仏教──『空』とは何か?
空とは何でしょうか。われわれは、「消しゴムが無い」という事態に遇ったときに、「無」という概念を学びます。そして、仏教を学び始めたころに『空』という概念に遭遇します。無と空、どう違うんだろうか?この謎が、私の仏教観の根底にありました。在るでもなく、有るでもなく、無いでもなく、在って有るでもなく、在って無いでもなく、有って無いでもなく……。
こうした否定をとおして説明がなされる『空』という概念が理解できないのは、その否定の内容が理解できないからではないでしょうか。
一、無と『空』の差異性
私は無というものを『空』と呼ぶことはできない場合を考えました。今、無であるものとして当てはまるのは、昭和天皇が当てはまります。昭和天皇は今、存在していない。存在していないのであれば、無である。そこで、永遠に無であるかどうかを吟味したいと思います。すると、昭和天皇が生まれ変わる可能性がある、と情報がやって来る。生まれ変わるのであれば、無であるこの方は『空』なのだろうか?永遠に無である何かが『空』なのではないか?と『空』を定義してしまう。生まれ変わるこの昭和天皇は、『空』ではない。生まれ変わったら、昭和天皇は存在していることになる。すると、昭和天皇はその生まれ変わった地点で無であるわけではなくなっている。
二、『空』とは何か?
昔の、若かりし小池英子の姿は、今、未だにスタイルを保持する小池英子としも戻れない身体ではないでしょうか。身体をどれだけ整えようとしても、昔の若かりし姿に戻ることはない。この戻れない、辿り着けない何かを『空』と呼ぶことができるのかもしれません。
また、アーノルドシュワルツネッカーことシュワちゃんも、生まれ変わらないことが考えられています。シュワちゃんは、存在していないので無である。シュワちゃんは二度と存在しない。これは無であると同時に、『空』であると言えるのではないでしょうか。


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