社会生活において、「他人に迷惑をかけない」ことが大前提であるはずなのに、「善意の強要」を主張する人々は、傲慢だと思いませんか? 思いついたケースを2点挙げます。 【ケース①】 (状況) 混雑している電車にベビーカーを畳まず平気で入ってくることは、かなりの場所を取り、ただでさえ窮屈な思いをしている人々からすると迷惑でしかないが、「子供を乗せているから」という理由だけで、「周りが配慮すべき」という親(父親、あるいは母親)。 (考察) 親からすると子供を載せているのだから仕方ないと思うかもしれませんが、「人」ではなく、場所をとる大きな荷物などの「物」であっても、他人があなたに迷惑をかけてきても許せますか?「配慮して当たり前」という「善意の強要」がなされていると思います。 【ケース②】 (状況) 電車で、高齢者や妊婦に席を「譲って当たり前」という大人。 (考察) 鉄道会社は、「優先席」に関し、あくまで「不自由な人に席を譲ってください」というお願いの立場です。目的地まで、座席に座って行くことが目的であれば、指定席券を買うか、タクシーで行けば、確実に座れると思います。利用者は、等しく電車料金を払っているわけですから、空いている席に座る権利があります。「譲って当たり前」というのは、「善意の強要」であり、等しく電車料金を払っている利用者の権利に不平等です。 こういうことを書くと、人間的に冷たいと言われるかもしれませんが、席に座らないと危ないと思われる障害者や、明らかに体調の悪そうな人には席を譲ります。その理由は、先天的な障害は本人の責任ではありません。本人が選んで障害者になったわけではありません。また、誰しも突発的にひどく体調が悪くなり、指定席も空いていなかった場合、座りたいと思うときがあると思うからです。 でも、本人が自分の意志で不自由を選択していると思われる場合は、譲りません。妊婦は、自分の意志で妊婦になったわけです。妊婦になったから、水戸黄門の印籠のごとく、「席を譲ることが当たり前」とはおかしな話しです。譲ってもらえたらラッキーくらいに考えた方がいいと思います。また、高齢者にとっては、電車という揺れがある場所で自分の姿勢を保つことは、特に下半身の筋肉強化に繋がり、非常に有意義だと思います。席を譲ったら、そういった機会を奪うことになると思います。 いろいろ書きましたが、いろいろ得た情報を自分なりに整理してみたものです。ご意見をお願いします。
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