第23話 一時預かりという名の略奪

 単眼種。


 サイクロプスと呼ばれる異形がいる。異形の中でも、差別がひどい部類に入るものだ。


 後天的に単眼種へ変わった者の中には、その変化に耐えきれず、自殺を図ったという話も珍しくない。


 それまで普通だった顔の人間、二つだった目が、目がひとつになる……。


 たったそれだけ、と言える人間は、おそらく自分の顔が翌朝から別のものになる恐怖を知らないのだろう。


 彼女は定職について仕事をしている。


 それだけでも、本当に強い女性だと思う。だが、面と向かって人と話す機会はほとんどないのだろう。明らかに、俺を怖がっているのが見て取れた。


「悪い、見えた」


 その言葉に、彼女はびくりと肩を震わせた。


 怖いのだろう。


 このあとに続く言葉が。


 俺は次の言葉を発しようとした――そのときだった。


「主よ! これはすごいぞ! 忍者じゃ! 忍者!」


 忍者の絵本を持ったコアちゃんがやってきた。ごめん、なんで忍者?


「む、そこの者は誰じゃ? もしかして邪魔したか?」


「あ、あの……」


 コアちゃんが暦の顔を見つめる。


 俺は一瞬、止めようとした――だが、コアちゃんは不思議そうに首を傾げてから、言った。


「綺麗な目じゃな」


「えっ」


 暦が、息を呑む。


「駄目じゃぞ、駆よ。いくら綺麗な目とはいえ、見つめられては恥ずかしかろう」


 空気が一気に和らいだ。


「あぁ、そうだな。つい見とれてた。すまない」


「え、あの、はい」


「これから受付で本の手続きをしてくるから、その本も貸してくれ。一緒に借りてくるよ」


「え、でも、悪いです」


「ついでだから問題ない。それにほら、ここ、返却ポストあるだろ?」


 返却ポスト。貸し出した本を回収するために、図書館の玄関先に備え付けられた白い箱だ。


 昔はなかったと思うが、職員の手間を減らすためか、利用者のためか。


 まあ、どちらでもいい。


「あれがあるなら、返すときも楽だ。厳密には又貸しになるかもしれんが、俺も読む。お前も読む。つまり共同研究だ」


「ふ、ふふっ。駄目ですよ、又貸しは」


「共同研究だと言っている」


 彼女の顔に笑みが浮かんだ。


 まあ、異形なんていまさらである。


 俺を見ろ俺を。すでに人ではないダンジョンと人間のハーフだ。人ではないという意味では、異形よりもさらに先へ行っている。


「それじゃあ、お願いします」


 受付自体は、非常に淡々とした形で終わった。貸出カードも問題なく発行された。いやぁ、マイナンバーカードひとつで登録まで終わるとは思わなかった。


 この時代の図書館は本人確認がそれで済むらしい。ちゃんと活用されてるんだな。


 図書館の外にある公園。


 役目を放棄した噴水に腰をかけ、少し話そうかと持ちかけたが……彼女はもう帰るようだった。


 早く仕事に取りかかりたいらしい。


 俺のような無職とは時間の使い方の感覚が違う。……いや、俺も少し前まで働いてたんだけどね? あの職場は違う意味で時間の感覚がおかしくなるから……。


 ◇


 まさか、資料を借りられるとは思わなかった。浅葱暦は、資料を入れた手提げカバンを抱き締める。


 ――網代駆。不思議な青年だった。


 単眼種である私とも、分け隔てなく会話してくれた上、資料を借りる手助けまでしてくれた。


「綺麗な目じゃな」


 あの子の声が、まだ耳の奥に残っている。


「つい見とれてた。すまない」


 そう言った彼の声も。


 本当は、もっと話したかった。


 ヒモから無職にクラスチェンジしたばかりの男だと、あまりにも変な自己紹介をしてきた人のことを、もう少しだけ知りたかった。


 けれど、いつ恐怖の眼差しを向けられるかわからず、逃げてしまった。


 あの態度を見ていればわかる。彼はきっと、差別はしない人なのだろう。


 だからこそ、怖くなったのだ。


 優しい人が、ある日急に変わるのを、私は覚えているから。


 手提げカバンを、もう一度抱き締める。


 もう一度会う約束。


 携帯の番号くらい、交換する勇気があればよかったのに。


 ◇


 家に帰って、最初にやったことは、手提げカバンをアスファルトの上に落とすことだった。


 慣れ親しんだアパートの一室。


 自分の家のドアが開いていた。


 作業着姿の男たちが、見覚えのある家具を二トン積みのトラックに乗せている。


 箪笥。


 机。


 今朝、私が寝ていたはずのベッド。


 そして、画材と、仕事で使うパソコン。


 私のものだ。


 私の物を、知らない男たちが勝手にトラックに乗せている。


 足が勝手に動いていた。


 家具を運んでいた男の腕に、がむしゃらに掴みかかる。


 左頬に痛みが走った。


 次の瞬間、身体がアスファルトに打ち付けられていた。


 そこで、ようやく正気に戻る。


 殴られたのだ。


「なにを、なにをしてるんですか」


 震える声で、男を見ないまま問いかける。


 黒服の角刈りの男がやってきて、淡々と告げた。


「私はこういうものです」


 名刺を渡された。


 文字は見えている。


 けれど、意味にならない。


「こちらは、生活安全管理契約に基づく一時預かりです」


 そこからは、事務的な言葉が続いた。


 安全管理費。


 近隣調整費。


 情報機器類。


 漏洩リスク。


 代物弁済。


 処分ではありません。


 あくまで預かりです。


 言葉は聞こえるが、言葉の意味を理解できない。いや、脳が理解を拒んでいる……。理解できた言葉は、ひとつだけだった。


「あなたのお母様の同意はいただいております」


 部屋の中を見る。


 部屋の隅で、びくりと身体を震わせる母の姿があった。


「もう、無理なの……」


 母は、私を見なかった。


「あなたがいると、私も人じゃないみたいに見られるの……もう、耐えられないのよ……」


 私は、母に裏切られた。


 そう思った。


 けれど、母の顔は、裏切った人の顔ではなかった。


 ずっと脅されて、ずっと眠れなくて、ずっと何かに謝り続けてきた人の顔だった。


 それでも。


 その次の言葉だけは、聞きたくなかった。


「こんな顔になるなら……生まなければよかった」


 最後の言葉が、耳にこびりつく。


 ◇


 雨が降ってきた。


 残された数少ない私物のひとつ、スマートフォンが震える。


 私の手も震えていた。


 アシスタントの仕事を回してくれていた編集からの電話だった。


 どうやら、先ほどの男たちが私の仕事先に連絡したらしい。


 パソコンを接収したので、今後は仕事を行えないこと。


 そして、私が異形であること。


 その両方を、伝えたのだろう。


 編集は、いくつもの言葉を並べた。


 資料管理上の不安。


 取引先への説明。


 作業環境の確認が取れないこと。


 今回は見送り。


 今後の契約については、いったん白紙。


 差別とは、最後まで言われなかった。


 けれど、契約は打ち切られた。


「ふふっ、無職にジョブチェンジ、か」


 なぜだか、あのとき交わした言葉がよみがえった。


 雨が、強くなってきた。


 手提げカバンの中に入っている資料が濡れないよう、私は無意識に身体でカバンを庇った。


 借りられた本だけは、濡らしてはいけない。


 もう、私のものではないものまで、失くすわけにはいかなかった。


 雨に身体を打たれながら、私は歩き出す。


 どこか。


 せめて雨の当たらない場所へ。


 誰にも見られない場所へ。


 あてもなく、足を動かした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る