「最後に人に気持ちを伝えたのはいつだ」
「大層酔ってます?」
俺が思いっきり顔を顰めたとて、日車はさして気にした様子も見せなかった。
それが「酔ってます?」に対する最大の返答である──と、度重なる酒の席を経て、知っていた。黙って日車の前にあるグラスを水に入れ替える。
居酒屋のライトは正しく顔色を映さない淡いオレンジだが、それでもいつもより赤らんでいるように見える。こいつの顔色はいつもわかりにくい。
「俺は、あまり人に気持ちを伝えられる方じゃない」
「ああ、続くのね」
はいはい。そうですか。軽い返答だった。
酔っ払いに対する返答などこれでいいし、内容も話半分でいい。どうせ明日になったらまた素知らぬ顔をされるんだから。これも経験則だ。
面倒そうにグラスを煽った俺を見て、正しく認識したのか怪しいまま、日車の眉間に皺が寄った。
「君は」
的を得ない問い掛けに、今度はこっちが顔を顰める。
質問の内容がわからないわけではない。「君は人に気持ちを伝えられるか」だ。
なんだそのめんどくさい質問、と返さなかったのは、言えばもっと面倒になるから。
なんだその言い方はとか、君のそれはとても回答ではないだろうとか、小言に似た言葉が飛んんでくるに決まってる。そっちの方がずっとめんどくさい。
そういう判断だけは、アルコールが回った頭でも出来てしまう。
「どうですかね、苦手っちゃ苦手なんじゃねぇの」
これも事実だ。誰かに己の気持ちを伝えてなんになる?
30余年生きてきて学んだことは触らぬ神になんとやら。それが俺だ。
面倒ごとに発展するくらいなら自分の感情なんて後回しでいい。もっと言えば、「面倒事は避けたい」が何よりも強く、優先される感情であるとも言える。そう出来ている。
「そうか」
いつもの相槌。さして興味も無さそうな、淡々としたそれ。
溜息を吐き出して、「何だったんだよ」と言おうと口を開いた時、それは不発に終わった。
「だから言ってくれないのか」
または、遮られたとも言う。日車の声によって。
いつの間にか日車の手には酒の入ったグラスが戻っていた。
クソ、いつの間に。油断した。舌打ちをしたら日車は少しムッとした顔をして、それでも言葉を続ける。
「…俺は、てっきり、……」
てっきり何なのか。はっきりしないコイツの言いたいことくらいわかる。
てっきり、好かれているかとばかり、だ。そして多分、日車も同じような感情を返してくると俺は見ている。
それは困る。具体的に何が?まあ、色々だ。この歳になって色恋なんざ柄でもねえし、万が一コイツとそういう関係性に発展したとして、俺にできることなんざたかが知れてる。
優秀な男だと思う。随分仕事も楽になった。だからこそ、面倒ごとは避けたい。徹底的に。
「……って思ってんだけどなあ」
零れた独り言に首を傾げる日車の顔が。何か聞きたそうな目が。さっきから進んじゃいない酒が。なんかもう全部可愛くて仕方なくて、日車の小指に自分の小指を軽く押し当てた。
びくりと日車の肩が跳ねるのを見て、思わず頬が緩む。こういう顔って、答えになってねぇのかな。なってないんだろうな、コイツの中では。
「なん、だ、…」
ぎこちない声と、指先の動き。俺の小指に日車のそれが重なって、俺はそれが何かもうめちゃくちゃ可愛くて。
思わず肩を寄せて、居酒屋の喧騒で掻き消されないようにと日車の耳元で声を零す。
「場所変えませんか」
「…、は」
間抜けな声で返してきた日車は真っ赤だ。
眉根を寄せて「それは答えじゃない」だの「誤魔化すつもりか」だの口煩く言う姿も可愛くて、あ〜もう俺ダメなんだな。諦めるしかねぇや。
未だにごちゃごちゃ抜かす日車の腕を引っ張って、空いた手で伝票と荷物を掴む。不満げに立ち上がった日車に向けて口角を上げた。
「あとでたっぷり言ってやるから」
怒ってんのか照れてんのか、顰めっ面のまま先に店を出ようとするもんだから可愛くて、喜んで勘定を持ってしまった。
外に出る頃には「遅い」なんて怒ってきて。ああもう、クソ。めんどくさくて可愛くて、俺やっぱ日車のこと。
「日下部」
「わーったって」
どうにも収まらない頬の緩みもそのままに、急かす日車に並んで歩く。人通りが少なくなった夜の中、「なあ」と声を掛けると日車の肩が少し跳ねた。
期待されている。俺からの言葉を待っている。それが嬉しいような気恥しいような。四十を手前にしてこの体たらく。めんどくせぇなぁ。だがその面倒くささすらも愛おしくて、結局俺はコイツの望むものを与えてしまうんだろう。
深く、深く息を吐いてから、口を開いた。
「……あのさ」
情けない声での告白に日車の目が嬉しそうに細められて、案の定自分も同じだと言うものだから、なんかもう全部どうでもいいかーって。酒の勢いも相まって日車の腰に腕を回したら思いっきり腕を叩かれた。そんな所すらも可愛くて愛おしくて、ああ、もう後戻りできねぇな。