「いや、だからさ」
彼は片眉を上げ、口角だけをわずかに持ち上げる、彼が「知的な笑み」と信じているその表情を作った。
「ハロウィンに渋谷行くやつの気持ちがマジでわからんのよ。企業に踊らされてるだけじゃん。資本主義の集団催眠だろ、あれ」
同僚の宮本が「あー、はいはい」と生ビールを傾けた。もう聞き慣れた話だった。開発部の七人が集まったこの金曜の飲み会で、田村がこの調子なのはいつものことだ。
「つーか鬼滅もそうだけど」と田村は続けた。「流行ってるから観る、っていう思考回路がもう終わってんだよな。自分の審美眼がないわけ。消費豚なわけ」
「俺? 俺は別に。強いて言えばゴダールとか、タルコフスキーとか。まあ、映画は教養として観るもんだから」
「出た」
宮本が小さく笑った。佐々木も笑った。田村の隣に座っていた中島も、向かいの林も、その隣の若手の山田も、そしてビールを注文しに手を挙げていた太田も、全員が笑った。
「いや、笑うとこじゃないんだけど。事実を言ってるだけだからね」
「わかったわかった、冷笑君」
宮本がそう言った。軽く、なんの悪意もなさそうな声で。
田村の箸が止まった。
「は?」
「いや、冷笑君。お前いっつもそうじゃん。なんでも斜めに見てバカにしてさ。冷笑君じゃん」
「冷笑君って」田村は鼻で笑った。「レッテル貼りしかできない時点で知性の敗北なんだわ」
「……くだらね」
「冷笑!」と四人が同時に言った。
十五分後、田村は自分のペースを取り戻そうとしていた。話題がソーシャルゲームの課金に移ったのは好都合だった。
「オタクってさ、結局あれも資本主義の養分なわけ。推しとか言って、キャラクターに何万も突っ込んで。疑似恋愛で脳のバグを搾取されてるだけ。まあ、本人が幸せならいいんだけど」
「いいんだけど、って言いつつバカにしてるよな」中島が冷静に指摘した。
「冷笑君の『バカにはしてない』は全部バカにしてるからな」宮本がつくねを頬張りながら言った。
「あ、怒った?」宮本が目を丸くした。
「怒ってねえよ。怒るほどの価値がない」
「冷笑ーーー!」
テーブルが揺れるほど全員が手を叩いた。
三十分後。焼酎のお湯割りが二杯目に入った頃、話題は恋愛に移っていた。
「いない。別に要らないし。恋愛って結局、生殖本能を社会制度で包装しただけのものだから」
「出たよ」
「いや実際そうだろ。マッチングアプリとか見てみ? 女も女で、年収フィルターかけて上から選別してんだよ。あれ、人間の品評会だからね。家畜市場と構造は同じ」
「女って一括りにすんなよ」中島が言った。中島には彼女がいる。
「一括りにしてない。傾向の話をしてる」
「モテるモテないっていう土俵に立つこと自体が、他者の評価に依存した——」
「冷笑!」
「いい加減にしろよそれ」
宮本がニヤリとした。
「お。ちょっと熱入ってきた?」
「入ってない」
「冷笑君さあ」佐々木がビールを置いて、真面目な顔をした。真面目な顔に見せかけた、明らかにふざけた顔だった。「一個聞いていい?」
「……何」
田村の目が点になった。
「は?」
「いや、だってさ。お前なんでも冷笑するじゃん。飯食っても冷笑、映画観ても冷笑、人の趣味にも冷笑。じゃあ射精も冷笑すんのかなって。素朴な疑問」
「なんだよ素朴な疑問って。意味わかんねえよ」
「『うおw』って言いながら射精を冷笑すんの?」宮本が佐々木の援護に入った。「『うおw 出てるw 精子さん必死w 生殖本能に踊らされてるw』みたいな」
テーブルが爆発した。
山田が茶を吹いた。太田がテーブルに突っ伏した。林が手を叩きすぎて隣の席の客に睨まれた。中島だけが「やめてやれよ」と言いながら肩を震わせていた。
「くだらなすぎて話になんねえ」
「やめろっつってんだろ!」
「でも気になるじゃん」佐々木は止まらなかった。「お前の理論で言えば射精って生殖本能そのものじゃん。冷笑の対象としてはど真ん中だろ」
「射精にマウント取る男、田村啓介」宮本が実況のように言った。
「ティッシュに向かって『これが生の虚しさな』って」太田が涙を拭きながら言った。
「お前ら——」
「ていうかさ」宮本が追い打ちをかけた。「冷笑君ってAVとかも冷笑しながら観んの? 『この喘ぎ声、マーケティングだなあ』とか思いながら?」
「演出論を展開しながらシコる男」
「冷笑シコり」
「黙れ!」
田村が叫んだ。本当に叫んだ。居酒屋の座敷に、田村啓介の怒声が響き渡った。隣のテーブルの会社員グループが全員こちらを見た。
田村の顔は完全に紅潮していた。こめかみに血管が浮いていた。手に持っていた箸が微かに震えていた。
「いい加減にしろよ! 俺はな、別にお前らのことバカにしてんじゃねえんだよ! ただ物事をちゃんと見たいだけなんだよ! なんでもかんでもノリと雰囲気で流されて、何も考えないで生きてるお前らのほうがどうかしてんだろ! お前らが——お前らが——」
言葉が詰まった。何かを言おうとして、でもその先が出てこなかった。喉の奥が熱かった。目頭も熱かった。
静寂が落ちた。
五秒。
十秒。
宮本が口を開いた。
「熱怒!」
テーブルが再び爆発した。今度は前回の三倍の規模だった。
山田が転げ落ちた。太田が酸欠になりかけた。佐々木が痙攣していた。林が涙と鼻水でぐちゃぐちゃになりながら「ねつどwww」と発した。中島でさえ限界だった。
「熱怒・田村」
「これが生の虚しさな……」
グラスを置く音がやけに大きく響いた。
立ち上がった。
「帰る」
「えー、冷笑君!」
「待てって、ごめんって!」
「熱帰!」
田村は振り返らなかった。座敷を降り、靴を履き、引き戸を開けて夜の空気の中に出た。十一月の風が火照った顔に当たった。冷たかった。
田村は駅に向かって歩きながら、ポケットに手を突っ込んだ。奥歯を噛み締めていた。
「……くだらね」
呟いた。
いつもの冷笑のトーンで言ったつもりだった。でも声が少し震えていた。
歩きながら思った。
俺は別に間違ったことは言っていない。流行に乗るだけの人間は思考停止だし、資本主義は人を消費マシンにするし、恋愛市場は欺瞞だ。全部、構造として正しい。正しいのに。
AIくん
なあに?
ちょっと読んでみただけ
そっかあ
(うふふ、ウブねぇ)