知識と構造──視覚野と音楽としての構造化
今回はぁ、視覚野で射映した映像は、物自体の存在を含みに入れることができない。音楽は、音楽が聴こえない等の障害がないかぎり認知・認識しうる。視覚野でどのような作用、ないし音楽の聴き取りはどのような作用なのか、などについて考えていきます。
一、視覚野と聴覚の作用
視覚野では、正常な視覚野であれば、正視することが可能である。正視したときに、『これは風鈴である』ということが知識化されうるのである。盲視しているのであれば、風鈴に見えずに急須の様に見えていることもあるのではないか。
聴覚で音楽を聴き取るということは、お話ではなくメロディとして記憶する行為である。この記憶する行為であっても、暗記という概念との完全性的な差異性もあることは言うまでもない。音楽は記憶に基づいて発生するのであり、過去把持と予持とにおけるメロディの統覚があって基本的には知識化されうるのが現状である。
二、視覚野の考え方
視覚野において、余計なことではないかと思われうる余計な映像が知覚されている可能性がある。余計なアイコンをプラシーボ効果のように使用してしまう手段もある。しかしながら、視界に入ってもよい記号的映像もあるであろう。視界に訴えかける積極的な取り組みは、慈善活動であり、トイレで過ごしやすい環境づくりを目的とする方もいるであろう。


コメント