「日下部、君が毎朝剃る髭を私にくれ」
日下部は日車の頭がこの猛暑で沸いたのかと愕然として、丸くなった目で日車を見つめた。
しかし日車はまだ真面目な顔をしてこてんと小首を傾げ、「くれないのか」と残念そうに眉間を広げる。
日下部かそれに「あんた俺の髭なんてどうすんです」と聞けば、日車は「君は甘い香りがする。いちごと生クリームのホールケーキの香りだ」などとあくまでも真面目な顔で答えた。
「…あんた、まさかフォークですかい?」
「君はケーキだな。安心してくれ。スポンジは食べない。食べたらなくなってしまうから」
沈黙がその場を暫く支配する。
折れたのは日下部だった。
もう伸び始めている顎髭をジョリジョリとさすりながら言う。
「髭だけで良いんですかい?」
その問いに日車は上目遣いのやはり少し凄みのある顔だが目を明らかに輝かせ、「出来れば髪の毛や、…体液も欲しい」などと最後の一言はやや恥ずかしげに言ってのけた。
日下部は俯いて頭をガリガリとかきながら、あーだのうーだの呻いた後、これはもう自分だって日車に惹かれているのだしと諦めて、それでもやっぱりどこか先を越されてようで悔しくて、不貞腐れた風を装いながら言った。
「まあ、…良いです……けど」
途端ぱああぁあああとでも効果音がつきそうな顔で日車が先ほどよりもわかりやすく表情を明るくさせて、それはもう若干目が潤んでさえいた、「それではキスしてくれ」と珍しくわかりやすい笑顔で宣い、日下部はこの人はとうなだれたものの、さっと人が近くにいないから周囲を見渡してから、そっと日車の唇に口付けたのだった。
ところである日日車がこう言った。
「幼い頃両親はケーキなどというものは食べさせてくるなかった。しかし祖父母が初めて一度だけいちごと生クリームのホールケーキを食べさせてくれてな。こんな甘くて美味しいものが食べられる私は特別な存在なんだと思ったものだ。君はそのケーキの味がする」
それを聞かされた日下部はと言うと、柄にもなく顔を真っ赤にさせて日車から顔を逸らし、照れるあまり汗をかいたら今度はその汗さえ甘いとばかりに真剣に舐められてしまい、もはや何も言えずぐうの音すら出なかったという。