ライディングパンツは白 o rベー
ジュ系を履くと滅茶苦茶汚れる。
私は好きなので薄いベージュ系の
コッパンが多いけどね。バイクで
はかなり汚れる。
でもいいんだ、それで。
黒系ばかり履くと、汚れが目立た
ないから、逆に実体はばっちーよ、
てな事にもなる。
白衣と一緒よ。汚れたら目立つか
らきちんと洗う、というような。
大昔、ある女子高生が言ってた。
「女子高生の白いセーラー服とか
好きな人多いみたいだけど、これ
毎日同じ服着てるのよ。衛生的に
どう思う?」と。
同級生の豊島岡女子学園の子が学
校帰りにブクロのサテンで言って
た。都内で通称「コロッケ」と呼
ばれる筒形のクリームコロッケ型
のリボンの可愛いセーラー服が制
服の学校の子。進学校で偏差値は
72~74程の女子高だった。
その時、気づかぬ現実に豊島岡の
子に気づかされただよな。
そりゃ、おっちゃんでさえ仕事で
着る背広やワイシャツやネクタイ
は毎日着替えるだろうになぁ、と。
汚れたら綺麗にする、という服の
典型で大昔は真っ白の作業着ツナ
ギがあった。今は廃れたが。
あれは、1950年代には青い色でナ
ッパ服と呼ばれて、労働者の服で
あるのでホワイトカラーからは見
下されていた。青いツナギを着る
からブルーカラーと労働者階級は
呼ばれていた。
だったら白着て清潔感出そうじゃ
ないか、というので世界的に工業
界の現場労働者たちは白い綿ツナ
ギを着るのが広まった。日本では
これは1950年代末期~60年代の労
働運動の中で開始され1970年代~
80年代初期まで一般化していた。
1970年代初期にダウンタウンブギ
ウギバンドがあえて白い綿ツナギ
を全員着ていたのは、スーツで音
楽やるブーム(GS等)ではなく、反
骨の現れとして労働者のツナギを
着た。その10数年後に清志郎が
建設労働者の服を着てタイマーズ
をやったようなものだ。
だが、時は流れ、日本の労働者の
白ツナギの発生の意味も廃れて、
逆に現場から「白ツナギは下級
労働者ぽいから嫌だ」という声
が上がり始め、カラーツナギが多
用されるように変化して来た。
それが1990年代あたりから。
現在では、真白の綿ツナギは作業
着屋でも常備しておらず、メーカ
ー取り寄せでないと無い程の国内
情況になった。
1970年代、あえて白や青い綿ツナ
ギの上に革ジャンというのも一つ
の自己表現のスタイルだった。
私の高校時代のマル走集会では
ない同級生たちとの8人ほどでの
仲間内の山へのツーリングなど
では、半数が白いパンツを履い
ていた。
まだ横浜銀蠅などは誕生してい
ない頃。あと半数はボトムスは
デニムだった。
上は全員がMA-1タイプのフラッ
プ無しサイドポッケの革ジャン。
着る物では何の打ち合わせもし
ていない。
全員が漏れなく同じタイプの革
ジャンだったのはちょい笑えた。
あれ、1970年代の高校生の定番
だったのだろう。
だが、各人いろんな革ジャンを
持ってはいても、打ち合わせ無
しで全員が同じタイプだったと
いうのはちょい笑えた。平日の
学校の制服のオフタイム版みた
いで。
襟付トラッカーやロンジャケや
ダブルライダースの革ジャンは
結構高いので、一番安い革ジャ
ンを高校生はこぞって着ていた。
それでも当時の金額で2万程は
した。上野が安くて1万6000円
とかで。今から50年前の事(笑
1976年当時の2万円は現代感覚
でいくとどれくらいかというと、
これは物価指数だけで換算して
は実質実相を見誤る。
AIによると以下。
「1976年(昭和51年)の2万円
は、消費者物価指数で換算する
と現在の約3.7万〜4.3万円に相
当します。
当時の大卒初任給が約9万円強だ
ったため、現在の感覚では約8万
〜9万円ほどの重みがあった金額
です」
そんな感じ。
当時ちょい高級な4万程の革ジャ
ンは今の価格帯でいくと16万~
18万円ほどの価格帯に相当する。
当時2万円前後の革ジャンを高校
生が皆着てたのだから、頑張って
たと思うよ。大抵は何か皆バイト
していた。バイクも自分で買って
いた。親から買ってもらった奴は
私の周囲では知る限り数える程し
かいなかった。
当時の
♪この胸に信じて生きていた~
の高校生たちは大抵そんなもん。