万葉に梅雨の歌ってありましたっけ?今更ですが

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これが一番良く撮れてるかな?稀少な梅雨の晴れ間となった昨日、新アジサイゾーンとなったワビスケ剪定跡を正面から撮りました。
思えば去年までは。
真ん中に写ってる色の濃いのしかなかったんですよ。
それが挿し木が一斉に成長著しくなって。
逆に独壇場だった、この色の濃いのは他の雑木(ワビスケのついでに根本から伐採)との競争に負けて、こんなショボくなっちまって。
植物の世界にも競争と栄枯盛衰があるものよと、ひしひし感じされられました。

さて、雨とアジサイの季節である6月日曜。
いかなる万葉噺でお楽しみ頂きましょうか?
アジサイの歌があればいいんですけどね。
残念ながら万葉集全巻でたった二首しかないアジサイの歌は、既にやってしまいました。
ならば梅雨?うーん…

ずばり、梅雨の歌ってのは見つかりませんね。
そりゃそーだ、梅雨が歌語になるのは意外や意外、江戸時代からなんですから。
考えても見れば、再び、そりゃそーだ、ですわ。
時代における生産性の格差ですよ。
そう、万葉時代の生産性鑑みれば、雨を歌語にしようという余力などあろう筈がありません。
先ずは、農事に結び付けて考えるでしょうね。
降らなければ、ああ苗が枯れてしまうと憂い、降ったら降ったで田んぼが流れてしまわないかと。
古事記にもクシナダヒメなんてのがあったな、ヤマタノオロチは川の寓意です。
そんな、状況を頭に入れて万葉集を捲り、これが梅雨の歌になるのでは?と見つけたのが以下です。
先ずは巻三370、安倍広庭卿の歌一首から参りましょう。

降り降らず との曇る夜の 濡れひづと 戀ひつつ居りき 君待ちがてり


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安倍広庭とは右大臣の子で従三位中納言、懐風藻に作があるというのですから、政治家より文化人といった感じです。
冒頭の 降り は原文では 雨 なんですよねえ。
事実そのような歌本も見受けられます。
濡れひづ も ぬるぬる になってる記述もあるし。
分りやすそうで案外分りにくい歌と云えるでしょう。

少し後ろの374にも梅雨と思われる雨の歌があります。

雨降らば 着むと思へる 笠の山 人にな着せそ 濡れは漬づとも


作者は石上乙麿、麿の子で同じ様に懐風藻の作のある、政治家というよりは文化人とのみ帰しておきましょう、
女性問題で土佐に左遷された逸話など持ち出しても面白いのですが、ここでは触れません。
万葉時代の笠は柄がないので、差すではなく着るといういい方をします。
笠の山、奈良県磯城郡上之郷村笠の山とされますが、三笠山ともいいます。

それにしてもです。
大きいですね、山全体を独り占めして一人で『着る』笠にしようってんですから。
先ほど、私、万葉時代はその生産性の低さゆえに、気象現象を歌語で請ける余裕はなかったろうといいました。
が、中々どうして。
万葉集も三期になると、その生活の為の自然現象すらも雅に請ける歌こごろは既に芽生えていた…
前に、生活の場である富士も同じ様に美として愛でる心があったのでは?と言いました。

犬養先生のお説であっても…アレです。

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