ブロッサム:クオリティ(S3)
夢想の旅、無辺の夢
夢想の旅、無辺の夢
「フレイヤ。あなたは、もう少し現代の世間というものを知るべきでしょう」
ヨハンナ・シュエットはそう言って、フレイヤの合衆国への留学を手配した。
必要とは思えなかった。Cロットの最後の生き残りとして発見されたフレイヤは、現在は一八歳に相当する肉体年齢と学習深度を持っている。
北国カナレイカの辺境にあったシュエットの秘密研究所で育ったフレイヤは人として自然にできていて、十分に完成している。すぐに社会に出て役目を果たすことができる。
この国にはまだシュエット家の力が必要であり、ヨハンナ一人では重荷だろう。それを補佐するのがフレイヤの役目である。留学など、必要とは思えない。
合衆国東岸の高校に、三年生として入学することになった。同学校の一年生には姉にあたるシノカが在籍している。成長を制御される人造人間であるCロットのこと、身体的年齢によってそのような逆転が起きたわけだ。
いざという時はそのシノカに頼るようにと、姉妹の長女といえるヨハンナに気遣われた。
シノカはカナレイカの歴史に刻まれた超存在ガイアのカウンター、いわば一族のエリートである。尊敬の念はあるが、だからといってフレイヤには子守りなど不要だ。
だいたい、合衆国の世俗を知ることがなぜ重要なのかフレイヤには全く理解できない。フレイヤは既に、国家規模の様々なプロジェクトに何度か関与している。
学校に通うのは卒業までのほんの一年だが、そんなに待っていられない。すぐにでも美しく聡明なヨハンナのもとに戻りたい。そこが自分の居場所だと感じるからだ。
なので、ヨハンナの出した課題をすぐ終えようと考えた。ヨハンナが語る「世間」がわかればいいのだろう。同級生の合衆国人であるジリアン・オックスリーが普段どういう生活をしているのかを基準にしたく、放課後に一緒に遊んでみた。
「お、おいしい……!」
ジルが連れていってくれたクレープ屋で、自分がいかに狭い世界で生きてきたのかを思い知ってしまった。
「おいしいよね、ここのバナナクレープ」
ジルはフレイヤに微笑み、それからもいろいろな遊びに誘ってくれた。
まずは娯楽映画。魔法を使える少女が活躍するという内容のものだった。
魔法と少女の映画は、カナレイカでも見たことがあった。古代のガイア伝承に関する伝記小説を原作とするものだ。辺境の研究所で、その三時間もある歴史映画を見させられてから何ページもの感想文を執筆するように要求された。
映画なんてそんなものと思っていたが、現代の娯楽映画は全く異なるものであった。
友情と絆、裏切り。世界の真実。よく練り込まれた物語と映像美。映画館から出てきた時にはじめてあれは空想だったと気付き、それほど没入していたことに気づいた。
ゲームセンターという場所にも連れていかれた。カナレイカで自動車の免許を取得していたフレイヤは、運転を題材にした遊戯をやってみた。
音楽や効果音、そして激しいエンジン音によって演出された白熱の競争はフレイヤを夢中にさせた。教習所で乗ったカナレイカの古いバンとは比較にならない体験だった。一緒にいたジルによれば、走っている時のフレイヤの目は殺し屋のように細くなっていたらしい。
そんな日々は続き、今日はジルのすすめで美容院と服飾店に連れてこられた。
そこでの体験は興奮とは少し違っていたものの、フレイヤを着飾って楽しそうなジルの表情が印象的だった。
ドレスを着た自分が鏡に映る。やや華美に思える服装だが、軽くウェーブをかけられた薄灰色の長い髪が深い海のような青によく合っている。
「もとが綺麗だから、何を着ても似合うよね。ヘアアレンジも」
「そ、そう?」
冷静で理知的なフレイヤも、ジルの雰囲気に引っ張られてつい頬が緩んでいた。
「そうではなくって!」
フレイヤは強く言った。
「何? 別の色がいい?」
「そうではなくて。ジリアン、わたくしはカナレイカの将来を担う者として合衆国の文化を学びに来たの。こんな……こんな誘惑的な娯楽に身も心も溶かされるためじゃないと思う」
この服は気に入ったのでとっておいてもいいが、それはそれ。ヨハンナがこんな堕落を経験させるためにフレイヤを留学させたとは思えない。
「もう少し普段の生活というか、合衆国の一般的な世間について見識を広めたい。こ、これはデートというものでは?」
毎日の放課後に連れ回され、フレイヤすっかりジルと親しくなってしまった。ヨハンナからジルは信頼のおける人と聞いていたので気を許しすぎた。目的を見失ってはいけない。
「これがいつもの感じだけど。そうだな……じゃあうちを見てみる?」
フレイヤの要求に対し、ジルは彼女の自宅への訪問を提案した。
ジルの自宅といえば、シノカも住んでいる海辺の別荘である。広告業を営んでいるアレックスという人物の持ち物に同居していると聞いている。
少し特殊だが、合衆国の市民の家庭ということだ。ちょうどいいかもしれない。
翌日、ジルの自宅である別荘を訪れた。
砂浜を目の前に広げる別荘は、聞いていたよりも静かな場所だった。潮騒、白い浜に注ぐ温かい陽光。何もかもが、フレイヤの故郷の厳しい自然とは違う。
だが心がやすらぐ場だった。ここが友人ジルの家なのだ。
「いらっしゃい。入って」
案内された別荘の中はやや雑然としていた。広告活動に使うのであろう大道具らしきものが分解して置いてあったり、おそらく商品サンプルと思える雑多なおもちゃが置かれていたりする。
「ずいぶんいろいろなものを宣伝するのね」
フレイヤは、テーブルの上に大量に積まれたアヒルのおもちゃを手に取った。
同じおもちゃが大量にある、のはまだわかる。だがこれは水に浮かぶだけのもので、技術が進んだ合衆国でそれほど人気の製品だとは思えない。
とはいえ、ここが撮影のための場なのはなんとなくわかる。広告業ということは、商品の撮影で報酬を得るのが生業なのだから。
「あはは……動画の収益っていうのをちょっと誤解してるかな、フレイヤは」
ジルは苦笑してそう言った。どういうことなのだろう。
困惑するフレイヤに、ジルは端末を渡してきた。そこには、個人が撮影した映像が何本も閲覧できる巨大ウェブサイトが表示されていた。
フレイヤは、示されたチャンネルにある映像作品を一つずつ再生していった。
そして、気がついたら夕方を超えて夜になり、カナレイカにいた頃なら門限をとっくに過ぎる時間になってしまっていた。
「ただいま戻りました~。バスが渋滞につかまって、そこで学生さんたちに囲まれちゃって」
そこに、家主であるアレックスが帰ってきた。
「さ、サイダー様……!」
小さな端末の中で輝く憧れの存在がそこにはいた。間近に見る彼女は映像で見るより何倍も愛らしく、フレイヤは後退りしてしまうのだった。
一晩泊まってみて、この海辺の別荘にはフレイヤが想像していたより多くの人が出入りしていることがわかった。
「おはよ、ジル姉ぇ……あれ、フレイヤいたの?」
まず一人目、ここの居候であるエイリ・シキガミ。動画にも時々出演していた人物だ。
彼女はフレイヤの学校の一年生であり、たびたび学内で噂になっている有名人でもある。このブロッサムアースにとって極めて重要な人物なので、フレイヤの立場での監視対象でもある。ヨハンナに命じられたわけではないが、彼女の様子を見ておくことは必要だろう。
だが、別荘ではエイリはさほど目立つタレントではない。動画に登場すれば一部のお姉さんたちに人気ではあるが、助っ人、頭数の役割が多いのだ。
「エイリ、おはよ。寝癖ついてる」
エイリの黒髪についたくせ毛を撫でるのは、フレイヤのクラスメイトのジル。エイリはわかりやすく照れくさそうにしている。
ジル、ジリアン・オックスリー。学生でありながら、この別荘で行われている活動を広く支援している優秀なスタッフ。顔を出すことはないが、時々動画にも出演する名物スタッフとして知られている。
「遅いですよ、エイリ。今日の朝食はなんですか?」
図々しくキッチンにいるのはダリア・クロス。ここの家主の友人、と言っているが怪しいものだ。彼女はわけありの人物で、表向きの身分は遭遇調査局の支部局長とされている。
どういうわけか古くから動画に出演していて、その美声やどこか品のある振る舞いから絶大な人気を誇るらしい。フレイヤによはよく魅力がわからない。
ヨハンナの方が綺麗だし素敵だと思う。もっとも、ダリアは顔を出さず「友人A」という謎の人物を貫いている。
これで三人。そして、この家の長が最後に姿を現した。
「ほあようごらいまふ……ふあ」
気の抜けた愛らしい声を聞き、フレイヤは背筋を伸ばしてしまう。
サイズが合っていないシャツ姿、桃色がかったブロンドの髪、丸く大きな瞳。アレックス・リシュカ、またの名をフェブラリーサイダーケーキ。動画投稿サイトで活動する超人気のクリエイターである。
恥ずかしながら、フレイヤは彼女の存在を知らなかった。研究所では情報を制限された端末した与えられておらず、フレイヤの知識は政治方面に偏っていた。
インターネットの動画の人気者。入学後も、フレイヤは周囲の人間が見ている俗っぽい娯楽に興味を持つことはなかった。しかし、それは視野狭窄であった。
動画のタイトルは、「大量のアヒルちゃんを同時にプールに投げ込んでみた」「この街にはいくつの街灯がある?」といったどうでもいいものばかり。数本の動画を見ただけでは「なぜこんなものが」という感想が出てくるだけだった。一本一本の動画は短く、昔のものだと三分くらいの昨品さえあった。
だが、すすめられる動画を次々に見るうちにフレイヤはこの人の作るものに夢中になっていた。
どんな時でも明るく、そして大きくリアクションをする。懸命に企画に挑み、決して妥協をしない。一見くだらないと思えることでも手を抜かずに真剣に向かう姿はフレイヤの心に炎を灯し、いつしか応援する気持ちにさせていた。
完璧に制作方法が決まっていて、これが最適のものだと上から押し付けてくるテレビ番組とは全く違った。サイダーチャンネルにはフレイヤが知らなかったあらゆるドラマが詰め込まれている。
「フレイヤさんも、おはようございます。今日は学校おやすみですから、ゆっくりしていってくださいね」
「あ……う」
その中心の人物が目の前で柔らかく微笑んでいて、フレイヤはどういう態度をとればいいかわからない。
今こそ、姉であるシノカに頼りたい気分だった。だが彼女は今ここにいない。
今日はいないがシノカもこの家の住人であり、製作要員としてカメラを担当している。それを含め五人がいつもの面々らしい。
フレイヤ以上に達観したシノカはほとんど口を挟むことはないようだが、たまに呆れた声が動画に入っていることがある。それが昨品になんともいえない面白さを加えていることがある。
いつもならこの朝食にも加わっていたはずだ。しかし、今日は用事があるといって朝早くから出かけているらしい。
「最近は留守にしてること多いね。連絡してみる?」
今朝シノカのことを聞いた時、ジルはそう言っていた。フレイヤも連絡先は交換済みだが、探すほどの用はなかった。留守がちな理由は、ジルにもフレイヤにもわからない。
「……何か問題? おうちのこととか」
ジルは、フレイヤを気遣う優しい声を出した。
「いえ、そうではないわ」
フレイヤとシノカの関係は少々ややこしいため、あまり他の人には説明していない。一般市民であるジルには言わないほうがいいことだ。特に、シノカがガイアのカウンターであることなどは学生には荷が重い事実であろう。
そう、シノカはカウンターだ。この別荘を離れて、ガイアがいる場所に行っているのかもしれない。
もしそうなら、カナレイカの伝承の中で強大かつ気まぐれに語られる超存在にジルが近づくきっかけを作らないようにしよう。
この仕事をするのに、シノカは一人になりたかった。
メテオから預けられた占星幽子計算装置、「レルム」と呼ばれる箱を抱えたシノは、別荘から少し離れた場所にある丘で水平線を見ていた。
「つらければやめてもいい。機材の調整ができればいいんだ」
今回のことについて、メテオの柩がそう言っていたことを思い出す。侮られているような言葉だったが、もしかするとただの純粋な心配かもしれない。
同じ超存在でも、イルよりは柩の考えていることの方がシノカには理解しやすい。少しひねくれていつつ、根っこは合理的だ。
レルムは未来を見る装置だ。しかし、黒い霧のようなものが押し寄せてはっきり見ることのできない時代がいくつかある。
その黒い霧は、宇宙の外から入り込んでくる未知の物質による不確定さであるらしい。幽子の運動を高精度で予測するこのレルムでも、この宇宙に存在しない物質が混入すると予測が乱れて分岐してしまう。
その予測が乱れる時期は、さまざまな時代で何回か起きている。
ひとつは、現代の少し前に起きた。火星の穴が塞がれる前、過去からこの時代までの正確ななりゆきを予測することは困難だった、とメテオは語っていた。
もう一つは数十億年後の未来。その先の世代でも何度か同じようなことが起きると予測されている。だがシノカはまず、直近に起きる事件を分析して意識を箱の中に飛ばしている。
箱は嫌いだ。決められた出来事の中で不自由に動かされる。しかし、シノカが持つ幽子感知の才能は超存在をを除けばトップクラスらしい。この役には適任なのだそうだ。
思えばシノカは、昔からこれを直感していたのかもしれない。この白い箱に縛られ、その後何十億年、何百億年と苦悩することになると。
だから箱が嫌いだったのかもしれない。しかし、ついにこの時が来てしまった。
シノカは再び、箱の中の世界へと入っていく。
問題が起きる次の時点をシミュレーションする。この宇宙の世代、かりに
外部物質がもたらす
(「夢想の旅、無辺の夢」1話へ続く)
ブロッサム:クラッシュバース 枯木紗世 @vader
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