1947年4月。米軍接収下のナイルキニック・スタジアム(明治神宮外苑競技場=旧・国立競技場)で、14代田邊五兵衛は大役を果たした。32年に始まった全関東対全関西による東西対抗戦が先の大戦を経て復活し、臨席された当時の天皇陛下、皇太子殿下へのご説明役を務めたのだ。
天覧試合で異例のお言葉
白熱した試合は2-2の引き分け。試合後、天皇陛下は「本日は、良い試合を見せてもらってありがとう。戦後日本の復興はスポーツ精神の振興によるもの多大と思う。どうか、しっかりやってほしい。今日はありがとう」と異例のお言葉を選手らにかけられた。この試合がきっかけとなって翌年に天皇杯が下賜(かし)されることになるのである。
14代五兵衛は41年、33歳で田邊五兵衛商店の社長に就任すると、社名を田辺製薬(現・田辺三菱製薬)に変更するなど新風を起こした。一方で、45年の大阪大空襲では大阪市内の工場が半焼。同業種の中でも最も甚大な戦争被害を受けた。
36年ベルリン五輪で輝きを放った日本サッカー界も多くの人材を失い、協会組織も崩壊。両者を復興へと導くため、東奔西走した。
一端をサッカー界を中心に紹介すると、敗戦とともに大日本蹴球協会(現・日本サッカー協会)の会長代行を経て副会長に就任。冒頭のご説明役のほか、大阪体育連盟(現・大阪府スポーツ協会)会長の春日弘と第1回国民体育大会(近畿国体)を成功に導いた。
経営者であり、スポーツマン
日本体育協会(現・日本スポーツ協会)から打診を受けた春日に14代五兵衛は「関西の全施設を総動員すればできますよ」と助言。俯瞰(ふかん)的に物事を判断し、果断に推進するのは、経営者であり、スポーツマンでもあった14代五兵衛らしい。
また、天覧試合で全関西の監督を務めた手島志郎とともに田辺製薬サッカー部の強化にも乗り出した。48年に出征帰りの賀川太郎、50年には関西学院大学を卒業した鴇田(ときた)正憲が入社。日本代表級の選手を集めた田辺製薬サッカー部は実業団最高峰の大会だった全日本実業団選手権で50年から6連覇の偉業を達成した。51年の第1回アジア大会には5人が出場。56年の全国都市対抗選手権関西予選で敗れるまで94戦無敗(93勝1分け)の記録を樹立した。
68年メキシコ五輪で日本代表を指揮した長沼健は「全盛時代の田辺と対戦する相手チームは、作戦の立てようがない状態だった」とその無敵ぶりを評した。
アマチュアリズム固持
14代五兵衛が自社のサッカー部を強化したのには理由がある。一つは実業団スポーツの隆盛を見越したからだ。戦前のスポーツは大学が中心だった。しかし、徴兵制がなくなった戦後はキャリアのピークが社会人に移った。いわば生涯スポーツに通じる考え方を持っていたのだ。もう一つはサッカー界全体の牽引(けんいん)者となること。後に監督を務める宮田孝治は「普及とレベルアップには強力で優れたチームを一つつくり、対抗する勢力を増やしてゆくことが必要だと考えた」と14代五兵衛の思いを説明した。
一方で、田辺製薬サッカー部には「社員の第一義は仕事、サッカーは余暇」との不文律があった。練習をするのも、仕事が終わってから。日本代表級の選手もフルタイムで仕事に励み、異動や転勤もあった。現役選手を引退した手島が、常務となるなど、今でいうセカンドキャリアも確立。与えられた環境の中で仕事とサッカーを両立させるアマチュアリズムの結晶のようなチームでもあった。
64年の東京五輪、65年の日本サッカーリーグ(JSL)創設とサッカー熱が高まる中、14代五兵衛が亡くなる72年に田辺製薬サッカー部はJSL2部に昇格。14代五兵衛は選手の腰にひもをつけ、プレー中の距離を保つ練習をさせたり、「(試合前の整列時には)アゴを引いて相手の目をにらめ」と訓示したりするなど、手塩にかけたサッカー部を最期まで督励した。
それから8年。田辺製薬サッカー部は80年度の第60回天皇杯全日本選手権で強烈な光を放った。JSL2部だったが、1部優勝のヤンマーディーゼル(セレッソ大阪の前身)をはじめ格上を次々と破って81年元日の決勝に進出。0-1で敗れて準優勝に終わったが、スタンドに集結した約7千人の会社関係者からは喝采の声があがったという。
スタンド清掃先駆け
93年にJリーグが誕生し、JSLの強豪の多くはJリーグのチームに生まれ変わった。田辺製薬サッカー部は加盟せず別の道を選んだが、14代五兵衛が築いた栄光の歴史とその足跡は、Jリーグへと続く道にしっかりと残っている。
もう一つ、田辺製薬の天皇杯準優勝で記したいことがある。関係者らは試合後にスタンドを清掃。敗戦にもかかわらず、さわやかに会場を去る姿が話題となった。現在のワールドカップ(W杯)や五輪で世界から称賛される日本の観客の振る舞いにも共通する。
当時を知る元サッカー部員は「工場で働いている社員らにとって、掃除して帰るのは当たり前」と証言したが、根底にはフィールドを道場に例えた14代五兵衛の精神が息づいているように思えてならない。(敬称略)
(北川信行)