反戦淫夢炎上
導入
2025年6月、中核派が主催しているデモに反戦淫夢しようとして、怒られたとんでもないバカが居る。ワイである。
反戦淫夢とはデモやスタンディングで使う、戦争反対などのスローガンが書かれた紙、いわゆるプラカードを、淫夢などのネットミームを(一般人が見ても違和感を感じない範囲で)取り入れてデザインしたら面白いのではないかと始めた活動。ネットミームによる仲間意識を足がかりに現実の政治表現のハードルを下げ、排外的になる世論に抗っていこうという目的に活動してきたが、人を集めようと必死になりすぎた結果、会場近くで淫夢の缶バッジを反戦デモに便乗して渡すというオフ会イベントを思いつきTwitterで勢い任せに告知し、人権のために声を上げる人の場所で人権侵害コンテンツをばら撒くなんてふざけるなと批判を受けた。主催者に迷惑をかけることは1番やってはいけないこととして、28にもなって何やってるんだと普通に失敗だったと反省している。
現状誰も反戦淫夢に世間を敵に回してもやり遂げなければならないだけの価値があると思ってないし、間違えを認めたなら謝罪して辞めるという結論を出すのが大人としての正解だろう。しかし、ここで完全に辞めてしまえば、自分がやろうとしたことはただの悪ふざけのハラスメントだったとして終わってしまう。悪ふざけもあるが、それでもそれなりに有意義な目的もあるんだということを示すためには続けていかなくてはいけないと、筆を取ることにした。
今回の失敗は終わりではなく、多くの学びや気づきを得るきっかけであり、ここから反戦淫夢の新たな物語を紡いでいきたい。今回みたいに場を踏み荒らすようなやり方は懲りたのでもうしないが。批判の声は耳を傾けるが(誹謗はブロック)、自分自身がその言葉に心から納得できるまでは、完全に思い通りになってたまるかと意地を張り続ける。迷惑をかけておいてぬけぬけと自己弁護のために長文を書いてることに不快感を催すならブラウザバック推奨。この記事は整理と内省と記録が目的で読ませるための文章じゃないかもしれない。
愚か者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶという。 愚か者は愚か者らしく、何もかも経験で学んでみるがいい。
謝罪
まず、この記事を読んでいる方に自分の至らなさで迷惑をかけたり不快な想いしまった方々がいるかもしれないので、先に謝罪をしておきます。すみませんでした。淫夢というミームは、他人を安全な場所から一方的に面白がったり時にさらし者にする要素があり、また、男相手なら雑に性的にネタにしても許されるというノリを持っており、そうしたものに傷ついている人がたくさんいるにも関わらず、加害性を鑑みずに勢いに任せて軽率な行動を取ってしまったと反省しております。また本作品には性犯罪が登場するのにそれをそうしたものへの怒りを持っている人の場所でやったのは、失礼にも程があります。特に、現地で自分を同じ志を持って来ていると信じて親切にしてくれた方々に対し、そうした想いを裏切ってしまったことを本当に申し訳なく思います。問題ときちんと向き合い、独善的にならず自分の目指す理想と折り合いをつけ、自分の弱さと向き合いながらやろうとしていることが本当に世の中に必要なことなのか、それとも自己満足で面白半分なのか鑑みるように努めていく所存です。
動機の整理
動機は複雑で長いが、結局不勉強による無知による所が大きい。そもそも中核派というものはゲバヘルかぶってる警察によく捕まってる怖い人たちくらいの理解だった。かっこいいので中核派のデモに反戦淫夢で炎上してる中突撃したバカみたいに振舞ってるが、現実は当時、全学連というものを色々な学生政治団体が集まってる感じで、全学連のデモと聞いて中に中核派が混じってくらいに誤解してたが、全学連自体が中核派の機関で現地に行ったら気づいたら360度中核派だったという間抜けであり、迷惑系ユーチューバーのノリで荒らしに行った訳ではないということを最初に述べておきたい。
例え中核派知らなくともデモの案内にはゲバヘルが写っていて、普通の感性を持ってればここに淫夢プラカードで仲間集めて参加しようなんて思わないだろうが、先頭集団以外の一般人はプラカード持って行進するだけだろ、淫夢だとバレなければ迷惑をかけないと舐め腐ってバカを晒した。あの宣伝ツイートは中核派じゃなくても主催者に失礼だと普通の感性があれば3秒考えれば分かるが、なんというか色々な要素が絡み合ってて、その結果起こしたまさかの暴走として書きがいがある。
にゃるらはエッセイ記事で人に読んで欲しいなら、書きたいことを削って読みやすい文字数に抑えることが文章を書くコツだと言っていましたが、喜屋武京介は無視して長文書きまくります。
事件や事故が起きた時に警察が捜査するときの事情聴取では、事件直後の記憶が整理される前の情報が重視されるという。それは時間が経てば忘れる記憶があるだけでなく、仕方なかったと自分に言い訳するために都合のいい物語で自分を正当化しようとするからだとどっかで聞いたことがある。かなり時間が経ってから書いているので後出しじゃんけんもいいところだろうが、バカの脳内で整理がついて無い情報をそのまま電極を刺したようにネットの海に放流すれば、痛すぎて読んでる方も後々読み返す自分も共感性羞恥でファーww(泡を吹いて死亡)となるだろうから、動機が理解できるようなストーリー仕立てで取り繕うのは悪いことじゃないはず。こんなに文章が長いのは自分という存在のしょうもなさを分かった上で承認されたい、最後まで読んでくれる人なんてどうせ居るわけない(チラッ)というメンヘラの試し行為です。業者以外からスキが1つもつかなかったらヘコみます。
ネットコミュニティからリアルへ
ネットを居場所とする中で、ネットの言論空間で軍拡賛成・容認派のネトウヨやチーズ中道(後述)的な空気が作られていると実感してきた。その流れを止めようという流れを盛り上げるにはどうしたらいいのか考えてきた。政治思想とか長ったらしく書いても結局、居場所が欲しかったという私情に流されているが、最後はコミュニティや人と人の繋がりという話になってくるという結論に至った。政治界隈に入り浸ってきて分かってきたネットの言論空間の限界と、現実で活動する上で立ちはだかる壁を越えていくための一つのアプローチというのが反戦淫夢の位置付け。
相手の考えを否定したりする政治を居場所にするというのはナンセンスに思われるかもしれないが、趣味・興味関心の対象は自分で決められるようなものでは無いのでそこは突っ込んではいけない。
こういうのは、10代の青少年が書いてれば、悩み多き若者らしくていいなと思えるのかもしれないが、全く可愛げのないアラサー非正規こどおじが書いている。
まず、居場所とは…何か(ネットリ
自分とインターネットは切っても切れない関係だ。かっこよくいったが、ただのネットにしか居場所が無い🤓である。そしてそのネットの関係とやらも、いまいち溶け込めてない感があった。反戦淫夢炎上によって存在を知ってもらえて、自分を追って対等な立場でいいねをしあう、言葉の意味通りのフォロワーという存在に出会うまでは、フォロワーとはただの数字でバズってるツイートのリプ欄で存在をアピールすることでしかいいねが貰えないことが多く、面白いツイート(自己評価)しても誰にも見てもらえず虚無だった。反戦淫夢が炎上するきっかけとなった、(詳細は後で)淫夢プラカード配布イベント告知ツイートはプロフィールに固定したりディスコードで告知したりしたにもかかわらず、炎上まで2いいね(真っ先にいいねくれた人ありがとう)で止まってた。
コミュニティが必要
突然ですがネットに居場所があるという状態とはなんだろうか。それはキャラクターを手に入れることだと思う。お互いがお互いのアカウント名とアイコンを見てこの人と認識した状態で交流すること。ネットという流動的な場所において関係性が一定期間続く事。一定期間続くことで共通の思い出ができ、物語のようなものが形作られていく。キャラとは物語におけるの役割で、その場しのぎのやり取りだけだとこれらが作られず自分を見失ってしまう。自分の考え方に自信を持つ、という以前に生きる理由のためにも繋がりは大事。しかし同じコミュニティに所属せずに関係を維持するというのは難しく、コミュニティは必要。単純に寂しいと言えば済むことかもしれないが。
ネットで反応を貰うだけなら、匿名掲示板でもいい。しかし匿名では当然関係性が育まれない。気分が落ち込んで書き込む気力が無いときとかに、何年入り浸ったところで、誰の記憶にも残ってないんだよな。と虚しくなる。キニ速のコメント欄にかじりついてすべての記事に『豊丸「イグ〜イグ〜」』と書き込むニキのような形で認知されてるニキのようなことをしないと誰の記憶にも残らない。
匿名の虚しさ
また、匿名の場所において話題に進歩が無い。自分がいた嫌儲5chでは安倍晋三についての議論が良く繰り返されていたが、スレが終われば赤の他人で、また安倍晋三について議論するときは最初からなので、入り浸っても知識は身につかない。意味のない交流だよ。その無意味さを知りながらも、他に居場所が無いとこういう場所から出られない。TwitterはまともなFFが居ないと人気者のツイートにぶら下がって反応を貰うしかなく、男女おごりおごられ論争が定期的に流れて来る虚無時空をループすることになる。5chだろうがヤフコメだろうがTwitterだろうが言語化する能力は少しくらい上がるかもしれないし、自分が発した言葉を聞いた見ず知らずの人の投票先に影響を与えられていることもあり得る全くの無駄と言い切れないが基本的に虚無だ。
ネットで繋がることの難しさ
ネットでは現実と違って文章でコミュニケーションが取れる。目を合わせたりしなくてよく、返信に時間をかけてもいい点は会話が苦手な奴にとっての代替手段となる。だが、現実で孤立した陰キャがネットで関係性を構築するのは思ってるより簡単ではない。
現実の関係性は同じ学校、職場、地域という選べない環境で毎日顔を合わせる人の中からなるべく気が合う奴を見つけなければいけない難しさがあるが、ネットは大量の人が自己主張する流動的な場所においていくらでも上位互換が居る中で、自分で場所を見つけて仲良くしたいと思ってくれる理由を見つける難しさがある。
特別になろうとTwitterで面白いことを言ったところで、FFいないとタイムラインに映り込めず、運よく誰かが見たとしていくらでも転がってるネタツイのうちの一つとして通り過ぎていく。創作というちゃんとした方法で特別になろうとしても、才能が無いと一生たどり着けないようなクリエイターがゴロゴロいる。ユーモアセンスがある、絵がうまい、博識、正しいという社会的な評価軸から離脱し、一緒に居て楽しいという精神的な繋がりを求める馴れ合いはコミュ力がものを言う。
ネットで誰かと仲良くなるにはオンラインゲームで一緒に遊んでみて、楽しかったら仲良くなるというやり方が王道だろうが、全員がゲームが好きじゃないし、しゃべりながらゲームで遊ぶという行為に必要なコミュ力水準が無いとなかなか楽しい時間を過ごすのは難しい。陰キャはネトゲという風潮は、脱落した数多の陰キャの上に生存者バイアスとして成り立つ。
Twitter界隈という繋がり
共通の目的は関係性を構築する上で重要であり、ゲームはネットコミュニティにおいて手っ取り早くて便利だが、出来ないなら別のやり方を考えなくてはいけない。そうなると共通の趣味趣向属性による仲間意識で繋がるネット文化「界隈」が重要になってくる。
Twitterではおすすめではフォローやいいねの傾向から興味を分析して自動で「見たいであろう情報」を優先的に表示してくれる。Twitterとは情報収集ではなく自分と考えが合うオタクを見つけて共感する場所として使う場合、(インフルエンサー、バズってるネタツイ、神絵師、公式、botを避けて)価値観の合う素人オタクのツイートにいいねしていくとあたかも似たアカウントが一か所に固まって交流しているみたいになってる場所にたどり着くようになっている。これがいわゆる界隈である。界隈の中の一人に気に居ってもらえるとそのやり取りを見ていた同界隈の別の人にもフォローされたりする。簡単そうに言うがTwitterの絡み方とかは誰も教えてくれないので試行錯誤しながらノリを読み解いてく能力に到達するまで長い年月がかかったりするので界隈に迎え入れられていく瞬間とはようやく始まったとTwitterをやっていて最高の瞬間。内輪ノリの世界なのでネットに深く関わっていないとたどり着けなかったりする。だけど界隈も結局は社会であり、絡みが上手くて空気が読めてセンスがある面白い奴は人気者になり、絡み方が分からずズレていたりつまらない奴はいいねが一つもつかない。関わりたくない奴として思われてるんじゃないかと疑いだすとバッド入る。
ダンバー数によると人間が交流のある知り合いとして認識できる人数の限界が大体150人と呼ばれている。現実の人間関係、親族やリア友だけでなく学校や職場の人間関係もカウントするとなるとリア充ほどTwitterに費やせるダンバー数の空きスロットはそんなにない。特に政治界隈、淫夢界隈ではいかに面白い情報を収集するかのために大量にフォローする傾向にあるので、いいねが不安定になる。アニメアイコン界隈は相互に承認し合うことが目的なので追えなくなるほどフォロワー数をやたらめったに増やさないので、マシ。反戦淫夢するには政治界隈と淫夢界隈に居た方が都合が良いが、いいねもらえないので政治発言控えめでアニメアイコン界隈でクネクネして自虐ユーモア言ってる。かまってくれないのが悪いんだからね。あと、Twitterの界隈にはどこも若い奴ばかりで、25過ぎると居なくなるので、ネットをいつまでも居場所にすることができないことを暗示していて不安を掻き立てる。懐かしいアニメのアイコンだと思ったら、昔のアニメをエモ消費している中高生だったりする。こうした不安の中で生き急いで反戦淫夢をやっている側面がある。女とかクルド人とか政治とか叩いて溜飲を下げてる場所にはおっさんも居そうだがあそこは居場所とは呼べなそう。
政治界隈
ここからはその地獄のような政治界隈について話していく。政治界隈の範囲には様々な定義があると思うが、本記事では政治界隈を、政治的・思想的なアイデンティティで仲間を見つけて繋がりたいという若者・オタク文化圏的の中の界隈の総称と定義し、繋がることよりも、
ヤフーニュースで自分と無関係なニュースに対してネットで一言申して溜飲を下げることが娯楽になってる人、正義を啓蒙したいという政治コンテンツから区別したい。へずまりゅう、後藤たけし(私人逮捕系youtuber)、もへもへ、暇空茜、ネトウヨずんだもんは政治界隈から除外する。
※政治系ニュースに対する反応でも「現実的に…」「~だけど〇〇」みたいに長くて冷笑的な奴を見かけた場合見分けるのに注意が必要。美少女や世界史系、ポーランドボールのアイコンで、フォロー数とフォロワー数が釣り合っていたりする奴が一家言を持ってることをいうのは頭を良く見せて承認されたいのであって承認を求める若者であり、溜飲を下げてるわけではないのでれっきとした若者・オタク文化圏の仲間。
政治界隈には当然右翼も左翼もアナーキストもいて対立していたりするが、合わせても規模としてはTwitterの政治コンテンツ全体の中では少数派である。また、チーズ中道の多くは非政治コンテンツである淫夢もたしなんでいたり、人文、哲学と言った政治と言い切れない分野にまたがっていたりする。
イメージとしては
・社会的な役割が無く同年代を基準にしたアイデンティティで仲間を見つけて繋がりたい学生が作るオタク文化圏の政治部分
・次の日の労働に備えて眠るまでの時間でスマホいじって流れてきたインフルエンサーに一言言及してすっきりしたい労働者
ネットでは彼らは概ね分断されていると最近見えてきた。中高年が主催する憲法集会のデモだってネットで人を集めているんだろうが、若者の姿が無いのはネットに世代間の分断があることにも一因があると思う。
前者を政治界隈と位置づけ、この政治界隈を軸に話を展開していく。
ディスコード政治界隈
ディスコードとはゲーマー向けsnsと紹介されることが多いが、オタクの主流連絡手段と言ったほうが良い。ゲームやイラスト描く奴や、教えてくれるオタク友達がいるような環境にいる奴、若年層以外には存在すら知られてない場合もあるのでまずディスコードに軽く触れておく。
ハンドルネームを持ってるような若者オタク文化圏にいるもの同士の連絡手段として、家族や親せきとの連絡にも使っていることが多くて実名に近いニックネーム以外にしづらいLINEは好まれない。そもそもLINE来なくて親との連絡以外に使って無い。Twitterは広く浅く繋がるのには向くが、連絡を取り合うものではなく、ディスコードというものが連絡手段が主流になっている。(10年前までスカイプがこの立ち位置だった)
LINEがメッセージアプリなら、ディスコードはコミュニティアプリという感じで、誰でも無料でサーバー(コミュニティ)を作れ、カスタマイズの自由度が高いので、ゲームやイラスト制作などの趣味を軸に交流する感じに特化させたり、ネットで仲いい奴を招待して身内と雑談したり、仲いい奴が居なければディスコードサーバー募集掲示板があってそこで趣味やメンヘラや年代などの属性で同類を集めたりするなど使い方は色々。Twitterが鍵垢にしなければやりとりを誰でも見れるのに対して、コミュニティ内部のやりとりはメンバーにならないと見れないのがディスコード。
ディスコード政治界隈とは、政治について話すのが好きな人、近い思想の人で集まりたい人のコミュニティとしておく。サーバー自体は誰でも作れるので、いろいろな考えの人で議論しようという鯖(サーバーの略称、長いので以後鯖と表記)から、国会ごっこをする鯖と、国会ごっこ用架空政党鯖、右派鯖、左派鯖、アナーキスト鯖、表現の自由戦士鯖と色々なテーマの政治サーバーが存在する。サーバー募集掲示板やTwitterで探せば見つかる公開鯖だけでなく、知り合いに招待されないと入れない場所などがあるのが「深み」を与えている。余談ではあるがディスコードあるあるとして界隈に関わらず、身内鯖に招待されたときに本格的にインターネットの一員として認められたと喜びを感じるし、スクショに身内鯖っぽいアイコンが並んでると人望の差に打ちのめされる。
ディスコード政治界隈とTwitter政治界隈は別個のものではなくて、幅広く情報を集めるのに向いていていいねで気軽に反応し合えるTwitterと、文字数制限が無くて価値観が合わない人が居ない場所で深い話ができるディスコードといった形で使い分けるのが政治について効率よく理解を深め、真実の世論を形成していく上で理想である。
だが、ネットの政治界隈はそもそも政治について効率よく理解を深めて真実の世論を形成することが目的ではなく、政治や社会の出来事に対して如何に的確な言及をカルタのように出すかというコミュニケーションだったり、政治思想を自分のアイデンティティにして繋がることだったりするのだ。国会ごっこなどはディスコードでしかできないのでそれなりに盛り上がるが、それ以外はフォロワーが居なくて反応してもらえない奴以外はTwitterで事足りたりするので、過疎化が進む。Twitterは建設的な議論に向いてないだろと思うかもしれないが、ディスコードだと論破されてる自分は見せてしまうと論破してきた相手と同じ鯖に居合わせることになって居心地が悪くなるので、面倒くさかったりする。議論がたまにしか発生せず、目的が無いコミュニケーションに見切りをつけたヤツから政治界隈を去っていくので、何年も入り浸る奴はただのネット依存性。
それに本当に政治について理解を深めたい奴はネットを開くよりもまず本を読む。Twitterに何時間も入り浸ったりはしない。本を読むだけでなくディスカッションすることも自分の考え方を固める上で重要であり、現実にそうしたコミュニティを見つけるのは思想が盛んな大学に居ない限り難しいため、ディスコードをそうした場所として活用する人は居るだろうし、実際にディスコード政治界隈に、やたらと文章生成速度が速くて論理的な文章を書いてる高IQ者が現れることが多い。だがそういう頭がいい人は馬鹿が居る場所を嫌い、ガチ勢を集めた身内鯖に行くか現実で政治団体に入る。馴れ合い政治鯖に入り浸って、レベルが低いとか言って緊張感を演出する長文マルクス主義ニキはそんなにいない。
左派協議会という場所
反戦淫夢を始めた当時はここまでの考察は固まってはいなかったため(じゃあこの長ったらしい導入はなんだったんだよ)、ディスコード言論空間を盛り上げてメンバーを増やすことが真実の世論を世に広めていくことに繋がると信じていた。世論に影響するほど政治コンテンツが賑わっているTwitterに比べ、ディスコード政治界隈は狭い世界でほとんど存在を知られておらず、自分が入ってる左派協議会という鯖は左派と銘打つネットコミュニティとしては最大で反戦淫夢開始時は400人が居たが、日本の有権者全体から見れば誤差である。年齢層はメンバーとしてはおっさんもそれなりにいるが、浮上するのは中高生中心でここもアラサーの居場所ではない。まぁでもディスコード鯖は色々入ってみた結果どこも若者ばかりだと悟ったため、気にせず若者ばかりのサーバーに書き込むことにしてる。過疎ってことは無いが賑やかでもない。レスバが発生した時はそれなりに盛り上がるが、こいつらに絡まれたくないなぁとなり、書き込みが減るのでその喧騒に持続可能性は無い。左派の鯖は実質この一つだけという狭い世界。
仮に新しく左派鯖作ってたとして、左派協議会にすでに入ってる奴がなんだろうと入っても見たことある顔触れしかいなく、それなら人数の多い左派協議会でええやんとなって過疎るだろう。左派協議会と差別化を図ってジェンダー解放鯖、マルクス主義鯖など作っても特化を成立させるだけの人口も居なくて過疎るだろう。Twitterと違って鯖のメンバー以外見れないクローズドなコミュニティであり、意見をまとめて発表していくような活動も行われてないのでここの世論への波及効果は皆無。コミュニケーションは手段ではなく目的だと言われればそうだが、政治について語りたいやつは、大なり小なり世の中に自分の考えに広めたいという欲求を持ってるはずなので、世界に接続されてない場所だと虚しさを感じちゃう。意味のない会話だよ。(ここで水を飲む)
チーズ中道
また、狭い界隈故、あまり敷居を高くすれば誰も来なくなるので左派協議会はネトウヨ以外は歓迎という風になっている。ので、中道が居ても文句は無いんだが、左派協議会と銘打つ以上は左派が主導権を握っていて欲しい(願望)。ヘゲモニーがチーズ中道(後述)に握られている。あとディスコード全体年齢層が若いので労働者階級が少なくデモとか行ったことある人も少ない。左派協議会なのに高市早苗を止めるべきというレベルの総意さえ形成されていない。ちなみにチーズ中道というのは右派のh同志が無理やり流行らせた用語で、定義はネタで色々作られため色々あるが、一番バカにしづらい中道を無理やり馬鹿にするための言葉である。
左派協議会にいるチーズ中道の特徴として、「弱者救済は大事だが、社会保障費を削って経済成長に回すために減らすのはやむを得ない」「平和は大事だが、日本が平和を訴えていても向こうが攻めてくるから軍拡はやむを得ない」など、相手の主張に耳を傾けた素振りを見せることで自分の主張を強化するレトリックを使う。左派協議会におけるコミュニケーションとは、ツイートかニュースを誰かが話題として投下し、それに対して言及をするという形で始まる。更新が止まったなと思ったら新しい話題になりそうなurlを貼る。
外部との接続の乏しい閉じたコミュニティだと情報を発信して世論を変えたい人が去っていき政治をコミュニケーションツールとして交流したい人に有利になり、「世間的感覚やまともな感性を持ってることを示したい」それがチーズ中道に有利になっていくのだと思う。
チーズ中道も居てもいいが、現実世界が右傾化している中で、左派を看板にしている唯一のディスコードコミュニティのここくらいは反高市派が支配的な世論を握ってる聖域として機能して欲しい。ワイなんかが左派の代表面をして左派ならこうあるべきだという願望を述べたところで滑稽なんだろうが。
反チーズ中道のディスコードサーバー
左派協議会が自分の思い通りにならないからといって、運営に文句を言うのは相当嫌な奴なので、自分で政治界隈を盛り上げるために何かできることを考えることにした。そうして反戦淫夢へと至る挑戦の日々(笑)が始まった。
まず、チーズ中道を批判的な立場をとり、左派協議会と差別化した政治鯖を作ることをひとまずの目標とした。あと、自鯖が無目的すぎて過疎ってたので、目的を入れた自分の拠点を作り直したかった。反チーズ中道鯖にするには、チーズ中道の論法を打ち破るには一体何を掲げればいいのか。
①「弱者救済は大事だが、社会保障費を削って経済成長に回すために減らすのはやむを得ない」➁「平和は大事だが、日本が平和を訴えていても向こうが攻めてくる可能性があるから軍拡はやむを得ない、軍拡してる中国に文句言えよw」
こうした「~だけど…」と現実主義パフォーマンスによって自分の主張を強化するのがチーズ中道に対し
①において、経済成長させなければならないという固定観念があり、そこに経済成長に貢献することを拒否する寝そべりを掲げた。のんびり生きて経済を怖がらせよう。
➁確かに攻め込まれる大義名分を与えない外交をしても、原理的には侵略は可能だ。中国に文句を言えよは、言えば言うほど反中感情が高まり、中国に対して強気な日本政府というロマンチズムを国民が求め、戦争リスク高まり軍拡増税で困る。侵略を根本的に無くすには世界中の国家権力が廃止されるのが理想としつつも非現実的なので、対処療法として、例え侵略されたとして、領土を神聖視した国のために死ぬのは御免で、敵に有利な条件を認めて積極的に敗北することが自分を守る真の勝利ということを掲げることを考えてみた。掲げることはウクライナ侵攻が起きてる中で、ロシア側に有利な考えだと不謹慎であるが、偽悪的に言うべきだと考えている。他国の政治家を悪魔化する前に、ロシアだろうが政治家とは国民の神輿であり、なぜナショナリズムが高まってしまったのか、米国によるロシア包囲網やメディア戦略などを人類全員で反省しないと平和的な解決は無い。
寝そべりで非愛国な非国民万斉みたいなコンセプトで非チーズ中道鯖のコンセプトを考えた
当初は非国民民主党として作ろうと思ってたが、国民民主党意識しすぎてるのでしっくり来ず、当時ハマってたハム太郎に登場するハムちゃんずの秘密基地、地下ハウスをサーバーの名前に決定。地下ハウスでは政治思想系のチャンネルだけじゃ味気ない気がするので、普通の雑談チャンネルとか作ったり、薬物の話とかメンヘラ向けチャンネル入れて自分がメンヘラれる拠点としても完成した。人望が無いので過疎に苦しんだが、こうしたコミュニティの難しさは過去のサーバー経験で嫌というほど感じてきたからぼちぼちやっていくしかないだろう。人望が無いなら浮上したくなる共通の目的を作り出さないといけない。これが難しい。
そもそも軍拡を支持する奴に対して、軍拡のコストだとか、戦争リスクが上がるから合理的じゃないという説得をしたところで、そういうことじゃないんだろう。日本が中国に対して強気で居続けることは、多少の社会保障費削減、増税に目をつむっても求める一種のロマンチズムなんだろう。説得は無理なら、お前のロマンチズムにワイを巻き込むなとデモ行動で示すことが大事になってくると思う。
しかし大多数はナショナリズムはもっており、尖閣もあげちゃえば済むのになんて考えている愛国心がインストールされてない奴が掲げる非国民万歳のノリは共感を得られずどうあがいても露悪の範疇を出ない。ワイの身内サーバーを出ることは無い。
左派協議会で政治集会参加を流行らせよう
閉じたコミュニティだと情報を発信して世論を変えたい人が去っていき政治をコミュニケーションツールとして交流したい人に有利になるのは仕方がない。チーズ中道も居てもいいが、現実世界が右傾化している中で、左派協議会くらいは左派が支配的な世論を握ってる聖域として機能して欲しい。が、排他的なやり方で左派の発言力を確保しようとすると誰もいなくなり過疎鯖まっしぐらだろう。
健全な空間のためには左派的な活動や情報発信を通して、チーズ中道をけん制しながら、外部との接続を拡大することが重要だと思った。外部を求めてるのは自分だけであり、傍から見れば空気の読めない奴の独断専行でなんだこいつみたいな感じになってたら怖い。
外部との接続の一つとして考えたのが、左派協議会などのディスコードを政治集会参加の足掛かりにする文化を作れないかということ。ワイが考えている政治集会参加にはデモだけじゃなくて、街頭演説とか見に行くとかも含む。現状、左派協議会でそういうのに行ってる話はあまり聞かない。Twitterでは圧縮された情報しか流れてこなくて実態が分からないからこそ、実況を通して生の情報が手に入る場所というのが求められてるんじゃないか。あとは単純に一人でそういう場所に参加するのは寂しい。オフ会として集まれるのがベストだが、そうでなくても実況できるだけでもだいぶ違う。Twitterはフォロワー居ないと実況してもだれでも孤独だし、同じデモに行ってる人をネットで見つけて繋がればいいみたいに思うかもしれないけど、こういう所に居る人のアカウントって偏見だけど引用リツイートで叩く、ハッシュタグをグルグル回す感じのあんまり繋がりたくないかなって人が多い気がする。
例のアレという共通言語によってインターネットオタクのコミュニティを政治に進出させ、仲間意識で参加するハードルを下げるのが反戦淫夢の発想はインターネットのオタクとこうした政治アカウント群の分断がデカすぎることを実感して生まれた。
自分の話をする。
2023年の最初の方に、岸田によって軍事費倍増が決行される時期に、謎の情熱に駆られて反対のために一人で🤓国会議事堂前の奴に2回行ってたが、なんというか遠いし、年配の方ばかりで、行くたびに参加者が増えていくならこのまま政局をひっくり返せるぞという、歴史の舞台を目撃するような期待感はあるが、そういうわけでもなくて、情熱がシラケてしまった。根性無いなと思われるかもしれないが、無いです。
一回行ったくらいで変えられるわけが無いので民衆パワーで政治を変えるには、こうした政治集会に継続的に足を運び、そうした人がどんどん増えていき、韓国みたいに何十万人で議会を包囲するほどのデモにしていかないといけないが、どうせ今回だけでは変わらないと分かってて、一人で🤓年寄りに混じってプラカード持って突っ立ちに行き続けるのって精神上の理由でなかなかできることではないと思う。初回はどんな感じなんだろう、そこに行けば何かがあるかもしれないという好奇心で行ってみようと思えるかもしれないが、一回行けばいいやとなる。過激じゃないデモは右翼の妨害以外特に面白いものが無いので拡散されない。そのため、主催者と左派政治家と、のぼり持ってる団体、政治リポスト垢による中高年による閉じた生態系。
政治集会とは、主催者はいるもののみんなが参加することで自分たちで作っていくものだが、早い話1000人いるなら貢献度は0.1%である。行った所でマクロ的な視点ではただの数字でしかなく、代わりがいくらでもいる中に自分が行くべき必然性を与えてくれない。政治を変えようなんてマクロ的な視点で大きい目標を掲げても漠然としすぎているので、こうしたコミュニティに所属して、身近な関係性の中でしかモチベーションを持続させていくことはできないのかもしれない。
別に承認のために行くわけではないんだが、承認は実際問題として必要であると思う。
誘える友人もいなく、Twitterもフォロワー少なく政治集会行っても疎外感と承認不足に苦しんでる奴にとって、こうした話題で反応が貰えて仲間募集とかできるディスコードサーバーを広めることこそが必要とされているんじゃないか。政治活動を盛り上げるポテンシャルを持ってるんじゃないかと思った。現状日本最大の左派政治サーバーですらメンバー数400人でアクティブユーザーはもっと少なく、実際に政治集会に行ってる人はほとんどいない。
ディスコードはLINEよりも複雑で、サービスが出来たのが後で、snsに詳しいオタク文化圏の最近の子()か、ゲーマー以外は普通に生きてれば馴染むきっかけが無く、政治集会に興味を持ってる層の多くは知らないと考え、チーズ中道をけん制する意味でもそうした層を左派協議会に入れる必要性を訴えた。もう大人名乗る年なのにインターネットに入り浸ってるピーターパンであるワイの同世代をネットに増やしたいという個人的な渇望も相まって作戦を開始した。
2025年の4月ごろの話だ。
ディスコード初心者ガイド記事執筆&憲法記念日のデモ集会で、左派協議会のチラシ配布へ
自分の遍歴を少し整理する。年寄りが多いという疎外感を言い訳として年は政治集会に行くことをやめてしまったのが2023年初頭。その頃はディスコード政治界隈を知らず、思想も固まって無かった。その後メンヘラ化しodとかして常識や規範を疑う反権力的思想を強める。ニディガにハマり、にゃるらに憧れ、多くの学びを得る。にゃるらのディスコードサーバーに入り浸るがそこでは政治の話がご法度であり、次第に政治の話がしたくなりディスコード政治界隈に入る。2024年からはだめライフに興味を持ったり、ディスコード雑談鯖運用やったりして政治界隈と距離を置いたりするが、雑談鯖がうまくいかなくて承認の代替手段を探すためにnoteとかを書くうちに頭の中を整理したりする習慣がつくうちに思想が強化される。政治界隈にカムバック。2024年終わり~2025年初頭はチーズ中道の考察とかしていた。春になって日照時間が伸びたことで活動的になってただけかもしれないが、デモをしようと思い立つ。だめライフの中にいるとパレスチナ連帯の話をしている若者がタイムラインを見かけるがこうやって若い人が増えてくると年寄りが多いという理由で自分を正当化することが通用しなくなり、パレスチナに関心向けてないというのは平和主義者と恥じ入らないといけないと奮い立たせたのが4月、参加する政治集会を探し、調べると憲法集会5月3日の大規模で何万人も参加する特大デモがありここなら人数も多くて、行きやすいかなと思う訳だが、2023年に多くの団体がチラシを配っていたことを思い出す。彼らに混じって左派協議会のチラシを配ろうと思い立つ。コミュ障とは思えない発想であるが、使命感でハイになってた。
非オタク文化圏の層に向けて配る以上、左派協議会の説明と合わせてディスコードの解説記事も載せないといけない。チラシに解説記事のQRコードを貼る形にする。ディスコードの初心者向けガイドを調べても、なんというか、インストールだの見ればわかるだろということや初心者が使わないあとで説明すればいい機能を横文字使ってくどくど説明する一方で、どんな感じの使い方するとか、どこでサーバーを見つける、入ったら何をするみたいな感覚的な部分が欠落した、いかにも業者が書いてる記事が書いてるしか無くて自分で書くしかないけど面倒くさくて放置していたが、必要になった形。
憲法集会まで一か月強だが、印刷とかプラカード作成しないといけないから早めには仕上げたい。自分に圧をかけるために左派協議会および自鯖で宣言する。
めんどくさいよーと弱音を吐きながらも、仕事から帰った後や休日にコツコツ進めていく。期日までに完成させられなければ、政治を盛り上げるための貢献者という栄光は無い。文章力が無くて大変ではあったが、文化祭の前日の準備のようなやりがいのある苦労ではあったと思う。
オフ会計画、反戦淫夢へ
ワイはコミュニケーションが無くて自信が無い🤓でいままでオフ会というものをしたことが無く、しかも当時28歳という、界隈という若い奴の遊び場に一人だけ混じってる関わっちゃいけない奴と思われても仕方がない年である。今年春に人生で初めて仲良しじゃないけど大丈夫かなと思いながら若いのが主催しているオフ会に初参加した。彼らに比べればおっさんなのに嫌な顔をせずに和に入れてもらえたことで僕はここに居てもいいんだ‼️とその頃は碇シンジくん状態(彼は14歳でそれに気づいたのですごい)になっていた。
自分も主催するという奴やってみたいと思ってきた。普通に飯行こうぜというのがオフ会なんだろうけど、それだとコミュ障と人望の無さはどうしようもない。話が弾まなくてもなるべく気まずくならないオフ会として、イベントに参加し、気が向いたら軽く顔出すくらいのノリとしてやれるのが望ましい。話がつまらなくても最低限イベントという目的は達成できるわけであり。チラシ配りは会場に人が入ってくる始まる前にやるから、それが終わった後に憲法集会でオフ会を募集しよう。しかし自分の人望の無さから誰も来ないだろう。少しでもハードルを下げるためにプラカードを準備するのが面倒くさい人のために用意して行こう。なんなら、対等な人間関係を構築できない人間の卑屈なやり方として、欲しいと思えるようなユーモラスなプラカードを餌に釣ることにする。自分が貰って嬉しいプラカードは下品さを秘めたネットミームなのでそういう形にした。まともな方からはこんなもの貰って嬉しくねぇよと思われるかもしれないが、ワイは自分が貰って嬉しいものにしか情熱を向けることが出来ないので仕方がない。話がややこしくなるから端折るが、2023年初頭に政治集会参加してた時期もこうしたふざけたプラカードをデザインしていた。当時からネットミームのプラカードをデザインして政治を盛り上げる計画はあり、頑張ってプラカードの図を描いてTwitterとかピクシブとかに上げて宣伝したが使われることが誰も使ってくれなくて頓挫した経緯がある。周りが年寄りばかりの中でこのプラカードを持つのが浮いたというのもある。当時と違って政治界隈で多少は繋がりが生まれ、思想も多少は固まってきて、オフ会も克服した今ならもっとうまくやれるかもしれない。反戦淫夢とはその時のリベンジという側面がある。
オフ会で配るプラカードは、周りが年寄りでも悪目立ちしなそうな「憲法改悪断固阻止」と楽しくなってきたときに向ける阿部高和の「平和憲法すごく・・・大きいです・・・」のリバーシブル仕様。反戦淫夢とか言っておきながら、淫夢では無いが、このスローガンは2023年の活動の最初に作ったプラカードであり、思い入れがある。
憲法集会当日、チラシ配り失敗
前日に印刷したチラシと多めに作った阿部高和のプラカードを持って早めに現地入りすることになる。場所はコミケでおなじみ(行ったことない)東京ビッグサイトのある有明の公園。駅から降りると見覚えがある建築が目に入り、否応なしにテンションが上がる。駅前で社民党の大椿ゆうこ議員が街頭演説をしていて、それを右翼がトラメガを持って野次を飛ばして妨害している。警察官がずらっと並んでいる。革マルの腕章をつけてる人、遠くからこだまする右翼の街宣車の流す国歌や軍歌、ワクワクする。会場の入り口でチラシを配る人。良かった、配ってもいいんだ。一旦公園内に入り、コンビニで買ったパンとおにぎりで食事を済ませ、チラシ配る準備をするが、コミュ障という問題が発覚する。配ってる人が固まってる場所があれば、仲間がいるという感じでハードルが下がると会場内をうろうろするが見当たらない。憲法大集会では主催者が入口のブースでスケジュールが裏に印刷したプラカード(スローガンが色々ある中から一枚選ぶ)配ってて、持参しなくてもいいという親切仕様だった。裏のスケジュールの中に注意書きで会場内ではチラシ配ってはいけないと書かれていた。公園の入り口で配るしかないらしい。入口に戻る。そこにあったのは50人くらいがチラシを持ってひしめき合ってる戦場だった。どこで配ろうかなと場所を探すとスタッフがここに並んでと指示される。これだけの圧の中でほとんどの参加者は足早に素通りしていく。貰う人は両手いっぱいになり、受け取ってくれない。というか、コミュ障であり、「あの…」「左派協議会という…」セリフを最後まで言えないし、こういう場所でぐいぐい行けるコミュ強との差に惨めになって10分で撤退。片っ端から受け取るタイプのおじいちゃん一人、おばあちゃん一人が受け取ってくれたが、宣伝効果はゼロだろう。
オフ会には前から交流のあるA同志と、R同志の2名が来てくれた。R同志はそのあと予定があるという事で帰宅したが、A同志とはデモ行進も参加し、沿道から妨害してくる右翼に対して阿部高和を向けて煽るなど楽しかった。1人で来ていたら楽しくなかっただろうから感謝しかない。この時期のワイは輝かしい日々がやってくる予感に満ち溢れて生き生きしていた。
反戦淫夢本格化
デモというのは一回行っただけでは好奇心を満たすだけであり、何度も行って、そういう人がどんどん増えていかなければならない訳でこうした活動は一回のオフ会イベントではなく継続して行かないといけない。次の政治集会に向けて動かなくてはいけない。
今回は2人来てくれたが、毎回来てくれるほど暇人ではなく、自分のやろうとしていることをやるには故に常に新しい人にアピールして集め続けなければならない。そのためには関心を集める必要がある。Twitterでも自鯖でも人望が無く、何かを書き込んでも反応してくれないことの方が多い。むしろ自分自身の居場所のために足掻き続けないといけない。これこそ我が闘争。この状況を打開するために何が出来るか無いか。
淫夢なんて利用せずに考えが近い人と仲良くなって一緒にデモいこうぜと誘うのがまともな人間なんだろうが、誰も仲良くなりたくないなんの魅力も無くて対等な人間関係を構築できない🤓の卑屈な発想しかできないが、記念品としてプラカードだけでなく缶バッジも配るというアイデアを思いつく。
淫夢缶バッジを適当にデザインし業者に発注しようとしたが、ここで著作権違反しているような淫夢缶バッジは作ってもらえないらしい。1万4000円くらいする缶バッジ製造機を買えば作れないことはない。むしろ淫夢缶バッジには金では手に入らない反権力的な価値がある。こうして勝ちパターンを見つけたぞ🤓‼️と即注文した。
だが憲法集会というのは年に一回しかないお祭りのようなものでありそこが終わったらもっと規模の小さい政治集会しかない。そんな中でそれなりの規模を持ってそうな場所を探した所、5月25日に若者憲法集会というものがあったが、シフトが出たところあいにく労働日だった。今回炎上することとなった全学連が主催している6月14日のデモは休みなのでここにしようとした。
政治運動に対する理解が少なかったため全学連というのが中核派の組織であるとは知らず様々な学生政治団体の連合なんだろうと思っていた。そこの団体が主催した4月30日渋谷デモの写真には中核派のゲバヘルかぶってる人が写っていたし運営にも関わってそうだったが、そのデモは飛び入り参加が相次いだみたいなことを主催者が言っていたし、ゲバヘル持参してるガチ勢や中核派が先頭集団でスクラムして、一般参加者は集まって演説聞いて時間になったらプラカード持って行進する感じだろうと踏んでいた。6月14日のデモの案内にはしっかりスクラムデモって書いてあるし、天皇制粉砕とか書いてあるからどこからどう見ても中核派だろという常識的な判断はワイには通用しない。見上げた(見下げ果てた)正常性バイアスである。
多分一般参加者の方が多いだろうが(フラグ)、一部に過激派と恐れられる人が混じってるなら、阿部高和のプラカードを持って行ったら目を付けられることになるだろう。ステルス性の高い淫夢プラカードにして用心しよう。幸い、2023年にステルス❓淫夢プラカードをデザインしたのでそのまま流用することができた。このプラカードデザインし終わった後、実際に印刷することなく頓挫してしまった。
また、全学連が女性解放などを訴えていて見るからに人権に厳しい方々であることは容易に察しが付く。そうした場所に淫夢という人権侵害コンテンツで行っても負い目を感じないように、加害性の少なくする工夫や有害さを上回る価値を喧伝する必要があった。自分の自信を強化するだけでなく、反戦淫夢の目的や理念、プロセスなどを整理しておくことは、その意図を正確に伝える上で必須であり、記事を執筆することにした。
そのデモまでは1か月あり、頑張って1万6千字の記事を執筆した。
まとめると反戦淫夢の目的とは、ネットに居れば誰でも乗っかれるくらいのライトなオタクノリとしてネットミームを用いることでインターネットの同郷の仲間意識を共有する(細かすぎるネタは使わず阿部高和など野獣先輩など淫夢にとらわれないメジャーなネタを使う)。
敢えて下品なものを使うのは、厳しい倫理的な規範を持った人を初めから弾くため。下品な人間にとって、オフ会として集まった時に下品なことを言ったら怒られるかもしれないという不安を取り去り、信頼関係を深めやすくするため。
活動自体が怒られたとき用の言い訳として、下品な表現がどこまでセーフでどこからアウト、差別というラインに絶対の基準は無く、どこまで許されるかは人それぞれで、コミュニケーションを円滑にするにはユーモアがどこまで許されるかというお互いの規範を確かめ合う過程が必要であり、人が生きる限りそうしたラインを探る営みは終わらない。強者の論理に聞こえるが淫夢厨には実際は弱者男性が多いという事ことに着目し、自ら弄られて笑いものになることで馴染むという生き方を選択した結果セーフのラインが上がったタイプの弱者が下品さによって自分を表現することは否定されるべきではない、とした。自分は共産主義ではなく、だめライフの思想が根底にある。
自分はTwitterではチーズだめライフ川越を名乗ている。だめライフとは当時中央大学に在学していただめライフ東京さんが「だめがだめでいられる場所」というコンセプトで始めた活動である。だめライフは組織ではなく公式の統一的な指針はなくだめを自認している人間ならTwitterで好きに名乗って活動していく感じであり「〇〇大学だめライフ愛好会」「(地域名)だめライフ」といったアカウントがたくさん存在する。能力が低すぎて就職から逃げた自分にとって「もっとゆるく生きていい」「だめであっても生きていていい」というメッセージを発信してくれるだめライフは貴重なカウンターであり、この流れに乗っかることにした。だめライフが提示する「だめ」の実践とは都市の中の公共空間を重視しており、お金を使わず、路上で鍋をやるなど集まる場所を作り、半径10mから世間の目を追い出すなどであり、お金を使わなくても追い出されない場所を街の中に作ることを重視している。だめ人間がオルタナティブな生き方を選択する上でこうした場所は必要ではあることには同意している。だが、ワイのようなコミュ障はそこに混じるハードルが極端に高い。インターネットというものでのオルタナティブな生き方を考察してきた。弱者男性のスラングの「チーズ牛丼」からとったチーズを接頭語としてつけている。また、接尾語の川越は地域だめライフのフォーマットに合わせ、ネットを利用しつつも最後は地域の繋がりに拠り所にするべきだという考え方に従っている。
軋轢
書き終わったら人を集めるために奔走するわけだが、淫夢&クッキー☆鯖というディスコードサーバーの政治チャンネルで宣伝した所、ものすごい馬鹿にされた。自分は淫夢というものを弱者同士の連帯のためのコミュニケーションツールと反権力の象徴と見なしていたが、淫夢サーバーの民は想像以上に排他的であった。自分は陰キャだと弱者芸しながらsyamuさんを誹謗中傷したり、野獣邸凸という反権力的なイベントに対しては過剰に叩く。権威化された下品であった。人権の面や淫夢を現実に持ち込むなと多少は叩かれることは覚悟していたが、デモという行為自体頭がおかしい奴がやることと国民民主党支持者みたいなことを言っていた。おまえいくつだと聞かれ、正直に20代後半だがと答えたら、人生終わってると言われた。エコーチェンバーという言葉がしっくりくるが、一人くらいは好意的、少なくとも中立的な反応を示す人がいるだろうと思ったが、思ったより同調的であり集中砲火を受けたことで居場所を一つ失った。
また、アナーキスト向けのディスコードサーバーでは言語性IQがすごそうなマルクス主義者により長文で淫夢の加害性で徹底的に叩かれた後、知能が足りない、20代後半かよ現世諦めたほうがいいと言われた。
皆さん年齢を攻撃材料にすることはやめましょう恥ずかしいですから。(安倍晋三並感)
そして炎上へ…
おまたせ
オフ会というのはある程度仲良くないとしづらいので一緒にデモしようだととてつもなく参加のハードルが上がる。そのため、会場近くでプラカード、缶バッジ配布するという体で募集して気軽に来れるように目指した。もちろん淫夢缶バッジを一般の人に配る訳にはいかないので、目印を持って立ち、話しかけてくれた人に配るというシステムである。予定が(ノリが)合えばついでにプラカードを持ってデモに参加するが、合わなければ貰って帰るだけでもいい。という具合にした。晒されたりする安全上のリスクはあるが、他に方法は思いつかなかった。淫夢厨にとって便乗という言葉は聞くだけで面白い特別なワードなので、取り入れ、「反戦デモに便乗して、発注してもコンプライアンス的に拒否される缶バッジをゲリラ的に配る会」として、告知案内を作り、Twitterやディスコードに投稿することにした。
最初に告知を投稿したのは、反戦淫夢の記事が完成してすぐの2025年6月3日だったが、だれも反応しなかった。
この当時のTwitterの仕様では、ユーザー名に「だめライフ」という文言が入ってれば「だめライフ」で検索した時にヒットするようになっていたが、反戦淫夢がだめライフ的であると考えていたにも関わらずだめライフからいいねが来ることはなかった。その程度に当時の自分には人望というものが無かった。Twitterでは何を言ったかではなく誰が言ったかであり、人望が無い奴が何を言おうが誰も見ず、なんのフィードバックも無い。面白いことを言おうがいいねが貰えずそれが面白いということを証明できず、まずいことを言おうが、叩かれることも無いので気を引き締めることも無い。虚しい。
そして6月12日、プラカードと缶バッジの製作が終わり、デモを明後日に控えた夜に再び告知をした。デモには絶対来なそうな右翼のH同志以外からいいねがつかなくて失敗に終わったと察した。
炎上
異変は翌日、仕事の昼休憩でTwitterを開いたときに現れたタイムラインに現れた一件のツイートからはじまった。デモ参加者はデモという用語で検索したりするわけであり、
これ完全にワイのことだ、目をつけられた、終わった…
とりあえず自鯖にやべぇよやべぇよという文言とともにこのツイートを貼り
気が気でないまま職場の昼休憩が終わり再び労働が始まる。
それから二時間強経過した14時過ぎ、15分休憩のタイミングでTwitterを開くと、案の定引用リツイートでものすごい叩かれていた。左翼色の強いだめライフ系アカウントがワイのツイートのスクショ撮り、悪ふざけが過ぎている、こいつを凍結に追い込もうみたいなことまで書かれてた。だめライフに広まり、仲間外れにされるのはまずい。早急に謝罪しなくてはならないが、15分休憩では謝罪文書ききれないので仕事が終わった後帰宅したあとに見る。炎上はさらに拡大していた。
ついに運営にも見つかった。
淫夢は知らず知らずのうちに思考や言動を侵食していく…
でもここまで炎上してしまったなら、ちょっとやそっと謝罪してもなら初めからやるなよとどのみち叩かれる気がする。ツイートを消して無かったことにするのは2か月間それなりに本気でやってきたこととして、引けない意地がある。また、この活動を面白がってくれる人へ顔向けできなくなる。自分の目的を達成するために周りが見えなくなった結果独善的になり相当に失礼なことをしてしまったというガチの反省はあるが、
ここまで来たら正しいか間違ってるではなく、面白いか面白くないかに従って火に油を注ぐことにした。
「缶バッジ配布は辞めるけどプラカードは問題ないので配る」「差別であることは認めないけど、真面目な場所で到底理解が得られないことをしてしまってごめんなさい」という謝罪風謝罪を駆使する。
当然一瞬で看破され、叩かれる。そして22時以降、こうした騒動は主催者にも広がり大物が次々参戦してくる。ネットの政治界隈に居れば名前を知らない人は居ないほど有名な杉並区議員のほらぐちともこ氏まで現れて糾弾される。これにはノンポリ雑談ディスコードサーバーですらお前有名人じゃんwと煽ってくる奴が居る程の騒動になる。A同志も千載一遇の奇跡を目撃したとはしゃいでいる。28歳にもなって何やってるんだという後悔と今後の活動の暗い展望は、よりマシな決断をしなければいけない状況下で考えても仕方なく、笑うしかない。
突撃!中核派デモ
もはや伝説を残したと言ってもいいだろうが、プラカードの配布を宣言してしまった以上後には引けなくなっていた。左派協議会ではプラカードは用意したから誰かデモ行こうぜと言ってたが、淫夢缶バッジは理解が得られそうではないので触れずに宣伝していた。炎上の話は広がっていない。ここまで必死に準備して行かなかったという理由を勘ぐられるわけにはいかなかった。親にもデモ行ってくるわと言ってしまった。反戦淫夢は当然秘密にしているが。故に面目を保つために行かなければならない。行ったら下手すれば持ち物検査されて、バレてボコボコにされる危険さえある。
当然不安で眠れない。インドから個人輸入したハ〇プロンをいっぱい飲んでキマる。自分はスペースなんてやらないコミュ障だが、この時ばかりはラリって、たまたま開いていただめライフ東京さんのスペースに入って「やべぇよ…やべぇよ…」とうわごとを言ってスペースを台無しにしてきた。
6月14日、デモ当日
朝
A同志も来てくれるらしい。プラカードは身元が割れたため、憲法集会の時にもらった「軍事で平和は作れない」という奴と、ビニールテープで即興で作ったやつを持って行く。缶バッジはさすがに家において行く。
デモは集会が13:00から始まり、デモ出発は14:45からである。最初から居なくてはいけないということもないため、A同志と芝公園駅で待ち合わせをして、会場の港区芝公園23号地に向かう。港区といえば、港区女子という、よくわかってないが冷笑のユーモアに登場する得体のしれないエリアだったが落ち着いた綺麗な街だった。東京タワーが間近に見ながらよく手入れがされた木々が美しい芝公園を横切って23号地へと向かう。芝公園23号地と通ってきた芝公園は少し離れた場所にあり、公園に近づくと青と白でデモでおなじみの機動隊のバスが止まっていて、木々も心なしか鬱蒼としている。遠くからスピーカー越しの荒々しい声が聞こえてきて最初は右翼が妨害しているのかと思ったが「天皇制打倒‼️」というセリフを聞き取れたことで左翼だと知る。粉砕、打倒、侵略から内乱などの物騒なワードとともにまくしたてるような演説は憲法集会とは全然違い、ものっすごい負い目があるので引き返そうかと迷うが、A同志と軽く相談し、好奇心に従い近づけるだけ近づいてみようということになり公園に進入する。中にはヘルメットと盾や警棒で武装したいかつい機動隊がうろうろしていた。ビクビクしながら中心部に近づいていくと、公園のグラウンドみたいなところに左翼が集まって、演説を聞いているのが見えた。白いゲバヘルを被った奴がポツポツいて、生で見ると相当な威圧感がある。ヤンキーっぽい感じの人もいる。これは冷笑目的で拡散される動画越しには伝わらない。
さすがにこの輪には入れない。どこで見学しようかと落ち着ける場所を探してうろうろしてみるも見物しに来てるっぽい人は居ない。参加者から離れてみてる私服っぽい人たちがいるが、彼らはおそらく公安だろう。彼らは彼らで怖いので近づきたくない。
デモ参加者からは離れてるが、公安よりは内側の場所に立つが居心地が悪い。彼らはどの程度反戦淫夢のことについて共有しているのだろうか。時々ゲバヘルを被ったゴツイ男が腕を組みながら時々近づいて来て睨みつけてくる。怖い…来る直前に「右翼の街宣車見たかったなぁ」と、こういう場所に妨害しにくるであろう右翼を想定した発言をしたが、中止しますとは一言も言ってないので、現れないか公園内を見回ってるのか、それとも公安や機動隊への威嚇かは分からない。全学連に素直に共感した一般人で、公安や反戦淫夢の一味ではありませんよとアピールするために神妙な顔で演説に拍手する。反戦淫夢の一味です。実はA同志にお土産として渡す用に反戦淫夢プラカードを持ってきていたが、下手すりゃ持ち物検査されて、コイツがチーズだめライフだ!何だって!どの面下げて来やがった!と断罪されるんじゃないかとずっと冷や冷やしていた。
しばらくすると親切そうなおじさんが話しかけてきて、「こっちの方が演説良く見えるよ、木の下が良いかな」みたいな感じで言われる。このへんででいいですみたいなあいまいな返事をしてたが、打ち解けられてなくて輪の外に遠慮してるタイプ攻略に慣れてるのか、参加者の和の外輪にある街宣車の近くに通される。親切そうなおじさんがちょっと待っててねと言って署名活動のバインダーを持ってきて、他のみんなはもう署名したんだけど、と題名は忘れたが差別や戦争を止めるみたいな活動に署名することになった。こういう時にすらすら嘘は出せないので、真実を書く。
しばらくそこで演説を聞く。三里塚闘争の人が演壇に上がる。Twitterでは令和になっても昭和を続けてる化石と冷笑の対象になる遠い存在であり、感動する。
ここでA同志がちょっとトイレ行ってくると言って抜ける。なかなか帰ってこない。演説が次の若い女性に移り変わる。演説のテーマは女性解放闘争。女性差別に対して怒りの声を上げていこうとデモ隊を鼓舞するわけだが、演説の最後に、「この会場内であろうこと差別コンテンツを配布すると言ってる人がいました、絶対に認める訳にはいきません!私は弾圧しますとはっきり言いました!」(そうだそうだと声をあげる群衆)
やべぇよ…やべぇよ…
スマホを見ると、A同志から「ごめん、体調悪いから帰る」とメッセージが来ていた。あいつ逃げやがったな(普通に体調が悪い可能性もあるが)
カンパのおねがいの演説がなされ、集金の人が回ってくる。
しばらくすると、さっきのおじさんが来て、どちらから来たの 「△△です」△△なんだ△△の人は△△で集まってるから呼んでくるねと言われて 「いやーあんまり話すの苦手なんですよ…」 とやんわり断るが 「遠慮しなくていいよ、ちょっと呼んでくるね」 と暫くするとゲバヘル被った愛想のいい青年を引き連れてくきて、△△の人どうしで自己紹介とかし合う。デモって主催者がこんなに距離詰めて来るものなの⁉️あの…後ろめたい事しかないんですけど…。愛想のいい青年がデモについて色々説明してくれるが、緊張しすぎてさっき聞いた青年の名字を忘れてしまう
(〇岡…〇谷…〇川…)
申し訳ないので早急に思い出したい、さっきのおじさんが彼の名前を呼ぶタイミングあるかもしれないが、さっきのおじさんの名前も忘れている。ワイは人の名前を覚えるのが極端に苦手で、顔を合わせてるのに名前を知らない人が職場にいっぱいいる。いつかボロがでそうで怖い。
デモ出発が近づき、「イスラエルの暴力を許さない」というプラカードを取り出すと〇村スクラムデモだから使わないと言われる。えっスクラムデモってなんなの⁉️
〇村くんが「ちょっとヘルメット取ってくるね」 とゲバヘルを取りに行ってきた。ゲバヘルってレンタルあるんだ。数に限りはあるんだろうけど。反戦と書かれた真新しいヘルメットを貸してもらうが、ここまできたらもう参加する流れには抗えない。スクラムデモってなんなの⁉️
持ち物も街宣車に積んで終点まで預かってもらえるらしく、参加者たちが慣れた動きで準備していくなか〇村くんに案内されながらリュックを車に詰め込んでいく。慣れてる人は気を使って?場所を取らないショルダーバッグとかで来ている中で30Lのリュック持ち込んでごめんなさい。載せ終わったら4列に整列していく。自分は4列の右から2番目で右が〇村くんで、左は知らない男性。最後主催者の人が靴紐、締めて、ここ大事だよと言われる。その後、〇村くんにスクラム(腕を組む)とか教えてもらう。逮捕されないように肘で人間の鎖を作るというもの。出発する。スクラムは常時組むのでは無く、手を自由にできるタイミングがある。出発すると、止まってる機動隊車両から訓練された動きで両脇に機動隊が並んでデモ隊がはみ出ないように両脇を固めるが、多い。
「来るぞ、スクラムするぞ」というタイミングで一斉に腕を組む感じで、機動隊が両端から押して来て掴むな、ふざけるな!規制線(機動隊の声)の怒号が飛び交う中で、前の人の背中と引っ付くおしくらまんじゅうしながら行進する。転倒しそうになりながら、前進。 ワイは4列の右から2番目なので、機動隊には直接押されないが、引っ張られる。ゲバヘルってただのパフォーマンスではなく、転んだ時に頭を守るためにかぶるものなんだ。シュプレヒコールは過激で反天皇で、反天皇主義者ではないので来る場所を間違えた。
政治活動では常識なのかもしれないが、転び公妨(機動隊が足を引っかけたりしてきて不可抗力的に手を出したことを口実に公務執行妨害で現行犯逮捕)があるらしい。今回のデモで一人不当逮捕が出たらしく、ニュースの記事でも確認した。捕まるのは無許可なデモだけで許可を受けてるから安全圏だと高をくくっていた。実際転び公妨が起きそうになる場面を目の前で目撃したりした。そうした場所に気軽なノリでオフ会として人を集めようとしていたのは無責任極まりないと痛感した。長ったらしい文章で相当引っ張ってきた分詳細に語りたいが、内部情報扱いで流出させてはいけない扱いだったりした場合、相当な恨みを買うのでここで打ち切らせてもらいます。
その後の動静
筋肉痛になった。
親切にしてくれた人たちに対して罪悪感がいっぱいだった。オルグしようという目的はあって歓迎してくれているんだろうけど、それでも戦争や差別をなくしたいという志を持ってここに来たと信じてくれていただろうことは、伝わる。そうした想いをワイは裏切った。解散時に最後に今後の情報とかを共有するためにTwitterやってるか聞かれたが、最近やってないんですよね…あれ、パスワード忘れちゃった…すみませんと茶番でごまかすなど汚い嘘もついた。(ツイ廃)ここで正直にチーズだめライフ川越です‼️と言ったらどうなっていたんだろう
その後Twitterの話題では不当逮捕された人を奪還することが主題になり、反戦淫夢は一瞬で言及する人が居なくなった。ほっとした一方で祭りの後の寂しさを感じる。だが、今回の件でフォロワーが増えた。炎上以前のフォロワー90だったが100を突破した。しかも良く反応してくれるフォロワーであり、ありがたい。Twitterへ日々邁進できるのはあなた方のおかげです。いままで必死に集めても来なかったディスコードサーバーにも続々と新メンバーがやってきた。
たくさんの人に叩かれたが、それでも暖かい言葉をかけてくれる人もいて、かなり支えになった。
淫夢が差別かは分からないが、特定の個人をおもちゃにする加害性は考えれば考える程拭い去りきることができない。反戦のためなら手段を選らばないというマキャベリズムは繊細過ぎて選択できなく、鈍感にもなれない。これを正当化する理論と方法を見つけないといけない。
Twitterで人を集めれば主催者にバレてまずいことになるという常識的な想像力があれば気づけることを経験で学んでからは、身動きが取れなくなって燻っていた。それでも、せっかく人が集まってくれたのに何かできないだろうか。とりあえず参政党のプロテストが流行っているので、適当に作るが、社会を変えられる根拠のない自信と情熱は戻ってこなかった。
それ以降、1回ずつ参政党プロテストと石破頑張れデモ行ったが、それ以外行く気が湧いてこないのは、自分は反戦にかこつけて承認欲求と好奇心を満たしたいだけだという卑しさで動いていただけだったのか。
しかし、せっかく得難き貴重な体験ができたのだから、それを書ききらないと前には進めない。というより、ネットに居場所を得るためには何かを掲げなければならない。
しかし、脱線しまくるADHD的な文章を書いてみては、消してを繰り返しているうちにやる気を失って放置した。別のテーマで記事書けばいいんだが、反戦淫夢→反戦淫夢炎上みたいな即落ち2コマみたいに並べたいというこだわりで書けない。
Twitterの仕様変更により、今まではユーザー名にキーワードを入れてればキーワード検索した時にヒットするようになっていたが、それが人の目につく方法が無くなった。その結果、だめライフのようにアカウント名に共通のワード入れることで承認のおこぼれを貰うことが出来なくなった結果、そうした界隈に新規加入のハードルが上がってだめライフにも逆風が吹く。皮肉なことにチーズだめライフ川越というアカウント名ではだめライフで検索した人に見られるためだめライフと関係の無い事を言うのがはばかられていたが、それが無くなったことで言いたい事を言いやすくなってTwitterでクネクネする中、めちゃくちゃ反応してくれる自虐系クネクネアニメアイコンに出会った。さらにはその人のフォロワーとも繋がり、界隈の一員として迎え入れられて、今では相互フォロワーが200人まで増え、一人くらいは反応してくれる暖かい世界にたどりついた。鯖主でなくとも、政治活動の主催者でなくとも対等な立場で反応し合う関係。こうした場所を知ってれば、缶バッジを餌にしようなんて卑屈なやり方をしなかったと思う。だけどそうしたアニメアイコンの馴れ合いの関係性は、大学時代、ぼっちだの陰キャだの自虐を言いながらネットで反応してもらえる、妬ましく、ずっと欲しかった陽だまりだ。自らの特権性と向き合わなければいけないし、こうした場所で成立する関係性とは、共通の目的があるわけではなく、自分の設定や思考をユーモアを交えながら絶えず更新していきそれに反応するだけの場所で脆いことも分かってる。仲のいい人がある日突然アカウントを消したりする。
また、政治の世界では、前回の記事の最後の方で憂慮していた高市早苗が総理になって台湾有事を煽る可能性が現実となってしまった。チーズ中道的事大主義で結局軍拡を推し進めても追認するであろう世論に対して、カウンターを打たなくてはならない。炎上で浮き彫りになったネットミームの加害性やネットリテラシーの問題、Twitterの中で学んだこと、そうしたものを踏まえて新しい反戦淫夢を立ち上げなければならないと思う。とはいえ、ネットミーム消費といじめの類似性を感じて立ち止まったり、ネットやコミュニティのつかみどころのなさに行き詰まってきた。ネット社会から現実の政治活動を流れを作るにしろ、そもそもネットにおいて社会が成立している領域が狭くてネット人口的にもう反戦淫夢に興味を持つ可能性がある人は大体集まり終わってて、これ以上広がりがないのではという問題。また、どこを見渡してもそうした場所が学生ばかりであり、アラサーがネットでオルタナティブな生き方をするにはどうすればいいのかというのっぴきならない現実に対して、Twitterでクネクネするしかなかった。
だめライフの親玉が書いた記事で引用されていた本に何かヒントがあるのではないかと思って宮台真司「終わりなき日常を生きろ」宇野常寛「ゼロ年代の想像力」を読み終わった。東浩紀「動物化するポストモダン」も読みたいが、この記事は年内に書き終わり、すっきりした気分で新年を迎えたいので、メモ代わりに考えていることをまとめて終わりにする。
「終わりなき日常を生きろ」では生きる意味に迷った若者がオウム真理教にハマってしまった動機を掘り下げる。彼らが求めた承認や共同性といった着目し、エヴァンゲリオンやナウシカなどのsf作品への言及が多い。
「ゼロ年代の想像力」では、時代ごとに流行ったアニメやドラマなどの作品を上げながら、そうした物語が流行った時代背景を考察していく作品。デスノートをゼロ年代を象徴する作品として挙げている。
オタク文化という身近な例えを用いるのは参考にしていきたい。その2つの作品は共通して生きる理由を誰も与えてくれないポストモダニズムの中で、どう生きるがテーマであり、どちらもコミュニケーションというものに結論付けられている。しかし、コミュニケーション能力が低い人間がどうやって生きるかは、焦点が当てられてない。ここが反戦淫夢とチーズだめライフのテーマとなってくるだろう。
宮台真司はコミュニケーションスキルが低い奴に関しては「それなりに色んな場所があって、それなりに色んな人が居るということを知る」みたいなことをあっさりと書くにとどまる。色んな場所とは、淫夢語録で会話するネットコミュニティとかで、作っていくしかない。
ゼロ年代の想像力に関してはそこに触れられておらず、いじめ問題に関してもキャラクターとは関係性によって定義づけられるのにそれを理解せず自分を押し付けるから排除されるみたいな本人に問題があるような書き方を感じで弱者への共感力が乏しい気がしたが作者が20歳の時に書いたということを鑑みれば、頭でっかちな文章にもなんというか、ディスコードに時折現れる長文ニキを思い起こさせる味がある。
考察・反戦淫夢のアップデート
ネットは想像以上に内と外がある
炎上というものを初めて体験してみて気になったのは、炎上するきっかけになったツイートに最初はほとんど反応が無く、発言力のある左翼に言及されて一気に炎上が始まったこと。それまでも宣伝に固定ツイートに反戦淫夢に関するものを貼って来たし、政治に興味持ってそうな奴に検索されやすそうなワードを意識してインプレッションを増やそうとしたので、何人かは見てなんだコイツという目で見られていたと思うが、いいねも批判も来なかった。言及で左翼の敵として認識されて炎上し、そのあとその騒ぎを見つけた政治界隈の奴が面白がったりした。
ネットは人望がある奴を中心にしたコミュニティで回っていて、人望のある奴にサンドバッグかピエロとしてコミュニティ内で話題に上げてもらえない限り、目についてもなんだコイツと思われるだけ広めるのは難しいんだなと悟った。
淫夢プラカード上げるからデモでオフ会しようぜと知らない人に向かって演説している←なんだコイツ
万バズにいいねをつけてる人を仲間にしたかった
自分はバズったことがないが、リプしたツイートがバズって、リプ欄にぶら下がってる自分にも千以上ものおこぼれが来たことならある。そういう時に出てくるアカウントをタイムラインで探そうとしたりしても見つけられないのでどこにそんな人口がいるんだよとなる。あらゆる透明なアカウントの複合体。
バズってるツイートのリプ欄に沸いていくらいいねを稼いだところで、自分を認知して追ってくれるフォロワーからのいいねの暖かさの代わりにはならないということは、体験したことが無い人には分からないものである。
https://gigazine.net/news/20241116-online-community-90-9-1-rule/#google_vignette
Twitterを話題を検索するための情報収集のツールとして使っているならいいし、言語化してスッキリするためにインフルエンサーにリプしてるならそれでいいし、学校などローカルな繋がりでの近況報告として使ってるなら陽キャだろう。だが承認が欲しくてTwitterをやってるのに繋がり方分からず承認が得られなくてこうした立場に居る人も多いと思っている。ツイートしても誰も見てもらえないからってリプ欄に沸いても、経験上繋がれない。Twitterの界隈で繋がりを広げて交流する場所までたどり着ける人の方が少数派の特権階級なのではないかと思う。界隈では誰もこうした人たちに言及しない。ネトウヨ界隈中心に使われる、中道を馬鹿にするためのスラング「チーズ中道」が最たる例だと思う。バカにしづらい中道を無理やり馬鹿にするための言葉チーズ中道も、実際の中道ではなく、中国を擁護した発言にをした世界史界隈のツイ廃中高生に対して「原神、ブルアカなどの中韓のゲームに影響されて中国や韓国にシンパシーを持った」と界隈にいる変な奴を馬鹿にするために使われている。もへもへとかにいいねしている奴の方が世論に影響力を与えているだろうが、面白くないので無視されている。こうした人が面白くないと扱われてしまうのは、ユーモアとは身内を笑わせようとして身につくものであり、笑わせる身内が居ないと面白くなれないし、面白くないとそもそも繋がれない、そんな悪循環があるのではないか。政治界隈人口があまりいない中で人を集めても、身内で馴れ合っている感があり、そういう人に界隈に入るハードルを下げて身内に引き込む道を提示したいが、その方法を見つけるのが今後の課題である。そもそも見つけてもらうには事実上バズるしか方法が無いわけだが、淫夢厨が中核派とバトるという今後起きないであろう面白い展開が起きてすらバズれなかった。バズってしまったら通報ラッシュで凍結されたかもしれないから困る。最初に左派協議会のチラシを配ろうとしたのも、ネットにいない人をネットに引き込む回路を模索したものである。
身内にいなくてもなんだコイツと思われず、ネット上に見ず知らずの人同士が自然発生的なコミュニケーションを楽しむ場所が必要であると考えているわけだが、趣味趣向が細分化した現代において、異なる価値観を持った人の間で会話を成立させるのは難しくなっている中でそれをやるには、共通の趣味趣向による仲間意識が必要で、反戦淫夢はそのひとつとして、ネットミームや淫夢語録によるオタク同士のコミュニケーションに注目してきた。ネットにいればくそみそや野獣先輩くらいは知っていると思ったので。
淫夢はどう考えても有害
反戦淫夢をする上で、どう考えても有害でコンテンツを如何に正当化するかを考えてきた。野獣先輩は劇のキャラクターだからセーフだとか色々考えてきたが、こっそり出演し、こっそり消費するという閉じた世界で成り立っている場所を衆目に晒し、人の裸をおもちゃにするという行為が有害で無いわけがない。宇野常寛氏のゼロ年代の想像力では、ゼロ年代に流行っていたエロゲをどこまでいっても「予め主人公に癒される傷を持った少女」を主人公が助ける形のストーリーを通して、女性を所有したいという家父長制的な男性ユーザーが欲望を満たすために作られているが、主人公の葛藤を描くことで、ユーザーに差別なんてしない倫理観な人間であると思わせる構図がかえって差別性を強めているとボロクソに批判していたが、淫夢にも同じことが言えるのかもしれない。政治鯖で淫夢発言を差別と諫められた際、淫夢を正当化したところマルクス主義長文ニキに圧倒的な文章生成速度でブチ切れられ、それに対して淫夢語録はコミュ障へのコミュニケーションのハードルを下げるみたいなメリットを羅列した所、そんなことでしかコミュニケーション取れない異常者は孤立していろ、お前は福祉にいるべき人間だとか叩かれた。福祉を侮辱の文脈で持ち出すなど言語道断であり、淫夢厨以上の差別主義者であることを恥じ入って欲しい。彼が思い浮かべてる福祉とは何かわからないが、当事者会だとして、そうした場所は生活の悩みとかを共有し、今後どうしていくか前向きに話し合う場所であって、淫夢を代替するようなものではない。
どう考えても淫夢が有害なのに、なぜこれほど世の中に広まっているのかと言われれば、結局面白いからである。AI生成イラストは多くの絵師の自己実現の回路を破壊した点で有害であるが、便利なため結局そうしたものが受け入れられていく過程には逆らえないだろう。
淫夢の面白さ
淫夢が面白い理由とは何か整理する。
下品・不謹慎
まず挙げられるのは下品かつ不謹慎だからである。下ネタや不謹慎なネタが好きかどうかは人それぞれであるが、小学校の教室を思い浮かべてほしいが男子はうんことかちんちんとかが大好きなのではないだろうか。淫夢は童心を解放できる。オウム事件には胸を痛めつつも麻原彰晃が裸で必死な形相で空中浮遊している写真は面白いと感じる、人もいるのではないだろうか。淫夢は同性愛問題に近いところにあるけど、それでも多様性に富んだイキ声で絶妙にズレた音楽を奏でるのはシュールだ。申し訳ないと思いながらもこっそり楽しませてもらう背徳感がいい塩梅。
爆発的に広まった過程
野獣先輩のmad動画のピークは2016年頃と聞く。ゲイコンテンツを面白がるのはくそみそテクニックやガチムチパンツレスリングで慣れていたが、くそみそは絵であり、ガチムチは外国産かつ、性行為というより裸の男が戦ってる印象が強かったため受け入れたが、淫夢は性行為そのものである。また、ワイはいちゃラブでしか抜けないため昏睡レイプや脅しなど物騒なポルノで抜く行為に忌避感を感じて淫夢は最初は見なかったが、その頃から存在は聞いていたがやばい奴が楽しんでるものという印象が強かった。だが2018年にはさいたま市の成人式に野獣先輩が登場した(ハッピーフォトスクリーンっていう成人の晴れ姿を大型スクリーンにスマホで送れるオープニング企画で、誰かが野獣先輩送ったら映ってしまった)ことではしゃいでる人を見て、面白そうなのでそっちの倫理観に合わせた。その後野獣邸凸する人が増え続けたり、中国のビリビリ動画を通して大陸に広がり、中国船舶工業CSSCで目力先輩の音声が軍事兵器のPVに使われたり、AIの登場で岸田文雄に(野獣先輩ではないが)淫夢語録をしゃべらせた結果ディープフェイクの危険性が世の中に広まるなど数々の伝説を目撃することになる。
笑わせるために作られていないものを面白がる悪ふざけ
笑うための娯楽はいっぱいあるが、笑わせるために金銭のやり取りを経て生産されたコンテンツを、用法容量を守って消費するしかないのは不自由なのではないか。笑わせるために作られていないものを切り貼りしているmad文化では、著作権上お金をもらうわけにはいかないから、100パーセントの遊び心と承認欲求という精神的利益に基づいて作られている。お金を貰えないのにゲイビデオを何百時間もかけて切り貼りしている奴がいること自体が面白いのではないだろうか。コメントで反応し合えて製作者、視聴者同士の心理的距離が近く、一緒に悪ふざけしている気分になれる。許可が絶対に得られないことをばれないようにこっそりやる悪ふざけとは無責任だが自由だ。
野獣先輩やヒカキンというお兄さん像
野獣先輩の24歳学生という設定は主消費者層のキッズから見て、自分らよりは成熟しているが父親程大人には染まっていないホモビに出た面白いお兄さん像を投影するのにちょうどいい訳だ。24歳で学生という事は留年を仄めかしていてそこもチャームポイントとして映る。野獣先輩と同じくらいキッズに切り貼り動画で人気なヒカキンも、会社員ではなく、「好きなことして生きていく」学生のノリで面白いことをしておっさんになった現役お兄さんという属性を持っていると思う。そうしたお兄さんをキッズは求めてるわけだが、その結果数千万もの知らないキッズから一方的に慕われるのは当人にとっては恐怖であろう。
子供向けコンテンツとノスタルジー
脳は同じような刺激が繰り返されることでその刺激への反応が徐々に弱まる。子供は見たものをなんでも新鮮に感じることが出来るが、目が肥えてしまった我々はそうはいかない。最近のネットがつまらないなと思ったら残念ながら老害である。また、いつの間にか野獣先輩の年齢を追い越してしまったらもはやお兄さんをからかう行為は年下をいじめる行為として罪の意識に苛まれる。ここで人権派に転じることはできるが、それは卑怯ではないのか。脳の機能が低下して笑えなくなったからここからはアウトでここまではセーフみたいな線引きをしだすのは、我々が反発した大人そのものではないか。そもそも淫夢卒業しろよ
何故淫夢を卒業せずしがみつくのか、それはそこに歴史の流れを感じ取ることができるからである。新しいネットミームが作られては体系化されずに忘れ去られるTwitterにおいて「今どこにいるのか」というものを見出すことは難しい。個人的な関係性の中で共通の思い出を一緒に作り上げて行ければ理想だけど、まずはその和に入らないといけない。そうした時に情報過多で過剰流動なネットにおいて見てきたものが同じ人を見ると安心する。大人はニコニコ動画で淫夢を追うことは飽きても、忘れないように思い出し笑いを必要としている。また、淫夢にはwikiの文化があり、歴史という形で手に取ることができることで共有することが出来る点で淫夢は優れている。この記事がやたらながったっらしいもの、こうした活動をする上で歴史として共有できた方がいいと考えているからだ。手に取れる歴史というものが無いと、古参の個人的な関係の中でしか通用しない共通の思い出話についていけずに新規が馴染めないのではないだろうか。
理屈ではなくさじ加減や文脈
淫夢を理屈で考えるとしたらどうしても有害ということになってしまう。だが、毎年8月10日に11時45分14秒に下北沢近辺で奇声を発する集団を見て、差別主義者の集会に見えるだろうか。近隣に騒音をまき散らすだけで特に害は感じない。社会は明文化されたルールではなく、どこまで許されるかというコミュニティ内での規範によって回る。学校の教室では校則をきちんと守ってる奴よりも先生が見ていない所でうまく破る奴の方が友達が多いように。陰キャはルールとはどこまで守ればいいのかというさじ加減が分からないからみんなが第一ボタンをはずしている時にもきちんと締めたりしながら、陽キャのマネして問題を起こしたりするのも陰キャだったりする。大人になってもそれを会得できないと反戦淫夢で炎上することになる。
野獣邸凸は毎年ネットで叩かれたりする。淫夢界隈では特に顕著でアングラであるべき淫夢を現実に持ち出すなと保守派による村八分にされる。野獣邸凸は「一年に一度くらい羽目外して思い出を作ることくらいいいだろ」と規範を振りかざすものに対する反抗としてカウンターカルチャーの文脈で行われ、叩かれれば叩かれるほど輝きと人数を増す。
モノを介したコミュニケーションの重要性
野獣邸凸の時は、自作した反戦淫夢缶バッジを持って行った所、それがきっかけでそれなりにコミュニケーションが発生し、楽しい時間を過ごすことができた。来年はプラカードも配ろうと思っている。しかし野獣邸凸に行くまでは見ず知らずの人同士が共通のコンテンツを通し自然発生的なコミュニケーションを楽しむ場所だと考えていたがみんな友達同士で来ている人が多く身内で固まれる奴との人望の差が胸を締め付ける。
1人で来ていた人が現代アート先輩の旗を持って行進していても誰も話しかけておらず、少々不憫に感じた。大勢の人が居る中でなぜ話しかけるかという理由を用意するにはモノを配るということが有効であることが証明された。
異常者で何が悪い、無責任を解放しよう
カウンターカルチャーとは反抗する相手がいるから成立するわけだが、子供にとって反抗する相手とは大人であり、大人になっても子供のカウンターカルチャーに入り浸ってると肩身が狭くなる。大人は大人のカウンターカルチャーを作っていかなければならない。大人にとって反抗する相手とは何か、それは真人間だ。異常者が集まって何が悪いということを訴えていくことが真人間へのカウンターとなるはすだ。
異常さの方向性は色々あるが、大人になっても子供みたいなことをしていくことは十分異常と移るはずだ。
政治集会には右翼が街宣車で妨害してくることがよくある。大音量で軍歌を流し、沿道にかけつけ大声を出す。どう考えても大人のやることではないが、だからこそ言ってることには全く共感できなくてもそういうのを見るとワクワクするのではないか。今年の野獣の日、野獣邸凸していたホモガキをバックにラッパーが撮影を行い、なんとホモガキたちをミュージックビデオのエキストラにしてしまった。こういう自由な発想は真人間にはできない。
無責任を解放しよう
働きだすとどうしても責任というものが生じてくる以上、ルールというものに厳密に従わなければいけなくなってくる。ルールに染まってしまった大人は政治家の不祥事に対して責任とかを攻撃材料にしていくが、責任とかが嫌いなワイはそうしたノリはあまり好きじゃない。ネットでまで責任のある発言を求められるのは窮屈であり、下品なユーモアを好き勝手に書いて、政治について話すときも憲法守れという文脈より、お前ら右翼の自慰行為に巻き込むなという抗うノリでやっていきたい。怒られれば笑ってごまかそうという態度こそ無責任の解放ではないだろうか。色々な奴が集まってできてるのが社会なのだから危害が無いなら不愉快な奴が多少いてもいいじゃないか。
人生において大事なのは誰が一番正しいかではなく、どんなやつと出会えるか
人生には物語というものが必要であると考えている。生きてる途中に不幸せを感じても、最後におじいちゃんになった時に「色々あった悪くない人生だった」と思えるには物語というものが大事になってくると思う。変な事をしなくとも仕事を通して自己実現していける場所に就職して、結婚して家庭を築き生きれるならそうしたものは自然に作られていくだろう。だが、趣味も無く友人も無く自宅と独身でやりたくもない仕事のために職場を往復して地域の行事にも参加せずそれでおじいさんになった時を考えた時、親が逝去したあとにそれに耐えられるか自信が無い。例え正しい価値観を持って生きようが、行きつく先は同じ死なら、その過程こそ重要になってくる。そうはいっても自宅と職場を往復する現実を変えるだけの力が無いなら、ネットという色んな価値観の奴がいる場所でオルタナティブな人生ってやつを模索していくしかないだろう。そしてそれには結局繋がりや芸術というものが大事になってくるだろう。
ネットという場所でいかに生きるか
ネットという場所は現実と違って利害関係に基づく共同性を確保することができない。金に困ってもお金を恵んでもらうことは出来ない。paypayで乞食することが違法行為扱いさえされたりする。乞食行為は合法化されるべきだと考えているが。こうした場所で成立するコミュニティとはどうしても脆い。
特別を確保することの難しさ
学校の教室などはたまたま住んでる場所が近くて、同じ年に生まれた人が運命的に集められてる中で、学校行事というクラスの中でだけ通用する共通の物語があり、そのなかでどう振舞ってるかでなるべく気の合う奴を見つければいい(コミュニケーションが簡単とは言っていない)が、たくさんの人が居るインターネットでは、文章によるコミュニケーションというコミュ障への救済措置があるものの、たくさんの人の中で敢えてこの人と関わるという理由を見つけることが難しい。Twitterには「繋がりたいタグでは繋がれない」という格言がある(適当に作った)。繋がりたいタグとは、ハッシュタグとともに絵描きさんと繋がりたい、病み垢さんと繋がりたい、ガルクラ好きと繋がりたい、フォロバ100みたいな言葉で、共通の趣味、属性で繋がろうというものだ。だが、共通の物語というものに裏付けられたキャラクターの無い赤の他人ととりあえず繋がったという状態。とりあえず繋がってもそこに運命的なありがたみを感じれない。界隈という共通の物語を求めても、どの界隈にもたいてい面白い上位互換がいる。知り合いとして認知できる数に限界があるのに、敢えてつまらない奴と繋がる理由はそんなにない。
マッチングアプリでもそうだが、赤の他人の中から敢えて繋がるとすれば顔とかスペックとかの競争であり、そうした地平がどこまで連なっているのが現在インターネット。
繋がるなら共感だ
素晴らしいコンテンツを生み出せない人間にとってネットで人と繋がるには当然と言えば当然だが気が合う奴を見つけることが大事である。ゲームが好きなら、ゲームのディスコードサーバーとかに入って一緒にとりあえず遊んでみて気が合うか合わないか確認出来るが、そうじゃないなら、自分の自我を絶えず文章化して垂れ流しながら、自分の人生を実況していく、クネクネが重要になってくる。コミュニケーションとは情報のやり取りではなく感情のやり取りであることを重視するのであまり政治的発言は喜ばれない。
政治を変えようではなく、政治を変えようとしてる私を見て
でやっていくことが大事。あと、いいねを配っていくこと。いいねをされると嬉しい。いいねとは同意する同意しない、面白い面白くないを評価するためでなく、自分がされたら嬉しいことを相手にするという愛のあるものでないといけない。
胸に巣食う蒼い痛み丁寧に 拾ってゆく
本当の私がここにいる
きっと 許されることはない
それでも 虚構じゃない今を
失ったもの 手に入れたもの
(淫夢を擦ってきた罪悪感で汚れてしまった)
汚い手で (twitterに)ぶち撒けろ
そうさ 矢印はこ↑こ↓にあるんだ
承認の最大化は一つのフィールドで様々な小集団がぶつかり合う場所で起きると思う。根拠は前に居たtheworldMCというマイクラのマルチサーバーでは、地球を再現した地形のマップで、modによって国を作り、領土を広げたり時に戦争になったり、国家ごっこする場所が色んな人がいてすごく盛り上がっていて楽しかったから。このへんの考察いつかやりたい。
共感は舞台装置が必要だ
インターネットは学生ばかりだ。その理由はおっさんに比べて世界がワクワクと可能性にあふれている多感さだけでなく、学校という場所では定期試験や学校行事を他校と大体一致したタイミングで強制的に用意してくれる。学校が違っても学校のなかでうまく行ってないという痛みを共有できる。だが大人になると全員別々の仕事をしていく。弱者男性辛いということを言うとしても、正社員でそれを言うのと無職者がそれを言うのでは全然違って、心を通わせることが難しくなっていく。
アニメを見ろ
大人がインターネットに居続けるには複雑なキャラを維持する必要があり、定期テストのような「大きな」舞台装置の代わりが必要である。何が言いたいかというと、ワイも言えた立場じゃないが、みんな今期アニメ見ろ。アニメの感想が定期テストの代わりだ。感想で高得点取る奴、ワイみたいな自語りで文字数を稼ぐ奴、本気で書いた感想が笑われれば手を抜いて「キャラかわいいよね」みたいな無難な回答する奴も、キツすぎて見れない奴、変わり続ける世界においてワイらは意識してキャラを映し出すための舞台装置「物語」を取り戻さなくてはいけない。
政治は何かと思想を要素ごとに分解して概念に組み立てたがるが、アニメも思想だ。友情努力勝利のエンタメ作品だって、友情を大切にしない敵組織を、友情を大切にする主人公チームが打ち破るカタルシスによって友情の大切さという思想がある。何が好きかを語ることは明確に思想が出ると思うんだよね。
学生(気分を守りたいおっさん)運動が必要だ
芸術
ネットでクネクネすることは究極的には暇つぶしであり、虚しい行為かもしれない。だからそれを生き方にするには芸術性の発露、今ここにある情熱を形にしたものを何らかの形で頑張るという形で残していく必要があると思う。この長すぎる文章も炎上したと書けば十分なのに三万八千字の文字数を書き込んだ。読んでくれる人がいるかはしらないが。淫夢プラカードには芸術性を発露するのにちょうどいい器ではないだろうか。
amazarashi ミサイル
最後にamazarashiさんのミサイルという曲の歌詞を貼る。
戦争反対を訴えながらも結局はどこまでも特別になれない自分の鬱屈を社会情勢に便乗して晴らそうとしている自分の気まずさ虚しさに寄り添ってくれる、実に反戦淫夢にふさわしい名曲だと思う。電車で遠くへ行く、おいしいものを食べるなど目先の幸福を金で買ったって、明日になれば同じ労働を繰り返し、レールを踏み外した者は自己実現を仕事に求めることが出来ず、モテない奴はモテず、コミュ障は友達を作れず、代わりがいくらでもいて生きていく理由を誰も与えてくれることがないそんな人生が死ぬまで続いている不自由さのなかでワイらは今ここに存在する想いを拾っていきながらどこか自由を求めて出口を求めながら生きるしかない。僕らの自由とは背徳(淫夢)
疲れた、良いお年を

