行政に尻尾を振る御用ビジネスに転向した理由。 「女性天皇・女系継承容認」論のパイオニア・所功教授の論拠(5)──PHP新書『皇位継承のあり方』の「あとがき」を深読みする(令和8年6月21日)
(画像はPHP新書『皇位継承のあり方』の目次)
「To undo a mistake is always harder than not to create one originally but we seldom have the foresight.(間違いを正すのは、最初から間違いを犯さないよりも常に難しいが、私たちには先見の明がめったにない)」
エレノア・ルーズベルトの言葉である。エレノアは夫のフランクリン・ルーズベルト大統領が強行した日系人強制収容政策に強く反対し、苦境にある日系人に対して、私的な立場で、可能なかぎりの支援を惜しまなかった。
しかし実際、「強制立ち退き」の解除が発表されたのは、日米開戦から3年後の1944年12月だった。そして大統領令9066号は、30年以上経った1976年2月になって、ようやく廃止された。エレノア夫人の言うとおり、「間違いを正すのは難しい」のであり、そこに至るまでの日系人の苦難は、筆舌に尽くし難いものがある。のちにアメリカ政府が負うことになった代償も、けっして小さくはない。
〈https://time.com/6148899/eleanor-roosevelt-japanese-internment/〉
平成8年以降、政府・宮内庁の官僚たちが取り組んだ、女性天皇・女系継承容認=「女性宮家」創設に向けた策謀は、長い皇室の歴史に反する明らかな誤りであり、わが文明に対する暴挙というべきものである。御用学者よろしく、お先棒をかつぎ、あるいは追従する知識人たちの行動は完全に誤っており、その罪は計り知れない。
流行りのAIクンなら、間違いがあれば、ただちに認め、謝罪し、訂正するが、生身の人間には、これができない。エレノア夫人の仰せの通りである。年齢を重ね、社会的地位や名声があれば、なおのことである。
このシリーズでは、女帝容認論のパイオニアとして突出する所功・京都産業大学教授(当時)の論攷をテキストにして、その論拠を検証する作業を行ってきた。
その結果、所氏には確たる論拠も、まともな論理もない、信念もないことが証明されたと思う。これが人生の多くを皇室研究に捧げてきた歴史家だというのだから、まったく信じがたいし、あり得ない。言論の自由、学問の自由は憲法で保障されているとはいえ、懼れも謹みもなく、急進的に女性天皇・女系継承容認論を煽動する所氏の罪はきわめて重いといわざるを得ないのではないか? 所氏は「皇位は古来、男系主義で貫かれてきました。それ以外はあり得ません」と断言すべきだったのに、しなかった。
しかし、エレノア夫人が仰せのように、所氏がいまさら「過ちを正すのは難しい」に違いない。というより、所氏は、みずからの「間違い」に、いまなお気づいていないだろう。いずれ行政が方向転換に踏み切るとき、所氏はピエロを演じさせられていたことに、ようやく気づくのだろうか?
そもそもなぜ、所氏は、「最初に間違いを犯す」ことになったのか、「間違い」に引き入れられたのか?
今回は、PHP新書『皇位継承のあり方──〝女性・母系天皇〟は可能か』の「あとがき」をテキストに考えてみたい。「問題の経緯」「論点の核心」について、所氏みずから書き綴っているからである。これに勝る資料はないと思われる。
◇1 20年ぶりに皇位継承問題に関わる
そもそもこの著書だが、以下の構成から明らかなように、所氏がこれまで執筆し、発表した論攷の寄せ集めである。所氏自身の言葉によると、「持論を数年前から機会あるごとに主張してきた」「そのうち、8編の論考を平成17年12月末日段階で全般的に加筆補訂したもの」である。(太文字が目次で、括弧で示したのが初出である)
第1章 最近数年の「女性天皇」論議(「歴史研究」平成17年2月号)
第2章 「皇室典範」と女帝問題の新論点(「歴代皇后人物系譜総覧」=「別冊歴史読本」平成14年10月)
第3章 皇位の男系継承史と女系容認論の検証(「歴史読本」平成17年5月号)
第4章 皇位継承のあり方に関する管見(平成17年6月の皇室典範有識者会議レジュメ。「産大法学」同17年7月)
第5章 女帝否認論と女系懐疑論の問題点(「歴史研究」平成18年1月号)
第6章 女性宮家の創立と帝王学(「〝皇室の危機〟打開のために──女性宮家の創立と帝王学」=「Voice」平成16年8月号)
第7章 歴代の后妃と女帝の役割(「歴史読本」平成17年11月号)
第8章 天皇陛下と皇太子殿下の御公務(「Voice」平成16年9月号)
あとがき──皇室典範の段階的な改正論(「神社新報」平成17年12月12日づけ)
第2章、第3章、第4章、第6章については、すでに検証済みである。繰り返しになるが、所氏は、皇位継承が男系継承主義で貫かれている事実を認め、かつ重視しながらも、その意味、理由を学問的に探究しようとはしない。歴史家でありながら、男系主義を歴史論的に究明しようとせずに、近現代の憲法論に基づき、論理を飛躍させ、急進主義的な女帝・女系継承容認論を主張しているのである。論拠も論理もないというのは、その意味である。
今回、取り上げるPHP新書で、とりわけ振るっているのは、「あとがき」である。何しろ、全国の神社関係者を主な読者対象とする、もっとも保守主義的な専門紙のひとつに掲載されたエッセイが原文だからである。転載の事実だけを見れば、あたかも所氏の主張が保守派中の保守派に受け入れられているかのような錯覚さえ覚える。所氏にとっては、そこがミソなのだろう。
しかし、実際のところは、「神社新報」といえば、終戦直後の創刊以来、女帝否認論の牙城のはずなのである。所氏はなぜ、わざわざ敵地に乗り込むような寄稿をしたのだろうか?
前回、書いたように、所氏は、20代のころ、すなわち皇學館大学講師だったころは、間違いなく、皇室を深く敬愛、敬慕する保守主義、伝統主義の立場にあった。
所氏が昭和45年に書いた雑誌論攷「皇室典範の問題点──皇位継承法を中心に」には、「欽定典範こそ、欽定憲法とともに〝不磨の大典〟と呼ばるべきものであり、この大典に、我々は再び光あらしめなければならぬ」とあり、所氏は、明治の皇室典範への回帰を訴えていた。現代風の男女同権論を否定し、庶子相続を制度的に認めるべきだ、と読めるような主張さえしていた。今日とはまったく違う。
ただ、私が知るかぎり、若き日の所氏が書いた皇位継承をテーマとする論攷は、この1本だけである。当時は、70年安保のころで、天皇制廃止か存続かで左右の鋭い対立があったのだが、所氏は明らかに右派の立場、天皇制存続の立場であり、この論考は、そのことを表明するものだった。
その後、所氏の関心はおもに平安時代へと移っていったらしい。所氏が法学博士号を得たのは昭和61年で、論文「平安朝儀式書成立史の研究」によってであった。
昭和の終わりから平成の御代替わりのころ、年号や即位の礼、大嘗祭の儀礼が所氏の執筆テーマとなったことはあるが、皇位継承問題が主題となることはなかった。所氏が久しぶりに皇位継承にコミットしたのは、平成3年11月に開かれた第2回比較法史学会での講演だった。じつに20年ぶりであった。
カール・ポパーの記念講演などが行われた学会で、所氏は「日本の皇位継承──その歴史と問題点」について語った。これまで皇位継承がどう行われてきたかを検証し、当時、すでに浮き彫りになりつつあった、現行皇室典範の「問題点」を指摘し、警鐘を鳴らしたものらしい。(いずれ、機会を改めて、吟味したい)
やがて、その要旨が平成5年3月、比較法史学会が編集する学術論集『歴史と社会のなかの法──比較法史研究 第2号』(比較法制研究所)に載った。
平成3年10月に秋篠宮殿下第1女子の眞子内親王が御誕生になり、5年6月に皇太子殿下(今上天皇)の御結婚の儀が行われるという時代だった。3年11月の講演「日本の皇位継承」は、なかでも早い段階での積極的関与ということになる。
◇2 尻尾を振り続ける理由
平成7年の自民党総裁選で小泉純一郎議員(のちの首相)は、「女性が天皇になるのは悪くない」と発言し、翌8年には、阿比留瑠偉・産経新聞記者のスクープによると、宮内庁内で皇位継承に関する基礎資料の整理・作成が始まった。
所氏が、皇位継承問題にコミットを本格的に開始するのはそのころである。ちなみに私の場合は、同じころ朝日新聞の「論座」から依頼され、「葦津珍彦の女帝論」を書いた。「皇統の危機」が喧伝され、女帝容認の認否が社会的に話題になりつつあった。
そして所氏の場合、13年の愛子内親王御誕生後、執筆の頻度が増していく。しかし皇學館大学講師時代の所氏には、どっしりとした保守主義の構えが感じられたが、20年後にはそれが見受けられないのは不思議である。執筆の動機が外発的で、そして論理がうかがえない。
「歴史読本」(平成17年5月号)の論攷「皇位の男系継承史と女帝容認論の検証」には、「私は4年前(平成13年9月)、参議院法制局の部内研究会に招かれて講述した内容を、まもなく衆議院法制局の要請により論文として提出した」などと、行政からのアプローチが自慢げに語られ、所氏は、女帝・女系継承容認=「女性宮家」創設論を、世にも人にも先駆けて、振り撒く先導者の役割を果たすことになるのである。
若き日の主張からすれば、まさに「君子は豹変す」なのだが、何がそうさせたのか? もしや、行政の接近を情緒的に受け止め、少年のように舞い上がり、その目的を先読みして、迎合することを決意したということなのか?
それで思い出すのは、知り合いの経済学者である。大学院生時代、指導教官のもとに行政からしばしばリポートの依頼があったという。行政としては経済政策を推進するうえでの科学的裏付けがほしいのだが、どう見ても無理筋の場合もある。報告書を作成するのは研究室の若い弟子たちの仕事で、係数を少しいじるなど、情報操作が日常的に行われるということであった。
目的は依頼主たる行政のニーズに応えるためである。その結果、指導教官の社会的評価は高まり、依頼は増え、弟子たちも潤う。言うことなしである。これが逆に、正義感に燃えて、注文に反する報告書を提出しようものなら、二度と仕事は来ない。学問の神様に背を向け、カエサルのポチになり切ることが、シノギを継続させるための賢策なのである。良くも悪しくも、エレノア夫人のいう「先見の明」がここにある。
所氏が論拠も論理もなく、行政に尻尾を振り続けているのは、最初に行政のニーズを知ったがゆえの賢い選択だったのだろう。その方が儲かるのである。名声が得られるのである。皇室ファーストではなく、学問ファーストでもなく、人間臭い商売ファーストなのだろう。
たとえば、1冊2,000円の本が1万部、売れれば、筆者が受け取る印税は200万円である。かりに、であるが、役所などが1万部買い上げてくれるのなら、7掛けだとしても出版社は1,400万円の売り上げになる。
カネがすべての世の中であれば、それはそれで、私にも、十分に理解できる。だからこそ、所氏は、行政の期待を裏切るような、2000年の皇統史に基づく歴史論は展開しないのだろう。オトコは黙って係数をイジる、のである。できれば、私もあやかりたいところだが、とても真似できない。良心が許さないからだ。むしろ高楊枝を咥える方が性に合う。
◇3 「神社新報」に掲載された特別の理由
さて、「あとがき」である。「あとがき」は、サブタイトルに「皇室典範の段階的な改正論」とあるように、皇室典範改正を訴えるのがテーマだが、所氏の問題意識と姿勢が、問わず語りに浮かび上がる。今回、取り上げる理由はそこである。
「あとがき」は、「現行典範の問題点」「皇統の本義と来歴」「皇族の身分と役割」「典範改正の3段階」と展開されている。所氏は、平成17年11月の皇室典範有識者会議報告書から書き起こし、首相への答申に関する「メディア報道」が正確ではなく、ミスリードしかねないと指摘して、その「経緯」をふり返り、「論点の核心」を明らかにし、何を為すべきか、と訴えている。
しかし、不正確なメディア報道どころか、エッセイが載る「神社新報」こそ、報告書に猛反対する本丸なのである。本丸のはずなのである。私が「あとがき」に注目するのはそこである。
なぜ、社論と異なるエッセイが同紙に掲載されたのか、編集責任者は何を意図したのか、ふつうの常識では理解できないような、何か特別の理由があるのか、それとも何も考えていないのか? 特集もしくは連載形式で、同時に女帝否認論をも掲載したというなら企画として理解できるが、そんな気配もない。
そして所氏にとっては、論敵はあくまでメディア報道なのである。エッセイには神社関係者に対する、神社新報に対する挑戦的言辞はどこにもない。さすが、心憎いばかりの技である。
以下、「あとがき」の構成に従って検証する。
(1)「皇室典範の問題点」のレトリック
所氏の主張は、平成17年の皇室典範有識者会議での意見陳述以来、大筋は変わっていない。そして、まず第1節で「現行典範の問題点」を指摘するのだが、ここでは神社新報への批判どころか、スリ寄りが露骨に見受けられる。神社新報の創刊以来、事実上の主筆として論陣を張った葦津珍彦を、これ見よがしに引用している。しかも、葦津こそ女帝否認論の中心なのに、けっして正面から批判したりはしない。
所氏が指摘する「問題点」は、「明治の典範とは異なり」「1法律である」というものである。「GHQ草案に基づいて」と神社関係者の反占領軍感情を刺激するフレーズをからませるのは、さすが心憎い配慮である。そして、葦津が指導した皇室法研究会の『現行皇室法の批判的研究』を登場させ、同書が対象としない「重要な問題点を二つだけ略述」すると断り、論を進めるのである。
同書のテーマは、所氏の説明によれば、大嘗祭の斎行にある。とすれば、引用は筋違いである。にもかかわらず、引き合いにするのは、同紙および読者へのすり寄りであり、レトリックだからだろう。本来なら、真っ向から葦津批判を書くべきであるが、所氏は総スカンを招くような愚策は採らない。神社新報が、あるいは葦津珍彦がさも女帝容認論の立場であるかのように、演出することが目的だからだろう。
所氏は、「(現行典範第1条は)側室所生の庶子継承を否定している」「必ず男子に恵まれるとは限らない」と述べ、典範第9条が天皇・皇族の養子禁止を定め、婚姻した皇族女子が臣籍降下することを規定するのでは、「皇嗣のない男性宮家は廃絶するほかはなく、内親王でも女性宮家を立てることができない」と畳みかけている。
さらに、GHQの指令で11宮家が皇籍離脱し、皇族男子が激減した。幸い、皇太子明仁親王に2人の親王が生まれ、男系男子主義が維持できると楽観されたが、以後、40年、男子誕生がないのは危機的である、と訴えている。
しかし、これもレトリックである。既述したように、かつての所氏は、現行典範が、庶子相続を否認し、嫡男相続に限定していることについて、「万一の場合の配慮を無視するものといわざるを得ない」と断じていた。GHQ批判は若いころと変わりないが、皇室典範有識者会議のレジュメにはGHQ批判はなかった。状況に合わせて、所氏の論調は変わり続ける。
また、先述した葦津は、皇室の「万世一系」とは「男系子孫一系」の意味であることは論をまたないとし、女系の子孫に皇位が継承されるとすれば、それは「万世一系の根本的改革」を意味し、断じて承認しがたい、と断じている。そして、『現行皇室法の批判的研究』では、「女帝は国史に前例があっても、これを認める必要がないと確信している」と言い切っている。所氏の女帝論とは真っ向から対立しているのである。
所氏は、『比較的研究』のテーマは「大嘗祭の斎行にある」というが、まったく違う。係数いじりで、情報を操作する。それは、葦津批判を避ける口実としてのアリバイづくりであろうか?
(2)「皇統の本義と来歴」の的外れ
そして、さらに所氏は、葦津批判を展開するのではなく、小堀桂一郎・東大名誉教授らへと、批判の矛先を向けている。これもまたレトリックである。つまり、第2節の「皇統の本義と来歴」である。
所氏は、皇室典範有識者会議の結論に対して、小堀氏らの皇室典範研究会が「男系継承という至高の皇室伝統の大転換」は「暴挙」と批判し、これに同調する動きも見られると指摘する。なお、同研究会は、小堀氏が代表だが、ほかに小田村四郎、加瀬英明、八木秀次、伊藤哲夫の各氏らが参加していた。
所氏は、「皇室伝統」の本質について、次のように説明している。「皇統に属する」とは、神武天皇以来の血縁家系に属していることであり、「皇統譜」によれば、125代にわたり、男系で継承され、大多数は男子であることは「貴重な事実」であるというのである。
しかし、と所氏は続けて、歴代天皇の半数近くは側室所生の皇庶子だという事実も軽視してはならない。側室制度を拒絶して、「近代的な一夫一婦制」を確立されたのは昭和天皇で、今後、制度が復活することは、「まったく考え難い」と、いつものように断言するのである。
だが、そうではなかろう。所氏の説明は歴史の表層であり、howであって、何度も指摘したように、whyではない。なぜ側室・庶子制度に頼ってまで、男系で継承されてきたのか、所氏には何の説明もない。何の探究もない。
そして、例の「女帝の子」である。所氏は、律令時代ですら、非常に備えて、「女帝」や「女帝の子」まで認めるような規定を認めていると断定し、さらに明治の「国憲按」「皇室制規」などでも、「女帝」「女統」を認める案が示されたと説明している。
しかし、これも何度も指摘したことだが、「女帝の子」と読み、解釈することには無理がある。少なくとも、異論が存在する。そして、明治の典範起草時は女帝の認否が火急の案件であったにもかかわらず、明治人はこれを否認したのであるが、所氏はいずれに対しても何の言及もしない。所氏の説明は学問の基本に反する、つまみ食いであり、一面的といえる。要は、係数いじりである。
さらに、所氏は、「皇統概念には女帝・女系も含みうる」「女性天皇が即位され、その子孫が皇位を継承されても、天皇の系譜を継いでいくのだから、皇統の変更とか断絶になるはずがない」と、およそ皇室研究者らしからぬ、訳の分からないこじつけ、もしくは屁理屈を力説している。
古来、皇統とはすなわち男系継承なのである。所氏自身が認めるように、それが「貴重な事実」である。男系と女系のふたつがあって、前者を選択してきたのではなく、男系継承しかないのである。所氏の説明、主張はまったく的外れである。
もうひとつ、所氏は、皇室典範有識者会議の答申(報告書)が、「女系」という用語を用いていることについて、今後、「男系の女子」が即位され、その子孫が継承していくなら、「母系」継承と称する方が「的確」だと、さも意味ありげに提案しているが、無意味というべきである。やれ「女性宮家」だ、やれ「生前退位」だ、やれ「母系天皇」「母系継承」だと、所氏ほど非歴史的新語を操る歴史研究者はいまい。
(3)「皇族の身分と役割」のブーメラン
次に所氏は、八木秀次・高崎経済大学助教授の女性天皇否認論を批判するのだが、その論理が面白い。つまり、保守派の重鎮・論客として知られる村尾次郎博士を引用し、「万世一系の天皇」にもっとも重要なのは、男女の別ではなく、「皇位がかならず皇籍にある方によって継承され……他姓の者に移されたことは絶対にない」(『よみがえる日本の心』)と明言しているとして、八木氏の遺伝学的皇位論を否定するのであった。八木氏が保守主義に反すると言いたいのか、それとも保守層の切り崩しを意図しているのだろうか?
しかし、村尾氏の論理からすれば、所氏の主張こそ保守主義に反するのである。所氏が容認する女系継承は、男系継承主義から外れるのであり、その子孫は「他姓」(別の新たな父系)となるのであれば、「万世一系の天皇」ではなくなるのである。だからこそ、女帝・女系継承は歴史的に否認されてきたのである。所氏の批判は、ブーメランさながらに、所氏自身に向けられている。繰り返しになるが、所氏の女帝論には一貫する論理がない。まさか所氏は自身が保守主義者ではないと自認しているのか?
所氏はまた、八木氏の「神武天皇の遺伝子」論を批判し、さらに「皇族の範囲」論を展開し、女性天皇・女性宮家の「配偶者」問題に言及したあと、男系男子に固執して、女性天皇を不可とし続ければ、「お妃選び」は「皇婿探し」と同様に「難しいに違いない」と心配している。
しかし、「難しい」のは、男系継承であれ、女系継承容認であれ、同じなのである。だとすれば、古来の男系主義が継続できるよう、素直に知恵を絞るべきなのである。所氏は、なぜそうしないのであろうか? そんなに尻尾を振りたいのか?
制度を実践するのは人間である。生身の人間なればこそ、制度の厳格な適用には困難が生まれる。ズレが生じる。誰にでも分かることであり、それでも126代にわたって皇位継承の男系主義が守られてきたのには特別の理由があるはずだが、所氏はそうは考えずに、制度にこそ欠陥があると論理を飛躍させて、急進主義に走るのである。
(4)「典範改正の3段階」提案はあり得ない
最後に、所氏は、皇室典範有識者会議「最終答申」の「長子優先」案について、懐妊・出産・育児などを期待される女性皇族より男性皇族の方が御公務(宮中祭祀を含む)に専念されやすいという理由で、再考を求め、同時に、3段階改正論を提示して、今回は第1段階として、「男子優先」に修正すべきだ、などと提案している。
しかし、である。現行典範は、たしかに一般法に過ぎないから、制度上は、国会の決議で何度でも改正可能ではある。とはいえ、皇位継承法は国家の基本に関わる重大事である。であればこそ、若き日の所氏は、明治の典範を「欽定典範」と呼び、「欽定憲法と相並ぶ特別法」だと指摘していたのである。典範改正に皇室会議が直接関与できない仕組みについては、「問題とすべき」とさえ批判していた。だとすれば、段階的に、何度も改正するなど、あり得ない。
私にとって、もっとも興味深いのは、さらにそのあとである。所氏は、「なお末筆ながら」と何人かの固有名詞を挙げて、謝意を表明し、同時にこの新書の成り立ちを告白し、暴露している。
すなわち、①終生の恩師と仰ぐ田中卓博士(皇學館大学名誉教授)が本書の出版を強く勧めた。②以前から付き合いのあるPHP新書出版部の阿逹真寿副編集長が編集を担当した。③論攷を最初に掲載した「歴史研究」の吉成勇氏、「歴史読本」の佐藤實氏、「産大法学」の岩本誠吾氏、「Voice」の吉野隆雄氏、「神社新報」の宮澤佳廣氏、「歴史群像」編集長の新井邦広氏が、転載を了解した。
以上は単なる社交辞令と見ることもできるが、それだけにとどまらないように思われる。なかでも田中博士と「神社新報」への言及である。
皇學館大学に学び、田中氏を恩師と仰ぐ神職は多い。「神社新報」は、人一倍、尊皇意識の篤い、全国2万人の神職を主たる読者とする。そして「神社新報」は終戦直後の創刊以来、一貫して、皇位継承問題と取り組み、その中心であった葦津珍彦は先駆的に、明治の典憲体制の歴史的探究に挑戦し、さらに現行典範を批判的に研究したうえで、女性天皇・女系継承否認を結論づけた。
この「あとがき」の原文である所氏のエッセイは、全国の神職および神社新報の読者にくさびを打ち込み、女帝容認への変更をやんわりと迫っている。神社新報の編集責任者ですら、すでに同意しているかにさえ読める。老獪な懐柔策のように、私には受け取れる。
それにしても、余計なことだが、所氏に、固有名詞を公開されてしまった編集者たちは、所氏の心の内に潜む信念のなさはまだしも、論拠も論理もないことに気づかなかったのだろうか?
◇4 所氏には天皇論がない
所氏の女帝容認論と、神社新報あるいは葦津珍彦の女帝否認論との違いの最たるものは、天皇とは何か、皇位とは何か、という、もっとも基本的な本質論の有無である。所氏の女帝容認論にはこれが決定的に欠けている。
所氏はおそらく、天皇論、皇位論を意図的に避けているのではなかろうか? 行政のニーズに応えるには、憲法の政教分離問題を引き起こしかねない祭祀論に言及することは得策ではないからだ。行政の立場は、天皇=象徴であり、天皇=祭り主ではない。古来、公正かつ無私なる祭り主のお立場だから、象徴としての地位がある、などとは考えない。起点は最高法規たる憲法だからである。
所氏には釈迦に説法だが、伝統主義者にとって、天皇は祭り主である。公正かつ無私なるお立場で、天神地祇を祀り、ひたすら国と民のために祈られるのが天皇である。歴代天皇はそう信じて、日々、祭祀を実践してこられた。公正かつ無私なる祭り主なればこそ、天皇は、すべての民から超然たる立場におられなければならない。だから「他姓に移る」ことは認められないのである。
新嘗祭は皇室第一の重儀とされるが、天皇は神嘉殿の新嘗祭、大嘗宮の大嘗祭で、皇祖神ほか天神地祇を祀り、「米と粟」を捧げて祈る。ところが、所氏は、なぜ「米と粟」なのか、問題意識すらないらしい。皇室研究家としては致命的だろう。
挙げ句に、ほかの研究者の講演を引き合いにして、粟は「雑穀」「非常食」と決め付けている。これでは、祭り主天皇論から皇位の男系主義の根本的理由を見いだすことなど、逆立ちしても不可能である。「雑穀」や「非常食」を神饌に捧げられて、喜ばれる神様がおられるのか? そのように所氏は本気でお考えなのだろうか? じつにバカげている。
神社新報に寄稿するなら、天皇の祭りに言及すべきだと思われるが、所氏のエッセイにはひと言、「御公務(宮中祭祀を含む)」とあるだけである。第8章の本文で言及される祭祀は国事行為論である。せいぜい「公的な祈り」と説明している程度である。祭祀の本質を究めようとしないのは、行政ともども基本的関心がないからだろう。天皇が公正かつ無私なる祭り主であることの文明論的意義など、思いもおよばぬからだろう。祭り主天皇への信念など、皆無だからだろう。
信念がないから、言説は揺らぐ。変説する。外発的に、ご主人様の要求に合わせて、変幻自在に豹変できるのは、自分自身に信念がないからだろう。そこで最後に、前回、予告した、所氏の言説の揺らぎについて、補足することにする。
たとえば、前回、指摘したように、古代律令制が女帝を制度的に認めていたとする、継嗣令第1条の本註「女帝子亦同」の解釈が定まらない。平成17年6月の皇室典範有識者会議でのレジュメ本文とレジュメの補注、実際の意見陳述(速記録)でさえ、微妙に言い方が変わっている。
この揺らぎと変説は、ほかのテーマでも、観察される。要するに、見解が定まらず、漂流する。そして論理がないのである。
年号もしかりである。
所氏は、平成の御代替わりでは、古来の「踰年改元」の考えを踏襲して、「(新年号の)施行は翌年元旦から」とするのがよいと提案していたのに、令和の御代替わりでは、「践祚日に新元号公表、1か月後施行」に考えを一変されたのだった。
そればかりではない。誰よりも先駆けて、「女性宮家」創設を訴えてきた所氏だが、令和3年4月の皇室典範特例法案附帯決議有識者会議での発言はすっかり鳴りを潜め、「男子不在の内廷と宮家の相続も可能とし」とトーンダウンしたのであった。
阪本是丸・國學院大学教授(神道学、故人)は、「変説は構わないが、変節はいけない」が口癖だったが、所氏は「変説」だらけで、節操がない。変説するなら、理由を説明すべきだが、説明がないのは、もしや変説の自覚がないからだろうか?
所氏は、私など足許にもおよばぬほど、豊富な情報、知識がおありである。それは誰しもが認めるところだろう。さまざまな古今の史料の存在をご存じで、行書体や草書体、崩し字、変体仮名で書かれた一次資料を器用に、難なく読むこともできるようだ。けれども、何度も書いたように、見識や信念というべきものは、少なくとも私には感じられない。物知り博士の限界かも知れない。
しかし行政にとっては、その方が都合が良いのだろう。そして、所氏は行政の暗黙の要求に応え、行政になり代わって、女帝・女系継承容認=「女性宮家」創設論のパイオニアを演じてきた。
要するに、所氏は、行政にとっては、施主の注文にあわせて、どんな建物でも自由自在に設計・施工してくれる便利な請負業者なのである。官僚たちにはありがたい存在である。だから利用されたのだろう。だからスキャンダルに巻き込まれたのではないかと、私は残念な気持ちでいっぱいである。
所氏にとって、最大の不幸は、「先生、ここがおかしい。間違っています」と、客観的に、率直に、親切に指摘してくれる編集者がいなかったことかと思う。なんだか「裸の王様」のようで、まことにお気の毒なことである。
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