私のSNSでのスタンスについて、一度整理しておこうと思います。
これは特定の誰かへの反論や批判を目的としたものではなく私自身がSNSにどのように向き合い、何を基準にし物事を判断してくか、というスタンスをまとめたものです。
考え方は人それぞれでありこれが唯一の正解ではなく一個人の価値観として読んでいただければと思います。
まずはじめに。
私は
『批判派(アンチ)』と呼ばれる人
『擁護派』と呼ばれる人
そのどちらでもなく観測する人
全てに、素敵だと感じる方々がいらっしゃいます。
私はハッキリした人や素直な人が好きです。でも好きな人たちと「思想や思考が全て同じ」ではありません。それでも人柄が好ましいと思っています。
彼等彼女等が、私の主義主張と違うことをしていても、自分の何かしらの琴線に触れなければ止めることはありません。
なぜならまず大原則として
『SNSでの個人は自由であったほうがいい』
と思っているからです。
ただしそれはパブリックでの発言ですから、批判するのも自由であるべきという考えです。
そしてそれに反論や反撃がある事も含めて、自由と責任を重んじます。
次は私が違和感を持つことについて書きます。
まず、
『誰が言ったか、好きか嫌いか、強い側か弱い側か、どの派閥に属しているか』
といった要素が証拠や論理、一貫性よりも、判断に影響しているように感じるときです。
人間が持つ認知バイアスや集団心理がSNSという環境で増幅され
レッテル貼りやダブルスタンダード、集団での攻撃、思考停止が起こりやすくなるためにそのような現象になることが散見されると感じました。
ダブルスタンダードも、気になる事です。
同じ行為なのに、
自分の言動はよい。
自分も相手も似た環境で生きているが自分は正しい。
それなのに、嫌いな相手は全て罪である。
そして、悪くないことまで悪いことにする。
私は、それらの基準は誰が相手であっても変えるべきではないと思っています。
だから「たくさん人を不快にさせた人に対してだから何をしてもいい」という考え方は賛同できません。
一方で、私は「普通は」「常識では」「みんな」という言葉にも慎重でありたいと考えています。
それらは便利な言葉です。
でも、ときに個人の価値観を社会全体の価値観であるかのように見せてしまいます。
また
「効いてる」「お気持ち」「論点ずらし」などの馬鹿にしたり揶揄したりする言葉も、本来の論点を検討するためではなく、相手を会話から排除するたに使われてしまう場面があるように感じています。
SNSでは、多くの人が限られた情報の中で判断をしています。
そのため、
・強そうに見える人
・自信を持って発信している人
・多数派に見える人
へ意見が集まりやすいこともあるでしょう。
心理学では、ラベリングやハロー効果、バンドワゴン効果など、
人の判断に影響を与える認知バイアスが知られています。
SNS、とくにXの現状のアルゴリズムではそうした影響を受けやすい環境でもあると私は考えています。
攻撃する側も、比較的される側である人も、自分がダブルスタンダードになっていることに気付いていない場合があります。
悪意というより、自己正当化や認知バイアスによって、自分では矛盾が見えなくなってしまうことは、誰にでも起こり得ることです。
繰り返しになりますが、
これはあくまで私の思想であり思考です。
これらの言動をしたりだんだん感覚が麻痺しダブルスタンダードになってしまっても。
それに対して批判されても。
フォロワーがゼロのポストでない限りは、そういうことは起こり得るけれど、自由だと思います。
ですので、私は自分自身がどう向き合うかを大切にしたいと思っています。
私にとってSNSは、「正解がある場所」ではない。
人間の認知バイアスや集団心理を理解し、自分自身もそれに飲み込まれないよう意識しつつ自分をしっかり保つ意識が必要であると分かりました。
これが今の私のSNSにおけるスタンスです。