事実、彼女は智美の前で一度、寝台の上の姿を一瞥するとゆっくりと頷いた。

智美「………」

静かな衝撃故に、智美は続く言葉を咄嗟に思いつかない。

ただ、代わるよう仄暗い室内へと一歩、二歩と進んでいく。

そうして寝台の側に座る菫の側へと辿り着き、彼女が数多に存在する人の中から選んだ姿を見下ろした。

菫「…不安か?」

菫の問い掛けは、きっと智美が見つめる先に横たわる少女の姿に対してだろう。

確かに、彼女は自分や菫よりも格段に華奢で儚げで頼りない体格に見える。

しかも仄かな明かりに照らされる頬は痩せこけ、手当てされた白い包帯が異様に際立っている。

果たして、この少女が今までどんな場所にいて、どんな扱いを受けてきたのか智美とて容易に想像が付いた。

きっと、幸せだとは言い難い境遇だったに違いない。

だから、頼りない姿だと言ってしまえばそこまでだけど。

それだけではない事を、智美は菫を通して知っている。

不安か?その問いに対して、智美は首を左右に振って否定する。

81: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(SSL) 2014/07/04(金) 22:41:45.19 ID:dhnWXJcK0
智美「菫ちんが選んだ王だ。きっと…この国を救ってくれる」

そうだろう?あえて軽く言い返すと、智美の答えをどこか構えながら待っていた菫は

肩透かしを食らったような表情を浮かべる。

が、すぐに智美の真意を理解したようで菫は苦笑を浮かべた。そして頷く。

菫「ああ」

否定しない菫の声。こういうのは王バカとでもいうのだろうか。

ただ、どこかホッとしたように目尻を緩めた菫の視線は、彼女の、唯一の主へと一心に向けられていた。



その後、智美は菫より今まで起こった詳細を聞いた。

突如とて感じとった王気を辿り、迎えに出向いた先での出来事諸々。

王たる儚い風情の少女はある商家の下働きだったらしいが。

そこでの扱いが、菫から見たらとてもじゃないが許容できるものではなかったらしい。

まぁ、痩せこけた肢体や負った外傷を見る限り、その怒りは智美とて理解できた。

口にするのも嫌そうに顔を歪める菫の言葉に相槌を打ちながら、

智美は彼女に言われた通り、後日その商家に対して監査を入れる事を了承した。

82: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(SSL) 2014/07/04(金) 22:44:49.61 ID:dhnWXJcK0
こんな世の中だから、きっとその商家は氷山の一角に過ぎないだろうが。

廻りへの牽制を含めた見せしめにはなるだろう。

だが、いつかはもっと根本よりこの国の腐った仕組みを覆さねばなるまい。

そのためにも、麒麟と誓約を果たした正規の王が必要なのだ。


智美「え、まだ誓約してないのか?」

菫「その前に気を失ってしまったんだ」

智美「菫ちん…まさかそのまま何の説明もなしに攫ってきた訳じゃないよな?仮にも仁の獣だろ?」

菫「??王気を纏っているし、間違い無く私の主だ。ここに連れてくるのは当たり前だろう?」

智美「……ワハハ。目を覚ました時に混乱しなきゃいいけどなー……」
  
どこか一般の感覚とずれているこの国の台輔に、智美は多少呆れておく。

が、そんな心配などせずとも数日間、名前も知らぬ菫の主が目を覚ます事は無かった。

誓約を交わさず神籍にも入ってないから余計、体調不良が続いているのかもしれないと

世話をしてくれた女御は言っていたが。

83: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(SSL) 2014/07/04(金) 22:50:00.91 ID:dhnWXJcK0
2日後ぐらいしてとうとう、熱を出し始めてしまった時の菫の狼狽振りといったらなかった。

息を乱し赤く染まった顔を見下ろして、青くなってしまった菫が

彼女を無理に抱き起こそうとしたのを智美と女御の二人で慌てて止める。

智美「おいおい、菫ちん、やめろー!」

菫「離せ!はやく、誓約を…私を置いていくのは許さない…!」

智美「お、重っ!?そんな深刻に考えなくても」

女御「台輔、今までの疲れが溜まってらっしゃるだけです、お、落ち着いて下さい!」

智美は酷く脱力した。と同時に仕方ないかな、と思う部分もある。

多分この神獣たる少女は自らの胸の内に渦巻く感情でいっぱいいっぱいなのだ。

智美とてどんなに菫がその身を粉にして自らの主を探してきたのかよく知っている。

その存在が確かに目の前にいるというのに、麒麟として心を通い合わせる事もできない現状に酷く戸惑っていた。

だからこんなにも菫は苛々し続けているのだ。


だが、しかし。彼女にはこの国の台輔としての役目がある。

真面目の代名詞みたいな奴だから、心ここに在らずの癖に菫がその役目を疎かにするような事はない。

ただ、役目が終わると今までのように外へ向おうとはせず、

変わりに自らの内殿に引き篭もるようになってしまったのだから周囲は不思議に思っただろう。

84: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(SSL) 2014/07/04(金) 22:56:09.86 ID:dhnWXJcK0
ちなみに、麒麟と誓約を交わしていないのならば未だ眠り続ける少女はまだ王ではない。

ならばこの存在を表立って知らせる事もないだろう。

新たな王の存在を知れば、保身のため取り込もうと躍起になってくる畜生共の姿は容易く想像できた。

菫「せめて誓約を果たし、現状を理解して頂くまでは公にしないほうがいいだろうな」

智美「だな。あいつら、新王が出てきたら必ず自分達の都合のいい事しか言わないぞ」

そうやって今までこの王宮にて権力を思いのままにしてきた畜生共だ。

見苦しいな、と心底嫌そうに呟く菫に対して、智美も違いない、と人が悪そうに笑った。

 

次の日の、官の集まりの時での事だった。

代わり映えの無い奏上を官が読み上げる中にあって、突如として勢い良く立ち上がった姿があった。

座っていたはずの椅子が倒れ、その音が広い室内によく響いたため集まった全ての官の視線がそこへと向かう。

智美も同じで、自らの視線を向けると……珍しい事に、台輔の長身が見えた。

周りがざわつき始める中にあって、彼女はその場に立ち竦んだまま微動だにしない。

ただ何も無い空間をじっと睨み上げている姿を不思議に思った。

まるで自分達には見えない何かが、彼女には見えているような視線。

…そういえば、そんな姿を、つい最近智美は見かけたような気がした。

85: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(SSL) 2014/07/04(金) 22:59:41.78 ID:dhnWXJcK0
あれは、確か…と思い出そうとしたが、

先に台輔である菫が、突如として動き出したから思考は中断した。

ざわつく周りを気にも止めず、その場で踵を返した彼女は早足で歩き出す。

側に付いていた官が慌てたように、その背に声を掛けたが振り返る事も無く

菫はあっという間に室内から出て行ってしまった。

後に残された官達が訝しげに言い合う中、結局この集まりが終わっても菫が戻ってくる事はなかった。


菫の様子が気にはなった智美は、仕事が片付いたら顔を出してみようかなと一人廊下を歩いていた。

丁度行きかう人も無く、人気の無い廊下へと足を踏み入れた瞬間。

ぐにゃり、硬い床が波打った。

驚き智美がそこで足を止めると、目の前の地面から姿を現したのは鳥の羽を生やした女怪の姿だった。

智美はすぐにそれが菫の使令だと思い至る。

現れた彼女は感情を含まない声で智美へと伝える。

『台輔がお呼びです。主上がお目覚めになられたと』

智美「!」

『どうぞ。東の、中庭へ』

智美「??なんで、そんな所に」

『丁度女御が席を外している時にお目覚めになられ、無理に動かれたようです。急ぎ、台輔が王気を辿りました』

86: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(SSL) 2014/07/04(金) 23:03:51.64 ID:dhnWXJcK0
それでか、と智美は先程の菫の様子に合点がいった。

先ほどの何もない空間を睨み上げていた菫の様子。

あれは、彼女にしか感じ取れない王気を辿る仕草だったのか。

と、同時に智美は麒麟の少女に向かって、ほら見たことか、と言ってやりたい。

付き合い始めてわかるのだが、菫は真面目すぎる上に不器用過ぎる。

しかも言葉が足りない癖に、行動力だけはあるので更に手に負えない。

まだ何の説明もしていない主に対して、あの不器用すぎる様で彼女の真意を上手く伝え切れるのだろうか。

智美はとても心配になってきた。


とりあえず知らせにきてくれた使令へ了承の意を伝えると、

智美は言われた通り中庭へと早足で向かった。

そうして、この日に見た光景を生涯忘れないと思う。

薄暗くなった中庭の中でも、その姿は浮かび上がるよう目に焼きついている。

視線の先に佇む少女に対しては、弱々しく目を閉じている儚い姿しか見たことがなかった。

それが、今、確かな意思を宿した双眸を持ってして智美を見返している。

87: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(SSL) 2014/07/04(金) 23:06:55.90 ID:dhnWXJcK0
確かに全身は今までの辛い生活のせいか痩せ細ってはいるが、見返してくる瞳に怯えや嘆きは無い。

それに少女の傍らには、珍しい一角を掲げた獣が寄り添うように付き従っている。

一つの国に、たった一頭だけ存在する麒麟の姿。

それが今、確かに隣の少女に向かって深々と頭を垂れた。

智美は目を見開く。

神獣である麒麟は、相手が神仙であろうと他者に頭をさげることは本能的に不可能な孤高の生き物。

だがしかし、その麒麟が唯一叩頭する存在がある。

自らが、天意を持って選定した主たる王がそれだ。


つまりこの瞬間、智美が見つめる先に佇む少女は麒麟との誓約を経た、

正真正銘の、この国の王だという事。

 
智美は咄嗟に込み上げてくるものを飲み込んで、その場に膝を付いた。

湧き上がる熱を堪え、眼前の対の存在を食い入るように見つめる。

ここにやってくるまで智美は自分自身をそんなに愛国心の強い人間だとは思っていなかった。

むしろ、生きるための選択の結果でしかなかったのに。

ただ訪れてまじまじと眺めてきた歪みが酷い王宮の光景は自分の心境に変化を与えた。

そして、今まで生きてきた自分の国を省みて……どうしようもなく虚しくなったのだ。

88: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(SSL) 2014/07/04(金) 23:11:13.06 ID:dhnWXJcK0
王がいなければ天変地異の果てに人の心も容易く歪んでしまう。それが当たり前になってしまう。

事実、智美は麒麟の少女に出会うまでは半信半疑、その世界を許容していた。

でも、違うと気付いたのだ。

智美の平凡な両親が真っ当に評価され、真っ当に生きていける世界を願う事はいけない事ではない。

この国の、本来の姿。

王が平常に存在する世界になれば、人は、きっと今よりも遥かに希望を胸に抱いて生きていけるはず。

智美は、先に王たる少女の傍らを佇む麒麟を