2009年と2010年に発売された単行本付属の上下巻OVAで、アニメ化最終作。ほとんどのスタッフは新房昭之監督他、TVアニメからそのまま継続。
出崎演出から発展した新房演出により、ほとんど絵を動かさず、場合によっては文章を画面に表示しながら読みあげるだけの省力ぶりで、ちゃんと映像作品として緊張感を保っている。
良くも悪くも内容で興味深かったのが、上巻最初の、「デモ行進」に冷や水をあびせる「でも行進」。社会に対してさまざまな訴えを起こしながら、同時に「でも」と訴えに消極的な理由をつけていく。
まず発端のメーデーは風物詩あつかいして否定はしていないが、日本ではデモがもりあがらないという話につなげている。そのなかで主人公が正当なデモと評したのが、北京オリンピックへのボイコット呼びかけだけ。主人公は現状を極端に斜めに見ているキャラクターなので、必ずしも作中ですら正論としてあつかわれないが、ここでは「社会派」になってしまってギャグ漫画としては良くないと主張を位置づけている。
選手がかわいそうという意見も一瞬出てくるが重視はされない。その後に不正にまみれながら新型コロナ過において強行された東京オリンピックを正当化する理屈が*1、ここでは無力な意見としてあつかわれている。もっとも北京オリンピックにしても現実のボイコットは広がらず、むしろ日本は過去最多のメダルを獲得したことで一転してイベントへの否定的な評価が退潮して、少なからず保守が牽引*2した反対運動も忘れられていった感があるが。
そして反原発デモも登場し、「でも」電気が必要だと反論される。これが発売されて一年半後に東日本大震災が発生し、世界史に残るような原発事故により十数年後も住めなくなる土地を生み出した。日本全体も、原発に依存していた結果としての電力確保に追われることとなった。そして明らかになった原発のリスクに対応するためコストが増える一方、再生エネルギー技術の発展にともない安定した安価な電気を求めるだけならば原発から脱却するデモをおこなうべきという皮肉な状況になっている。これも実際には、メガソーラーなどの再生エネルギー反対運動においては、単純に電力の必要性だけで反論されているところは見かけない。
とはいえ、こうした同時代のさまざまな出来事がひとつの視点で記録された風刺作品は、現代の一般的なアニメ愛好家向けではきわめて珍しい。その視点や主張はさておいて、希少ゆえの価値は感じられなくもなかった。
*1:一応、参加選手に当事者として辞退をねがう動きがあった背景もある。 池江璃花子氏を応援する有識者のツイート前後を見てみると、驚きの結果になった - 法華狼の日記
*2:ちなみに左派が抗議内容を考えようとした運動では、その抗議手法が穏健すぎるとして運動から排除された事例もある。