日車が生きていた。
それだけで十分だった。
呪術師として生きていくと決めてから、「自分が死なない為にはどうすべきか」を一番に考えている。周りが死ぬのは、とうの昔に慣れたと思っていた。それなのに、他人が死ぬのが怖いという感覚は久しぶりだった。
気が付けば腕が動いていた。目の前の男を引き寄せるように、強く抱きしめる。
温かい。ちゃんと生きてる。
血と砂埃の匂い。その奥に、かすかな日車の匂いがした。無意識のうちに首元へ顔を埋める。髪が頬に触れて、くすぐったい。
「おい」
耳元で日車の声が聞こえ、ようやく自分が何をしでかしたのか理解した。
やべえ、やっちまった。
日車を抱きしめている。
それも十分最悪だが、もっと最悪なのは俺がコイツに片想いをしていて、距離感を馬鹿みたいにすっ飛ばしたことだ。
こんな形で触れるつもりなんて、当然なかったんだ。
――数分前。
今日は、いつも以上にクソったれな任務だった。報告ではなんてことない一級呪霊と聞いていたのに、実際は特級レベルだったのだ。激しい戦闘のせいで建物は崩壊している。
「日車ァ!!」
日車の返事がない。嫌な汗が背中を伝った。戦闘中はアドレナリンが出ていたはずなのに、一気に体が冷えていく。呪霊は祓った。それは間違いない。最後の一撃を叩き込んだ瞬間を、この目で見た。刀が呪霊を断ち切る感触も、まだ手に残っている。
「おい、日車!!」
もう一度呼ぶが返事はなかった。ついさっき、日車は呪霊に吹き飛ばされている。その方へ駆け出す。足元で砕けたコンクリートが音を立てた。アイツも生きているなら、何かしら返事をするだろう。だが、それがない。嫌な想像が頭によぎった。
瓦礫の向こうに人影が見える。
「日車!」
日車は壁にもたれかかるように目を閉じて座り込んでいた。顔には血がついている。一瞬、心臓が跳ねた。だが、よく見れば大きな出血はなさそうだった。髪には砂埃が絡みつき、スーツも土まみれになっている。胸がゆっくりと上下している。生きていることが分かり、力が抜けそうになった。
俺の足音に気付いたのか、日車がゆっくりと目を開き、こちらを見上げる。俺は手を差し出した。
「立てるか?」
「ああ……なんとか」
日車は俺の手を掴み、ゆっくり立ち上がろうとする。だが、動きは鈍かった。ここまで消耗している日車を見ることはあまりない。
「無理すんなよ」
「問題ない」
そう言うわりに、呼吸はまだ整っていない。日車が顔を上げる。血の気が引いている顔だった。その顔を見た瞬間、先ほどの光景が脳裏に甦る。巨大な呪霊の腕に吹き飛ばされる日車。崩れ落ちる建物。もし、瓦礫の下敷きになっていたとしても、コイツなら反転術式で治せるだろう。だが、頭に相当なダメージを負ってしまえば、それも使えない可能性がある。助かっていたのは運が良かっただけなのかもしれない。そう思った瞬間、足元がぐらりと揺らぐような感覚がした。
――そして。
気付けば俺は、目の前の男を抱きしめていた。
……最悪である。
「おい」
日車の声で我に返る。俺は弾かれたように体を離した。数歩後ずさり、手を思い切り上げてハンズアップのポーズを取る。
「わ、悪い!」
今、俺何した?
抱きしめた。
惚れてる相手を、勢いで。
「いや、その、違くて」
「何がだ」
「あ~~~~」
言葉が出てこなかった。上手く誤魔化せる訳がない。てか、コイツと言葉で戦っても百パー勝ち目がない。日車が怪訝そうな顔をしている。やめろ。そんな顔で見るな。今さら自分の行動が恥ずかしくなってきて、逃げ出したくなる。
「……お前が死んでるかと思ったんだよ」
ようやくそれだけ絞り出した。日車が何か言おうとしたが、それを遮るように俺は口を開く。
「と、とりあえず戻ろうぜ!」
叫ぶように言って踵を返した。これ以上日車と二人きりなのは駄目だ。俺が精神的に耐えられん。
帳の外で待つ補助監督の所へ向かって早足で歩く。少し歩いたところで違和感を覚えた。日車の足音がしない。心配になって立ち止まりかけたその時、背後からトッ、トッと小走りの音がした。
次の瞬間、背中に何かがぶつかった。
「うおっ!?」
思わず声が出る。下を向くと、腹の周りに腕が回っていた。
日車に後ろから抱きしめられている。
何が起きているのか理解できなかった。
いや、なんで?
すると、背中越しに小さな声が聞こえた。
「……ふむ」
数秒後、腕が離れた。背中の感触がなくなる。
「おい、戻るぞ」
日車はいつも通りの口調だった。まるで、今の出来事がなかったように横を追い越していく。俺は完全に固まっていた。
「……」
「日下部?」
日車が振り返った。返事が出てこない。
「君、大丈夫か?」
大丈夫なわけないだろ。