パーマが私に力をくれるから「非国民」の糾弾に屈しなかった女性たち
戦時中、「非国民」と非難されても、パーマをかけ続けた女性たちがいた。その静かな情熱の源は何だったのだろう――。
太平洋戦争末期。国民学校の5年生だった生井(なまい)弘明さん(92)が友達と下校していると、若い女性2人が歩いていた。1人は明るい色彩の花模様の着物姿。もう1人は青色のスカート。2人ともパーマをかけていた。
なんて非国民だ。「いまは非常時、節約時代。パーマネントはやめましょう」。歌いながらはやしたて、走って逃げる2人に道ばたの石を投げつけた。着物の女性が転び、みんなで喜んだ。
いま振り返って思う。「とんでもないことをしてしまった」。申し訳なさそうに話す生井さんの目には涙が浮かんでいた。
日中戦争が始まった1937年ごろから、パーマは「ぜいたく」「享楽的」などとされ、批判の対象となっていた。
当時の近衛内閣は「挙国一致」や「尽忠報国」をスローガンとする「国民精神総動員運動」を推進。運動の一環として39年に生活に関する基本方策が示され、勤労奉公や節約貯蓄が提唱されたほか、男子学生らの長髪や女性たちの「パーマネントウェーブその他浮華なる化粧服装」は「廃止」とされた。これらは「呼びかけ」ではあったが、「パーマネントのお方は当町通行をご遠慮ください」と記した看板が街に出され、婦人団体なども各地で排斥運動を展開。風当たりは強くなっていった。
それでも、女性たちのパーマをかけたいという気持ちは消えなかった。
配給の炭を節約して
札幌市中央区にある「美容室…
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