上野国一宮 一之宮貫前神社(いちのみやぬきさきじんじゃ)
所在地:群馬県富岡市
御祭神:経津主神(ふつぬしのかみ)
姫大神(ひめおおかみ)
世界遺産・富岡製糸場から車で10分ほどの場所に、上野国一宮・一之宮貫前神社は鎮座している。
この神社でまず印象的なのは、「下り宮」であることだ。
貫前神社は、蓬ヶ丘の上に登り、大鳥居と総門をくぐったあと、石段を下って本殿へ向かう。
神社は通常、高い場所へ登って参拝することが多い。
しかし貫前神社は、丘に登ったあと、綾女谷と呼ばれる谷へ下っていく。
まるで深い水底へ沈んでいくように、階段を下りていく感覚がある。
日本三大下り宮の一つともされるが、実際に参拝すると、その特殊さがよくわかる。
総門をくぐり、石段を下った先に現れる楼門は、まるで龍宮城のようであった。
御祭神は、経津主神と姫大神。
経津主神は、物部氏の祖神であり、神代三剣の一つ「布都御魂剣」の霊威を神格化した武神とされる。
一方で、もう一柱の姫大神は不詳の神とされている。
一説には、綾女庄の養蚕・機織の神ともいわれる。
しかし『一宮巡詣記』には「本尊稚日女尊、相殿経津主命」と記されており、もともとは女神の方が主神であったことを思わせる。
ここが非常に気になる。
貫前神社には、鹿の肩骨を焼いて占う「鹿占神事」、養蚕・機織に関わる「機織神事」、さらに神事中に絶対に口をきいてはいけないとされる「御鎮神事」など、非常に古い信仰を感じさせる特殊神事が残っている。
単なる武神の神社ではなく、女神、機織、占い、沈黙、谷の聖地が重なっている神社なのである。
階段の途中、手水舎の上には月読神社が鎮座している。
他の末社が階段の上に置かれているのに対し、この月読神社だけが、本社へ下りる途中の重要な場所に祀られている。
これは偶然ではないように感じる。
宇佐一族は月神信仰を持っていた。
月読命は、豊玉姫、そして豊姫が祭祀した神であったと私は見ている。
そう考えると、貫前神社の楼門前に月読命が特別な位置で祀られていることは、姫大神の正体を考えるうえで大きな手がかりになる。
一般には、貫前神社は安閑天皇の時代に、物部姓磯部氏が祖神である経津主神を祀ったことに始まるとされる。
しかし私は、この神社の祭神は後世に物部系へ書き換えられている可能性が高いと感じる。
本来の主神は、姫大神。
その正体は、豊玉姫、あるいはその娘である豊姫に関わる女神だったのではないか。
宇佐神宮の中央に祀られる比売大神も、私は宗像三女神ではなく、豊玉姫の記憶を残す神であると考えている。
貫前神社の姫大神もまた、同じ系譜の女神であった可能性がある。
そして、この地で重要になるのが、上毛野国造家の竹葉瀬ノ君である。
竹葉瀬ノ君は、豊彦の子孫であった。
神功皇后の子である誉田別皇子が7歳で夭折したとき、皇后はその死を隠すため、同じ7歳であった竹葉瀬ノ君を秘密裏に養子として迎えたと伝えられている。
この竹葉瀬ノ君こそ、のちに応神帝と呼ばれた人物ではないかと私は考えている。
つまり、応神天皇として語られる存在の奥には、上毛野国造家、豊彦の血筋、そして宇佐の豊玉姫女王につながる系譜がある。
そう見ると、貫前神社が上野国一宮として重きを置かれた理由も、単なる物部氏の祖神祭祀だけでは説明できない。
ここは、竹葉瀬ノ君の宮であり、豊玉姫・豊姫の月神信仰を受け継ぐ、上毛野の重要な聖地だったのではないか。
楼門に囲まれた社殿は、江戸時代初期に徳川家光によって造営され、のちに綱吉の時代に大修理を受け、現在のような極彩色の美しい姿になったとされる。
本殿は「貫前造」と呼ばれる独特の構造で、内部は二階建てとなり、上段に神座が置かれているという。
稲含山に向けた「雷神小窓」も設けられており、ここにも山と神霊をつなぐ古い信仰が残っているように思える。
総門の近くには「蛙の木」がある。
太平洋戦争末期に、蛙に似たサルノコシカケが現れたとされ、経津主神の勇武にちなみ、「勝ってかえる」「無事かえる」として信仰されてきた。
現在では交通安全の守護としても親しまれている。
貫前神社は、勝運、交通安全、交渉成就、養蚕、機織、縁結びの御神徳で知られる。
しかし実際に訪れると、それ以上に、下り宮という特異な地形、姫大神の謎、月読神社、機織信仰、そして竹葉瀬ノ君の記憶が重なる、非常に奥深い一宮であると感じた。
物部の武神が表に立つ一方で、その奥には、豊玉姫・豊姫に連なる女神信仰と、上毛野国の古代王家の記憶が残されているのではないか。
貫前神社は、上野国という土地の成り立ちを考えるうえで、欠かすことのできない神社である。
※公式由緒とは別に、独自の調査・考察、地域伝承に基づく見解を含みます。