前回のエントリでは画面を見たまま解説していきましたが、今回はストーリーの解説と自己解釈をしていこうと思います。
案の定ネタバレ前回なので注意。
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まず、「劇場版は難しすぎて1回見ただけじゃわからない!」という人のために、時系列に沿ってストーリーを解説していきましょう。
まどかが円環の理になる。
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お菓子の魔女(百江なぎさ)、人魚の魔女(美樹さやか)を含む全ての魔法少女/魔女が救済され、円環の理の一部として取り込まれていく。
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現実世界では、魔女の代わりに世界の歪みが魔獣という形で現れるようになる。
さやかが消滅したため、この時点で残った魔法少女はほむら、お菓子の魔女の存在が消えたため生きているマミ、人魚の魔女の存在が消えたため生きている杏子の3人。
なお、ほむら以外の2人とインキュベーターは鹿目まどかに関する記憶も他の世界線に関する記憶も持っていない。
ほむらはまどかが救い、愛した世界を守るため、戦い続けることを決意する。
この世界線のその後を描いたのが今回の叛逆の物語。
まず理由は不明だが、暁美ほむらのソウルジェムが魔女化寸前まで濁る。
(魔法を消費し過ぎたのか、心に負担が掛かったのかは不明だが、この時点でソウルジェムを濁らせたのは愛ではない)
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インキューベーター達が、エネルギー源たる魔法少女達がソウルジェムを濁らせた末に消滅する、という現象と、ほむらが日頃話していた魔女と円環の理について興味を持つ。
外部から干渉されない遮断フィールドにほむらのソウルジェムを閉じ込める。
↓
ほむら魔女化
↓
この遮断フィールドは、外部からは干渉されないが、内部から引きこむことは出来る。
そのため、ほむらは使い魔等を使って巴マミ、佐倉杏子、まどかの家族、上条恭介、志筑仁美、早乙女和子、クラスメイトの中沢くん(ほむらの隣の座席で和子先生に無茶振りされる男子)を結界内の見滝原に取り込む。
同時に、外からほむらを救済に来た円環の理(アルティメットまどかや、美樹さやか、百江なぎさを始めとする魔女化した魔法少女たち)も、ほむらがまどか達を望んだために取り込まれる。
つまり、それ以外のキャラクターはクラスメイトも街の人間も全てほむらが創りだした偽物。
↓
ほむらを含めて、取り込まれた人全ての記憶が魔法少女の敵はナイトメアであり、鹿目まどかが存在する世界として改竄される。
恐らく、さやかとなぎさは魔女化しているため、記憶の改竄を免れた。
※追記
コメント等でもご指摘を受けましたが、さやかとなぎさは円環の理の一部であるため記憶の改竄を免れ、また同じく円環の理であるはずのまどかはほむらが一番記憶を消したがっている=一番干渉を受けるために記憶が魔女結界から出るまで戻らなかった、とみるほうが自然だと思いました。以前の自分の考えも残すため、敢えて消さずに追記の形で言及しておきます。
まどかは人ではない存在にはなってはいるが、魔女化はしていないため、普通の人間としての鹿目まどかの記憶を彼女自身に刷り込まれ、その認識によって円環の理の力も一時的に失っている。
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まどかとの会話によって、まどか自身の神になるという選択が、『必要に迫られたために出した苦渋の決断であり、決して喜べる選択肢ではなかった』という本心を知る。
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ほむら自身が自分の世界の矛盾に気付き、自らが魔女となっていることを悟る。
ただこの時点ではまだ魔女として完全ではなく(半魔女)、見た目も服装が変わっただけ。
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ほむらがインキュベーターの目的の目的を知る。
※魔女化したほむらを餌にして円環の理を観測し、支配できるようにした上で、また魔法少女を魔女に変えて莫大なエネルギーを得られるようにする→つまり『全ての魔女を生まれる前に消し去り、全ての魔法少女を救済する』というまどかの願いを台無しにするということ※
↓
これ以上インキュベーターにまどかの情報を与えてまどかが支配されないよう、自らの意志で(まどかの願いの為に、彼女への愛で)ソウルジェムを更に濁らせ、完全に魔女化。此岸の魔女に。
※ほむらが何をしたかったかというと、この時点でまだほむらの魔女結界の力は持続しているので、まどかは記憶=円環の理としての力を失っている。
つまり、この結界内で此岸の魔女が杏子やマミによって退治された場合、円環の理をインキュベーター達に観測させることなく魔女結界が崩壊し、まどか達は開放される=インキュベーターの目的を阻止できる。
代わりにほむらの魂は救済されない。絶望と後悔の中でその生命を終える。※
↓
しかし、魔獣が存在する世界線での記憶を取り戻したマミと杏子、まど神さまと同じく魔女が存在する世界の記憶も持つさやかやなぎさ達がほむらの救済を願ったため、魔女を倒すことなく魔女結界並びに遮断フィールドを破壊するように動く。
この時点でまどかは何をすればいいのかよく分かってない(記憶が全く戻っていない為)が、マミ達から指示を受けて結界を壊す。
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遮断フィールドを破壊した時点でまどかの記憶と能力が元に戻ったため、まどかが放った矢が雲を貫くと空にアルティメットまどかの紋章が現れ、インキュベーターを掃討する。
この時点でインキュベーターの目的は潰え、ほむらが半魔女から完全体へとソウルジェムを濁らせた動機がなくなったことになる。
↓
アルティメットまどかたち円環の理が、魔女化したほむらの救済のために現れる。
↓
ほむらがまどかを捕まえ、悪魔化。世界を書き換える。
この時ほむらのソウルジェムを濁らせダークオーブに変えたのは、まどかを現実世界に引き戻すという、まどかの本音(神になるのは苦渋の決断であったこと)の部分の願いを叶えたいという気持ちと、どんな形であっても彼女に側にいて欲しいというほむら自身の願い、つまりどちらにせよまどかに対する愛。
↓
力を完全に失ったわけではないものの(恐らくほむらの魔女結界内と同じで、記憶を封じることで力の存在を忘れさせている)、まどかは転校生として現実世界に戻ってくる。
同じく、さやかやなぎさ、そして恐らく他の魔法少女たちも、魔女化する前の魔法少女として世界に戻る。
↓
神に戻りかけたまどかをほむらが留まらせる。
自らが神であることを忘れた(ほむ魔女結界内での状態と似ている) まどかに、欲望と秩序(本音と建前、まどかの本音と神としての願いと置き換えられる)について尋ねると、秩序を守るべきだと返される。
※つまり、まどかにとっては概念と化すのが辛く耐えられないというのも、皆を救う為なら神になることも厭わないというのも、どちらも本音である、とほむらが再認識する。
というのが今回のストーリーでした。
三行で説明すると
『まどかの願いの為に頑張ってきたけど
やっぱ嫌だって言ってたし傍にいて欲しいので
悪魔になって神さま無理やり辞めさせたったww』
ってだけなのに丁寧に書くとものすごい長さになりました。
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ここから私なりのシリーズ全体の解釈になるのですが、かなりほむらに厳しいことを書いているので、彼女が好きだという方は気分を悪くなさるかもしれません。
テレビシリーズの時も感じていましたが、これは基本的にほむらの物語です。
神と悪魔として対になるキャラクターであるまどかとほむら。
彼女達の決定的な差は、まどかはどこまで行っても決して1人にはならず、ほむらは圧倒的に孤独だということです。
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例えば、まどかは8話でほむらから心情を吐露されるんですが、泣きだしたほむらに戸惑った後「ごめん…私、さやかちゃんを探さないと…」「まって…美樹さやかはもう…」「ごめんね…」「まって…!まどか…!」というやりとりをしています。
そして最終話。消えつつあるまどかとのやりとり。「まどか…!行かないで…!」「ごめんね…私、みんなを迎えに行かないと…」「まどかぁー!」このあと、まどかがさやかを迎えに行くわけです。
いつだってまどかにとってほむらは友達の1人であり、他の友人を捨ててまで常に優先する存在ではないのです。
そして何度も言われるように、まどかはほむらにとって「たったひとりの、私の友達」なわけですが、ほむらはまどかにとって「最高の友達」であって、ほむら自体は無二ではあっても友人自体は唯一ではないのです。
そもそも最高っていう言葉だってあやふやなわけで、最高の友達が1人でなければいけないというわけでもないですし、イコール一番大切な友達、というわけでもないでしょう。
特に、友人の多いまどかにとっては、むしろ「みんな大切」だと考えているのほうが自然です。小説版やルミナスOPでも描写されているように、さやかと仁美、まどかは幼馴染ですし、さやかよりほむらが大切な友達、ということはないと思います。どちらも大切なんじゃないかなと。
そして、まどかが誰からも忘れられて概念になって云々と言う割には、今回の映画を見ると分かる通り、彼女は孤独ではありません。
救済した魔女たちは完全に成仏というか消滅するわけではなく、円環の理の一部として取り込まれています。
今まで出てきた魔女の使い魔が多く出てきていることからも、さやかだけが特別に取り込まれているわけでなく、救済された全てを取り込んでいると考えて差し支えないでしょう。
メチャクチャにぎやかじゃないっすか。
つまり、別にまどかを救うために神さまから人間に引き摺り落とす必要性はないのです。
勿論ただの人間として生きる幸せもまどかにはありますが、それは逆に神をやめることによる不幸も呼びこむことになりますから、まどかの魔法少女としての願いに沿っている分、彼女が神である状態のほうが世界は安定するし、幸せだと私は思います。
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対してほむらは圧倒的に孤独です。
ループ世界の中で失敗を繰り返すうちに孤独になったというよりは、もともとまどか以外とはそこまで仲良くなかったのでしょう。
普段から周囲と仲良くしてたわけでないのに、急に「キュゥべえは私たちを騙している!」と言っても困惑されるのは当然です。
今回の映画は、世界の歪みに気付いた後、杏子に相談していますが、杏子は半信半疑ながらも検証に協力してくれます。
これはこの世界では普段からほむらが(グループでとはいえ)杏子と仲良くしていたから成立したことだと思います。
何故ほむらがここまで孤独なのかというと、彼女は自分の弱みを見せるのがめっちゃくちゃ下手です。
例えば、テレビ10話では転校してきた当初から、運動すればすぐに倒れ、数学の問題は全く解けず、なかなか周囲に馴染めない様子が描かれていますが、もし彼女がその弱さを逆に自分から売り込んで行けば友達も作れたと思うんですよ。
「私、ずっと入院してて、勉強もすっごく苦手なんだ。良かったら教えてくれないかな?」って声掛けるとかね。
弱さに甘えるのは良くないことですが、必要以上に恥じる必要はないわけで。
彼女はもともと心臓病を患っていたために、自分の”弱さ”に負い目があるのかもしれません。
まあこの弱みを見せないという弱点はほむら特有のものではなく、TVシリーズでの魔法少女たちは皆どこか切羽詰まっていて、余裕がありませんでした。
誰しもその辛さを背負い込み、隠し、去勢を張った結果、誤解し合い、傷付け合ってあの結末に行き着きました。
ですが今回の映画を見ても分かるように、今回魔法少女たちはすごく大人になっています。
ちゃんと自分の弱さに向き合って、またそれを他人に晒しています。折り合いをつけているというか。
仁美なんかは魔法少女じゃないですけどわかりやすいですよね。彼氏とちょっとうまく行かなかったからってナイトメア化しちゃって。
でも人間そんなもんというか、小さいことでもこまめに発散していかないと立ち行かなくなってくる部分が出てくるし、
そういう小さい弱みを見せていくことで他の人から信頼されたり、仲良くなれたりするものなんです。
逸れましたが、その孤独なほむらが自分を孤独から救う為にしたのは、唯一の友達であるまどかに固執することでした。
本当はまどかに執着すればするほど、他に友達が作れなくなる悪循環に陥るわけですが。
実際TVシリーズでもその固執をさやかに見抜かれていました。「あんた私を助けたいんじゃないんでしょ」って。
あそこで本当にまどかの為にでなく、美樹さやかそのものを救おうとしていたら何かが変わったかもしれません。
そして、まどかが概念となることで彼女を失ったほむらがその孤独を埋める為にしたのは、彼女の為に生きることです。
まどかを現実世界に引き戻すことは出来ないし、そもそも神になることを望んだのがまどか自身であり、まどかをこちらに戻すということが彼女の願いに反するからこそ、ほむらはまどか自体をどうこうすることを諦め、彼女の願いの為にという動機に縋って魔獣を倒していました。
つまり、彼女は自分の孤独を救うために、本音はまどかに傍にいてほしいけれども、建前として世界を守っていたのです。
その建前が崩れたのが、魔女結界内でのまどかとの会話。
神としての記憶と使命を失ったまどかとの会話で、ほむらはまどかの決断が決して彼女にとって幸せなものでく、苦渋の決断であったという本音を知ってしまいます。
勿論、神として皆を助けたいという部分も、建前でなくまどかの本音なのですが、魔女化したほむらの心は自分に都合の良い、自分の本音と沿うまどかの本音の方に目を向けて、自分のまどかを自分の世界に引き戻したいという願いを正当化させたのです。
今までのほむらの願いは、常にまどかの為(といいつつ、恐らく半分は孤独な自分自身のため)のものだったのですが、今回はおためごかしをすっ飛ばして、まどかに対するほむらの愛のためだけの願いでした。
(誰かの為って正当化するくらいならこれくらいわかりやすいほうが清々しくて私は好きですね! )
*
結局、悪魔になったほむらは何をしたのか。
具体的にはぼかされていますが、劇中の描写とさやかの台詞から考えるに、今まで魔女となり取り込まれたものはまどかを現実世界に戻す余波で元の魔法少女として世界に戻され(ただ、薔薇園の魔女の使い魔やお菓子の魔女の使い魔がところどころにいたのは気になる。まあさやかもオクタヴィアを出せなくなってたし恐らく魔女の力は徐々に失われるのでしょう)、これから魔女になるものは“救済されなくなった”と考えるのが自然ではないでしょうか。
つまり、まどかがしていたのは魔女になった人間を成仏させてあげることなのですが、まどかがいなくなったことによって、魔女になった人間は魔女化はしないもののその心が救われることなく消滅するだけになったのではないか、ということです。
円環の理は一部(まどか)が失われただけ・しかし「魔法少女たちにとっての救いをアンタが奪い取ったんだ!(うろおぼえ)」とさやかが怒っている・現実世界に戻れたのはまどかとさやかだけではない描写がある、という部分から推測しました。
それがどれだけ残酷なことかと言いますと、今回の映画の終盤でほむらが魔女結界の中で彼女が望んだままに、杏子やマミによって止めを刺されるようなこと、というと分かっていただけるかと思います。
まあ魔女化はしない(という仮定な)ので、あそこまで絶望と後悔が絶え間なく送ってくるような状態を味わうことはないでしょうが、それでも、魔女化するまでソウルジェムが濁るという状況を考えると、その時の気持ちのまま死んでいくというのはかなり可哀想だと思います。
一度魔女化してまどかに救済されたさやかから見たら、許しがたいことでしょう。
*
何故同じ『自らの願いで世界を書き換える』ということを行ったまどかとほむらがここまで決定的に違ってしまったか。
ほむらが秩序を乱す云々かんぬん言ってましたが、“今まで存在していた秩序を自らの願いによって壊した”という部分に関してはまどかも同罪です。
まどかの願いは『全ての魔女を生まれる前に消し去る≒魔法少女の救済』というえげつなくデッカイ願いですが、彼女の願いの本質というか、一番大切な部分は、「舞台装置の魔女(ワルプルギスの夜)並びにその後に生まれるかもしれない魔女を正攻法でなくても倒すことで、家族や友達を守る」という身近なところに即してる願いなのだと思います。そしてどこまで行っても自分以外の誰かのためです。
そして、彼女は秩序を壊しただけでなく、新たな秩序を創りだしてもいます。
対して、ほむらの願いは上で述べたように、全てまどかのためのものであり、同時に自分のためのものでもあります。
そもそも彼女が魔獣を倒し続けると決意したのはまどかが「かつて愛したこの世界を守る」ためであって、それはほむら自身の願いではありません。まどかの願いを叶える為に、彼女は戦いを決意したのです。
今回の映画で、魔女結界の存在に気付いた時も、まどかの願いに反すると言って憤っていますし、半魔女から完全な魔女へと堕ちたのもまどかの願いをインキュベーターに阻害されるのを防ぐ為です。
そんな彼女が、まどかの為と正当化しているものの、明らかに自分自身の願望の為に神をその座から引き摺り下ろすっていうのはなかなかゾクゾクするものがありました。
しかし、彼女が神になったのではなく悪魔になったと自分を表現したことからも分かるように、彼女は秩序を壊し、創造することなく、混沌だけが残りました。
その余波は現実世界にまで出てきてしまった使い魔達や、よく見ると歪められている町並みに現れています。
最後の最後で、ほむらはまどかに秩序とこの世界を尊いと思うか、と尋ねてしまいます。
ほむら自身も予想していたであろう答えを返されて、彼女は自分の願いが自分自身のための願いであり、まどかの願いに反するものであることをしっかりと認識します。
神としてのまどかが、魔法少女としてのまどかが願ったシステムである以上、何れは対決することになるのかもしれません。
今回のオープニングでは、悪魔の羽根を生やす描写のあと、まどかを含めた周囲の何もかもを砂地へと変えてしまうほむらのシーンと、荒れ果てた砂地を再び美しく復元するまど神様の手が描かれていました。
砂地をまど神様が復元し、ほむらが魔女化することを示唆する描写があり、悪魔化描写、ほむらに手を差し伸べるまどか、全てが砂地へ、という順序なのですが、砂地を魔女の存在する世界と解釈すれば映画のストーリーの流れをそのまま表していますし、砂地をほむらが砂地へと変えた世界と解釈すれば、無限ループって怖くね?な展開になるのかもしれません。
とか言いながら二年後くらいに続編が出て全然違う内容だったら笑いますが!
たかがオープニング、されどオープニングなので、砂漠の描写にそこまで固執する必要はないかもしれませんね。
パンフによると、当初は完全に完結させる書き方にする予定が、続きがありそうな描写に変えたみたいです。
続編を望むかどうかについては、「これ以上の最高の胸スカを味あわせてくれるなら」って感じでしょうか。
完璧な大団円のハッピーエンドが見たい方はまどマギポータブルやればいいと思います。あれは良い。
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ということで、今回の映画に関する個人的なストーリーの解説と解釈はここまでとなります。
一気に3回も見たので脳みそが飽和状態ですが、もう一度観たらまた考えが変わるかもしれません。
いやあ、神に対する叛逆ってカッコいいですよねホント。
何度も書きますが、いっつもまどかのためまどかのためだったほむらが、自分のために悪魔になるっていうのはものすごくカッコよかったですね。
あと、インキュベーターが悪魔とか呼ばれてたのを思うと、愛する人の願いの為に悪魔に魂を売り渡し、愛する人を手にする為に自身が悪魔になったっていうのがね。燃えますね。熱い。
コメント
コメント一覧 (77)
ここの記事が面白くて、ついつい書きたくなってしまいます。
また前記事の「君の銀の庭」も助かりました。itunesのをダウンロードしてずっと聞いてるのですが、歌詞を見ながら聞きたかったので。
感想を言う前に一つ誤字の指摘を。
「誰しもその辛さを背負い込み、隠し、去勢を張った結果、誤解し合い、傷付け合ってあの結末に行き着きました。」
この文章の「虚勢」が「去勢」になっていました。
私も余所でレビューを書いたのですが、それがほむらを擁護する内容だったので、この記事がそれとは違う解釈で書かれていた点が面白かったです。また、前もって気分を悪くするかも、と危惧されていましたが、そんなことはなかったですよ。
一つ思ったことは、さやかのことですね。最後の方で、記憶を失う前に京介と仁美と再会するシーンがありましたが、さやかは複雑な心境でしょうけれど、もう一度会えて嬉しいかったと涙しますよね。あれは魔女化した当時とはかなり心境の変化があってのことだと思うので、さやかを初め円環の理の一部と化した他の少女達も、元の世界に戻れて不幸だけしかないとは限らないのでは?と思いました。
私は胸スカになれるかどうかは分かりませんが、ただ好奇心のみでいうとあの後の物語が知りたいので、続編は作って欲しいなと思いました。
引き続きコメントありがとうございます!
誤字修正致しました~。ご指摘感謝です。
私も、円環の理の少女たちは現実に戻れて幸せだと思っています(なぎさちゃんも同級生とキャッキャウフフしてましたし)。でも、それが全体としていいことかは別かなぁって。
今までまどかに救済された魔法少女達は、魔法で願いを叶えて、結果魔女になり、救済され、そして結局は自分から対価を払うことなく生き返れたので幸せ以外の何物でもないと思います。
しかし、それは自分から対価を払わなかっただけで他の魔法少女にツケになってるんですよ。自分が幸せになったからっていって、それ以降の魔法少女達が救済されなくなったって理解していたら、後味悪いし頭に来ると個人的には思います。まあその感情さえ記憶と共になくなっていくわけですが。
自分はもっとほむら寄りでみていました。
なにがあろうと、ただ真っ直ぐにまどかの為にだけある姿は
間違ってるかもしれないけど、鮮烈なものとして感じます。
強がってはいますが、仲間からは離れてしまい、
深い悲しみがかくれているようで切ないですね…。
ただ、まどかがいたことで円環の理に導かれていた訳で、
もしかしたらさやかが魔法少女の希望が失われたようなことを
最後に言っているように、魔女化する前に救われない世界なのかも。
改変後の世界については、もう少し描写が欲しかったなぁと。
コメントありがとうございます!
多分ほむらに同情してる人や共感している人、逆に今まで彼女が好きだっただけに今回の話を受け入れられないという人が多数じゃないかな、と思ったので、ほむらにわりと厳しい意見を書いた考察で批判されないだろうかと内心びくびくしておりましたw
私も改変後の描写少なすぎて、考察するときにうごごご…ってなっておりました。こういう系の難しい映画は、何年かあとでもいいですので、公式からちゃんとした解説本とか設定集とか出して欲しいですよね。
私はこの劇場版の後にTV版ラストのアバンが続くと考えています。
あの黒い翼はなんなのか?荒廃した世界は?
と考えるとあれは神まどかと悪魔ほむらのハルマゲドンでありまどかは
あのまま囚われたままではないだろう、と。
さらにまどかが「がんばって」と声をかけている所も二人の関係性の複雑さに思えて面白いなあと妄想してます。
お互い本気なのに互いを滅ぼさず永遠に茶番とも言える戦いを続けてるんじゃないかなあと。
もっと言うとまどかが作った魔女がいない世界とほむらが魔女を作った世界が交互に世界改変され続け、ループする形で続くんじゃないですかね。
はじまりも終わりもなくなってしまったのでほむらがQBと魔女を生み出した。
そしてTV版でのほむらは力を封じられたほむらだと考えたりするとまた面白いんじゃないかなあ、といろいろ妄想してます。
コメントありがとうございます!
虚淵さんが「今回の映画でほむらの翼が黒かった理由がわかる」と言ってたのでTVラストにつながるのは当たってると思います。
12話Bパートラストで白い翼が生えているのに、Cパートで黒い羽に変わっているのは、やはりソウルジェムが濁ったから(映画直前)若しくは悪魔化したから(映画後)でしょうね。しかも戦ってる場所が砂漠っぽい場所なので、繋がり普通にありそうです。
ただ、今回の続編が決まった状態で書かれた脚本ではないので、多少矛盾があってもしょうがないのかなという気もします。
私の感想ですが、まどかとの約束に縛られてループしたりまどかの意思を尊重して一人ぼっちで生きて来たほむらが、魔女空間の中で自分の本当の願い(最初に魔法少女になった時の願い)を見つめなおして自分の幸せを掴み取る話だなーと感じました
EDの歌詞含め、まどかの敵になったとしても一緒にいたいって気持ちが良く出てたラストでこれで完結だなーと思ってたんですけどいろいろ複線が残ってるし続くのかなぁ
何回も読んでいると『なぜほむらはソウルジャムは濁ってしまったのか』と思ういました自分なりの答えなんで『恐怖』で濁ったんじゃないかなと思います。
『まどかに会えない恐怖』『一人ぼっちの恐怖』『円環の理の一部として取り込まれていく恐怖』『円環の理の一部として取り込まれとまどかの知る人がいない世界になる恐怖』 『まどかの特別になれない恐怖』
『絶望が出来ない恐怖(円環の理に取り込まれるからそしてその中に永遠に
まどかの友達ぐらいしかなれないからそして永遠に一人ぼっちなるから)
だからほむらは悪魔になったんじゃないかな『愛』が『恐怖』と言う炎で歪み『歪んだ愛』に変わりまどかを手に入れるために。
結局まどかはほむらを救えなかったんですよねそもそも一人ぼっちの原因はまどかにあるんだけど
優しさは絶望を救えるが恐怖は優しさでは救えないか
今のデビルほむらは歪んだ愛と恐怖の塊になって
まどかを奪うためにすべてを壊すと思うですよ。
恐ろしい
コメントありがとうございます!
今までまどかのため!って頑張ってきたほむらちゃんなので、少しくらいわがままになってもいいと思います。自分の手で自分の幸せをつかみとろうとする姿はすごくいいです。それにしてもすごいはっちゃけかただなとは思いますがw
>>ミックさん
コメントありがとうございます!
彼女自身、マーガレットが咲き誇る丘で色々とまどかに心情を吐露していましたが、さやかほど分かりやすく直接の原因が示されていないので謎ですよね。ミックさんの仰る感情、きっとほむらの中で渦巻いていたものとしては正しいと思います。
そもそも私にとっては、何故ほむらがソウルジェムが濁った末にまどかに救済されるという順当なラストを拒んだのかはちょっと疑問です。そこまでして『こっち』の世界で一緒にいたかったのでしょうか。そういう意味で、まどかの傍にいたい(行きたい)というよりはまどかに傍にいて欲しいというのが彼女の願いの本質なのでしょう。
こちらの方もご指摘ありがとうございます。なるほど、改変後の世界に対する認識が足りなかったです。
また、ほむらがどういう原理・理屈で悪魔になることが出来たのか?という疑問が新たに湧いたので、そこの辺を読み取れるようにもう一度映画を見たいと思いました。
ほむほむ派として厳しい事を書くと聞きビクビクしておりましたが、ほむほむの歪みに関してはTV版の頃から感じていたので、むしろしっくりきました。
まどかを守ろうという純粋な願いや、マミさんとの戦いで見せたトドメをためらう甘さのため誤解されがちですが、やっぱほむほむは「人間の鹿目まどかを、強くて格好いい私が守りたい」という自己実現欲求に忠実なキャラなんだなと劇場版で再確認できたという印象です。
(でも口では悪ぶっていても結局非情になりきれない…どこまでもメガホムなところが個人的には魅力)
強いて付け加えるなら
さやか自体が円環の理を感じられなくなっていたようなので、「救済されなくなった」というよりは、「救済されるかどうかわからなくなった」混沌のほうがしっくりくるかなと(まどかが切り離された不具合が出るかもしれないし出ないかもしれない、それこそ神のみぞ知る状態?)
あと>さやかとなぎさは魔女化しているため、記憶の改竄を免れた。
に関しては、単にまどか以外の記憶改竄が適当だっただけだと思います。(空間内でまどか以外は記憶を取り戻している事、Cパートにおいてさやかは消えかけとはいえほぼ記憶を持っているのに対して、まどかは記憶を失っていた事から)
コメントありがとうございます!
さやかが男勝りなように見えてホントは女の子っぽく、杏子がロングヘアで女の子っぽく見えるのに勇ましいように、まどかは感情的に見えて土壇場では冷静ですし、ほむらは冷静なように見えて感情的で面白いキャラだと思います。今回やりたい放題やったようで出来てない(TVシリーズでもそうでしたが)ほむらは可愛い子です。シヌシカナイジャナイ状態に陥ったマミさんのソウルジェムを冷静に射抜いていたように、まどかのほうがいざってとき冷酷になれると思いますよ。彼女は自分の感情より”正しいと思うこと”を優先できる人間です。
記憶に関しては確かにマミは途中で魔獣のことを思い出しましたし、終盤で杏子はさやかが死んだことを思い出していたので、そちらの解釈のほうがしっくりきますね。ただ、さやかはなにか揺さぶりを掛けられたわけではないのに記憶をかなりしっかり持っていたので、そこは魔女化しているから、若しくは円環の理の一部だから、なのかなーと。
私のつたないコメントに返信ありがとうございます!
魔法少女たちの魅力について意見を共有できてうれいです!!
さやかちゃんの記憶を、やはり魔女化ではなく円環の理で説明したいなーと考えた結果「まどかは特別」という結論を持ってきたので同意します。
とにもかくにも、特にさやかちゃんとほむほむが好きな私得な劇場版でした。
私が言いたくて、でもうまく言葉にできなかったことが綺麗にまとめられていて感激しました!
私はもう少しほむら寄りで見ていました。ラストのシーン、秩序と欲望のどちらを優先するかという質問にまどかが答えた後、最後にほむらが独白で「それでも私はあなたが幸せな世界を望むから」的な台詞を言っていたので。もちろんまどかの傍にいたいという欲望もあり、その欲望があるからこその悪魔の姿だとは思いますが、気持ちの強さ的には「まどかを幸せにしたい>まどかの傍にいたい」という風に感じました!
コメント失礼いたしましたm(_ _)m
昨日一回見て頭真っ白で帰宅したので、思い出すためのきっかけにも飲み込むための助けにもなりました。
パンフ買えなくて余計に消化不良だったもので。
そのうち2度め見に行くつもりなので、おかげさまでまた楽しめそうです。
…ちなみに自分は大阪住まいですので行動可能範囲近そうですね。
近くでパンフ残ってる映画館の情報ありましたら提供お願いします_(┐「ε:)_
昨日行った茨木は完売でした
今日初めてこのブログを拝見したのですが、私が今まで見た考察の中でもダントツに綺麗にまとまっていて、感動したのでコメントさせていただきます...!
ほむらの孤独、本音と建前などは私がテレビシリーズの時から感じていたこととまったく同じです。もう誰からも覚えられてない人のためだけに戦い続けるって、そりゃ孤独にはならないかもだけど自分の内側の世界だけで完結しているというか、それ以上新しい世界を広げられないなあ、と。
だから今回の映画では、ほむらがまどかのためだけに生きるのをやめ、いつか円環される時まで何か他に生きる目的を見つけ、あー成長したね。よかったよかった。で終わるのかなーと想像していたのですが、結果は真逆でしたね...
笑
でもそれはけっしてほむらが他の魔法少女より成長してないとかうんぬんじゃなくて、ただ私がほむらのまどかに対する想いや執着を理解したつもりでいて何も分かってはいなかったんだな...と痛感しました。
で、結局何が言いたいのかというとあの映画の考察をこんなに綺麗にまとめられるなんてすごい!ということです!!笑
駄文失礼しました。\(^o^)/
>>ぱぱぱさん
結構厳しいこと書いてますが、基本は健気でいい子だと思います!
>>Doe Johnさん
私の近場でも大体グッズもパンフも全滅ですね…。映画館の公式サイトで物販情報や再販情報が出ていることも結構あるので、そちらをチェックしてみられたらいかがでしょうか?
>>aoさん
お褒めいただき光栄です!これだけ長く考察しておいてアレですけれども、やっぱりほむらの本心や本音の部分ってよくわからなくて、人間って難しいな!ってものすごく思います。もっと幸せになって欲しいんですけどねぇ、ほむらには。なかなか難しいものです。
ほむらの本心、どうもまどか殺しがトラウマなんじゃないかなと思います。
あの話にワルプルギスが出てこなかったのも、ワルプルギスの夜との対決がまどか殺しの記憶に直でつながるからなんじゃないかなと。
詳細はリンクURLにまとめてみました。
この指摘をしている人まだ見たことないけど、どーもこれが真相だと思えてなりません。
またまたコメントありがとうございます!
んー、某巨大掲示板では、魔女の使い魔について「バルテルス(犬の魔女の使い魔)とクラリッサ(人魚の魔女の使い魔)以外は確認した」と言われていたので、ワルプルギスの夜に関するものがほむらの魔女結界内で出てこなかったかどうかはわからないんですよね。魔女結界外だったらゾウさんがそうでしたが。
まどか殺しはトラウマになってそうですね、ホムリリィ戦でも本気を出しているようには見えなかったし。というか、彼女のあの時点での目的は(制御ができるかどうかは別として)魔法少女に自分が結界内で倒される、かつ自分を外に出そうとするものを妨害する、だと思うので本気を出さないのは当然なような気もしますが。
本編において改変後の世界の描写が少ないですよね・・・・。円環の理はさやかのセリフから察するに正常に機能しなくなっている?これがほむらの行動が成功か失敗かで分かれるところだと思います。おそらく正常に機能していない。でも円環の理と人間のまどかが切り離されているところが気になります。円環の理がなんらかで存在している可能性があるからです。
>>まどかを自分の世界に引き戻したいという願いを正当化
ほむらが悪魔になった動機はまどかの本音を聞いたこと。しかしもう一つの動機が自分のためであることであるかどうか。ほむらの願望がまどかの隣にいたいって(ざっくりしているのこれに深い考察が必要です)いうのだとすると、これが悪魔になった動機には結びつきません。なぜなら改変後の世界でのまどかの位置づけがいまいちだからです。(いまいちというか・・・・なんなんでしょう、ここでほむらの願望が見えますよね。まどかになりたかったの?深く掘り下げると面白いかもしれないです)でも、これなら円環の理に連れて行ってもらってもほむらを取り巻く状況はほぼ同じでしょう。まどかと一緒にいたいという願望だけなら。いやむしろ人間関係や魔法少女システムも考慮に入れれば円環の理に導かれたほうがほむらの願望には良いかもしれません。ここはもうすこし考察がいるところでしょう。
汚い文章でごめんなさい。まーなんとなく読んで、これからの考察に役立ててください。
コメント部分も含め、いくつか気になった点がありました
お考え聞かせていただけると幸いです
1つ目は、改変後の円環の理について
さやかとほむらの会話の部分から、円環が機能不全を起こしている可能性を挙げておられます・・・が引っ掛かる点があります さやかのセリフですが「円環の力に手を出したこと」そのものを怒っているようにも取れますよね? また直後のほむらの「まどかがまどかでなくなる前の人としての彼女の記録」をもぎ取ったというセリフや、そもそもまどかを「愛」するほむらが「まどかの願い」を傷つけるような真似をするだろうか?という部分から疑問があるのですが、どう解釈されていますでしょうか?
2つ目は、上から派生して・・・「別にまどかを救うために神さまから人間に引き摺り落とす必要性はない」という部分 だから「引きずり落とす」のではなく、「分けた」のでは? 円環まどか自身が「裂けちゃう」と言っていましたし、奪ったのが「まどかがまどかでなくなる前の人としての彼女の記録」の言葉通りだったとすれば、円環としてのまどかの意識は残っている可能性もあるのではないでしょうか?
・・・乱筆乱文スミマセン
個人的には、まどかの「願い」と「本音」の両方が叶っている状態でなければ、ほむらの「願い」が叶った(少なくとも改変後に致命的な不満があるようには見えないので・・・)とは思えないので、上記のような点が気になりました
この場合だと、円環まどかの救済を拒んだのも、自身の「欲望」では無かったと考える事も?
劇場で、「愛」という言葉や「悪魔」という言葉にイメージを誘導されてる気がしたもので・・・ どちらもほむら自身の言なので、見方や言い方を変えれば、違う捉え方も出来そうカモ?
興味深く楽しく読ませてもらいました。
ひとつ気になったのですが、彼女は最初から愛ゆえにソウルジェムを濁らせたのではないですか?
ほむら自身が「書き換えられた世界での寂しさや不安」をまどかに打ち明けていましたよね。
それでソウルジェムを濁らせていったのだとすると、それは確かに愛と取れると思いました。
私の見解としては、円環の理は一部だけ残っていて、それがイコール魔法少女は魔女になる前に消えるというシステムの部分なのかなーと思っています。救われなくなっただけで魔女化はしないと。
今回の映画でほむらが”魔女化した”ことからも分かったとおり、まどかの願いは『魔女という存在がなかったことにする』ことではなく、『魔法少女を魔女になる前に救う』なので。
あと、私の文章だとわかりにくかったのかもしれませんが、私の考えではほむらの願いの本質は『まどかの傍にいたい』ではなく、『まどか”が”自分の傍にいて欲しい』だと思うんですよ。だから自分が非日常に行くんじゃ意味がないんです。まどかを日常に引き戻さないと意味がない。
ひとつめ。
確かに、手を出しただけで傷付けていない、という解釈もしようと思えばできると思います。しかし、私にはやはりそうは思えません。
また、まどかの願いを傷付けるようなことをするだろうか、という点についてですが、そもそもまどかの願い自体が矛盾しています。「キュゥべえに騙される前の馬鹿な私を助けて」と言ったり「魔女になる前の魔法少女をこの手で救いたい」と言ったり「誰からも忘れ去られるような存在になるなんて耐えられない」と言ったり。ですから、彼女の本心の”ひとつ”でもある「そんなこと耐えられない」の方を優先しても不思議はないと思いますよ。そもそも、ほむらが自分の行動を是としているかどうか自体も疑問です。最後の秩序のやりとりの部分では、もしかしたら一抹の後悔はあるかもしれません。第一、まどかの願いを全く傷付けずに自らの願いも遂げたのなら、ほむらはもっと幸せそうな様子をしているのではないでしょうか?
ふたつめ。
私は『魔法少女を魔女になる前に消す』という『システム』のみ残っていると考えています。救済はナシ。そもそも、円環としてのまどかの意識が残っているとしたら魔法少女は救済される筈であり、そうなると円環の理としては全く問題がなくなっちゃうんですよ。さやかが怒る必要性、ないですよね?たとえ『まどかの姿形をした神様』が残っていたとしても、まどかの記憶も意志もない以上それはただの人形です。また、最後にまどかがまど神化しそうになったことからも分かるように、神様はまどかに付随する状態であって、まどかは神様でなくても存在できるけど、まど神様はまどかでなければ存在できないものだと思います。
続きです。
みっつめ。
まどかは転校生ですが、仁美とさやかとは小学校からの付き合い(入学式で写真を撮っているのも総集編のOPで出てきています)なので繋がりはありますよ。
そもそも、ほむらの願いは『まどかを自分側に引き戻す』ことであり、『まどかを独占する』ことではないと思います。
以上が私の考えです。どうしても納得できないようであれば、ご自分の考察はご自分のものとしてまとめてみては如何でしょう。
コメントありがとうございます!
確かにそうは言えなくもないですが、そうしてしまうと、さやかがソウルジェムを濁らせたのも愛ってことになっちゃいませんか?
愛、という言葉だとわかりにくいですが、絶望は受動的なもので、愛って能動的なものだと思うんですよ。
つまり、絶望でソウルジェムが濁るっていうのは『濁りたくないのに濁っている』状態のことであり、ほむらの言う「愛でソウルジェムを濁らせた」っていうのは『自ら進んでソウルジェムを濁らせた』ってことだと思うんですよね。こう考えると全然違うかな、と。
映画の描写でも分かる通り、半魔女→完全体→悪魔の流れはどれも”ほむらの意志で”ソウルジェムを濁らせているんですよね。
返信ありがとうございます
決して、考察内容を否定したかったわけでは無かったのですが、
御気分を害してしまったようで・・・申し訳ありません
このまま頂いた返信を、どう受け取ったか書かずにいるのも、
また失礼にあたると思いますので、返信します
何でしたら流してしまってください・・・
1
"「そんなこと耐えられない」の方を優先しても不思議はない"
確かにその通りですね 分かりやすかったです
ただ、それならもっと派手に、それこそ円環そのものの「あり方」を変えるよな事も出来た気もするん
ですよね
願いの叶え方としてはアリですけど、その後を考えると手間がありすぎるような?
"ほむらが自分の行動を是としているか""一抹の後悔はあるかもしれません"
"ほむらはもっと幸せそうな様子をしているのではないでしょうか?"
それを受け入れるために「悪魔」を自称しているのかもしれませんね
まどかの願いと自分の願いを両立させて、手に入れた結果には満足しているけれど、
それが自身の「願い」を満たしてはいるけれど「幸せ」に直結していない
その上、そのやり方は人に非難されても仕方のない方法
端から見て、明確な「幸せな様子」には見えなくなる
・・・という感じだと解釈していました
「円環に問題は無い」という線はナシな感じですかね
私は、さやかの怒りは「円環に手を出すという行為そのもの」
遡れば「まどかの救済を拒んだ」こと
「神様とまどか」の関係は上手く裂かれて
円環まどかと人まどかがどちらも不全なく存在することできる
けれど、裂かれたモノである以上、元の形に戻ろうとする力またも働いている
円環側からの人まどかへのアプローチはほむらが閉ざしている、
出来るとすればシステムの範疇(まどかが魔法少女を終える時)
円環との繋がりのあるサヤカについては記憶操作で対処している
=繋がり自体が無くなっているわけではない
・・・という感じでは成立しないかな?と考えていました
3
すっかり忘れていました 自己紹介の後のシーンで、
「懐かしい友人が転校してきたら、すぐ接触を図るだろう→それが無いということは・・・」と飛躍してました
「独占」という言葉使ってしまったのは、「まどかを自分側に引き戻す」という願いが、ほむらの中でどの程度の環境・状態と、その後の結果を想定していたのかな?と考えた中でつい書いてしまいましたorz
最後に重ねて謝罪を
失礼いたしました
こちらこそ、少し冷たい印象を受ける返信になってしまい申し訳ないです。
私自身も私と違う見方での考察は面白いと思いますし、好きなのですが、かなりしっかりした考えをもっておられるようなので、ここでコメント(800字の制限もありますし)するよりはご自分のブログに書いたり、せめて掲示板のスレッドにでも書いたほうが色々な方の目に触れるのではないかな、とおもったのもあっての意見でした。
ここだとどうしても、コメントしてくださった方と私とのコミュニケートという形になりがちですが、掲示板やご自分のブログであれば更に色々な方と意見が交換できると思いますよ。
なんにせよ、他の方も仰っていることですが、ほむらの願いはなんだったのかと、改変後の世界がどうなったかについてはあまりに描写が少ないため、殆ど憶測で語るしかできず、公式の発言を待つか(その公式もスタッフによって見解が異なったりするかもしれませんが)、続編で描かれるのを待たないとどうしようもないですね…。
たくさんのコメント、ありがとうございました!
お気遣いありがとうございます
初めは掲示板などで投げかけてみるのも考えたのですが・・・
これだけしっかり考察されてる方の御意見を伺ってみたいと、甘えるような真似をしてしまいました
また記事やコメントなど、拝見させていただきたいと思います
ありがとうございました
私は2回観たのですが、全然気付けて無かった点が多くて本考察には脱帽です
ただ、本考察の記憶改竄の件でまどか自身に記憶が無い点について
ほむらの魔女結界に対する防御策とされていますが、劇中のさやかの発言から「インキュベーターの監視下である状態で、この次元に存在しない異分子(まどか)が円環の理としての力を発現させない為に、バックアップ(さやか、なぎさ)に記憶を預けている」という説明があったと思います
つまり、インキュベーターから明らかにマークされる異分子(まどか)自身が、力を発動させる主要因になる記憶をマークされ辛い2人に預けておくことで監視から逃れ、尚且つ最悪の(力に頼らざるを得ない)状況になった場合はバックアップが自主的に記憶を本体に戻して目的をまどか自身が達成するというものではないのでしょうか
もしかしたら私の理解不足があるかもしれないので大変申し訳ないのですが
私の考察に対して返信して頂けたら嬉しいです
私自身、最初は友人のみ閲覧できるSNSに書いたのですが、もっと色々な方と意見を交わしたいなと思いこのブログを作り、また最初はそこまでアクセスがなかったこともあり、掲示板のほうで意見を交換していました。
未だにアニメ2の本スレのほうではよくお世話になっております。速度が速いですが、深夜帯であれば人も減って話しやすくなるので一度行ってみては。
コメントありがとうございます!
観たのが10日以上前なので記憶が物凄くあやふやで申し訳ないのですが、まずさやか達が「カバン持ち」として記憶を預かっているという旨の発言はあったものの、それがインキュベーターを警戒してのものかどうかについては触れられていなかったような気がするのですよね。
本編で説明されていないためにその辺は曖昧なのですが、まず円環の理サイドがキュゥべえをどれだけ警戒していたかがわからないんですよ。ほむらもキュゥべえの目的を知ったのは終盤であり、円環サイドが”キュゥべえが円環の理を狙ってほむらを制御フィールドに閉じ込めた”ということを、制御フィールドに入る前から知っていたかどうかがまず争点になるのかな、と。
知っていた場合は、キュゥべえからのマークを外すために”わざと”円環の理としての記憶をそのまま”預けた”(バックアップというよりはそのまま渡したようなイメージ)という解釈ができますし、
知らなかった場合は、ほむらの魔女結界内に入る直前または直後に記憶干渉の予兆を感じ、さやかとなぎさにバックアップを渡した後、”ほむらによって”円環の理としての記憶を含めた全てを改竄された、と取ることができます。
私は、円環の理サイドが予めキュゥべえの目論見を知っていたとは思いつかなかったので、後者のほうかなと思っていました。つまり、『記憶を無くしたのはまどかが望んだためではなく、ほむらの魔女結界による作用』だということです。
私自身、円環の理サイドがキュゥべえを予めそういう意味で警戒していたという考えに至っていなかったので、次回の鑑賞の際にさやかやなぎさの台詞・反応に気をつけてみたいと思います!
ご指摘ありがとうございました~。
おおむね自分が考えていたことと符合して、もう一回見に行きたくなりました。っていうか行くんですけど!
わたしは今回の話で、幸せの形、というのを強く考えさせられました。
まどかにとっては確かに本当の願いではないかもしれませんが、同時に幸せでもあるのだと思うのです。
ほむらは、確実にまどかを幸せにはしたと思います。それが偽りの記憶のうえでもです。
最後のほうで、痛みさえも心地よい、といったように、まどかの幸せのためなら自信がいくら傷つこうともよい。そんなほむらが、圧倒的に孤独なのと同時に、圧倒的にまどかの幸せを考え抜いた、唯一無二の答えだと思っています。
また、ほむらは最初のまどかの願いである、インキュベータに騙される前に何とかして欲しい。
この点も、達成してるのではないのかなーと勝手に思っています。
ラストで、キュウベイの出現とともにダークオーブを取り出すほむら。
とたんにキュウベイはぼろ雑巾になって、目には絶望がうごめいています。
ほむらの、呪いの処理のために働いてもらうという発言もありましたし、世界の呪いを処理するのがキュウベイになってるんじゃないかなーと思っています。
劇中のさやかの、魔女の世界を壊していいのか?の問いの解として、魔女の力と同質の力で形成された、まどかの幸せをリフレインする世界。
そして、そのときに発生する呪いを処理するのはキュウベイ・・・終わりのない終わりの世界。
ていうか、この世界って過去と未来との時間のつながりがどうなってるのかがとても気になりますね。
とてもすばらしい部分なんじゃないかなって思います。
とても弱い心に宿ってしまった、純粋すぎる気持ち。
わたしには、ほむらの気持ちは、人間としてとても美しすぎるなぁ、と感じて石増します。
よくわからない文章でごめんなさい。まどまぎに関する記事。とても楽しかったです。
失礼いたしました。
返信、誠にありがとうございます
確かにさやか達の発言は「鞄持ち」として記憶を預かっているといった趣旨でしたね。明確にキュウベぇ対策とは言っていませんでした。
考えているうちにごっちゃになっていました、お恥ずかしい限りです。
ただ、円環サイドがキュウベぇの目論見を知っていたかという点ですが、本来なら理の力によって消滅するはずのほむらのソウルジェムが、制御フィールドに妨害され浄化できない状態であるという前提で話が出来ていると思います。異変に気付き、この様な事が出来る存在とその目的を円環サイドは類推できたのではないかと思います。
更に言うと、本編で地球滅亡級?の呪いですら退けるまどかの力が、街一つ作る程度の魔女ほむの魔力に干渉されるとは個人的には思えなかったので、記憶改竄対策という発想に至りませんでした。
何というか、エラそうな発言ですいません(汗)
2chのような場所で長文だと煽られるイメージがあるので、貴殿のサイトの様に詳しく意見交換ができる場所はとても良い所だと思います。
長々と失礼致しました。
だけど、魔法少女を魔女に変える際に生じる(希望から絶望へ変化の際に生じる)莫大な感情エネルギーを得て、エントロピー増大による宇宙の崩壊を防ごうとするようとするキュウベイの目論見を阻止しただけでなく、そのエネルギーは、制御困難なものとして諦めさすことにも成功したのだけど、宇宙はいずれ崩壊するのですよね。まぁ。それでもいいか!一つの宇宙が消えても、また、新たな宇宙が生まれるさ。んで、宇宙は進化する!!そんな責務を、一人の少女におわせるべきじゃないよね。
すこし見解の違いがあるとすれば、まどかとほむらが花畑で話していた時の会話の中に家族や友達と離れたりするのがつらい、というセリフがあり、ほむらの願いの中には家族も友達もそろった世界にしようというものにしたという気持ちも含まれているのではないかと思いました。そして、割と多くの人の考えでは、ほむらが魔女を生みだす→まどかが救済するという無限ループになるのではないかというものがありますが、自分の中ではエンディング後のQBが何か感情を抱え始めたのではないかというように感じました。あのシーンには虚淵氏はかかわっていないという話がありますが、虚淵氏のコメントで二期を考えている。というものがあり、今後にそれも繋がっていくような気がします。
ほむらがTV版の最後で黒い羽で魔獣に突っ込んでいくシーンですが、そのシーンで描かれている背景と、ほむらがQBに捕らえられていた場所の背景が似通っているように感じました。ほむらが魔獣に特攻を仕掛け、ソウルジェムが穢れを溜め込み、戦闘するほどの体力を失ったところをQBに捕らえられ、叛逆の物語に続いたのではないかと考えています。自分的にはまどかとほむらの一騎打ち的なものがあったらと期待したりしています^^;今回話の中での絡みの少なかった杏子やマミさんがどうなるかや、さやかとなぎさがどうやって絡んでくるのか、というのにも期待してます!
もし次期ができて中沢君が物語に大きくかかわってくるなんて事があったらそれこそ大爆笑ですが
魔法少女と違ってまどかの家族は一般人ですから、死んでも円環される事はありませんし
ほむら本人はまどかと一緒になれるなら、むしろ円環の方が旨味が大きいと思います
じゅおんさんの仰るように、ほむらにとっての日常は碌な物では無いからです
本編最終回でも自分の生きる日常を「救いようの無い世界」と言い切っていますし
まどかの幸せに必要な物という認識こそあれど、ほむらにとっては何の魅力も感じられないのではないでしょうか
私にはほむらは自分の欲望を優先したのでは無く、自分の欲望を抑えつけているように見えてしまいます
ほむらファンより。
でも、この記事を拝見して大分理解できました!ありがとうございました。
新編「叛逆」の解釈にはけっこう長い時間悩んでいて、
解釈を検索していたら辿り着きました。考察が深くて凄いですね。
いろいろと参考になりますし、おかげで頭の中もだいぶ整理されました。
私の場合、ほむらの心境を考えれば「叛逆」は当然という結論に至りました。
簡単に言うと、ほむら擁護です。
そもそもほむらは「ワルプルギスの夜」戦で戦死したまどかの前で、
「まどかに助けられる自分ではなくて、まどかを助ける自分になりたい」
と願って自分の魂と引き換えに魔法少女になっています。
一方まどかは、最後に「円環の理」という正義を貫きましたが、
ほむらに対しては自分勝手でした。
だってそうでしょう。
まどかは、ほむらが巻き戻した別の時間軸でほむらと共にワルプルギスの夜と戦い、
共に瀕死の重傷を負いましたが、その際、過去に戻れる能力のあるほむらに期待して、
ほむらのソウルジェムを魔女のグリーフシードで浄化して救い、
「キュウべえに騙される前の馬鹿な私を救ってあげてくれないかな」、
「私はもう魔法少女にはなりたくない」と悔し涙を流し、
そうしてほむらに懇願しながら死んでいったのです!
(その時間軸では、まとがの魔女化を防ぐ為にほむらが泣く泣く射殺したけど)
こんな戦友の悲劇、残された最後の言葉、普通なら絶対に忘れられない筈です。
私なら忘れられない!
ほむらにとって、それは絶対に成し遂げなければならない「交わした約束」になった。
ところが別の時間軸とはいえ、結局まどかは、
インキュベーターに自分の願い(=まどがが信じるまどかの正義)を叶えてもらい、
「円環の理」だろうが何だろうがこの世から姿を消して、ほむらを再び孤独にしてしまった。(続く)
そこで、ほむらの最終手段=「叛逆」により、まどかはとりあえず普通の人間に戻った。
ついでにほむらは、インキュベーターの企みをくじく事にも成功した。
それで熱力学第2法則に基づく宇宙の熱的死が早まろうがそれは、
人間の日常生活(今の幸せ)にとってはどうでもいい遥か遠い未来の問題。
もともと心臓病の虚弱体質で、自信喪失に陥って、自殺まで考えていたメガネっ娘ほむら。
そのメガネっ娘ほむらが魔女に襲われた際にまどかに救われ、
冒頭にも書いたように、戦死したまどかの救いを願って魔法少女になった。
それが、ほむらにとっては全ての出発点なのである。
そのほむらが、全身全霊をささげた最終手段があの「叛逆」なわけで。
それがほむらの「愛」。
そして同時に貫かれた、まどかをインキュベーターの好きにはさせない、という「正義」。
秩序と欲望、どちらが大切か?
秩序も大切だけど、欲望も譲れない場合があるんだよね。
インキュベーターと違って人間には「感情」があるから。
気になるのは最後のシーン。
椅子に座るほむらが居る切り立った崖っぷちの縦のラインと半月の縦のラインの
延長線がピッタリ一致して画面を左右に均等に二分割しているところ。
上手く説明できないけれど、あれは何かを意図して作画しているね。
そして、ほむらの投身自殺のようなシーン。
自殺説も検索されるけれども、ほむらが自殺するメリットって何だろう・・・
ふと思い出したのが、ルシファーが堕天使となった理由の説のひとつ。
ルシファーは神の『最高の(第一位の)』部下であったが神を愛しすぎていた。
神が人間を造り、広く愛を注いだことに嫉妬し反旗を翻した、という説です。
自分はテレビ版の意味がある意味なくなった感がして正直どうかな?と思っています。
最近のアニメはやたらと弄れ過ぎてスグ否定する話が増えて、素直にハッピーエンドにするのはイヤなのかなぁと。
もしこのまま続編もないままなら皆さんが書いてあるようにこのアニメはほむらが主人公なのかもしれませんね。それなら合点がいきます。
でももしも後に続編が出たら・・・個人的には望みたいですねほむらの世界の続き、そして結末を。
・ほむらは悪魔になったものの結果仲間を幸せにできた(さやかは人になったが友達と再開できた・マミは一人ぼっちにならなくなった・杏子はさやかと再び友達になれた)
・あれ程振り回されたインキュベーターをズタボロにこき使える
・なにより最優先だったまどかをそばに置けた
そりゃ浮かれまくってバカな行動もついしちゃうってw
浮かれて踊ったり変な行動しちゃうって大抵な人はやるじゃない?
アレだと思うね
でなければ、まず魔女になろうという発想が出てこない筈。
何よりBGM「take your hands」が流れてる場面で「私はどんな罪だって背負える、どんな姿に成り果てたとしてもきっと平気だわ」とか言っちゃってるし。
例の花畑での会話も悪魔化に関係しているとは思うが、少なくとも会話していた時点ではまどかの意志を尊重する気満々だと思う。
俺は適当に某魔砲少女の 悪魔でいいよ…悪魔らしいやり方で(ryをそのまま文字通りに実行したとか解釈しときました
じゅおんさんのまどマギ愛には脱帽せざるを得ない。天才だね!
願わくばwikipediaにも書かれているラストシーン(半月~キュゥべえの滲んだ瞳のアップ)をどう解釈するかを追記してほしい。お願いします。
まぁただの含みなので虚淵にでも聞かないと分からない難解さだけど…。
ほむらが自分のことしか考えてないというのがあるけど、自らそういう風に見せているだけで、結局はみんなのことしか考えていない気がした。
まどかと対立する可能性のある立ち位置に居座ることなんて、本人の反応を見てもどう考えてもつらそうだ。円環の理に導かれたほうが何倍もましだろう。
でも、冒頭のナレーションでも言っているように、「魔法少女たちは、円環の理だけをただ一つの希望に、戦って、戦って、戦い続けて、いつかは死ぬ」(意訳)
これって果たして幸せなのだろうか?
確かに秩序は保たれる。多くの尊い犠牲の上に、宇宙は長生きし、よりたくさんの生命は栄えるだろう。
しかし、人間というのは種のためにも生きるが、まずは個だ。
難しい話だけど・・・。未来のために死ぬことに希望を見出すか、今を生きる欲望に身を任せるか。
虚淵が描きたいことの一つに「折衝」があると聞いた。
まさしくそういうことなのかもしれない。
こればっかりは何とも言えないね・・・。今の人間に死ねというのか、未来の人間に死ねというのか。
でも、未来の人に丸投げでもいいじゃん! と思える自分がいるのも確かw
まどかは言うだろうね「自分の欲でルールを曲げるのはよくないことだと思う」って。
Wikipediaとか解説も見てるけど、いいっすね!
――― 自分が「円環の理」として存在するべきであることを思い出しかけるが、ほむらにより止められた。そしてほむらは、「秩序」と「欲望」のどちらが大切かをまどかに問いかける。(Wikipedia) ---
暁美ほむら 「あなたは間違いなく本当の鹿目まどかのままよ」
まどかへと言い聞かせるように言葉を放ったが、これは自分に言い聞かせるためのものかね・・・
「君の銀の庭(※)」EDの後、半分欠けた月に、“一人寄り添う”ほむほむ。
少女の圧倒的な闇と孤独。
萌えるという意味を知りますたwww
※
「静かに寄り添って
何処にも行かないで
窓辺で囀って
何処にも行かないで (「君の銀の庭」より)」
※ タイトルの「銀の庭」は、鹿目まどかの理想の世界を表現している(Wikipedia)
※ 本曲はアニメーション映画『劇場版 魔法少女まどか☆マギカ [新編] 叛逆の物語』のエンディングテーマに起用された。制作は暁美ほむらの選択に白黒つけたくなかったため1か月以上要したという
音楽、構成や構図も綿密に練られていると思われる。
余韻も製作者の狙い通りという。。凄いスタッフ陣っすね。
日本の作品は凄い!補完のための続編頼むよ!
赤い人派からほむら派へと変貌しました。
ほむらは唯一無二の親友であり最も愛する相手よって命を対価に命を救われます。
「キュゥべえに騙される前のバカなわたしを助けてあげてくれないかな」と絶命する前に頼まれましたが、これはほむらにとって『願い』などと軽いモノでなく、『呪い』にも似た呪縛と化して蝕んだのでしょう
だって命を救ってくれた愛する者の頼みですから。
その大好きな親友の死を何度救おうとしても救えず、常人なら精神が摩耗し願いすら薄れ壊れ行くはずなのに、愛するが故に根底の想いだけは摩耗せず何十何百何千も愛する者の死に様を繰り返し見せられました。
考えただけでも気が狂います。
疲れ果てまどか救命特化型の余計な感情を捨てた最終型ほむらとして、TV版平行世界へと辿り着きます。
ほむらが祈るはまどかにとって最高の幸せです。
しかしまどかは自らの幸せよりも人々の幸せを願う献身の化身、
「皆と離れたくない」のも本心、「皆が幸せになれるなら神様でも何でも」と命を差し出すのも本心、だが両方の本心を知る時を繰る者が一人だけ存在します。
結果、まどかは『最適』な結末へと歩みます。
「もういい。もういいんだよ、ほむらちゃん」 「ほむらちゃん、ごめんね」「皆を救える最適な方法を見つけたから信じて!」と
両方の本心を知るほむらからすれば全く良くありません。
まどかは皆を幸せにしようとしたのに、ほむらだけが救われていません。
ほむらの救いはまどかに最高のハッピーをなのに、「私死んじゃうけどベターエンドだから納得して」など到底納得できる筈ありません。
「頭おかしくなった」「闇堕ち」「ルールを変えた」だと言われても関係ないんです!(´・ω・`)好きな相手に「私の過ちを救って」と頼まれたんです。
「この時をずっと待ってた…」
この言葉だけに真実が宿っていると思います。
前に2chで話題になった解釈がyahoo映画の評価にありました。
「わかりやすく書きました」とかいう題名でしたが、
確かにわかりやすく「役に立った」もかなり上位でした。
解釈としてはとても筋が通っていて、
原作者じゃないかなんて話もありましたから、
興味があれば探してみてください。
一話…まどか概念化~さやかのソウルジェムが濁る
二話…さやか鬱状態~円環の理に導かれる
三話がどんな話になるのか凄く期待
因みに魔獣は四話以降出てこないらしい
詳しい説明有り難う御座いました。
まどか、さやか、百江がほむらの世界に現れたのって
ほむらが円環の理を引き込んだからじゃなくないですか?
だって円環の理はそもそもほむらの世界からは観測することが出来ません。
一方で円環の理は理なので世界の摂理として全うする必要があり、
外部からほむらにアクセス出来ない以上、
ほむらの世界に内部から具現化し、シールドを破壊しようとしたんだとおもいますよ。
ゆえにインキュベータもほむらも別世界のまどかを(この世界に具現化したから)観測できたんでしょう。
あれはほむらからの干渉ではなく
劇中でさやかが「私たちはいわゆる鞄持ち」というようなことを言っていることから
なぎさ、さやか、まどかは円環の理のため記憶があるが、そのままでは、円環の理の中核たるまどかが必然的にマークされることになり、動きづらくなるし、何かボロを出してインキュベーターに観測される危険がある。だから比較的マークされづらく、かつ、ほむらの身近にいるキャラクターとして、なぎさとさやかを選び、記憶と力を移したために記憶がない。
ソウルジェムから出た後にまどかが真の姿を取り戻したのは、ほむらからの干渉が消えたからではなく、単にインキュベーターを警戒して上記の対策をとる必要がなくなったため、さやかとなぎさが預かっていた記憶と力をまどかに返した
ということではないでしょうか
「円環の理の一部をもぎ取っていったんだ。魔法少女の希望だった救済の力を」「私が奪ったのはほんの断片でしかないわ。人としての彼女の記録だけ」から解釈するに救済の力が無くなって魔法少女が魔女になる世界に戻るという解釈より
むしろ その後の会話の 「すべての魔獣が滅んだ後はあなたたちの敵になってあげる」の会話から 魔獣が死に絶えるまで 魔法少女が居ることが前提の会話なのでその前にソウルジェムが穢れて魔女になってしまう事はない。
ここからは 期待混じりだが、ほむらが敵になることで魔法少女のソウルジェムが穢れずに済むor 救済の力は残っている可能性から魔法少女達の絶望していた世界に戻っていると言う可能性は少ないのではないかと。
途中までは私も似た解釈だったのですが、途中から大分違うので、同じものを見てもこれだけ感じ方が違うんだなぁと面白かったです。
個人的に、円環の理については記録を奪っただけと言ってますし、救済のシステムは残っていると思います。まどかは「裂けた」のであって、まど神は残存していたからです。まど神からまどかの記憶は喪われていると思いますが。
悲しいのは、まどかの記録を奪って受肉させた結果、円環の理≠まどかになり、受肉まどかもほむらの全てを理解し得ない。つまり、永遠にほむらとまどかが真実寄り添うことはできなくなったということ。
ラストの半分の月と崖、1人の椅子は孤独の象徴でしょうか。昼間の庭で同じ椅子に座り、頬擦りした2人の映像と対極にある姿です。
悪魔になったほむらは、受肉まどかと同じ生を生きることもできず、円環の理に受け入れられることも無い。そうして1人堕ちていく。
まどかのためなら何だってできる、どんな姿にでもなれると言った言葉通りに。
エンディングの映像もとても意味深ですよね。
ヤバい、マジでほむら報われない。しかもこれをほむら自身が幸せと思い込んでるところが更に救われない。
メリーバッドエンドとはまさにこのことか、素晴らしいさすが虚淵と思いました(笑)
OPが無駄なくよく出来てますね。回るものが多い
風で円を描くようにたなびくスカート
砂漠で回転して踊るまどか。
コーヒーカップ、それを回す2人
(ほむらのときは回転してない)
観覧車、メリーゴーランド、風車
(ほむらのときはジェットコースターのみ、回転するものがない)
歯車
ほむらの周りを回るまどか、大きな観覧車へ走っていく二人
そして、崩壊していく歯車
鐘を鳴らすギミックの回転パーツ
逆回転する歯車の時計
メリーゴーランドで回転して踊る4人
徹底して、4人が動に対し、ほむらが静で棒立ちと言うか膝が折れているというか
インキュベータに願った内容は、魔法少女化の不可逆性と同様に絶対の強制力がある。
だから、ほむらは心まで「まとかを守れる私」に染められ戻れない。
まどかの「魔女を生まれる前に消す」願いは、ほむらを救済する時に「まどかに守られ、まどかを守れない私」と認識されたら、互いの願いの矛盾が生じてしまう。
ほむらが殻の中で消滅しようとしたのも、殻の外で魔法少女でも魔女でもない存在へシフトしたのも、まどかの一部を日常へ返したのも、いずれ敵になるのも、すべて(ほむらなりに)「まどかに守られず、まどかを守る」姿勢として正しい。
心の在り様を願ってしまった哀れなほむらの、救済は成るか。次作が楽しみです。
だからこそ、指摘します。
去勢 → 虚勢
私の個人的な解釈なのですが、
改変の内容、、ほむらが目指していたのは「まどかの幸せ」なので
「皆が幸せで居られる世界」にしたかったのでは?
TV版からも、さやかのSGを追い掛ける姿や、マミさんに対しての配慮等、あくまでまどかが傷つかない為にという感じでですが護ろうとしています。
そしてまどか以外には素直になれないと言っているように、叛逆では周りを焚き付ける形で去っています。
なので、この改変は
ほむら→まどか→大切に想う人達
というフィルター越しにでも皆の幸せを願った結果なのではないかなと思います。
QBに観測させたままだったのは、
魔法少女を魔女にしてのエネルギーを得る事を以降も諦めさせる為。
(でないとどこかでまたまどかがリターンtoアルティメットしてしまうから)
愛ってその人が好きなものすら愛せるようになるものですし。
ほむらはワンクッション置いてるからか距離感があるけれど、云わば孫の面倒を見るおばあちゃん的な立ち位置での愛なのかなとw
そんな事を思いました(小並感)
ここを読んで初めてわかりました
アルティメットまどかによって
死因になった魔女の存在がなくなったからなんですねえ
一般視聴者はそのあたりから躓いていると思います
ありがとうございました
続編が出た時はまたお願いします^^
アニメシリーズは見たのですが叛逆の物語を見ていなかったのでアマプラで見た後
記憶が薄れていたのもあり、解説を探してこちらにたどり着きました。
時系列で書かれていたのでとても分かりやすく、色々なことが腑に落ちました
映画公開の当時に見た時の感想で「同じ愛からくる行動でも、まどかがアガペーでほむらがエロース、ということなのかな・・・」とぼんやり捉えていましたが、そこまで的外れではないようでホッとしました。
> 魔獣が存在する世界線での記憶を取り戻したマミと杏子、まど神さまと同じく魔女が存在する世界の記憶も持つさやかやなぎさ達がほむらの救済を願ったため、魔女を倒すことなく魔女結界並びに遮断フィールドを破壊するように動く。
ここに関しては、マミと杏子は記憶を取り戻していなかったと思います
マミは「これじゃ本当にべべが話してた通りなのね」と言っていました。
杏子はさやかが死んでしまう夢を見て、「本当はそっちが現実なんだよな?」とさやかに聞いていました。
2人とも半信半疑だったものの、お互いに信用しているべべとさやかが言う通り・やる通りに協力したのだと思います。
個人的に解説を読むまで難しかったのは、ほむらの目的が変わった瞬間ですね。
インキュベータに円環を観測させないために結界の中で完全に魔女になろうと動いていたのに、いきなり悪魔になってまどかの力を奪ってしまいました。
どこかのタイミングで思いついたのか、元々そこまで狙って魔女になったのかわかりません。
結界が破れ、自分が救済されることが分かったタイミングで思いついたのでしょうかね…?
まどかと一緒に弓矢を撃つ瞬間には匂わせていたので、あの辺りでは考えていたのだと思うのですが、棚ぼたにしては堂々と立ち振る舞っていたので難しいです。
よく分かってないシーンの意味が分かった時とか、サラッと言った言葉がこれまでの話に全部繋がる時は鳥肌立ちました