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明かした男/Novel by you

明かした男

8,400 character(s)16 mins

日車さんを信用していいのか、日下部さんが頑張って探る回。後編。
色んな人の心情だったりテーマだったりが盛り沢山です。

何でも許せる方、どうぞ宜しくお願いいたします。

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 都心から電車とバスを乗り継いで辿り着いたそこは、拍子抜けするほど普通の、ただの古びた洋館だった。
 正面の高い位置、十字に切り取られたように埋め込まれたガラス窓がどこか教会を彷彿とさせる。
 唯一掲げられた看板に『愛する家族と安らかなお別れを』という文言がなければ、日下部はそこを長い間放置された廃墟だと思ったかもしれない。
 お世辞にも手入れが行き届いているとは言えない。木々に囲まれた駐車場には細かな亀裂が走り、その隙間から伸びた雑草が冷たい北風に揺れている。
 端の方に一台だけ停められた車は、まだらに塗装が剥げ、もう何年も同じ場所に置き去りにされているように見えた。

 ──本当にここなのか?

 日下部は、どこか肩透かしを食らったような感覚を覚えていた。

 経営者は邪去侮の信者だ。ならばそこには何かしら、常人には理解し難い信仰の片鱗、崇拝の痕跡が残っているものだと思っていた。
 閉ざされた門。監視の目。隠蔽された施設。
 そんなものを無意識に想像していたのかもしれない。
 だが目の前にあるのはどこにでもありそうな、少し寂れたペット霊園だった。

 日下部は浮ついた気持ちを押し殺すように、ジャケットの襟を正した。
 その時だ。

「こんにちは、うちに何か御用ですか?」

 唐突に背後から掛かった声に、日下部は反射的に肩を強張らせて振り返った。
 そこには70は優に超えていそうな、やや背中の丸まった老齢の男が立っていた。
 まるで悪意とは無縁の、落ち着いた、優しげな声色。柔らかそうな白髪と、垂れた目尻が柔和な印象を与える。どこにでもいそうなごく普通の老人。この男が名簿にあった施設経営者、大野勲で相違ないだろう。

「突然お邪魔してすみません、大野さんですね?少しお話を伺っても?」
 そう言って日下部が警察手帳をジャケットの内側から抜き出すと、大野は少しも動揺する事なく愛想良く頷いた。
 それどころか日下部の横をするりとすり抜けると、両開きの玄関扉、その片方を引いて開け放つ。
「構いませんよ。さぁ、どうぞ中へ」
 そう言って大野は来客を持て成す所作で、左手で空を撫でて入室を促した。

 ペットと言えどもその葬儀の際には丁寧な打ち合わせの場が設けられるのだろう。通された部屋には施設のパンフレットや、葬儀に使われるであろう装飾品のサンプルが並べられている。
 大野は一度退室し、部屋には日下部一人が残されていた。
 テーブルの上へと目をやると、ラミネートされた価格表には体格に応じた犬や猫の火葬代金が記されていた。そしてそこには上記以外の動物に関しましてもお気軽にお問い合わせくださいとの文言が羅列されている。
 従業員らしき人物は見当たらなかった。

 やがて静かに扉が開き、温かな紅茶を持って大野が戻って来る。
 日下部の前へソーサーごとカップが置かれた瞬間、ふわりと華やかな茶葉の香りが鼻腔を擽った。
 日下部はそれに手を付けるでもなく大野の着席を待った。

「それで今日は、どのようなご用件で?」
 招き入れてしまってからそれを聞く迂闊さに救われた。
 日下部はテーブルの上で自身の指先を組んで握ると、片方の親指の腹でもう片方の親指の爪を撫でながら口を開いた。
「とある事件に関して捜査しています。単刀直入に聞きますが、大野さん、アナタ邪去侮の梯子会に入信していますね?」
「はい、私は天使様に救われた者の一人です」
 大野は何でもないように頷いた。
「救われた…?それは、どういう」
「言葉の通りですよ。私にはたった一人、倅がいましてね。妻は倅を生んでから産後の肥立ちが悪く、可哀想にそのまま亡くなってしまったんですが……。そんなもんだから私はこの倅が可愛くってねぇ……大事に大事に育てておったんです。あれは倅が中学三年生に進級した春の事でした。ある日突然、何を思ったのか学校で首を縊りましてね。そのまま……。同級生たちの話では倅は進路に悩んでいたようだったと。気付けなかった。悔しくて、情けなくって。何も知らず、のうのうと仕事ばかりしていた自分を殺してやりたいほど憎みました。あれから四十余年、毎日ただ無心で働いて、二人の命日には必ず墓へ花を供えに行きました。そんな私を心配してくれる友人もおりましてね、何とか今日まで生きて来たんです。そして去年、どうにも倅の中学校時代のクラス会があったようですね。立派に年を取った倅の同級生達が集まっていました。私はたまたま、友人と行った居酒屋で彼等と居合わせた。そこでね、聞いてしまったんです。倅の死の真相を」
 大野はそこで一度俯いた。
 次に顔を上げた時、老人の柔和だった表情は消えていた。
 怒鳴り声も、激情もなく。ただ長い年月をかけて澱のように積み固められた憎しみだけが、静かにその目の奥に沈んでいた。
「倅はねぇ、殺されたんです。イジメですね。あの日、体育倉庫で天井の梁から下がる縄を首に掛けられた倅は、自分の背丈程ある跳び箱の上から蹴落とされた」
 穏やかに、ゆっくりと。無抵抗な腹に鋭利な鋒を沈めるような静けさで大野は語った。
 鉛のように重い唾を飲み込んで、日下部はやっと口を開く。
「それで……、アンタどうしたんだ……」
「どうもしませんよ。私は倅を信じられなかった、その事実は変えられない。愚かにも姑息な同級生達の言葉を鵜呑みにして、無惨に踏み躙られた倅の心を知ろうともしなかった。その時点で、私は彼等と同罪だ」
「じゃあ……」
「えぇ、ですからね。救いを求めたんです、天使様に。罪深い私を、浄化して欲しいと。綺麗になって、それでやっと2人に顔向け出来るのだと思ったから」
 大野は一度両の目を閉じ、再びゆっくりと開いた。
 その瞳には迷いも、後悔も、窺い知る事は出来ない。
「天使様は私に、心を込めて仕事をするように仰いました。死者の魂を丁重に送り届けるこの仕事が、いつか私の罪も焼き清め、祓ってくれるのだと。数多の哀しみに触れ、真摯に向き合い見送り続ける事が、私の罰であり、禊なのです」
 そう言って大野はサンプルのフォトプレートを心から慈しむ仕草でそっと撫でた。
 モデルの犬はその丸く、潤んだ瞳で哀れな老人を見つめ返している。
 日下部は、かける言葉の正解が分からずに口を噤んだ。
「……相談をした翌週、倅の同級生が一人、自動車の事故で死にました。大きな事故で、新聞にも載りました。次の週にはまた別の同級生宅で火災が発生し、一家4人が焼け死にました。その他にも自殺、急な病気、事故、暴漢に殺された人もいましたかね……目に見えて私の罪が浄化されていくんです、まさに奇跡に触れたようでした」
 大野は狂ってはいなかった。
 ただ、心の底から信じているのだ。
 天使の齎す奇跡を。
 日下部はただ組んでいた筈がいつの間にか握り締めていた指先を解いてテーブルの下へと下ろした。
「……その、死者の魂の中に、人間は含まれているのか」
 真っ直ぐに年老いた男の顔貌を見据える。
 大野はただ、莞爾として笑った。

 夜になって日下部の姿はひまわりの前にあった。
 街灯に白い吐息が照らされているのを見ただけで、いくらか体感温度が下がったように思えるから不思議だ。たまらず襟を引き寄せて首元を隠した所で、背後に人の気配を感じて振り返る。
 そこにいたのは死神だった。
「思ったより早かったな」
 全てを悟ったような口振りで、日車は軽く片手を上げた。
 黒のチェスターコートを翻し中へと招く誘いを断って、日下部は隣接する公園へと日車を連れ出した。

 夜の公園は人の気配がまるでなく、世界から切り離されたかのような静寂に包まれていた。

「それで、今日は……この間の返事をしに来たのか?」
 先に切り出したのは日車の方だった。
 日下部は黙って日車を一瞥すると懐から煙草を取り出して自身の唇へと一本持たせた。隣同士並んでベンチへ腰掛けた日車にも一本勧めて断られると、特に気にするでもなく火を点けて深く煙を吸い込む。長く紫煙だか寒さ故の濁った吐息だか分からないものを吐き出して、低い背凭れへと背中を預けた。
「この間の話だが」
 あぁ、と日車が頷く。
「オマエの要求は飲めない」
 日車は怒る事も、驚く事もしなかった。
 ただ、そうかと呟いて流れて行く白い靄を眺めている。
 残ったのは静謐なまでの沈黙だけだった。
「話はそれだけか?」
 ボトリと落ちた灰へと視線を移して、日車が問う。
「……あの骨は、タケルの遺骨と一緒に鑑定に出したよ。それから大野の所にも、今家宅捜索が入ってる。オマエらの天使に手が届くのも、時間の問題だ」
 日車は意外そうに目を丸め、それから何がおかしいのか腹を抱えて笑い始めた。成人男性の笑い声が閑静な公園に染み渡っていく様は、どう見ても異様だ。
 困惑する日下部を横目に、日車は目尻に浮かんだ涙を拭って呼吸を整えた。
「いや、すまない。まさか君が。散々自分のエゴを押し通して来た君が、最終的に妹を苦しめる立場を取るとは想定外だったもので。そうか、甥御さんの遺骨にまで……」
 日下部は煙草を落とすと靴の裏で踏み躙った。
「タケルも失って、妹にとっちゃ正気に戻る事が何より酷だろう。そこに自分の意思があったかは分からないが、死にきれずに自由まで失った。きっと、今更真実を知った所で耐えられない。幸い今は何も分かっちゃいないようだし、その点はアンタらの天使に感謝すべきかね」
 日下部が自嘲気味に笑うのを見て、日車は何かを考え込んでいる。
 構わずに日下部は言葉を続けた。
「俺はな、日車。以前から妹が生きてさえいればそれでいいと思っていたんだよ。だがよく考えてみりゃ、ただ生きるだけなら警察病院でだって出来る。いつ命を脅かされるとも限らない所にいるよりずっと安全だろ。……今、決断しなきゃ次にあの炉で焼かれるのは妹かもしれねぇ」
 いつしか日下部の両手の指先は祈るように組まれていた。
 分からないな。日車は独り言を零すような声量でそう呟いた。
「君が今後一生妹さんから恨まれ、自身の進退まで差し出す決断をした今……、一向に俺を捕まえる様子が見えないのは何故なんだ」
 疑いの眼差しが日下部に突き刺さる。
 確かに、傍から見れば不思議だろう。妹が楡原記念病院にいる間、邪去侮から妹を守りたい一心で日下部は自他共に認める消極的な捜査をして来た。その結果優秀な相棒は死の淵を彷徨い、安全と思われていたひまわりすら日車の手の平の上と判明した。
 日下部がひたむきに正義を信じる刑事ならば、恐らく今頃躍起になって日車の身辺を洗っていただろう。そして揺るがぬ証拠を携えて、令状を取るべく奔走した筈だ。
 それなのに隣で座ったまま2本目の煙草を銜える様子に、日車は不信感を抱いているようだった。
「……だってオマエ、俺に対して何一つ嘘は言ってねぇよな」
 日下部は静かに口を開いた。
 日車は何も答えない。
「遠回しな言い方はするが、オマエは決して俺を騙して取り込むような真似をしなかった。妹の事も、警察に任せると決めた今になって初めて、脅すフリで手元に置いて天使から守ってくれていたんじゃねぇかと思えるようになった。実際今はあんなにもあどけない寝顔で眠っているんだ、少なくとも苦痛の中でもがいちゃいない。……説得するんだろう?天使を。それからオマエらみんなとっ捕まえて、全部吐いて貰う。……そうしなきゃ、オマエはもう前に進めねぇだろ」
 日車はただ一言、そうかと呟くとベンチから腰を上げた。
 つられて日下部も立ち上がったその時だ──。

 鮮烈なビジョンが脳裏を駆け巡った。

 突如として鳴り響く発砲音。
 煙草の煙に混じった火薬の匂い。
 崩れ落ちる死神の肩越しに見えたのは、怒りに震えながら拳銃を握る三輪の姿だった。

 視覚が戻って来た瞬間、日下部は日車に飛び付いて地面へと縺れ込んだ。

 直後、乾いた発砲音が夜の静寂を裂いた。
 土埃が舞い、投げ落とした煙草は未だ火種を有したまま燻っている。その煌々と点った赤を飲み込んだのは、じわじわと広がったどす黒い水溜りだった。

 肩に灼熱の杭が打ち込まれたような激痛は遅れて襲ってきた。アドレナリンが一瞬、痛みを押し殺してくれたらしい。
「ぐっ……三輪、ダメだ撃つな……」
 困惑する日車に覆い被さった状態で、掠れた声で制止を促す。
 遅れて状況を理解した三輪は、その場に立ち尽くしたまま構えた拳銃を下ろせないでいた。
「日下部さん……、そんな……何でそんな奴を……」
「いいから下ろせ……、戻れなくなるぞ……」
 鉄錆の臭いが強くなる。1秒ごとに肩から下が鉛のように重くなっていくのが分かった。冷や汗が額を伝い、血の気が引いていく。視界の端がぼやけ、耳鳴りと吐き気が感覚を支配した。
 連日の睡眠不足を始めとした不摂生。
 どうにも、限界まで削れていた身体には耐えられなかったらしい。
 日下部の身体は痛みと出血という強烈なストレスに簡単に屈し、立ち上がる力を確実に奪っていく。
 それでも日下部は日車に覆い被さったまま、歯を食いしばって呻いた。
「三輪ッ!……一度でも、そのラインを踏み越えちまったら、次からも選択肢に残る……、今後一生、影のようにオマエに付き纏うんだよ……」
 日下部の必死な訴えは、じきに彼女の両腕から力を奪い、拳銃を持った手をその身体の横へと力なく垂らさせた。
 一瞬、安堵してしまったのが良くなかったか。身体の下から日車が抜け出して行く感覚を最後に、日下部の視界は暗転した。

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