ホラー短編小説「木目」Part.9

第9話「静寂」


足音が途絶えてからも、
山田はしばらく、
ドアノブを見つめたまま動けずにいた。

カッターを握る手に、
ギリギリと力がこもったままだ。

どれだけの時間が過ぎたのか。

不意に、視界の端で、
鈴木がそろそろと立ち上がった。

そして無言のまま山田の横に並ぶと、
白くなるほどカッターを握りしめた彼の手を、
両手でそっと包み込んだ。

「……足音、
しなくなりましたね」

ぽつりと零れた声は、ひどく掠れていた。

山田は弾かれたように、彼女を見た。

恐怖と緊張で焦点の合わない目に、
鈴木の青ざめた顔が映る。

「あ、ああ……」

山田の指から、ゆっくりと力が抜けた。

カッターを手放すと、
床にカランと、乾いた金属音が鳴った。

張り詰めていた糸が切れ、
山田の膝が、ガクンと崩れる。

それを、鈴木の小さな手が、必死に支えた。

その直後、山田は気づいた。

自分の手を握る鈴木の手が、
氷のように冷え切っていることに。

外は豪雨だ。

二人のスーツはずぶ濡れで、
密室にするために閉め切った部屋には、
集中管理された冷房が、
容赦なく効き続けている。

「寒いだろ。

スーツ、脱いだほうがいい」

山田は掠れた声で言いながら、
自分の濡れて重くなったジャケットを脱ぎ捨てた。

鈴木も小さく頷き、
タイトスカートに張りついた濡れたジャケットを脱ぐ。

下の白いブラウスは雨で肌に透け、
華奢な肩が
寒さで小刻みに震えていた。

「山田さんも……
頭、ずぶ濡れです」

鈴木はバスルームから
バスタオルを持ってくると、
椅子にへたり込んだ山田の横に立ち、
その髪を優しく拭き始めた。

すぐ真横から、
彼女の微かな息遣いと、
柑橘の香りが漂ってくる。

タオル越しに伝わる指先の、
少しぎこちない動き。

それが、狂いかけていた山田の感覚を、
ほんの少しずつ、現実へと引き戻していく。

「風邪をひく。

こっちへ」

山田は立ち上がり、
ベッドから分厚い掛け布団を引っ張り出すと、
鈴木の肩にすっぽりと被せた。

そして、自分もその端を引き寄せ、
一つの布団の中で、
肩を寄せ合うように、
ベッドの端へ腰を下ろした。

狭く暗い布団の中で、
鈴木の柔らかい太ももが山田の足に触れ、
呼吸のたびに、彼女の胸のふくらみが、
山田の腕に微かに押し当てられる。

冷えた体と体の間に、
少しずつ、確かな温もりが生まれていく。

「……ごめん。
こんな異常なことに、巻き込んで」

山田が自嘲気味に呟くと、
鈴木は布団の中で、
ふるふると首を横に振った。

「謝らないでください。

……山田さんが手を引いてくれなかったら、
私、窓ガラスのところで、
あの模様に魅入られて……
どうにかなってたかもしれません」

鈴木は、山田の腕にそっと身を寄せた。

「佐藤くんも、高橋さんも……
もう、いないんですね」

不意に、鈴木の目から、
大粒の涙がこぼれ落ちた。

張り詰めていた感情が決壊したように、
小さな肩が、激しく震え始める。

「私たちが、あの家に行かなければ。

あの図面の確認を、お願いしなければ……」

「違う」

山田は布団の中で、
鈴木の冷たい手を
しっかりと両手で握りしめた。

「君のせいじゃない。

……俺が、君だけは、絶対に守り抜くから」

山田は真っ直ぐに、
鈴木の潤んだ瞳を見つめた。

「明日、明るくなったら、
こんな仕事は辞めて、
二人で、全然違うことを始めよう。

だから――泣かないでくれ」

鈴木は小さくしゃくり上げながら、
山田の胸元に顔を押し当て、
声を殺して泣いた。

山田は戸惑いながらも、
その華奢な背中に
そっと腕を回す。

この温もりだけは。

死の模様なんかに、
絶対に奪わせはしない。

山田は決意とともに、
彼女を強く抱きしめ返した。

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