。
 そこそこ腹が減っていたのか、夢中でチャーハンを頬張る類がおかしくて、本物の猫みたいだな、なんて思いながら、オレはその菖蒲色の髪を柔く撫でるのだった。


 こうしてオレの仕事に「類(猫役)のお世話」が追加された。
 お世話といっても類は思ったよりも手がかからない。生活的にはなかなか快適だ。少しずつ類の発明品が増えていって、オレの部屋は着々と綺麗になっていく。
 片付けが苦手なくせに、掃除用のロボットなんかは器用に作っていくから、窓ガラスも今じゃピカピカだ。正直助かる。
 もちろん大変なこともある。類はオレがご飯を作らないと食べてくれない、というか食べなくてもいいと思っている。
 そして何故かオレと一緒に食事をしたがる。最近食事をおざなりにしていたが、オレに合わせて類が不健康になるだなんてとんだ悪夢だ。
 野菜を食えだとか徹夜はするなだとか、散々オレが昔言っていた言葉だが、今は類のためオレのために意識している。しばらくやらなかった自炊を再開して、絶賛生活習慣強化月間だ。客人の健康は家主として丁重に管理せねば。
 やはり海外から遥々訪問してくれている友人には、できる限りもてなしてやりたい。せっかくだから、同じ時間を長く共有したいのだ。
 しかし、スターを目指す以上そうは言っていられない。一歩家から出ればいつもの日常が待っている。
 稽古は相変わらずハードだし、舞台公演は待ってくれない。それに役者同士に監督、演出家とのコミュニケーションは必須だ。

 今日も今日とて人付き合い程度に酒で喉を焼いて、香水と煙の臭いを頭から浴びる。
 酒の席は今日も賑やかだ。もう少し飲んでいこうかと考えたが、家で類が拗ねているのを想像して、まあいい時間だろうと席を立つことにした。
「すみません、オレはこれで」
「あ、天馬さんもう帰るんです?」
 隣に座っていた若手役者の男性が、オレが後ろを通りやすいように椅子を僅かに引いた。
 今の仕事はなんだかんだみんな人が良い。酒の席ということもあって、多少の遠慮のなさはあるけれど、周りへの気遣いや気配りをひしひしと感じる。
「あー、えっと、家で猫が待っているので」
「へえ、猫飼い始めたんですか! それで最近上機嫌だったんですね!」
 今度写真見せてくださいよ、と白い歯を見せて笑う男にオレは曖昧に苦笑いを浮かべた。
 オレは上機嫌だったのか、それは気づかなかった。180センチの猫の写真、見せられても困るよな。まず猫じゃないしな。
 咄嗟に出た帰宅理由に頭を抱えつつ、オレは気持ち早足に家に向かって歩き出す。
 前から充実した日々だった。そのはずなのに、類が傍にいるだけで何かが満たされているような気がした。
 いつかフラッと海外に戻ってしまう癖に、心の隙間を埋めて来ようとするあの男に、オレはほとほと困っている。
 自由気ままな野良猫を飼うのも楽じゃないな。

「おかえり司くん。遅かったじゃないか」
 玄関扉を開けると、類は案の定むすっと頬を膨らませて不機嫌そうにしていた。
 そのまま唇を尖らせてオレの首元に鼻先を埋めた類は、すんっと鼻を鳴らしてはますます顔を顰める。
「……司くん、お風呂入って来て」
「む。すまん、酒臭かったか」
「香水の匂いもね。知ってる? 猫って浮気に敏感なんだよ」
 ぐいぐい背中を押されて、オレは脱衣所に放り込まれる。類は相変わらず口をへの字に曲げて、ぼすぼすとオレの上着を洗濯機に放り込んでいた。
 見えない耳と尻尾が逆だっているように見えて、思わず吹き出しそうだ。猫カフェに行く猫飼いの気持ちが少しだけ分かる。
 風呂から上がり、ドライヤーで髪を乾かしてから台所へ立つ。
 オレは店で食べてきたけれど、類はきっとまだなのだろう。今日は遅くなったお詫びに玉ねぎ抜きのハンバーグでも作ってやるか。
 そうしてオレが肉を捏ねてるいると、後ろから再びするりとぬるい体温が張り付いてくる。
「どうした、類?」
「良かった。司くんの匂いがする」
「石鹸の匂いだろう」
「そうだけど、やっぱ少し違うよ。僕からこんな良い匂い出ないもの」
 オレの項あたりに顔を埋めた類は、すん、とまた鼻を鳴らした。猫なのか犬なのか分からない奴だ。というか実はこれ結構恥ずかしい。近いし、色々とくすぐったい。
 ソワソワするので止めてくれと類に控えめに頼んだら、何故かその日を境に隙あらば密着して嗅いでくるようになった。
 どうやらこの悪戯が気に入ってしまったらしい。完全に逆効果。なんでだ。オレは全てを諦めた。
「ほら、火を使うから離れてろ」
 ちわ、と油の音をさせながら肉を焼く。絶対こっちのが良い匂いだろう。
 猫に餌やり。もとい類がハンバーグをぺろりと平らげる。洗い物を食洗機に突っ込んで時計を見れば、時間的に今日はもう寝るだけだった。
 布団がふかふかしてるのを確認して、また類が干しといてくれたんだなと顔が緩む。
 絶対家事なんてしないタイプなのに、色々と頑張ってくれてることが何より嬉しい。せっかく仕事が休みなのだから、他人の家なんて気にせず旅行にでも行って来ればいいのに、と少し申し訳なくも感じるが。
「ほら司くん、一緒に寝よう」
 ぱっと先に冷たい布団に身を滑り込ませた類が、両手を広げる。
 ヤケクソ気味に類の胸に飛び込めば、待ってましたと言わんばかりに腕を回され、きついくらいぎゅうっと抱きしめられた。
「ところでお前、いつ帰るんだ?」
 頭ごと被せられた布団から、息継ぎするように顔だけ出して、類の目を覗き込む。
 少し驚いたような顔をした類は、へにょりと情けなく眉を下げた。
「寂しいこと言わないでよ。そんなに僕に帰って欲しいの?」
「違う馬鹿。逆だ逆」
 こんなにあたたかい布団を経験してしまっては、またこいつが帰るときに寂しくなってしまうというのに。
 オレはすっかり絆されて、類のいる生活に慣れつつある。やっとワンダーランズ×ショウタイムの仲間たちがいないショーや生活に慣れたというのに。
 ぱちぱちと目を丸くした類は、猫のようにきゅうっと少しだけ目を細めてから、ふくふくと笑い出す。
 レモンイエローの瞳が、淡い月明かりに照らされて光っているようだ。
「フフフ、いつ帰ってしまうんだろうねえ」
 うっすら頬を染めて、おやすみ。と寝返りを打つ類の丸い後頭部を眺めてから、オレは小さくため息を吐く。
 誤魔化された。もちろん、ずっとこの家にいるわけではないと頭では分かっているが、教えて貰えないのは少し寂しく感じる。
 でもきっと類も何か考えているのだ。こいつはオレの知り合いの中でも特別不器用で臆病だから、口を開くのに時間がかかる。
 オレは待つのが苦手だ。苦手だけれど、こいつの寝顔を見ていると仕方ないから待ってやってもいいなと思うから。
「……またお前たちとショーがしたいな」
 類の顔を眺めていたら、そう無意識に本音が零れる。
 そんな自分らしくない声に苦笑して、オレはゆっくり目を閉じた。


 ――で、朝起きたら類がいなかったわけだが。くそったれ。
 やっぱあの時強引にでも聞いておけば良かった。
 あいつはなんでこう、オレの心が分からないのか。起きたら慣れた体温がいないなんて、それがどれだけ虚しいか分かっているのか。寒いだろうがバカ類。飼い主に一言残してもいいんじゃないのか。無理か。猫だもんな。
「飼えと言ったのはお前のくせになッ!!」
 怒りなのか悲しみなのか、自分でも分からないが感情の渦でどうにかなってしまいそうだ。
 布団を雑に畳んで押し入れに放り込む。もう知らんあんな薄情者。
 類が消えた途端に私生活がおざなりになった、なんて言われるのが死んでも嫌だから、朝食をしっかり摂ってから、オレは玄関の扉から飛び出した。怒りで時間を忘れていたのが本当に悔しい。
 赤信号に止められて、横断歩道の前で足踏みしながらも、類の顔を思い浮かべては舌打ちをしそうになる。
 そんな苛立ちと同じくらい、今日帰ったら類の「おかえり」が聞けないのが悲しい。
 海外に戻ってしまうのなら、せめて見送りたかった。お前も頑張れよ、って言いたかった。それなのに、あいつは黙って行動してしまう。
 しかもそのだんまりは、大体優しさから来ているのだ。オレたちに気を遣わせないようにと、そう口を閉じることが多いから本当にどうしようもない。
 どうしようもなく、類は優しくて酷い奴なのだ。

 今日は舞台稽古の初日、キャスト発表と顔合わせの日。何事も最初が肝心なのだから、類なんかに腹を立てている暇はない。
 気持ちを切り替えるように、オレは稽古場の入り口の前で深く深呼吸を繰り返す。
「すみません、天馬司です! 遅れま、」
 ――ばん、と扉を開いて、オレは硬直した。
 目に入ったのは、菫色の瞳を大きく見開いて振り返る小さな女性。
 薄緑の髪を揺らすその姿を、見間違えるはずもない。かつて一緒にショーをした仲間。オレが知る限り一番美しい声で歌う、今をきらめく新人ミュージカル俳優。
「……、え……寧々?」
「つ、司。ひさしぶり……」
「寧々!? お前もこの舞台なのか!?」
 かつてのワンダーランズ×ショウタイムの仲間たちは各々多忙なために、セカイで集まることも少なくなっていた。
 寧々だってそうだ。定期的に会うようにはしていたけれど、昔は毎日顔を合わせてたというのに、最近会ったのは数か月以上も前で。
 当の本人はおそらく配られたのであろう台本を握りしめ、涙を目いっぱいに溜めている。
 まさか大人になって、ワンダーランズ×ショウタイムの仲間と同じ舞台に上がれるだなんて、寧々と共演できるなんて思ってもいなかった。
 小さく唇を震わせた寧々が、くしゃりと笑みを浮かべる。
「こ、この舞台、鳳グループがまとめてるんだって、それで」
「なに!? つまり……」
 稽古上の隅で、スーツを来た桃色の頭を見つける。
 幼さを残したまま、花のように笑う彼女。オレたちの視線に気づいたのか、小さく歯を見せたえむが可愛らしくピースをした。
 いや、それだけじゃない。えむと一緒に話してた相手。
 菖蒲色の髪を雑に束ねて、ターコイズの一束を揺らした男がにこりとこちらに向かって手をあげる。
「演出家の神代です。今日からよろしくお願いします」
 オレたちの演出家は、ショーの始まりだと言わんばかりに美しい所作で礼をした。


 出演は寧々とオレの二人だけではあるものの、かつてのワンダーランズ×ショウタイムのメンバー全員が携わっている舞台。
 想像し無かったわけじゃない。それでも、もっとずっと先だと思っていたのだ。
 そんな夢みたいなことが、今現実に起きている。
「大人になって良かったよ。実力が伴うと、多少の我儘ってきくんだね」
 当然のようにオレの家で猫のようにくつろぐ類が、あっけらかんと笑い飛ばした。

 あの後。
 稽古初日が終わった瞬間、寧々が泣きそうな顔を隠しながら台本で類をずっと叩いていた。し、珍しくえむに抱き着いていた。
 あれは多分寧々なりの喜びと驚きと照れ隠しの抗議だと思う。分かるぞ。オレも並んで一緒に殴ろうかと思ったレベルだ。
 ちなみにえむはこの計画を事前に知っていたようで、「黙っててごめんねー!」と満面の笑みを見せてくれた。
 大人になって権力や知恵を回すようになったワンダーランズ×ショウタイムの夢見る名コンビを、オレは完全に舐めていた。
「昔はあれだけ大人になりたくない、なんて言ってたくせにな……」
「それでも僕たちは進むしかないだろう? どうせ進むなら、僕はみんなと一緒が良かっただけだよ」
 悪戯が成功した子供のように、くつくつと笑う類はどこからどう見てもご機嫌だった。
 酒は苦手だとか言っていたのに、もう缶チューハイが二本とも空になっている。
「今も昔も、僕の夢は最高のショーも作ることだ。でも、そんな夢と同じくらい、みんなと一緒がいいんだよ。この想いを何とか共存できないものかと模索した結果、最高のスターたちを集められるくらい実績のある演出家にならなくちゃと思ってね」
 だから、留学を選んだのだ。あんなに卒業したくないと、この場所から離れたくないと一番駄々を捏ねていたのは類なのに。
 こいつはその先を望んで、見据えて、目指して。その夢を叶えるために、一人で海外に行ったのだ。
 夢を実現させるのが、演出家の仕事だからと。
「随分時間がかかってしまったけどね。今回の舞台は、それの第一歩」
 へにゃりと笑う類に、思わずオレは抱き着いた。
 やっぱり類は世界一で、最高の演出家だ。こんなとびきりのサプライズを、数年かけて用意してくれた。鼻の奥がツンと熱くなる。
 ぎゅうっと力いっぱい抱きしめて、オレは息を大きく吸い込む。
「オレも、ずっとお前と、お前たちと一緒に、もう一度ショーがしたかった!」
 寂しくないわけがない。でも、スターになるために、各々が夢を目指すために背中を押した。
 道は違えど、遠くにいても応援できるような関係。それだけでも幸福なのに、また一緒にショーがしたいなんて願うのは、過ぎた我儘なのだと思っていた。
 欲に塗れたアルケミストなんてよく言ったものだ。砕いたはずの小さな夢の破片を、類は全部全部丁寧にかき集めて、叶えてくれた。
 ずっと諦めず、両方を選んでくれたのだ。
「お前はいつも、オレたちの夢を叶えてくれるなぁ」
 さすがオレたちの演出家だと背中を撫でれば、硬直したままの類から、ずぴ、と小さく鼻をすする音が聞こえた。
 しばらくぎゅうっと強く抱きしめていれば、照れ隠しをするように類はゆっくりとオレから離れる。
 そして、わざとらしく咳払いしてから、その場で恭しく正座した。
「それはそうと、司くん。……猫を拾ったのなら、最後まで責任を持つのが筋じゃないかい?」
 そう言われて、オレは首を傾げる。表情を硬くした類からは何も読み取れなくて、少しばかり焦ってた。
 ここまで頑張ってくれた相手が何か求めているのならば、ここは元座長として、未来のスターとしてできる限り返したくはあるが。
「……どういう意味だ? オレにできることならするが」
「うーん、どうしよう。ここまで伝わってないのは予想外だよ」
「ま、待て。まさか首輪でもつけてくれとか言わないよな?」
「あ、近くなった」
「近くなったのか!?」
 冗談のつもりで言ったのだが! そう声を大きくすれば、酒のせいかそうでないのか類は少し頬を赤らめながら口をへの字に曲げる。
 むにむにと言い淀むように唇を動かして、ぎゅっと握りしめた手をわずかに震わせていた。
「えっと。実は、僕は君のことが、すきなのだけれど」
 舌っ足らずのまま、目は甘い蜂蜜のようにとろりと蕩かして、真っすぐオレのほうを見つめていた。
 そのままオレの左手が類の白い指に絡めとられる。まるでオレの手のひらの厚みを確かめるみたいに握る類の手は、酒のせいとは言い訳できないほどに熱くなっていた。
「……酔ってるのか?」
「失礼な。確かに酒の力を借りてるけれど、本心だよ」
 大人の特権ってやつだね、なんて類が笑う。
 いや、笑おうとしてちょっと失敗してる。手や声の震えから緊張が伝わってきて、オレの心臓も釣られたように速くなった。
「……それは、恋愛的な意味の告白だよな?」
「うん。だから首輪じゃなくて、ペアリングなんかどうかなと思います」
 恋人同士が、嵌めるやつ。
 そう振り絞るように言ってから、類はぎゅっと目を瞑った。オレは呆気に取られて、驚くしかない。
 誤解しないで頂きたいが、これは類に驚いているのではなく、満更でもない自分に驚いているのだ。
 だって、類と付き合ったら。
 毎日とは行かなくても、あの一人寂しく入る冷たい布団が、あたたかくなる日があるのかもしれない。きっとお互い忙しくなったって、「恋仲なのだから」なんて言い訳して、無理にでも会いに行ける。
 類との関係性に名前をつけようと思ったことはないけれど、そんな特権と言い訳が使えるのなら、オレも素直に寂しいと言いやすい気がした。
 だがオレは既にショーに恋してる。一途に追いかけまわしてると言ってもいい。
 あ、いや待て。ショーと類は切り離せないな。ショーと言えば類、類と言えばショーくらいに切り離せない。うむ。それに類は、いともあっさり二つの想いを共存した。共存できると証明してしまった。このオレならば、仕事も恋も全力でできるかもしれん。
 あ、待て待て。こういうのは慎重にだな。
「そ、のだな! オレは、類に告白されて嫌じゃなかった自分に驚いている! だがまだ、その、すまんよく分からなくて」
「そんなに顔真っ赤なのに?」
「いや、酒のせいかもしれんだろう!」
「君は飲んでないじゃないか!」
 観念しろ、と言わんばかりに類が正面からオレに飛びついた。オレを抱えるように畳の上に転がって、ふは、と類は小さく笑いを零す。
 類の横の髪が垂れ下がって、オレの耳あたりをくすぐるのがこしょばくて仕方がなかった。顔を真っ赤にしたままにやりと不敵な笑みを浮かべた類は、がばっとオレの胸に耳を当てる。
「ほらみろ、司くんこんなに心臓がバクバク言ってる! これは脈ありだよ!」
「うう、うるさい! 今考えてるんだ、待てもできんのか!」
「できないよ猫だから! ねえ、お揃いの指輪嵌めようよ」
 猫じゃなくて類だろうが。そう言っても懇願するように鳴く類の髪に、少しだけ迷ってからオレは手を伸ばす。猫っ毛でふわふわした髪は、思いのほか手触りが良かった。
 観念しよう。オレは恐らく類のことを好きになる。
 というかもう既に好きな気がする。言われて気づくなんて、少しかっこ悪い気がするけれど、目の前の男が愛しく見えて仕方がないのだ。
 意識した瞬間に突然湧き出た感情をぐっと堪えてから、オレはゆっくりと息を吐き出す。
「……この、舞台が終わったら……終わってから、買いに、行く」
 月色の瞳を丸くしてから、類は心底幸せそうに目を細めた。
 オレの首元に顔を埋めて、可愛らしいリップ音と共にまるでマーキングするかのごとくキスを落としていく。
「痕つけるなよ」
「舞台前だよ? 今はつけない」
 舞台後でもやめてくれ。ていうか、こいつ明日記憶あるんだろうな。なかったら殴る。
 オレの身体を好き勝手する男のつむじを見下ろした。こんなに幸せそうな類は久々に見る。珍しすぎてでろでろに甘やかしたくなるし、可愛いと思っている自分はおそらくもう手遅れだ。
「……そういえばオレたちは大人だから、いつかは国際移籍して結婚とかもできるな」
 ネバーランドじゃ年は取らない。
 子供のままで、楽しく過ごせる。そんな夢のような国だけど、大人には大人の特権がある。
 類の頬を両手で掴んで、目の前の男の唇に自分のものを重ねた。
 こんなに類の目が丸くなったのを、オレは見たことがない。優越感を隠さずに、ニッと歯を見せて挑発するように笑って見せた。
 緊張は、隠せているだろうか。いや無理だな。鏡なんて見なくても、顔に熱が集まっているのが自分でも分かる。オレの演技力もまだまだということだ。
 ぽかん、と口を開いた類の顔は熟れたりんごのように、みるみると赤くなっていた。
 このままだと風船から空気が抜けてしまうような音が、目の前の男から聞こえるかもしれない。
「……僕、大人になってよかった」
 そう小さく呟いた類が、オレの上にぐしゃりと倒れるものだから「ぐえっ」とスターらしからぬ声が出てしまった。
 この重みも、今日だけはその緩みきった恋人の可愛らしさに免じて許してやろうと思う。


 その翌日。顔を合わせるやいなや、寧々から酷く冷めた「オメデトー」を頂いたのは、まあ、言うまでもない。


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