【反AI】手描きに誇りがあるというのなら、その誇りを示せよ【生成AI】
自由に描けるというのに
文字に頼るのは情けないと思わないのか?
こんにちは、ゆきかんむりです!
Xで海外勢と日本勢が著作権についてドンパチしている中、反AIでは新たな神輿を担いでいたようなのでそちらについて思ったことを書いてみようと思います。
こちらの投稿が対象です。
— 梅雨 (@hunsng218715) April 16, 2026
「文字に頼る絵は絵ではない」
デザインを学んだ者すべてが同じ考えの師に従事していたわけではないと思うし、同じ専門であっても考え方が異なるということもあるでしょうがその前提でお話します。
絵とは2次元的な情報です。従って表現としてはパッと見た時に主張が見て取れるものこそが絵としての表現に求められる要素となります。いわゆる思想の表現というものですね。
ところが、書いてある文字を読まねば理解できないとなると話が変わってきます。どういうことか例示してみます。(従って今回行う「翻案」は説明に必要な改変を伴う「権利制限規定」に該当します)
▲AIにヘイト感情を持っていると「文字を読んで」理解できます
▲絵が主張を説明できない典型例になってしまった
▲むしろキャラクターのポーズ、手に持っている物、表情、構図全体で言えば「反反AIの心理を表している」傾向が強く見られる
既存の主張に頼ったがために生じた「非表現」
「絵で表現する者」であるにもかかわらず、ゼロベースから思想を構築しなかったためにこうした「思想の提示に失敗」するようなパターンに陥ってしまうんですね。
もう少し細かくみていきましょう。
▲生成画像だが、これは筆者が「AIを拒絶したい思想」を表現したものである
例えばこの画像に如何なるテキストを追加したとしても、文字よりも画像としての主張が勝るため違和を生じさせる。
▲主張(画像のキャラクター)と主張(テキスト)が同調する場合、違和感は発生しない
しかしこれを……
▲逆の主張をテキストで行ったとしても、キャラクターのシチュエーションと内容がかけ離れており違和感を覚える画像になってしまう
▲テキストがなくとも筆者の意図が残っている様にみえる。シンプルな仕草ほど意味合いは消えないということだ
これはそもそも「デザイナーがあるテーマを主張するとき、見る側に正しく伝えられるかを意識するデザインの基礎」つまり認知心理学を修めていないことを示しています。
反AIを唱えるのであれば、相応の知識がある人間が多数だと理解しがちですが、実際にはそうではない事もあるということです。もっとも、絵描き崇拝者のような過激な人達にとってはそういった体系的なお話はタイクツすぎて気にも留めないのでしょうが。
デザイン学だって立派な学問だし、先人が組み立ててくれた知識であり、尊重すべきなのですけれどね……。
おわりに
よく反AI諸氏が述べる「生成画像には著作権はない」という主張。それらの大元には「作成者の意図が感じられない、思想を表現していない、従って著作物には当たらない」といった要素が柱となっています。
しかしながら「では手描きであっても作者の思想が曖昧なものは著作物ではないというのか?」と反論せねばならなくなりますし、今示した通りに生成を指示した人間が意図や思想を出力させることは幾らでも可能なのです。
批判をするのであればまずは触ること。食わず嫌いのままで居るということはクリエイターが最も犯してはならない失態であり、クリエイターを自負する者は今一度この資質を問い直してほしいと思いました。
ご拝読いただきありがとうございました!
ちなみに参考にしたイラストについてはキャッシュ機能のみを利用し、ストレージには保存された経緯がない事を申し伝えておきます。
見出しの画像、どちらにするか割と迷った……。
反AIの心理を描くとすると多分1枚目なんですよね。


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