己巳日と弁財天 ― 「財運の吉日」を水から読み解く
本日は、己巳日(つちのとみ)。
暦の本やネットでは「財運に良い日」「金運最強日」などと紹介されることが多い。
十二支の「巳」はヘビを表し、ヘビは弁財天の遣いとされてきた。
弁財天は、もともと水と音楽・言葉の女神であり、やがて財福と芸能の神様としても信仰されるようになった存在である。(jinjajp.com)
弁財天の縁日が「巳の日」。
その中でも、十干の「己〈つちのと〉」と重なる己巳日は、六十日に一度の「とくに財運が強い日」として意識されてきた。(jinjajp.com)
「己」は五行で「土」、しかも「金を育てる土」の気を持つとされる。
そこに、巳(蛇=弁財天の遣い)の財運エネルギーが重なるので、財布の新調、貯金や投資のスタート、芸事の習い始めなど、「お金や才能の流れを、これからどう育てていくか」を決めて動き出すには、とても縁起の良い日だと説明されることが多い。(zired.net)
けれど、ここで一つ引っかかる。
そもそも、なぜ弁財天は「水の女神」なのに、「財運の女神」でもあるのか。
ヘビや巳の日、そして己巳日が、どうして「お金の話」へとつながっていくのか。
ここから先は、その理由を「水」と「水神」の物語として、少し遠回りをしながらたどってみたい。
天之御中主 ― まだ何も分かれていない源
日本の神話では、天地がまだ固まらず、上も下も分かれていない「混沌」のような状態のとき、最初にあらわれた神として天之御中主神が語られている。
名の通り、「天のまんなかに坐す主」。
宇宙の中心軸、あるいは「まだ何も分かれていないいのちそのもの」としての源の意識だと感じている。
ここには、まだ「水」も「火」も「土」もない。
あるのはただ、「いのちがあらわれ得る場」と、その中心となる静かな一点だけだ。
最初にあらわれる現象としての「水」
その源から、最初の現象として立ち上がるもののひとつが「水」だと、拙者は感じている。
水は、ただの物質ではない。
流れうる。
かたちを変えうる。
周りのものを映しうる。
そして何より、「いのちを宿し得る」。
微生物が息づき、植物が根を張り、動物や人間のからだを満たす。
水がなければ、いのちは続かない。
だから水は、「いのちの器」であり、「いのちを運ぶエネルギー」そのものでもあるのだと思う。
水の「質」を調える瀬織津姫
しかし、水であれば何でもよいわけではない。
清い水もあれば、濁った水もある。
からだや土地を生かす水もあれば、弱らせてしまう水もある。
その「質」を調えるはたらきとして、拙者は瀬織津姫を感じている。
古い祝詞である大祓詞では、瀬織津姫は「神大川に坐す」祓いの女神としてあらわれる。
人の罪や穢れを受けとり、それを速い川の瀬に流し、海の底へと運び去る存在として歌われている。(linderabell.com)
ここで扱われているのは、「水の質」と「いのちの循環」の関係だ。
誰か一人にとって都合のよい水ではなく、その場に関わるいのち全体にとって、どう働く水なのか。
その観点から、水の波動や情報を祓い浄め、整えていく。
拙者にとって瀬織津姫とは、「いのちにとっての水の質」を調える女神なのだと思う。
質の整った水に「向きと勢い」を与える龍神
そして、ここに加わってくるのが龍神である。
日本では古くから、水を司る蛇や龍の姿が、水神そのもの、あるいはその使いとして信じられてきた。
川や滝、湖、雨雲の奥に、うねる龍の気配を見ていたのだろう。(kenpokumiai.jp)
龍神は、拙者の感覚では「水を動かすベクトルとダイナミクス」そのものだ。
瀬織津姫が、水の質や波動を整えるレイヤーだとしたら、
龍神は、その整った水に「どこからどこへ」「どんな勢いで」流れていくかという向きとスピードを与える存在である。
だからこそ、「清い水」でないと、本当の意味では龍神は働かないのだと思う。
濁った水をいくら勢いよく流しても、行き先を汚してしまうだけだからだ。
まず瀬織津姫の祓いで、水といのちの質が整えられる。
そのうえで龍神が、その水を必要なところへと運び、循環させていく。
この二つがそろってはじめて、「生かすための流れ」が立ち上がる。
海の道としてかたちをとる宗像三女神
質が整えられ、龍神のベクトルを得た水の流れは、やがて「道」としてのスケールを持ちはじめる。
その大きな海の道の一つを象徴しているのが、宗像三女神だ。
田心姫命、湍津姫命、市杵島姫命。
九州北部から朝鮮半島・大陸へとつながる海路を守る女神たちであり、航海と交易の「道主」として信仰されてきた。(linderabell.com)
ここで扱われているのは、一本一本の川を越えた、「歴史をつなぐ海のネットワーク」としての水の流れだ。
質の良い水が、龍神のダイナミクスによって大きく動かされ、その結果として海の道や文化の往来、文明の交流が生まれていく。
水はここで、「地球規模の循環」と「人の歴史のルート」を同時に形づくる。
人間世界で「財」と「芸」に変わる弁財天
そして、水と流れの物語は、最後に人間世界で別の名をとる。
それが、弁財天である。
弁財天は、本来は水と音楽・言葉の女神サラスヴァティーが、日本で市杵島姫らと重なって生まれた存在とされている。(jinjajp.com)
水の流れは、ここで
- 音や芸術の流れ
- 言葉や学びの流れ
- そして「財」という、人間がつくり出したエネルギーの流れ
として姿を変える。
財もまたエネルギーであり、その流れと質がある。
汚れた財の流れもあれば、いのちを生かす財の流れもある。
財がどこから来て、どこへ流れていくのか。
その「流路」と「質」は、本来、水の物語の延長線上にあるのだと思う。
己巳日が弁財天と結びつき、「財運のよい日」とされる背景には、こうした「水と流れの物語」があるのではないか。
拙者はそう感じている。