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沖縄に“民間人収容所”が……米軍がつくった理由 戦争孤児だった90歳が明かす、知られざる実態 踏み潰される子も『every.特集』

2026年6月27日 14:11

■収容所の中にできた自治組織

一方、収容所の苦難の日々の中から、沖縄は復興への第一歩を踏み出します。アメリカ軍は30万人を超える住民の管理のため、収容所の中に、沖縄で戦後初の自治組織をつくりました。沖縄諮詢(しじゅん)会。会議で使われた建物が、うるま市で今も残っています。

川満さん
「自分たちが計画して、(上に)お伺いをたてるのが『諮詢』という意味。沖縄では約33万人の民間人が(収容所で)助かっている」

「(管理するために)ある程度、自由の範囲や豊かさを与えてあげないと、自分たち(アメリカ)の言うことを聞かないとわかっているんですよ」

諮詢会のメンバーは、収容所にいた行政の経験者や政財界の人たちでした。苦しい中での食料の配給、戸籍や教育の整備など、連日のように復興のための話し合いが行われ、沖縄の戦後はここから立ちあがっていくのです。

■沖縄の歴史上初めての孤児院も

収容所には、沖縄の歴史上初めての孤児院もつくられました。コザの孤児院とみられる映像も残っています。神谷さんも、ここに入りました。使われたのは戦禍を免れた民家で、今も当時の姿のまま残っています。

神谷さん
「(中には)何人どころじゃないよ。大型トラックで連れてきて。赤ちゃんから、話ができる子どもまで。泣いて泣いて、崩れていく子どももいるし。亡くなっていても誰も見ないで、踏み潰されていく子もいますよ」

コザ孤児院には大勢の子どもが、押し込められるように暮らしていました。収容人数も多く、600人ほどいたという記録もあります。

■世話を押しつけ…怖かった中学生

神谷さん
「この中で私が一番怖かったのは、中学生の男の子。私を見たらすぐに捕まえて、自分の妹や弟を(面倒見るようにと)おんぶさせられて」

親を亡くした中学生が、自分のきょうだいたちの世話を9歳の神谷さんに押しつけてきたといいます。

神谷さん
「見計らって逃げるんだけど、逃げても足が(遅くて)追いつかれて、捕まえられて、たたかれて、おんぶさせられて…。この繰り返し」
 
孤児院で炊事の手伝いをしていたその中学生は、きょうだいの世話を拒んだ神谷さんに食事を与えなくなったといいます。さらには、暴力を振るうこともありました。幼い体は、日に日に衰弱していきます。

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