朝日将軍義仲と諏訪 〜幼少期編〜

平家を京都から追討した英雄•源義仲。実は彼と共に戦った諏訪大社下社の大祝一族の人々がいました。 本シリーズでは、朝日将軍義仲と諏訪の関係に迫る!

その日、朝日は昇った

平安末期。それは動乱の時代。
都では保元の乱、平治の乱が勃発したことにより、朝廷の権威は弱体化。そして権力の表舞台に躍り出たのは平清盛が率いる平家。いよいよ、武士の時代が始まろうとしていた。

それから20年近くの月日が流れた。
今や平家はこの国の頂点に立っていた。内裏の要職は思うまま解任。謀反を企てるものは島流し。そして遂には後白河法皇を幽閉。今や平家に敵は無いかと思われた。

その時、平家に対し皇族の以仁王が源頼政と共に挙兵。しかし、二人は平等院鳳凰堂にて平家軍に敗れ討死。たが、以仁王の平家追討の令旨は全国の源氏に届いていた。
そして意思は引き継がれ…
鎌倉の頼朝。甲斐の武田。木曽の義仲が反旗の白旗を掲げる。ここに源平合戦が始まった!
それから源平両雄の合戦が各地で繰り広げられる中、源義仲が率いる木曽軍は倶利伽羅峠にて平維盛率いる七万の平家軍を撃破。勢いに乗った木曽軍は京都を目指し、破竹の勢いで進む。そして寿永二年。遂に義仲は、京から平家を都落ちさせたのだ。

その日、平家の独裁により、闇に包まれた都に陽光が照る。朝日は昇った。これにより義仲は、法皇から朝日将軍の称号を賜る。

この日本の歴史を変えた一人の英雄を支えた氏族の中に、実は諏訪大社下社の大祝一族である金刺氏がいた。

今回は朝日将軍義仲と諏訪の関係について迫る!

Aiさんに描いてもらった義仲殿↓

義仲の矢倉

義仲は幼い頃、大蔵合戦にて父・源義賢が源義朝との争いで、源義平に殺されてしまいます。それから斉藤実盛に匿われた後、中原兼遠に連れられ、信濃の諏訪に逃げ延びます。
そう、この諏訪こそが義仲の始まりの地。では、何故諏訪だったかというと、中原兼遠という人物が諏訪大社の神官だったそう。おそらく、諏訪大社上社の勢力も、先の前九年・後三年の合戦にて源氏に接近していたので、下社も源氏の血を引く義仲を匿い、源氏との繋がりを作ろうとしたのでは無いかと考えられる。この時期から金刺一族の人々と義仲の繋がりができ始めたのだろう。

実は下諏訪には幼き義仲が過ごした伝承の地がある。それが義仲の矢倉。これは諏訪大社秋宮後方の桜城跡の中腹にある小さな遺跡だ。見た目は斜面をくり抜いた空洞になっている。実際は義仲が匿われた言い伝えから、この矢倉(武器庫)を築いたとされている。

義仲の矢倉↓

それから幼き日の義仲は、このあたりを駆け回って育っていく。その名残として、義仲の矢倉の周辺にある坂道を駒王坂という。駒王とは義仲の幼名である駒王丸からとったものだ。

もしかしたら、中原兼遠の息子達である四郎(兼平)や次郎(兼光)、幼馴染である巴と仲良く遊んでいたのかもしれない。
義仲好きにとってはこんな妄想も広がるスポットでもある。

しかしその後、兼遠は諏訪も危険と感じ、義仲は木曽へ移される。それから平家追討までの間の大部分を、木曽の地で過ごすことになった。

「朝日将軍義仲と諏訪 〜山吹編〜」へと続く!

次回、義仲は金刺盛澄から縁談を受ける!ついに金刺一族と義仲の繋がりがより一層深くなっていく。

お楽しみに!

今回の歴史の詳細↓

ico
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