30歳、「彼女いない歴=享年」、「天涯孤独」確定でも、前を向くしかない
30歳になってしまった。
誕生日には両親から、形だけのLINEが届いた。おめでとうなどと言われても、もはや何の感情も湧いてこないし、自分が30歳になったという事実は、しばらくの間、うまく受け入れられなかった。
その現実を初めて生々しく実感したきっかけは、愛用しているすき家のレシートに付いているアンケートである。ご存じの方もいると思うが、レシートに記載のQRコードを読み取ってアンケートに答えると、次回の会計で30円の割引が受けられるのだ。これまで何十回もやってきたので、いつものようにスムーズに回答を進めていったが、最後に自分の年齢を答えるところでハッと手が止まる。
そっか、俺ってもう30代なのか・・・。1つ歳を重ねただけなのに、会社にいる38歳や39歳のおじさん(ごめんなさい)たちと同じカテゴリーで見られるのか。いや、彼らをおじさんなどと揶揄できる余裕はもうないほどに、自分は年齢を重ねてきてしまったのだ。
もはや若者や青年と呼ばれた日々は遠く、そろそろ「中年」の域に入りつつある。それ相応に成熟した精神と人生経験を兼ね備えることが求められるとともに、体力や健康面での衰えや老いといった厳しい現実を受け入れなければならない。一生を1日に置き換えてみると、既に太陽が南の空に昇りきってしまっているような時間帯だ。もうやり直しのきかないことも多い。
そんな風に僕は自分が30代を迎えたことを自覚したわけだが、これも1つの節目なので、自分の中での整理として、これまでの20代でできたこと、できなかったこと、そしてそれらを踏まえた30代の目標・・・などというと大仰だが、どんな30代にしようかなぁ、と考えたことをまとめておきたくてこの記事を書いた。30代前半くらいの人には少しくらい共感してもらえる内容もあるだろうし、これから30代を迎える人には反面教師として、何かの役に立てばいいなぁと思う。
20代でできたこと
①一応大学を出て、社畜をそれなりに頑張った
まずは「できたこと」から振り返っていく。大学時代や社会人生活の様子は昨年出した別の記事(3部作)に長ったらしく書いているので、ここでは省略するが、大学でも会社でもまともな人間関係を構築できず、年中朝から晩まで孤立した生活を送りながらも、それなりに名前の通った大学を卒業し、就職して7年余り、仕事も色々苦労しながらそれなりに頑張ってきた。
発達障がいが疑われる要素を複数持ち合わせているし、「飯を食うために働く」以上のモチベーションもないので、最初は何年続くかと心配していたが、意外にも会社というシステムに順応することはできた(溜まったストレスは深酒で解消)。
おかげで生活には困っておらず、世の中お金で大抵のことは何とでもなるので、今のところ、なんとか1人でやっていけている(とはいえ、大半の時間と労力を会社に捧げて得られたものといえば「お金」だけ、というのも残念ながら事実だ)。
②たくさん一人旅に行けた
大学時代は「深夜特急」の影響を受けてバックパッカーの真似事をしており、サークルなどにも入っていなかったので、自由な時間がたっぷりあった長期休暇には、東南アジアやインドなどに3週間や1ヶ月といったスパンで貧乏旅行に出かけた。
もちろん病気やぼったくり、詐欺に遭いかけるなどのトラブルもあったが、向こう見ずなあの頃にしか出来ない経験だったと思う。きっと大学生活に身が入らず、友達も彼女もできず、行き場を失くしたエネルギーをそういう形で消費していたのだろう。
社会人になってからは、週末には愛車を運転して色々な観光地やスポット、キャンプ場などに行った。もちろん助手席には誰もいなかったが、海や山などの景色を見ながらのんびりドライブしたり、爆音で好きな音楽をかけながら高速道路をかっ飛ばしたりするのは心地が良かった(ちゃんと速度は気にするようにしていたが)。
③インターネットで発信活動ができた
相変わらず続く単調で孤独な生活とコロナ禍により悶々としていた26歳の頃に、「インターネットで発信したい、あわよくば同じような境遇の人と友達になりたい」という動機からTwitterのアカウントを作成し、数年間入り浸ることになった。
世の中にはこんなことを言う人がいて、こんな人生もあるんだなぁと世界が広がったし、自分のポストに対するコメントのおかげで考え方を客観視できたこともよくあった。その一方、承認欲求に駆られて(もしくは酒の勢いで)ポストの内容が暴走してしまったり、大勢から痛烈なバッシングを受けたり、人間心理の醜い部分を嫌というほど思い知らされることもあった。
Twitterは思うところあって止めてしまったが、文章を書くのは好きなので、このnoteはおかげさまで続いているし、趣味の一環として、自分のオリジナル曲、オリジナルアルバムを自主制作して最近発表することもできた。手前味噌ながら、文章を書いたり、歌詞やメロディーにして表現することには一定の適性があると気づくことができた。
20代でできなかったこと、やり残したこと
さて、当然ながら、できたこともあればそうでないこともあり、お察しのとおり、「できたこと」への満足感や達成感よりも、「やり残したこと」への後悔や自己嫌悪の方が大きい。
①人間関係の構築
さっきも書いたが、20代の10年間、いや正確に言えば大学に入学した18歳の頃からずっと、両親以外との人間関係(大学やバイト先、職場での義務的・事務的な関係を除く)を回避し、自分の殻にこもり続ける孤立生活が続いている。他人と時間や思い出を共有したり、衝突したりすることもないので、いつまでたっても年相応の人生経験を積むことができず、考え方も未熟のままだ。
元々一人でいるのを好む性格というのもあり、大学生活は人間関係がなくともやっていけたので、友達の作り方などきれいさっぱり忘れてしまったし、何かの拍子でちょっと仲良くなった人とも、関係を継続させる努力ができない。
こうして、人とのコミュニケーションにひどく後ろ向きで、雑談ができない人間が完成してしまった。昨年、さすがに10年以上も人間関係が構築できていない自分の異常性に危機感を抱き、藁にも縋るような思いで精神科に駆け込んでみたわけだが、結局は何も解決しなかった。
②恋愛
これも他の記事でも色々書いている通りなので簡潔に済ませよう。容姿も冴えず、身長も低く、会話もリードできず、おまけに人間関係の維持能力もない。そんな自分を殺したくなるほどの劣等感に苛まれつつ、みんなと同じように喉から手が出るほど彼女が欲しい、愛のあるS●Xがしたいと思っていても、結局死に物狂いで努力するようなこともなく、コロナ禍や仕事の忙しさや自らの孤独癖など、様々なことを言い訳にして現実から目を背け続け、「非モテ」をこじらせた己を自虐するポストをX(旧Twitter)に投稿し、それでたまにバズって溜飲を下げることに甘んじていたのだ。
そんな自分が痛々しいとやっと自覚した頃には20代も終わりかけていた。もう、ここまできてしまったのだ。「彼女いない歴=年齢」という不名誉極まりない烙印は、残念ながら消えることはないだろう。
20歳の頃は、まさかこうなるとは思わなかったが、一方でこうなる運命なのかなとはうっすら感づいていた。果たしてその通りになったわけだ。どこかの記事でも言及したが、「(性的魅力に乏しい男は)適切な時期に適切な行動を取れないとこうなる」ということだ。20代以下の諸君は肝に銘じておいて欲しい。
③生き方に芯を持てなかった
さきほど、「社会人生活に順応できた」というようなことを書いたが、裏を返すと、流されるまま、思考停止で生きてきたということにもなる。永遠に自宅を職場の往復を繰り返す日常に甘えていたともいえるだろう。確かに会社というシステムがあることで、就職後の生活は、良くも悪くも安定していた。が、そこに僕としての人生の主体性はない。
図書館とバイト先くらいしか行く場所がなかった大学生活が破綻しかけていたことから考えても、やはり自分は雇われていた方が楽なのだろうし、何か大きな心境の変化がない限り、今後もそういう生活を続けるのだろうが、しかし、このまま受け身の姿勢を続けていては、本当にお金以外何も残らない人生になってしまうな、という危惧は頭の片隅にずっとある。まぁサラリーマンなんてそんなものなのかもしれないが。
④自己投資や勉強
20代は自己投資をせよ、勉強せよと言う人はたくさんいるが、とはいえ、何を学べばよいのかもよく分からないし、何かに煽られて、仕事で役に立つわけでもない資格の勉強をガムシャラにやってもあまり意味がないだろう(内容もすぐ忘れるし)。ただ、他人と比べたら努力はイマイチ足りなかったんだろうなぁとはうっすら思っている。
とはいえまあ、これからのキャリアを考えたら、いわゆる「ツブシがきく」資格の1つでも取っておけば心の余裕が生まれたかもしれない。酒を飲む時間を1日、いや1時間でも我慢して、その時間を勉強に充てていれば・・・とは幾度となく思うが、あれはあれで僕にとっては大事な時間だったので、もういいことにしよう。
孤立の20代から、孤高の30代へ
さて、じゃあ30代どうするかという現在・未来の話だが、この見出しが僕の30代のスローガンである。20代は受動的な孤独(=孤立)に甘んじていたが、30代は積極的な孤独(=孤高)を志向していけたらと思う。
孤立と孤高の違いはたぶん、一人であることを受け入れ、それに何らかの美学を持っているかどうかだと理解している。何より、孤独であるからこそ、こういうnoteのような創作の営みが成立するのだと思う。ハタから見たら痛々しさを感じる人も多いだろうが、今までの孤独な年月の積み重ねがあるから、僕はこういう生き方しかできないような気がする。もう少し具体的に、30代の方針を3つ考えてみた。
①「できること」にのみ投資する
これはつまり、先ほど書いた、仕事やnoteの創作などにお金や時間や労力を集中させる代わりに、人間関係の構築や女性との交際を諦める方向に向かうということ、そして、「彼女いない歴=享年」「天涯孤独」という現実を受け入れ、それを前提として今後の人生を設計していくということだ。
「諦める」という言葉はどうしても後ろ向きなニュアンスが先行するが、仏教用語では「明らめる」ともいい、つまり、20代で「できない」ことが分かった(明らかにした)ことに対しては、これ以上無駄にエネルギーを使わない、というポジティブな意味で解釈している。
特に女性(との交際)への執着を捨てることには相当の苦しみが伴う。どこかの記事でも書いたが、僕は異性愛者なので、これを諦めることは、自分のオスとしての本能を捨てることになるからだ。
だから、どうしても100%諦めることは物理的に難しい(ちなみにXでこんなことをつぶやくと「クソオスは去勢しろ!」とか平気で言われる〔が、男女逆転してみれば応援やワンチャン狙いのコメントが多数付く。こういう歪な構造に嫌気が差したのも、Twitterを止めた理由の1つである〕)。
例えば街を歩いていて、寄り添い合うカップルや、魅力的な女性を目にしたりすると、自動的に反応してしまう。だが、それは残りの数%の本能が疼いているのだ、というメタ認知によって、自分を抑える訓練に日々励んでいるところだ。
それに、今さら「いない歴=享年」から脱却しようとまた彼女を探すなど、例えばXでそんなこと言ったら、「女性を何だと思っているんだ!」(「女性はお前のコンプレックスを解消するための道具じゃないぞ!」)などとまた非難の的になるだろう(あれだけ叩かれた経験があるので、こういう想像力だけは無駄に豊かになった。皮肉なものだ)。
今さら彼女ができたとて、それで今までの生活によって荒んだ心や歪んだ女性観を元に戻せるのかというと、それは無理だろうし、こういう恥を忍んだインターネット活動のことも含めて受け入れてもらおうなど、傲慢としか言いようがない。
孤独死が怖いからといって結婚相手を探すような真似もしない。そもそも僕のような人間の面倒を見させられる相手の立場に立ってみたら、それがいかに馬鹿馬鹿しいことか。いい迷惑である。
まあ、結局大抵のことは時間が解決してくれる。歳を重ねれば、こういう自分の状況を恥だとも不名誉だともきっと思わなくなり、完全な諦めもつくことだろう。話が飛ぶが、例えば野生動物などに生まれていたら、パートナーのメスを得られなかった時点で不適格として群れから追い出され、命を落とすケースもある。せいぜい人間に生まれたことに感謝しておこうと思う。
さて、Googleなどで検索してみても、「彼女いない歴=年齢」をテーマにした記事は見かけるが、さすがに「彼女いない歴=享年(見込み)」を公言しているような人はなかなかいない。いよいよ未知の領域に入っていくんだなぁという、ゾクゾク感のようなものを感じている。
②残り時間の少なさを意識する
さっき「できることにだけ投資する」と言った理由の1つがこれである。僕には残された時間が少ない。独身男性の寿命が短いというのは有名な話だが、僕の場合は高血圧や、常習的にアルコールを嗜んでいたりもするので、一般的な独身男性と比べてもさらに短命であることは覚悟しなければならない。
つまり、既に人生の折り返し地点をとっくに過ぎていてもおかしくないのだ。そろそろ自分の老い、死にざまだけでなく、田舎の親の介護のことも真剣に考えないといけないし、自分の死に対して責任を持つという意味で、「終活」もやってみたいと思っている。これも機会があれば記事にしたい。
③5つのライフワークを大事にする
人間、気晴らしがないとやっていけないところがあるので、「20代でできたこと」とも通ずるが、「登山(アウトドア)」「旅行」「執筆」「音楽」(「飲酒」)という5つの趣味を、自分のライフワーク、といったら言い過ぎだが、大事な構成要素にできればいいなと思っている。
まだ行きたい場所もあるし、書きたい文章もあるし、楽曲のネタも脳内に眠らせている。ここで発信したところで別に誰に届くでもないが、特に文章を書くことは生き甲斐になっているといっても過言ではないので、シコシコと地味にやっていくつもりだ。文章や楽曲を作るにあたって自分の内面と向き合うことは、時に辛く苦しい気持ちにもなるが、それがこの孤独な生活における一種のスパイスや慰めになっていることは事実だ。
そして、お酒は自分にとってこの世に存在する唯一の福祉、救済であり、これがないと生きていけないほどに依存している。とはいえ適度に休肝日を設けながら、溺れすぎないように、なるべく楽しく飲めるように、せいぜい気を付けようと思う(遅かれ早かれ肝硬変などを覚悟しているが、人生もう少しだけ、やりたいことがあるので)。
おわりに:できれば前向きに生きていきたい
というわけで、「彼女いない歴=享年」「天涯孤独(そして孤独死)」コースがほぼ確定したわけだが、特にリベラルな価値観を身に着けた若い世代にとっては、(Xやヤフコメなどにいる一部の連中を除けば)自分の意思でそういう境遇を選んだんなら別にいいんじゃない、そういう生き方もアリだと思うけどね、勝手にすれば、といった、消極的ながらもポジティブな反応が返ってくることを期待している。
もちろん誰もそうなった責任は取ってくれないので、誰にも頼らず全て自分でなんとかするしかない(さっき「終活」を話題に出したのもそういう意味である)。幼いころに思い描いていた大人にはなれなかったが、もうここまできたら割り切りも必要だ。誰かと比べたり、過去を憂いたり、現状を嘆いたりしていても何も変わらない。今の自分を受け入れて、前を向いて進むしかない。
・・・そんな思いを込めた曲が収録された、僕の自主制作1stアルバムが先日リリースされました(宣伝かよウゼェな!歌ヘタなくせに調子乗んなよ!と思われた方は、ここでアプリやブラウザを閉じてください。ここまで読んでいただき、ありがとうございました)。
楽曲解説をここでグダグダやるより、歌詞を見ていただきたいし、もしよかったら、楽曲のほうも聞いてもらえると嬉しいです。
「いつの日か笑えるように」
作詞・作曲:孤独猿
編曲:かまんべーる
ひとりぼっちで見上げた空の下
とりとめなく思いは募る
夢見たのはこんなつまんない
大人なんかじゃないな
羨ましがった他人の幸せも
諦めれば楽になれるのかなぁ
できないことはできないと
言い聞かせ歩き出す
途中に鳴り響く ノイズに耳を塞ぎたいけど
自分で決めた道 やりきれなくても腐らないでいたい
自由競争の波に飲まれ 生存本能と向き合っていこう
理想妄想に潰されぬように いつの日か笑えるように
ポケットにしまったひとこぼれの本音
埃かぶってしまうその前に
どうにか形にしたいな 独りよがりだとしても
誰にもすがれずに ふと不安に苛まれる夜
いつまでもこのまま 時間だけが無情に過ぎていく
消えない煩悩の火に焼かれ 仮想空間に逃げ込んだり
悪戦苦闘のこのザマを 誰か見てくれてますように
誹謗中傷の雨に打たれ 下等生物と罵られて
七転八倒の人生だけど いつの日か笑えるよ
孤軍奮闘の日々を重ね 見えない希望をたぐり寄せるよ
そして迷わず手を伸ばそう
いつの日か笑えるように



お誕生日おめでとうございます ただ、あまり悲観的にならないでください!歌も上手くて文章も書ける人はすごく少ないです。 大概の人は僕も含めてですが、歌も下手ですし、作曲もできません。海外旅行にはビビって行けないですし、良い大学も出ていなければ平均年収もありません。 色んな意見がある…
お返事遅くなりすみませんでした。 僕には勿体ないお言葉です。 ありがとうございます。 悲観的な性格であることにはメリットもあるんですが、ちょっと極端すぎますよね・・・。前向きになりたいですね。
遅くなりましたが、お誕生日おめでとうございます! 充実した20代を過ごされていたんですね、カッコいいぜ!
お返事遅くなりすみません。ありがとうございます! カッコいいなんてそんなめっそうもない恐れ多いもったいない……
出遅れましたが、お誕生日おめでとうございます! 自分が20代の頃って、何もしてなかった気が^^; すでにこれだけ色々やってきたのは、すごい行動力だと思います。 30歳なんてまだまだ若い、色んな事ができますよ! 大いに楽しみましょう!
ありがとうございます! 体力と気力が続く限り、、、ですね(笑)
友達だからこそ言うけど 前向きになれてよかった Xは人の形をした悪魔が攻撃してきたけど俺は味方だ
ありがとうございます🥲 もうXには戻れないですネ🥲