63.ハザール人①
画像はウィキペディアから転載。
「ユダヤ人」=ハザール人
ハザール人は、陰謀論者にはおなじみの民族です。
陰謀論によると、現在世界を支配しているアシュケナージ・ユダヤ人はユダヤ人を騙っているだけで、じつは邪悪なハザール人の末裔です。
なので古代イスラエルとは縁もゆかりもない人たちということになります。それらがヨーロッパ、米国、イスラエルに住み着き、ユダヤ人を自称しているわけです。
実際は、「ユダヤ人」自体も大変複雑な問題なので、「自称ユダヤ人の本当の母国はハザールだった!」「やつらはじつはユダヤ人ではなかった!」などと鬼の首を取ったように喧伝するのは誤っています。
もともと「ユダヤ人」は他称で、「ユダの地に住みユダの宗教を信じる人」という意味合いで呼ばれました。ユダの地にはユダ人のほかにもカナン人やイドマヤ人(エドム人の子孫)が住んでいました。
わたしが当時ユダの地に住んでユダの宗教を信仰していたら、わたしも「ユダヤ人」です。さらにいうと「本当のユダヤ人」です。
ですがわたしはユダの人ではありません。
戦争を行っている人たちがユダの人たちであれば、歴史的宗教的な意味はあることになります。
そしてわたしが戦争の首謀者だったとしたら、「本当のユダヤ人」だったとしても戦争をする資格はありません。
偽者の自称「ユダヤ人」については、いうまでもありません。事の複雑さがおわかりいただけたでしょうか。
(「イチから誤解する イスラエルとパレスチナ」。プロパガンダなのに複雑なのでだれも読んでくれない)
ヨセフスは著書『ユダヤ古代史』でこのように記しています。
ヒルカノス(一世)はまた、イドマヤの町ドラとマリッサを占領し、すべてのイドマヤ人を征服した。そして、かれら(イドマヤ人)が性器に割礼を施し、ユダヤ人の法を用いるならば、その国に留まることを許した。かれらは祖先の国で暮らしたかったので、割礼とユダヤ人の生活様式を受け入れた。このとき以来かれらはユダヤ人たることを変えていない。
何度もお伝えしてきましたが、アレクサンドロス大王はコーカサス南部に鉄の門を築き、ゴグとマゴグを封じ込めました。
もちろん伝説上の話です。ですが実際にコーカサス山脈付近に「鉄の門」らしき建造物が残っているので、ただのつくり話とは片づけられません。
そしてアレクサンドロス大王は、自分の生前から九四〇年後、ゴグとマゴグは鉄の門を突破し侵入してくるだろう、と予言しました。終末の大戦争です。
紀元後六二八年から六二九年、ハザール人はアルメニアとメソポタミア北部の大部分に侵入しました。
ハザール人は紀元後六世紀後半、現在のロシア南東部、ウクライナ南部、クリミア、カザフスタンのあたりに帝国を築き、七四〇年ごろユダヤ教に改宗しました。
現在世界を支配しているのは、アシュケナージ・ユダヤ人を自称する「ユダヤ人」たちでまちがいありません。
「ユダヤ人」は当然、アブラハムの子孫です。なので聖書にある約束のとおり、世界を支配する資格があります。
繰り返しになりますが、陰謀論者と一部のまじめな研究者は、アシュケナージ・ユダヤ人はアブラハムの子孫ではなくハザール人の子孫だ、という説を打ち出しています。
これが真実であれば、アシュケナージ・ユダヤ人はユダヤ人でもなんでもなかった、ということになるので、軽く世界がひっくり返ります。反ユダヤ主義とはなんだったのか、いま起きている戦争はなんのために行われているのか、などの疑問が噴出します。
なので本人たちは認めません。正確にいうと、「ユダヤ人」について正しく説明しようとしません。
本人たちはただ「わたしはユダヤ系です」というだけで、わたしたちは忖度して「はい」と答えるだけです。忖度の裏にはあのアウシュビッツがあります。歴史によると六百万人の「ユダヤ人」が虐殺されたのだそうです。
「嘘では遠くまで行けるが後戻りはできない」ユダヤのことわざ
事実かどうかは書きませんが、六百万人も殺すのはかなり大変です。
「ユダヤ人」の下にいるプロテスタント(福音派)たちは、ユダヤ人は旧約聖書のイスラエル人とつながっている、という固い信念を持っています。
ジョンズ・ホプキンス公衆衛生大学院の遺伝学者エラン・エルハイク博士は、東ヨーロッパのアシュケナージ・ユダヤ人の起源に関する一般的な説を覆しました。
論文『ユダヤ系ヨーロッパ人の祖先のミッシング・リンク』によると、今日のほとんどの「ユダヤ人」のルーツは東方、八世紀にユダヤ教に改宗したハザール帝国にあります。
当然、ウィキペディアから空気の読める学者たちまで、この説に猛反対しました。だれも世界の支配者たちを怒らせたくはありません。
ユダヤ教への改宗
ハザール帝国は、ビザンツ帝国とイスラムのウマイヤ朝、アッバース朝と三つどもえの関係にありました。
といってもハザールはビザンツとは一度も交戦せず、敵の敵は味方、という関係でした。
イスラム教の勢力はことあるごとにコーカサス山脈を超え、現在の南ロシアに侵入したのですが、迎え撃つハザール帝国が緩衝材になり、結果として現在のヨーロッパがかたちづくられました。
ハザール人たちがいなかったら、ヨーロッパはイスラム世界になっていたはずです。
ハザールがユダヤ教に改宗したのは、もちろん政治的判断です。イスラム教を選んだらカリフに精神的マウントを取られてしまいます。ビザンツのキリスト教も同じことです。
ハザール人は遊牧民なので、牧畜を行っていました。ですが経済の主軸は課税でした。黒海に流入するヴォルガ川下流域とドニエプル川の交易においてです。
中世初期のいわゆるユダヤ人は、ビジネスの一環として奴隷売買を行っていました。
西ドイツの住民は中央ヨーロッパに侵入し、スラブ系の住民を東に追いやります。そして土地を奪い、スラブ人捕虜を連れ帰り、ユダヤ人商人に売るという流れです。
ユダヤ商人は奴隷をほかの土地に運び、キリスト教やイスラム教の主人に売りました。
ハザール人も奴隷商人でした。スラブの領土を襲撃したのは、南方に逃げる奴隷を捕まえるためでした。そしてイスラムの市場で売り払います。このフットワークはまさにユダヤ的です。
ハザール人のユダヤ教への改宗は、経済的なメリットもありました。ユダヤ人になると異教徒に対して高利貸しができるようになるからです。タルムードの教えでは、異教徒からの利殖はむしろ推奨されています。
赤いユダヤ人
以前も少しお伝えしましたが、ハザール人は赤毛だったので「赤いユダヤ人」として知られるようになりました。
アラブの歴史家で地理学者のアリ・イブン・ムサ・イブン・サイード・エル・マグリビ(一二一三年~)は、ハザール人についてこのように報告しています。
かれらの顔色は白く、目は青く、流れるような髪は赤みが強く、体は大きく、性質は冷たい。かれらの一般的な容貌は野性的である。
敵側の報告なので、悪いほうにバイアスがかかっています。ですが描写によると、ともかく赤毛の白人です。
「赤いユダヤ人」は、イディッシュ語では「失われた十氏族」という意味になります。
イディッシュ語の「di royte yidn」は、イディッシュ民話の赤毛のユダヤ戦士で、キリスト教やイスラム教の支配下で暮らす虐げられたユダヤ人をいつか救いにやって来るキャラです。
迫害されてきたおなじみの東欧ユダヤ人が「誕生」したころには、ハザール帝国はすでに滅亡していました。なので「di royte yidn」、赤毛のユダヤ戦士は、「赤いユダヤ人」ハザール人とは関係ありません。
「赤いユダヤ人」という言葉も、もともとはユダヤのものではなく、ルーツは中世ドイツのキリスト教です。
ドイツ語の「Die Rote Juden」は、もろに「di royte yidn」に対応していますが、意味するところは「伝説的なユダヤ王国」です。
「伝説的なユダヤ王国」は、十三世紀から十五世紀のドイツの方言資料に登場します。ドイツ人たちは赤いユダヤをキリスト教の脅威として描いていました。
ゴグとマゴグに最初に言及したのは、預言者エゼキエルです。
そしてゴグとマゴグがコーカサスの向こうのどこかに住んでいるという信仰が生まれたのは、十三世紀からです。
預言者エゼキエルは、ゴグとマゴグがイスラエルの地を征服しようとしたとき、神の怒りによって屈服させられ、メシア時代が到来すると預言していました。
ドイツのキリスト教徒は、ゴグとマゴグを失われた氏族と同一視し、これらが反キリストの勢力であると信じ、赤毛と赤ヒゲの姿で描かれていたのでRote Judenと呼びました。Roteは赤という意味です。
ドイツ人は、ある日コーカサス山脈に閉じ込められている赤いユダヤが飛び出してきてヨーロッパ全土を制圧しようとするのではないか、と恐れていました。
そして赤いユダヤ人は、ヨーロッパの同胞ユダヤ人にペスト用の毒を提供するなどの援助をしていたのだそうです。
ちなみにペストは、黒死病とも呼ばれます。東ローマ帝国の皇帝ユスティニアヌス一世もかかったりしました。
伝染病とのことですが、このような壊疽は毒以外には起こり得ません。
古代でも中世でも、赤毛は嫌われ者でした。キリスト教徒は金髪や黒髪などの白人と赤毛の白人を明確に区別していました。
ですがいわゆるユダヤ人はほとんどが黒髪でしたので、赤毛嫌いはユダヤ嫌いとイコールではありません。
キリスト教の文書、ヘブライ語の写本などの挿絵には、赤い髪や赤いヒゲのユダヤ人が描かれていました。
この赤はただの象徴なのか、それとも悪さをするのはいつも赤毛のユダヤ人だったからなのでしょうか。
エドム人は赤毛でした。創世記二十五章にはこうあります。
彼女(イサクの妻リベカ)が出産する日が来たとき、胎内には双子の男の子がいた。先に生まれた男の子は赤く、その全身は毛の生えた衣のようであったので、人々はその子をエサウと名づけた。
エサウはヤコブ(イスラエル)の双子の兄です。ヤコブはエサウを騙し、赤いレンズ豆のシチューと引き換えに長子権をゲットしました。エサウはその日、かなりおなかが空いていたのです。
当然エサウは激怒し、ヤコブを殺そうとしましたが、のちに再会して和解し、涙を流し合いました。
偽典のヨベル書には後日談があり、エサウは息子たちに言い寄られ、ヤコブとその一族に復讐します。エサウは結局ヤコブに殺されました。
エドム人は、このエサウとカナン人女の子孫です。
ユダ王国のユダ人たちがバビロンに捕囚されたあと、エドム人はカナン人とともにエルサレムに移住しました。
そしてエドム人とカナン人は、バビロンから帰還したイスラエル人の「ユダの宗教」に改宗させられ、婚姻を重ね、外部の人たちからまとめて「ユダの地に住みユダの宗教を信じる人」という意味で「ユダヤ人」と呼ばれるようになったわけです。
エドム人といえば、先にお伝えした暴君の一族、ユダヤ王国を支配したヘロデたちです。悪の血を引いた赤い連中です。
長くなったのでつづきは次回お伝えします。
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