「不味いな……何事もないといいんだが……」
プロデューサーは少々焦りながら帰路についていた。
というのも、自分がミスを犯してしまったことに気がついたからである。
そう────
「俺としたことが……ミロにそっくりなデザインの缶ビールを冷蔵庫に入れっぱなしだった……」
なにこれミロそっくりじゃん、とテンションが上がって買ってしまったのである。
しかも、それをすっかり忘れて、マフィンを作って冷蔵庫に「差し入れあり〼」とか書いて貼ってしまった。
別に強欲な千雪や、スポーツ飲料を愛飲する夏葉が飲む分には全く構わないのだが。
「未成年飲酒は流石に避けないとな……!」
アイドルが飲酒。これはまずい。外部に漏れることはないと思うが、親御さんにも顔向けできない。
プロデューサーは慌てながらも階段を上り、扉を開けて、廊下を渡り、事務所に帰還した──
「プロデューサァアアアアアアアアア!!」
「め……めぐる……っ!?」
腰のあたりへの衝撃。
そして腹部への大ダメージ。
プロデューサーは「グハァ」と漫画のやられ役のような悲鳴が口から洩れるのを感じながら、慌てて視線を下げた。
「め……めぐる……どうしたんだ? 一体」
「えへへ…………プロデューサー! プロデューサー! プロデューサ~~~!!」
めぐるが自分にすがりついて、頭をグリグリと押しつけていた。
いつも抱き着かれているからこそわかる。
これは。
「め……めぐる……もしかして冷蔵庫の飲み物、飲んだか……? てか酔ってるよな!?」
「シャラップ!」
「シャラップ!?」
突然流暢なアメリカ弁が飛び出し動揺したPの隙を、めぐるは見逃してはくれなかった。
そのまま、足払いにも近い形でバランスを崩されると、身体を持ち上げられ、ソファへと押し倒される。
視線を向けると、机の上にはやはり例の缶があった。
酔っておられる。
そんな彼女は、Pの背中に手を回して密着してきていた。
「プロデューサー……えへへ……あったかい……」
「めぐる……ダメだって……! というか今日外36°だぞ! あったかいとかじゃなくて暑い! 暑いから!」
そう、マジで暑かった。
しかも事務所はクーラーの電源がついていないものだから、地獄のように暑かった。
めぐるはそんなことは些事であると言わんばかりに、ソファに横たわるプロデューサーの上にのしかかる。こんな様子を誰かに見られたら非常にまずい。周囲を確認する。
人の姿は視認できない。どうやら誰もいないようだ。
仕方がない。ここは可哀想だが、めぐるを力ずくで剥がすしかない────出来ない。
腰に、力が、入らない。
「しまった……最近運動不足だったから……!」
デスク・ワークによってガタガタになっていたところに強い衝撃を与えられた腰は全く言うことを聞いてくれなかった。
文字通り腰砕けというやつである。
めぐるはそれを知ってか知らずか、Pの足に自分の足を絡めたり、頭頂部でグリグリとPの顎を押したりしていた。
「こういう時は、はづきさん……はづきさんなら何とかしてくれる……」
首を何とかギリギリと曲げてホワイトボードを確認する。
そこには【はづき→業者打合せ→レッスン監督→買い出し→直帰】と無情にも書かれていた。
「ガッデム……!」
ワーカーホリック・グリーンの助けを借りられないとなれば、他の人間に助けを求めるしかない。
この状況を見られても大丈夫そうな人間……誤解がなきように。
いや、仮に誤解されても大丈夫であろう最適な人間だ。
それを、Pの明晰なワーカーホリック・ブレインが導き出す。
────結華、か……?
そうだ。彼女ならきっと笑いながら状況を理解し助けてくれる。
Pは絡みつくめぐるを刺激しないように、スマホをポケットからかろうじて取り出す。
そしてチェインを開くと────
『Pたん大変!』
という文字が躍っていた。丁度、結華からである。
大変なのは俺の方だよ。
と内心思いつつもチェインを打とうとすると、再び結華から着信があった。
『阿久井記者の実家が燃えてる!』
「マジで!?」
本当に大変なことになっていた。
続いて送られてくる画像。
そこには燃え盛る一軒家。その前で茫然と立つ阿久井記者と、それを見守るアンティーカ一同の姿があった。
『実は今日の番組で阿久井記者とAI加山雄三が勝負をすることになって────』
「何が何と何で何!?」
「プロデューサー!!」
「があっ!?」
結華からの着信を読み切る前に、めぐるがPの顎を頭頂部で強打した。
AI加山雄三とかいう気になる単語を強引に頭の片隅に追いやる。
てか何で若大将と勝負して家が燃えるの、という疑問も頭の隅に追いやる。
ズキズキと痛む顎を胸板の方へ持って行くと、頬を膨らませるめぐるさんの姿があった。
「プロデューサ~は……私の話、聞いててくれた?」
「いや、聞いてなかった……言ってたっけ? すまない……」
「私のブラ……どうかなって話!」
「……どうとは!?」
なるほど、冷静に視線を下に向けてみると、めぐるの服がめくりあがり、ブラが曝け出されている。
ピンクのフリルつきのブラジャーが、自分の胸板の上に押しつけられ、潰れた胸を優しく包んでいた──
────いや、不味くないか!?
「めぐる! ダメだって! 隠しなさい!」
「や~!」
「や~! じゃなくて!」
「プロデューサーに、私のブラつけてもらうの!」
「俺がつけるの!? めぐるの……ブラを!?」
不味い。完全に悪い酔い方をしている。
最悪の形として、めぐるのブラジャーを装着して上半身裸になっためぐるに抱き着かれる形になってしまう。
よしんばブラの装着を回避したとしても、やはり上半身裸のめぐるが残されてしまう。
前門のセク、後門のハラであった。
このままではプロデューサーどころか、社会人としても終わってしまう。
283のパパラッチをしている阿久井記者の実家が炎上していて助かったぜ。
危うく283が大炎上するところだった、とか脳裏によぎったが、状況が最悪に近いのには代わりがなかった。
「やはり助け……助けを求めなければッ! めぐる! だからブラを外そうとするのをやめなさい!」
「や~!」
「や~じゃなくて!」
Pは片手でなんとかブラを外そうとするめぐるの動きをけん制しながら、片手でスマホを操作しようとする。
結華にメッセージを送ろうとして……
『阿久井さんが泣きながら湘南乃風ファンに担がれてライブに連行されていった!』
「阿久井さーーんっ!?」
本当に何が起きているというのだ。
あと24時間テレビでAI若大将と湘南乃風が共演していたのは、
「若旦那」と「若大将」を共演させたかったんだろうけど、今一伝わってなかったんじゃないか。
と脳内で分析する。
……今はそんなことを考えている場合ではない。とにかく、結華は忙しそうだ。
────この際もう社長に頼るしかない!
Pの灰色の脳みそが導き出したのは、もういっそ上司に頼るしかないという判断だった。
めぐるのブラ装着は完璧なバッターアウト社会人生活ゲームセット案件だ。
だが上司に事前に報告さえしておけばギリギリ2ストライクくらいで済むのが社会人の世界である。
本場アメリカに見せてやろうじゃないか。日本のサラリーマンの意地を。
と、Pは露出しためぐるの胸に絶対に触らないように気をつけ、
半ば関節技のように足に絡みついてくる太ももにも触れぬように配慮し、
ついに社長へのチャット画面を出すことに成功した。
だが────
「っ……スワイプが上手くできない……っ!」
「プロデューサー好き~!」
「めぐる! そういうのは好きな人が出来るまで取っておきなさい! クソっこうなったら、音声入力で……!」
「プロデューサー好き~! ブラジャーつけて~! 私のブラジャ~!」
「社長! すみません!社長! 俺が悪いんです!…… めぐるが酒に酔って抱き着かれてます……助けてください!」
音声入力が完了する。
『社長すみません。好きです。俺にブラジャーつけて~! めぐるのブラジャー~!』
「ああああああああああああ!!」
送信してしまった。
無情にも速攻で『既読』マークがつく。
しかも即レスが来た。
『明日社長室で話そう。悩みがあるなら聞く』
「ああああああああああああああ!!」
お、終わった────
プロデューサーが脱力した瞬間を、めぐるはやはり見逃さなかった。
ブチっと音がしてブラジャーが取り外される。
そして、Pの頭の上に、そっと大きな布が巻かれた。
「えへへ……プロデューサー可愛い~!」
最早そんな悪行も脳に上手く入ってこなかった。
社長にとんでもねえ文章を送り付けてしまったという事実が、暑さにやられたPの脳に莫大なダメージを与えていた───
---
「外暑ーい! 雛菜しあわせじゃな~い!」
事務所にやってきたのは、市川雛菜だった。
鼻歌混じりにやってきて、そして目撃する。
「えぇ…?」
そこには、ソファの上で頭にでけえブラをつけて「社長……違うんです…」とブツブツ言っている男。
その上で、すやすやと気持ちよさそうに寝息を立てるめぐる。
何事だよ。
と、雛菜は正直思ったが、それは置いておくことにした。
「ずる~い! 雛菜のことはぎゅってしてくれないのに~!」
何やら異常な状況。
Pに理性もなさそうだと判断した彼女は、さっさと欲望に忠実に動くことにしたのである。
そのまま、ソファに駆け寄ってプロデューサーの頭を抱えるようにして抱きしめる。
「やは~暑い~」
「社長…違うんです……」
「やは~雛菜しあわせ~」
雛菜は藪から蛇を出さず、とりあえず据え膳は食べておこう、という気持ちでプロデューサーの頭を抱える。
邪魔なブラは取ろうか悩んだが、これはこれで面白いのでそのままにしておくことにした。
自分の額から流れた汗が垂れて、Pの首筋の汗と混じり合ったのを見て、雛菜は満足そうに眼を細めた。
「やは~♡ 暑い~♡」
「社長……違うんです……阿久井記者が悪くて……いや悪くないか…? ガクッ」
そうして、暑さからか、ストレスからか、とうとうプロデューサーは意識を失った。
雛菜はフッと笑うと、自分も瞼を閉じた────
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「で……何か言い訳することはありますか? ミスター・セクシャルハラスメント」
「ちゃうねん……」
眼が覚めると、キレた樋口円香がいた。
頭にはブラジャー。胸の上には気持ちよさそうに眠るめぐる、そしてなぜかガッチリと頭を抱えて眠っている雛菜。三人とも、汗だくだった。
容疑者としては、もはやエセ・関西弁を口から走らせるしかなかった。
「別に貴方がどんなにだらしない生活を送っていようが知りませんが……えぇ…? どういう状況なんですか?」
「ちゃうねん……これは……ちゃうねんな……ミロがね……阿久井記者の実家が燃えて……何で燃えたんだっけ?」
「は?」
「ちゃうねん……」
ガッチリとホールドして男を離す様子がないめぐると雛菜に密着されたまま、
死んだ目で謝る男を見て、円香は溜息をついた。
この男のことだから、まあ、不可抗力でこうなってしまったのだろう、と。
一応許してやるつもりで、言葉を紡ぐ。
そもそも自分が許すとか許さないとか、そういう話ではないのだが、と思いながら。
「……まあ、アレですね。何か一言、貴方に身を預ける私達アイドルに向かって言うことがあるんじゃないですか?」
ぷいっと横を向く円香。
一方で暑さで朦朧とするプロデューサーの頭は、ボンヤリと別のことを考えていた。
────なんで阿久井記者の実家燃えたんだっけ。
────ああ、そっか、加山雄三がどうたら、こうたら……てかめぐる重いし…雛菜もなんかいるし…
「えーっと……『幸せだなあ』……?」
樋口円香はキレた。
翌日。
包帯グルグル巻きで社長室に現れたプロデューサーの姿に驚きながらも、社長は咳払いをして彼に言った。
「お前……アレだ……大胸筋サポーターというのがあるらしくてな……」
「なんの話ですか!?」
そうして夏の日の283プロの日常は過ぎていくのだった。
Pの姿を見ると赤面して逃げていくめぐるが、1週間ほど見られたとのことだが、それはまた別の話……。
???「なんでブラ着けてるの」