連帯しない私から、連帯しないあなたへ。
最近、SNSを眺めていると「連帯」という言葉をちらほらと目にするようになった。
「政治に対して声を上げるべきだ」
「政府は私たちを殺そうとしている」
「これは長期戦だ。みんなで声を上げて、リポストして、政治の話をしていこう」
そんな、切羽詰まったような、あるいは怒りに満ちた呼びかけがタイムラインに流れてくる。
本来は趣味や好きなものを楽しむための場所であったはずのアカウントにまで、そうした声が侵食してきているのを感じる。
結論から言うと、私はこのお話に賛同することはできない。
そして、彼らが求める「連帯」の輪に加わるつもりは一切ない。
なぜなら、私は政府を憎むべき「敵」だとは見なしていないからだ。
「国に殺される」といった被害意識も持っていない。
もちろん、世の中には課題があることは分かっている。
完璧な世界など存在しない。
それでも私は、この日本という国に生まれてよかったと心から思っている。
治安の良さ、インフラ、四季のある穏やかな風土。そういった当たり前の日常の土台に感謝しているし、今の総理が高市早苗であることも、この国を任せる上で良かったと個人的には感じている。
ここが彼らが言うような「絶望的なディストピア」には、どうしても見えないのだ。
けれど、私のように「現状にそこそこ満足している」「極端な政治闘争には興味がない」という人間は、わざわざSNSで声を上げることはない。
怒りや不満はエネルギーになりやすいから、ネット上ではどうしても「政府は敵だ」「連帯しろ」という声ばかりが拡声器を通したように大きく響き渡る。
一方で、平穏な日常を愛し、好きなものを静かに愛好している人たちは、わざわざ「今日も日本は平和でよかった」なんて声高に叫んだりはしない。
ただ黙って、今日も自分の生活を営み、推しを愛で、日常の小さな幸せを噛み締めているだけだ。
それでも、声を上げ続ける人たちは、沈黙する人を許さないことがある。
きっと、あなたに誰かがこう言うだろう。
「どうして賛同の『いいね』をしてくれないの?」
きっと、誰かがあなたをこう責め立てるかもしれない。
「私たちに賛成しないということは、戦争に賛成するということ?」
そんな極端な二元論をぶつけられ、踏み絵を迫られるような同調圧力を向けられるのは、とても息苦しいと思うし、つらいことだと思う。
でも、あなたは間違っていない。
私はそう強く言いたい。
あなたには、あなたの生活があり、あなたの考え方がある。
私は彼らのように「連帯してほしい」「声を上げてほしい」「あなたに何かをしてほしい」なんて全く思わない。
誰かの怒りに同調するふりをしなくていいし、無理に政治の話をする必要もない。
それは無知でも、無関心でも、悪でもない。
それは単に「平穏な日常を守り、自分の人生を生きている」という、ごく当たり前で尊い姿なのだから。
声を上げないことが、あなたの無知からくるものではなく、あなたの意思表示なのだと私は思っている。
だから、連帯しないあなたへ。
あなたがどうか、どうか怒りに囚われた生き物になりませんように。


正直高市首相は別にそこまでというか、まあこんなもんでしょってくらいなんですよね トランプヤバいって言うのならまあわからなくもないですが
意図的に政治に干渉しないようにしているアカウントを見て「政治を意識しないなんて!」とか言われるのは本当に厄介 あなたと政治を語りたくないだけだよ…………
投稿されてるnote全てに目を通したけど「怒りに囚われた生き物」になってますよ そしてご自身の言っている意見(主張を押し付けるな、自分たちを正義だと思うな等)を反対意見の方々に適応してないのが気になりますね 「わざわざSNSで声を上げることはない」にはこんなにnoteで記事を投稿していて!…