友人が突然政治に狂ってしまったオタクの記録
休日の午後。
お洒落なカフェで、運ばれてきたばかりのシフォンケーキとアールグレイの香りに囲まれる。
そこには、昨晩まで作業用通話アプリをガン開きにし相互監視しながら推しカプの粘膜の描き込みと、ハイライトの入れ方に全精力を注いでいたは思えないほど、小綺麗に擬態した友人2人と私の姿があった。
本来であれば、ここは3人の楽しい「お茶会」になるはずだった。
ドスケベ原稿漬けになった脳を柔らかな陽射しの当たるところへ引き上げ、可愛らしいカフェに合わせ自身の一般人の部分を総動員し、近況や最近の趣味、おすすめのコスメなど教え合うささやかな休息の場。
だが、現実は無情だった。
「今ってさ……高市のせいで、世界が酷いことになってるんじゃん」
友人がおもむろに口を開き、テーブルの真ん中に爆弾を放り込んだその瞬間、平和な空気は一瞬にして霧散した。
そこから始まったのは、リロード不要のマシンガントークだった。
高市政権がいかに独裁的か、今の不便はすべて人為的な陰謀だ、このままでは日本が終わる……。
彼女の主張は、実に10分間一度も止まることなく続いた。
カフェの心地よいジャズをかき消し、隣の席のカップルの談笑をなぎ倒し、私たちの前のシフォンケーキを刻一刻と乾燥させていくその熱量。
私は手に持っていたフォークを握りしめたまま、心の中で毒づいていた。
(急にどうした。いや、本当に急にどうした)
私の脳内では今まさに、クレドポーの下地の素晴らしさを推しの筋肉の質感になぞらえて紹介しようとしていた真っ最中だというのに。
突然ドスケベの聖域に「政治」という、あまりにもジャンルの違う、それでいて正解のない重たい話題が、全力投球で投げ込まれたのだ。
大人の付き合いにおいて、絶対に踏み込んではいけないラインがある。
宗教、政治、スポーツ。
この「3S」は、どれほど親しいオタク仲間であっても、カフェのテーブルに持ち込むにはあまりに劇薬すぎる。
特に、このすべてを特定の誰かのせいにするという一本道なプロットで語り始める手合いに、少しでも自分の知識や意見を開示してみろ。最後だ。相手の求める100%の同意を与えない限り、果てしないお説教のターゲットにされる。締切当日にクリスタのデータがクラッシュした時のような絶望感が襲ってくることは、火を見るより明らかだった。
私は瞬時に危機察知レーダーを作動させ、同席していたもう一人のドスケベ戦友と一瞬だけ視線を交わした。
(まともに打ち返したら日が暮れる)
(知能指数を極限まで下げて無垢な一般人を演じきろう)
コンマ数秒の目配せで、私たちは完璧な連携を見せた。
私は、昨晩まで受けの喉仏のラインを数時間かけて考察していた鋭い観察眼をすっと消し去り、頭のネジを十数本まとめて外した。
そしてこの世の国際情勢も物流の仕組みも一切知らない、ただの無垢な、お花畑に住んでいる住人のようなパッチリとした目を作って、小首を傾げたのだ。
「えー、なにそれぇ、わかったぁ……。しらなかったぁ……」
「すごぉーい、そんなことがおきてるんだぁー……」
10分間の猛攻に対し、私たちはひたすらこの無垢な相槌という名の防弾シールドを張り続けた。
心の中では「いや、その理屈は二流の陰謀論より穴だらけだろ」と冷ややかにツッコミを入れつつ、顔面はあくまでも「純粋無垢な、何も知らない可哀想な大人」を演じきる。
私たちのこの、IQを極限まで下げた「鉄壁のいなし」の前に、友人はようやく弾切れを起こし、不満げに口を閉ざした。
帰り道、友人と別れた後、残された二人で私たちは哀しい目をした。
想像がつくのだ。
今頃あの友人は、SNSの鍵アカウントあたりで、スマホの画面を力強く叩きながらこう書き込んでいるに違いない。
『今日、友達と遊んだんだけど皆まったく危機感がなくて絶望した。たくさん説明してあげたのに子供みたいな顔をして「しらなかったぁ」だって。どうして皆あんなに無関心でいられるの? 終わってる』
私たちは、遠い目をした。
無関心なわけがないだろう。
私たちは、仕事をして、税金を納め、契約書と向き合い、その上で「誰が総理でも今は耐えどきだ」という現実的なラインを自分たちなりに把握している。
ニュースも見るし、国際情勢の裏側だって自分なりに調べている。
ただ、私たちはお洒落なカフェというTPOをわきまえただけだ。
そして何より、世界がどうあろうと、自分たちの創作活動という個人的な戦場だけは、誰にも土足で踏み荒らさせないという、極めて頑固な自衛手段を講じただけなのだ。
「きっと今頃Xでお花畑な友人として消費されてるね」
「いつかこっちに帰ってきてくれるといいね」
決して見えない全国の仲間たち──空気を読んであえてIQを下げ、裏でSNSのネタにされているであろう、誇り高き「分別のある大人」たちに、連帯の乾杯でもしたい気分だった。
まったく、政治の話題というのは、どんな過激なシチュエーションよりも急に日常を侵食してくるから恐ろしい。
私はそっとスマホを取り出し、家に帰ったらすぐ、すべてを忘れて自室という名の聖域での原稿作業に戻ろうと、固く心に誓ったのだった。
4/30 20:50 追記↓
自室という名の聖域に帰還した私は、手洗いうがいを済ませるや否や、即座にPCを立ち上げた。
冷え切った現実世界から、情熱と欲望が渦巻くキャンバスへのダイブである。
画面の中では、筋骨隆々の男達が私の筆の入りを静かに待っている。さあ、最高のドスケベ……もとい、芸術を生み出す時間だ。ペンタブを握り直し、いざ修羅場へ──
と、その前に、少しだけSNSで界隈の空気を吸っておこう。
そんな軽い気持ちでXのアプリを開いたのが、すべての間違いだった。
タイムラインの一番上。
更新したてホヤホヤの最新ポスト。
そこにあったのは、見慣れたアイコンによる、見過ごすことのできない文字列だった。
『今日、友達と遊んだんだけど皆まったく危機感がなくて絶望した。たくさん説明してあげたのに子供みたいな顔をして「しらなかったぁ」だって。どうして皆あんなに無関心でいられるの? 終わってる』(要約)
私は持っていたペンを、カチャリと机に置いた。
思考が数秒間、完全にフリーズした。
……いや、待ってほしい。
鍵垢じゃない。裏垢でもない。ここは、私や例のドスケベ戦友ともバッチリ相互フォローで繋がっている、ド直球の公開アカウントである。しかも、彼女のフォロワーには、今日カフェにはいなかった共通のオタク仲間たちも多数含まれているのだ。
私の脳内で、ハリセンを持ったもう一人の私が全力でツッコミを入れた。
(公開垢で言うんかーーーーーい!!)


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