「類!我慢大会をするぞ!」
「……?」
久しぶりのお休みの日、予定を空けておいてほしいと言われたのが数日前のことだ。朝ご飯も終わって、一通り掃除や片付けをした司くんがバタバタしているのを何となく見ていた。見ていたんだけど、寝室を行ったり来たりした後、とても良い笑顔でそう言われた。本当に、彼は面白い。
「どうしたんだぃ?急に」
「なに、この前テレビでたまたま見たのだが、暑い日に暑さ我慢をする大会があるだろう?」
「あぁ、そんなのもあったね」
「類としてみたいと思ったからな!」
ふふん、と胸を張る彼に、つい小さく吹き出して笑ってしまう。テレビに影響されたわけだ。つまり、今日はクーラーも扇風機も使わず、羽織を着たり、お鍋を食べようってことかな。生憎と、あまり暑いのは得意では無いけれど、せっかく彼がやる気なのに断るのも申し訳ない。
「それなら、お手柔らかに頼むよ」
「では、こっちだ」
「…?」
手を掴まれて、ずんずんと引っ張られる。彼が目指す先にあるのは、隣の寝室みたいだけど…。首を少し傾げて、黙ってついていく。予想通り、普段一緒に眠る大きなベッドが出迎えてくれた。迷いなく司くんが先に乗り上げるから、僕もそれに続く。ひんやりとした手触りに目を瞬くと、彼がくすっと笑った。
「冷感タイプのシーツを買ってみたんだ」
「………みたいだね」
「ちゃんと凍らせたスポーツドリンクも用意してあるからな!熱中症対策は万全だぞ!」
「…………………司くん、我慢大会の意味は分かってるのかい?」
今日の気温も高いとはいえ、この部屋の窓はしっかりと開いていて風通しも良い。扇風機も回っているので、そこそこ快適だ。普通、窓は閉め切って、扇風機も使わないものじゃないのかな。熱中症対策は大事だとは思うけれど、この為にシーツも新しく変えたのか。想像していたものと違う状況に、苦笑してしまう。目の前で、「ちゃんと知っているぞ」と首を傾ぐ司くんは、傍に置いてあった布を掴んだ。薄い生地のそれを広げて肩にかけると、両手が広げられる。
「暑さに耐えられなくなって、先に降参した方が負けだろう?」
「………今のところ、暑さは感じないけれどね」
「まだ始まってはいないからな」
のそのそと彼の方へ近寄っていくと、ガバッと、彼が布に包まるように僕を抱き締めた。ふわりと洗剤の匂いと司くんの匂いが鼻孔を擽る。ひんやりした冷たい感触に、この布も冷感タイプのものらしいと気付いた。ぎゅぅ、ぎゅぅ、と強く抱き締める司くんが、僕の肩口で「今からスタートだ」と呟く。
これは、なんの試練なのだろうか。
―――
(司視点)
最近、類と触れ合うことが減った。暑い日が増えてきて、自然とそうなったのだろう。抱き締められてテレビを見る事が多かったが、最近は隣に並んで座るようになった気がする。寝る時も、抱き締め合うことは減った。暑いのだから仕方がない。仕方がないのだが、ほんの少し寂しいと思うのもしょうがないだろう。
「……たまには、もっとくっついていたいのだが...」
暑いのだから仕方ない。もふもふとクッションに顔を埋めて、見るつもりもないテレビを眺める。今は何の番組がついているのだろうか。音を聞き流していた耳が、ふとアナウンサーの声を拾う。
『今年もこの季節がやってきましたね!歴戦を勝ち抜いた男達は、今年も勝ち抜けるのでしょうか』
真夏なのにこたつに入る男達の映像が流れ始める。どうやら、暑さ我慢をしているらしい。類が考える無茶ぶりに似ているな、などとぼんやり考える。そこで、はたと、オレは思い付いたのだ。
「…これだ!」
―――
(ふふん、我ながらいい案だったな!)
ぎゅぅ、と類を抱き締めながら自分の考えに頬が緩む。そよそよと吹く風は気持ちがいいし、扇風機の風も丁度いい。冷感タイプのシーツもタオルケットも、ひんやりしているので、暑くもない。程よい類の体温が、心地いい。すり、と頬を寄せると類の匂いがして、胸がきゅぅ、と音を立てる。
「ぇ、と…司くん?」
「なんだ、類」
「……これは、何かな…?」
「何度も言っているだろう、我慢大会だ」
類の方へもう少し体を寄せて、更に強く抱きしめた。触れ合う所が段々温かくなってくるが、まだ大丈夫だな。布団の上にぺたんと座ったままでは膝がぶつかって、少し距離が出来てしまう。だから、類の膝の上に少し乗り上げて、お腹までしっかりくっついた。久しぶりにこんなに近くに類がいる。じわりと胸の奥が温かくて、頬が緩んだ。
「…僕は何かを試されているのかい?」
「む?」
何の話だ。少し困った様な類の声に目を瞬く。けれど、離れたくはないので、肩口に顔を埋めたまま少しだけ身じろいだ。類の手が宙をさ迷っていて、どうやら抱き締め返すか悩んでいるのだろう。うりうりと額を擦り付けて、もっと強く抱きしめる。
「先に暑さに耐えられなくなった方が負けだぞ」
「…………えぇ…」
「だから、類も早くくっついてこい」
ぺちぺち、と軽く背中を叩くと、類の手がゆっくりとオレの背に回される。それだけで、胸の内はいっぱいになった。そよそよと風が吹き抜けて、扇風機の風が気持ちいい。ひんやりしたシーツもタオルケットもほんのり体温に馴染んできた。気持ちがいい。静かな部屋の中で、類の匂いをいっぱい吸って、類の体温に包まれて、幸せだ。
「…ん、ふ、ふふ…」
「………司くん、本当に意味がよくわからないんだけど…」
「なんだ、もう降参か?オレはまだまだ余裕なんだがな」
すり、と頬を擦り寄せて少し上を見上げると、困惑顔の類と目が合う。珍しく戸惑っているようだ。こういう姿も悪くないな。ずり、ともう少し体を寄せると、類の肩がピクッと跳ねる。少し上から、はぁ、と溜息が吐かれた。「司くんは、何がしたいの…?」と問われ、くすっとつい笑ってしまう。オレはただ、これがしたかっただけだからな。丁度いい温かさに目を瞑る。類には悪いが、もう暫くこのまま堪能させてもらおう。最近は本当に類不足だったのだからな。
「…………幸せだな」
へにゃりと嬉しくなって、つい頬が緩む。類の首元へ鼻を寄せた瞬間、体がぐらりと傾いた。あまりに突然のことで、目を丸くする。ぼす、とシーツに押し倒されて、ひんやりとした冷たさが背に触れた。パチパチ、と目を瞬くオレの目の前で、類が物言いたげな顔で見下ろしてくる。ほんのりと頬が赤くなっていて、珍しい類の表情にきゅぅ、と胸が音を立てた。
「……る…ぃ?」
「そっちがその気なら、僕にも考えがあるからね?」
「………なんの話だ…?」
顔の横に、類の頭がぽす、と落ちる。少し跳ねた髪が頬を擽ってきた。ぎゅぅ、と強く抱き締められて、逃げ場がない。類の服を掴むように抱きしめて、視線を少しだけ横へ逸らした。考え、とはなんのことだ?オレはただ、類と触れ合いたいだけなのだが...。それとも、類はもう既に暑かったのだろうか。ふむ、と考えていれば、耳元で「司くん」と名前が呼ばれる。
「好きだよ」
「んぇ…?」
「大好き」
「…ぅ、…ぇ…?」
「愛してる」
「…ひぇッ……」
熱っぽい息が耳にかかる。いつもより少し低い声で、まるで言い聞かせるかのように言われた。ぶわっと頬が一気に熱くなる。そんなオレの耳元に更に唇を寄せて、類が小さく笑った。
「司くん、かわいぃ」
「…る、るぃっ…」
「好きだよ、司くん。大好き」
「っ、…わ、わかったっ!分かったからっ…」
抱き締められる力が強くて、抜け出せん。顔を離したいのに、いくら首を振っても離れてくれん。ちぅ、と耳の縁に口付けられて、ビクッと大きく肩が跳ねた。じわりと掌に汗が滲んで、目の前がぐるぐると回る。上にも下にも逃げ道がない。シーツに押し付けられる形のために、後ろにも逃げられん。はくはく、と口を開閉させるオレに、類は抱きしめる力を強めた。
「誰よりも愛してるよ」
「……っ、…」
「司くんは?僕の事好きかい?」
「…、……、………」
「残念だね。僕はこんなにも愛おしく思っているのに」
声が落とされる度に、ゾクゾクっ、と背が震える。額にじわりと汗が滲んで、前髪が張り付いて気持ち悪い。グッ、と類の腕を引き剥がそうと力を入れてみたが、全く動かせん。足は類の体で押さえつけられていて、踵をぽすぽすとシーツへ叩きつけることしか出来なかった。ちぅ、ちゅ、と耳元で何度もリップ音が響いて、これ以上無いほど顔が熱くて仕方がない。くらりと視界が揺れて、類の肩に顔を押し付けた。
「………も、降参、する…」
「おや?どうしてだい?全然暑くないだろう?」
「……………………もぅ無理だ…」
熱くて仕方ない。類に触れられている所も、声を吹き込まれる耳も、顔も熱くてオーバーヒートしそうだ。早く離れてくれ、とその背を軽く叩くと、類の腕がオレの手をするりと掴む。指が絡んで、掌がピッタリ触れ合った。少しだけ体を上げた類が、にまりと笑う。
「それじゃぁ、二回戦目といこうか、司くん」
「…………ぇ…」
「今度は、簡単には降参させないから、覚悟していておくれ?」
「……ま、まて、類ッ……」
ひやり、と背を冷たいものが伝い落ちる。なんとも黒い笑みに、嫌な予感しかせんのだが...。しっかり繋がれた手はシーツに縫い止められて、足がするりと絡められる。オレをじっと見つめる月色の瞳に耐えられなくて、止めようと口を開いた瞬間、類の唇で塞がれた。ふに、と柔らかい感触に、もっと顔が熱くなる。ふにふにと何度か触れ合わせ、下唇を軽く食まれた。繋いでない方の手が、オレの耳を塞ぐように触れてくる。親指の腹で耳の縁や内側をすりすりと撫でられて、目を強く瞑った。ゾクゾクゾクッ、と背を何かが駆け抜けて、太腿を擦り合わせる。これはダメなやつだ。少し離れた瞬間を狙って口を閉じると、またキスをされた。ぬるりとした舌が唇を撫で、開けろと言外に伝えてくる。小さく首を振ると、類が小さく息を吐く。唇が離れ、ぽすん、と肩に顔を寄せられた。諦めてくれたことに安堵すれば、オレの首に、ちぅ、とキスをされる。ビクッとまた肩が跳ねて、視線をそちらへ向けた。
「…る、るぃッ……」
「言ったでしょ、簡単には降参させないって」
「………ひぅ…」
にこ、と良い笑顔を向けられて、言われた言葉に息を飲む。頑張ってね、なんて他人事のような言葉が聞こえた気がした。結局、オレが類を止められるはずもなく、今回の我慢大会は類の圧勝となった。
―――
「類の馬鹿者ッ…」
「司くんも気持ち良さそうだったじゃないか」
「うるさぃ…、せっかく冷たいシーツを買ったのに…」
むぅう、と頬を膨らませ、類から顔を背けた。買ったばかりのシーツとタオルケットは、物干し竿の所で揺れている。今夜から使う予定だったはずだが、今は普段使っているシーツが張られていた。使えないほど汚れた有り様を思い出して、グッと拳を強く握りしめる。確かに嫌ではなかったが、あぁなると誰が予想していたか。
「司くんもその気なんだと思っていたのだけど…?」
「オレはただ、類とくっつきたかっただけだっ!」
「……………へぇ…」
「……あっ、…?!」
ば、と口を慌てて塞ぐが、後の祭りだ。キョトンとした顔から、一変、にまりと頬を弛めた類から目を逸らす。まさか、ここで口を滑らせるとは思わなかった。居心地が悪くなって、ほんの少し類から体を離す。が、しっかりと腕を掴まれてしまい、思わず口元が引き攣った。
「司くん、僕に触れたかったのかい?」
「……………そ、れは…」
「言ってくれれば、いつでも応えてあげたのに」
「…………………………暑くなってきた、だろ…」
嬉しそうな類に、恥ずかしさでいたたまれなくなってくる。もごもごと口篭るオレに、類が首を傾げた。
「…クーラーをいれればいいんじゃないかい?」
「…………あ…」
そういえば、まだ大丈夫だからとその発想がなかったな。扇風機の風が時折頬を掠めるリビングで、オレは頭をおさえた。それもそうだ。なにも冷感タイプのシーツてなくても良いのか。さっきよりも恥ずかしくなってきたオレの髪を、類が優しく撫でてくれる。
「今日は、たーくさんくっつこうね」
「……………ん…」
まぁ、類が嬉しそうだから、良いか。
小さく頷いて、類に腕を引かれるまま、リビングに背を向けた。
そんなある日の話。