ぐに駆け足となり、地面を蹴っていた四足は徐々に空気を蹴って空を駆け始める。

速度が増し受ける風圧から守るよう、菫は更に強く咲を抱き込むと瞼を閉じた。



■  ■  ■


37: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(SSL) 2014/07/04(金) 00:33:28.12 ID:dhnWXJcK0
咲が瞼を開けた瞬間、見知らぬ天井が見えた。

だから記憶が混乱したのは確かで、尚且つ身を起こした場所が今だかつて経験した事もない、

柔らかい布団が敷き詰められた豪奢な寝台の上だったから腰が抜けそうになった。

慌てたようにその場所から駆け下りると、床に倒れこみながらも自分の姿に気付く。

纏っている清潔な白い寝間着は生地も良く、

こんな品、旅商人より諸侯への献上品だと見せられただけで触った事もない。

しかも、体中に受けていた打撲や裂傷の痕には包帯が巻かれ、塗布された消毒薬の臭いがした。

震える腕を上げ、頬に手の平を当てるとそこにも柔らかい布が貼り付けられていて、

全身を丁寧に手当てされている事がわかった。

だが、どうして自分がそんな扱いを受けるのか咲に心当たりが無い。

記憶も混濁している。

38: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(SSL) 2014/07/04(金) 00:36:45.18 ID:dhnWXJcK0
ここで目覚める前、自分には今まで生きてきた場所があったはずだ。

恐ろしい主人と、最低限の生活を送る中でいつの時も肌寒さに震えていた商家での生活。

そんな場所から、なぜ突如としてこんな豪奢な部屋の中に寝かされる事になったのか。

咲はぐるり、室内を見渡す。

置かれた調度品や室内の細工、その一つとっても…商家の主人の部屋のものより煌びやかで繊細に見えた。

暫し、天井に施された細工に見惚れてしまっていたが、

ハッと正気に戻ると咲はその場に立ち上がった。

咲「……」

幸いにもここには咲一人だけのようで、辺りに人の気配も感じない。

そんな中で自分の状況が掴めないのだから、自身が動き出すしかない。

纏っていた質の良過ぎる寝間着に気後れは覚えたが、

裸のままで歩き回る訳にもいかないし考えない事にする。

39: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(SSL) 2014/07/04(金) 00:41:20.26 ID:dhnWXJcK0
どれくらいここで横になっていたのか、歩き出した体は多少軋んだ。

その痛みに顔を歪めながらも、重厚な扉に手を当てて押すと思ったよりもすんなり開いた。

頭半分、通路に顔を出し辺りを見渡す。

ガランとした廊下は左右両側に延び、どちらを見ても無限に続いているような錯覚を覚える。

一体、どれ程大きな建物なのだろうか、ここは。

また、胸中に生まれてきた気後れに押し潰されそうになるが

咲は意を決して、誰もいない通路へと足を踏み出した。



どれ程歩いたのか…同じような景色が続く通路を暫く歩き続けた。

途中、余りの人気の無さに、見知らぬ扉の先を覗いてみたがどれも豪奢な間取りの部屋だけで。

鍵の掛かっている部屋もあったがやはり人気はなかった。

不安に押し潰されそうだったが、そのまま暫く進むとやっとで開けた場所へと辿り着く。

そうして、抜きぬける風を感じた。

建物を抜けた先には、東屋があり中庭のような空間が広がっている。

40: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(SSL) 2014/07/04(金) 00:44:24.29 ID:dhnWXJcK0
やっと外に出たのか、と咲は小さく息を吐いた。

そのまま外へと向かう。このまま歩いていけば、街道にでも出るだろうか?

そうすれば荷馬車に乗れるかもしれない。

咲自身が置かれている状況がわからないこの現状より、

どこかの町にでも辿り着けば自分がどうすればいいのか判断できる。

多分、自分は何かの手違いでこんな場所に運ばれてきたのだろう。

間違いだと分かればいらぬ面倒事に巻き込まれるのは必然で。

その時、咲には何の後ろ盾も、親すらいないのだから反論する術がない。

ならばこのまま逃げてしまった方がいい。…その後どうするかは、町に無事ついたら考えよう。

無一文だが、身に纏う衣服と交換すれば暫くの旅費にはなるはず。

そう道筋を考え、続く芝生の上をサクリサクリ歩き始めた。

が、そんな思惑は5分ほど歩いた所で閉ざされてしまう。

41: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(SSL) 2014/07/04(金) 00:48:59.96 ID:dhnWXJcK0
咲は呆然と、途切れた芝生の向こうに広がる雲の海を見つめていた。

吹き抜ける強い風に視界を細めると、雲の合い間を縫って、雲の下にある街の明かりが確かに見えた。


そんな、馬鹿な―――――戦慄く唇でどうにか呟く。


咲「こ、ここは、空の……上?」

菫「雲海の上にある居城だからな」


独り言だった。

誰かに向かっていった言葉でもなかったが、それに対する答えが背後より届く。

咲は驚いて振り返った。

そこには背の高い、見覚えのある姿が立っていた。

秀麗な顔を僅かに顰めながら、咲だけを凝視するその眼差しは…咲の記憶を呼び起こす。

ここで目覚める前、咲が最後に見た姿だ。

やはりこの少女が咲をここへ連れてきたのか。

だが、見つかるのが早いと思う。

部屋を抜け出した時に人の気配はしなかったし、何よりあそこからかなり咲は歩いたのだ。

事実、少しの息切れと動悸を咲は覚えていた。

42: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(SSL) 2014/07/04(金) 00:54:38.73 ID:dhnWXJcK0
だが、目の前の少女は少しの体調の乱れもみせず、

まるで咲の後ろに立っていたのが当たり前という風情で佇んでいる。

咲「どうして、ここが…」

菫「私にあなたを見失えという方が無理な話だ。どこにいても居所は分かる」

咲「?」

意味がわからない。もしかして見張られていたのだろうか。

怪訝な表情を浮かべた咲の胸中などお構いなしに淡々と問われる。

菫「…ここにいる理由も確かめず、逃げようとしたのか?」

核心の言葉。しかも的確であり、咲は責められている気がした。

咲「………だって、こんな所、怖いじゃないですか」

知る人など誰もいない。むしろ、人すらいない。

尚且つ、空へと隔離されたこの景色。

なにもかも現実離れしている。

そう咲が吐き出した言葉をどう思ったのか……少女はその双眼をスゥ、と細める。

43: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(SSL) 2014/07/04(金) 00:58:08.43 ID:dhnWXJcK0
菫「元々、いた場所よりも?」

咲「…っ!」

鋭く指摘され、咲は咄嗟に包帯が巻かれた腕を擦った。

…手当てされているが、擦れば仄かな痛みを感じる。

確かに、今まで咲がいた場所は決してよい所だったとは言えない。

それでも、咲にはあの場所でしか生きていく術が無なかった。

生傷は耐えなかったが、あそこにいる限り咲は自分がどこに立って、何をすればいいのかは理解していた。

間違っても今のように、現状を理解できず足元が覚束無い感覚を受けた事はないのだ。

だから、ジリ、とその場より一歩後退する。背後より、強く吹き抜けてくる風を感じた。

そんな様子の咲へと、少女の言葉は続く。

菫「私の話を聞く気もないか?」

咲は頷く。咲には理解できる世界だけでいいのだ。

今までそうやって、目立たず生きてきた。

咲「聞いて面倒事に巻き込まれるのは御免です。…お願いです、下に降ろして下さい」

菫「………」

44: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(SSL) 2014/07/04(金) 01:01:25.31 ID:dhnWXJcK0
そう言い捨てた咲の言葉を聞き、一瞬見返す先にある紫色の瞳が動揺したかのように、ゆらり揺れた。

気難しそうな少女の眉が顰められ、思案するよう押し黙る。

そのまま、どれだけの時間が経過したのか。

きっと1、2分の事だったと思うが咲には凄く長い時間に思えた。

菫「なら、一つだけ。私の頼みを聞いてくれたら帰してやる」

咲「…頼み?」

訝しげに咲が聞き返すと、少女は浅く頷いた。

菫「今から、一文の文句を言う。他愛も無い、まじないのようなものだ」

菫「それを私が言い終えたら『ゆるす』と言え」

咲「???」

菫「『ゆるす』だ。それだけでいい。簡単だろう?」

咲「言えば、帰してくれるんですね?」

菫「ああ、……信じるか信じないかは勝手だがな」

そう硬く言い放つ少女の姿を、改めて咲は見つめる。

45: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(SSL) 2014/07/04(金) 01:06:00.74 ID:dhnWXJcK0
考えてみれば不可思議な存在だ。

どこからともなく現われ、こんな奇怪な所に住んでいる。

しかも、どんな手品かは知らないが彼女は人に恐れられる妖魔をも従えている。

決して普通の人間とは言えず、咲は少女に対して恐れを抱いてもいいはずなのに……

なぜか、そんな気持ちは沸いてこなかった。

多分、彼女は気難しい雰囲気を纏ってはいるが、いつの時も咲の意志を尊重しようとする。

体格を考えても、妖魔を従えるその力を考えても、咲に対してそんな譲歩など無用のはずなのに、

どうしてか少女は咲の声を聞こうとしていた。

なぜ……そう思った瞬間。

あの時、妖魔に怯え、咲が気を失おうとした時。

閉じる寸前の、視界の向こうで咲を気遣うようにして揺れた彼女の瞳を忘れてはいない。

だって、咲は生まれてこの方、あんな風に誰かに気遣われた瞬間など唯の一度も無かった。

だから、気が付いたら言っていた。

46: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(SSL) 2014/07/04(金) 01:09:38.20 ID:dhnWXJcK0
咲「…あなたは、嘘を付く様には見えないから…信じます」

その言葉が届いたのだろう、少女は一瞬目を見開く。

と、すぐに薄っすら微笑んだ。

気難しそうな雰囲気は成りを顰め、どこか嬉しそうに笑う姿を見るのは初めてで、

咲は自分がそんなに可笑しな事を言っただろうか心配になってきた。

咲「何ですか?」

菫「…いや、たかが言葉一つで。私も随分単純だなと思って」

咲「???」
 
混乱する咲を前に、少女は浮かべていた笑みを消すと一気にこちらへと詰め寄ってくる。

後ろに逃げる間さえ与えず、ずいっと眼前に立ち塞がった姿を咲は見上げる。

咲「あの」

声を掛ける。が、それに反応するでも無く、少女はすぐに目の前で膝を折った。

咲はぎょっとする。

突如消えた姿を追いかけ、下を向くとまるでそこに蹲るようにする少女の姿があって、

そのまま放っておけば彼女の頭が、自分の足に当たってしまうと焦った咲は足を引き下げようとする。

47: VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(SSL) 2014/07/04(金) 01:13:55.50 ID: