事が本当で、やってきた彼女と少しでも多く話ができればいいと思う。

気になる扉をちらちらと見るが、それが開く気配は一向に無い。

気が急いて、咲は席から立ち上がった。そのまま閉まったままの扉へと向かう。

躊躇いもなくそれを押すと、扉を開けて……咲は外に続く廊下を見渡した。

192: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(SSL) 2014/07/24(木) 22:29:40.47 ID:mTNIwpCd0
続く長い廊下には誰かの足音すら聞こえない。…つまりは、半身は未だにここへ向かってもいないのだろう。

そう確信した瞬間、溢れる泉のよう、心中に焦りが噴出した。

なぜそう思ったのか、ただ咲は今からでも遅くはないと思い込んでしまった。

去って行って結構経つのに。智美を呼び止めて、やはり菫を呼ばなくてもいいのだと伝えなければいけないと思った。

そして、今日は大人しく自室へ帰ろう…あそこでも、書物は開けるから。

咲は人気の無い廊下を駆け出す。

静かな空間に、自分が廊下を走る足音だけが響き始めた。



幾つ目かの角を曲がろうとした時だった。

いつまで経っても見えてこない智美の後ろ姿に焦りが募っていた咲だったから、

普通に考えれば、時間が経ちすぎている事に気付いていいはずなのに。

それすら頭から綺麗に抜け落ちていた咲は、ただ智美の後ろ姿を呼び止める事しか頭に無かった。

だから注意もせずに廊下の角を曲がろうとした瞬間。

向こうより、咲と同じようにやってきた人影に気付いていなかった。

しかも咲は急いでいた事もあり、躊躇いもなく反対側からやってきた人物へと勢いをつけてぶつかって行ってしまった。

驚いて小さな呻き一つ上げ、咲は背後へと転がる。

193: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(SSL) 2014/07/24(木) 22:33:41.72 ID:mTNIwpCd0
微かに赤くなった鼻の付近を覆い、廻った視界の焦点を合わせようとする。

ぶつかって倒れこんだ自分とは対照的に、眼前で揺らぎもせずに佇む人影を咲は見上げた。
 
咲「………」

純「………」

転んだ自分を見下ろしながら、大きく眼を見開いたままに女性が佇んでいる。

その長身な体躯に動き易そうな軽装を纏い、腰に官吏には不要な鞘を下げ重そうな剣が差さっている。

物騒なそれを見て……まず咲の脳裏に過ぎったのは先程、智美が言っていた言葉だ。

智美『先見の無い、馬鹿な奴らが凶行に走る事もあるでしょう』

ヒヤリと肝が冷えて、今更ながら単独で行動していた自分の浅はかさに咲は気付く。

あんなにも咲の身辺に気を配ってくれていた仲間の言葉を忘れ勝手に安全な場所から抜け出し、咲はこんな所で正気に返っている。

コクリと唾の飲み込んで…眼前にて剣を携え咲を見下ろしている女性の出方を注視する。

今に、その剣を抜いてこの身を脅すのだろうか。

戦々恐々とする咲に近付いてくると、眼前の見知らぬ女性は咲に向かって手を差し出した。

純「すまねぇ。立てるか?」

とりあえず相手に敵意がないことが分かって、咲はほっと息をついた。

咲「こちらこそ、勢いよくぶつかってしまってすみません」

咲「急いでいたから注意散漫でした。どこか怪我はしていませんか?」

そう咲が尋ねると、女性は一拍置いた後に手を振って否定する。

純「……いや、別にねぇ。俺はぶつかった時の衝撃も強くなかったし…こっちこそ注意力散漫ですまねえな」

ここ宮中では余り耳にする事のない、どこかぶっきらぼうな言葉を懐かしく思い咲は自然に頷く。

194: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(SSL) 2014/07/24(木) 22:39:56.51 ID:mTNIwpCd0
それに咲と同じように相手もこちらを気遣う気配を確かに感じたから、当初に持っていた警戒心はその時点で霧散してしまった。

咲「お互い様ですね」

純「お互い様、か」

互いに苦笑を浮かべ、そう結論付けて頃に。眼前の女性は名前を名乗った。

純「純だ。最近、宮中の警護に入ったばかりでまだここに慣れてねぇから…少し迷ってる」

咲「そうなんですか」

相槌を打ちながら、咲も名前だけを名乗った。

そのまま彼女が先程言っていた事実をもう一度確認する。

咲「純さんは、迷っているんですよね?」

純「ん、ああ。…広いな。このままいけば外にいけるか?」

尋ねられて咲は、首を左右に振って答える。

咲「いえ、反対方向だと。ここから先は内宮で、進めば路寝へと続いています」

純「! マジかよ。……内殿の奥か。バレる前に戻らねぇと」

頭をガシガシ掻いて、心底困り果てた表情を浮かべた純を見上げ咲は苦笑する。

なんというか、今まで宮中にあって見てきた本心をひた隠そうとする官吏の姿とは違い、

抱いた感情が素直に表情に出る人だなと思う。

だから、心底困った気配を感じ取った咲は純に向かい言った。

咲「外宮に近い内殿までなら案内できると思います」

純「……いいのか?」

咲「私もそこにいる官吏に用事があるので…途中まででよかったら」

「頼む」と実直に請われた咲は頷く。

「では、こちらに」と、純を先導するために再び続く廊下を歩き出した。

202: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(SSL) 2014/08/01(金) 00:50:35.12 ID:/NWhJ0i10
咲「純さんは、元は軍にいたんですか?」

純「ああ、首都州師の常備軍に。俺がなんで辞める事になったのかは面白い話でもねぇし、今の軍に未練もねぇから省くが」

純「ただ俺は平民出身で、この肩書きがある限りいくら頑張っても無駄足でしかないと分かった」

咲「………軍も、内部の腐敗は濃いという事なんですね」

純「平たくいえばそうだな。…けど、これから変わっていくかもしれねぇとか少しは期待してる」

咲「?どうして」

純「そりゃ。この国にも麒麟が選定した王が立っただろうが」

咲「!!」

純「すでに底みたいな世界だからな。天意を受けた王が立って、この国が少しでも変わると期待してもバチは当らねぇ」

なぁ?と、賛同を求められても咲はすぐにそうだと頷く事はできなかった。

俯きながら搾り出すように声を吐き出した。

咲「……王に、余り期待しない方がいいかもしれません」

純「咲?」

咲「なぜならこの国で生きてきた癖に、この国の事を何も知らないから。…自分ひとりを囲む狭い世界で手一杯だったから」

咲「民の苦労も、純さんのように軍の現状を憂う余裕もなかった」

純「………」

咲の言葉を聞いて何を思ったのだろうか、純は押し黙った。

そのまま二人分の足音だけが広い廊下に響いて消えていく。


目的の場所まで辿りついた咲が 「ここです」と純を案内し終えると、彼女は「助かった」と素直に礼を述べる。

ぐるりと周囲を見渡して……ここなら分かる、と続けて言った純に咲は安堵して微笑を浮かべた。

203: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(SSL) 2014/08/01(金) 00:54:08.36 ID:/NWhJ0i10
咲「では、私は用事がありますのでここで」

そう咲が告げると純は分かったと頷く。

だが咲が再び歩き出そうとする前に、彼女は淡々とした口調で言った。

純「お前が言っていた通り。軍の腐敗は濃いが、多分それはここ宮中でも同じだなと思った」

純「あの人は、それを俺に知って欲しくて宮中を見ろと言ったんだと思うし」

咲「………純さん?」

訝しく聞き返す咲だったけれど、そんな自分を知ってか知らずか純はただ言葉を続ける。

純「それとな。さっき初めて会ったばかりの咲に俺の気持ちを愚痴れたのは…多分、無意識であれお前が俺に近いと感じたから」

咲「………」

純「このままである事に、納得はしてねぇだろ」

王となった以上、この国をどうにか良くしたいとは思う。そのために咲はできる限りの事を努力しようとしていた。

そうだ、と。純の言葉を聞いて咲は思い出している。

咲「私は今、様々な事を学ばなければいけません。ここに来て日が浅いのは私も同じで。だけど貴方より私の方が、余程物を知らない」

咲「だから…純さんがよければ後日、軍の事情をもっと詳しく教えて頂けませんか?」

純「夏官なのか、咲は?」

ここにいる以上、どこかの官吏だとは思っていたが。そう尋ねてくる純の問いに苦笑を浮かべて咲は「そんなものです」と頷く。

205: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(SSL) 2014/08/01(金) 00:58:13.59 ID:/NWhJ0i10
そんな咲を眺めていた純が、熟考するよう黙ったのは数秒の事だろう。

見定めされているかなとは思うが。咲にしてみれば純から生の軍の様子を聞きたいと思ったのは本心だ。そこに裏心など無い。

じっと純に見られていた自分を彼女なりにどうにか判断したようだ。浅く息を吐くと、純は頷いた。

純「…じゃあ、咲も宮中の事を俺に教えろ。それでお互い様、だろ?」

純の言葉に咲は概視感を覚えて笑う。

咲「ふふ、お互い様ですね」

確かに、と。咲も了承の意を込め頷いてみせたのだった。

純「じゃあ。明後日、この時間にここで待ち合わせ。どうだ?」

咲「分かりました」

この時間帯ならば、執務も終わっているはずだ。

必ず来ます、そう咲が言葉を返すと純はどこか楽しそうにして頷く。

じゃあまたな。と軽く言い去っていくその背に咲も同じよう、再会の約束を投げ掛けたのだった。


■  ■  ■



206: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(SSL) 2014/08/01(金) 01:02:00.28 ID:/NWhJ0i10
その後、内殿の一室に智美の姿を見つけた咲が呼びかけると殊更驚かれた。

なぜこんな所に一人でいるのかと智美らしく無く責めるように問われ、当初の心境を思い出して咲は答える。

時間が経っても菫が来なかったので心配になって来てしまったと。

それを聞いた智美は納得し難い表情を浮かべていたが……結局は大仰に溜息を吐いてそうでしたか、と頷いた。

何も用事が無いと思っていた菫が自室より抜けていて、探すまでに時間が掛かってしまったのだと智美は言う。

それを聞いていた咲は、密かに胸の内でほっと安堵していた。

自分に呆れてあの半身がやってくるのが遅れた訳では無かったから。

今ならば、菫は向かっているはずだと。だから一緒に部屋まで行きましょう、と智美が言う。

手が離せない仕事があると言っていた彼女を再び拘束してしまうのは気が引けたので、

一人で戻ります、という咲の言葉に今度こそ、智美は妥協をしなかった。

これだけは譲れないという言葉に根負けした咲は智美に連れられて、元いた部屋に戻る。


室内の窓辺に見覚えのある長身が佇んでいた。

一歩部屋に足を踏み入れると、菫が今までにない眼光を滾らせ咲と智美とを睨み付けてくる。

隠しもしない、その剣呑な雰囲気。

咲「………」

乾いてしまった喉を無理に潤すために、咲はゴクリと唾を飲み込んだ。

207: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(SSL) 2014/08/01(金) 0