「家庭を持つ」ことを諦めるということ
先日30歳を迎えた筆者による、「人生は諦めが肝心」シリーズ第二弾の記事である。(第一弾はこちら。)
さて、30歳というと、ガキの頃は、嫁さんもらって、子供が1~2人、という平凡な家族像を思い描いていて、それが幸せだと確信していた。世間一般の平均的な30歳と同じように、自分も当然そうなるものだと思っていた。
特別幸せな家庭で育ったというわけではないのだが、多分メディアからの「理想の家族像」の刷り込みによる影響もあるのだろう(日曜夜や春日部の某アニメなど)。加えて、両親が高齢出産で、よく学校の参観日などで、周りの父兄たちと比べて一回り年上の両親のことを少し恥ずかしく思っていたので、自分は若くして家庭を作るということを意識していたのかもしれない。しかし、現実はそうはいかなかった。
最近、シャカリキに働く職場の先輩のデスクに奥さんと子供と一緒に写った家族写真が置かれていたりするのを見ると、なぜだかウルッとくるようなことが増えた。俺もああなれていたら、もっと仕事に身が入るのかなとか、生きてる意味があるって思えるのかなとか、自分の子供を抱くってどんな感じなのか俺は一生知らずに死んでいくんだろうなとか考えて、頭がゴチャゴチャになって、正直仕事どころではない。
というわけで、僕はすぐにでも、幼い頃からずっと囚われてきた「理想の家族像」から解放されなければならない。30歳になったことを機に、そういう気持ちの整理をつけておきたくて、この記事を書くことにした。「いちいち記事にするな!」と言われそうだが、同じような境遇の方には多少共感いただける内容かもしれない。子持ち既婚者の方にも、手っ取り早く優越感を感じていただける内容の記事になっていると思うので、おすすめしておく。
生物学的なタイムリミット
「家庭を持つ」ことを諦める大きな理由は2つある。1つは、やはり年齢的な限界だ。
加齢による不妊については、どうしても女性側の事情がクローズアップされがちだが、男性がその原因になることも意外に多いという。以下の記事にもあるように、男性であっても、大体35歳というのが1つの区切りになるようである。つまり、僕の場合はあと5年しかないわけだ。
それに、知られているように、年齢を重ねるにつれて、発達障がいのリスクも高まるという。(両親の前では口が裂けても言えないが)ASD(疑い)の当事者である僕も、両親があと10年、いや5年出会うのが早ければ、今抱えている生きづらさも少しは軽減されていたのかもしれないと思うこともある。
高齢出産では発達障害のリスクが高くなると言われています。父親の年齢が10歳上がるごとに自閉症スペクトラム障害のリスクが2倍以上になり(以下略)
もちろん、「発達障がいの子供は全員不幸だ」などと言いたいわけではないが、少なくとも自分のせいで生きづらさを感じさせる(可能性が高くなってしまう)のは、子供のことを考えると非常にいたたまれない気持ちになる。
とりあえず、(信憑性の大小はあるが)こういう感じで適当に客観的なデータを集めて、35歳くらいというのが1つの「回帰不能点」というのが分かったので、よし、一刻も早く相手を見つけるために今すぐ結婚相談所に入ろう!と仮に決意したとしよう。
何十人もに対してお見合いを申し込み、断られたり意気投合したりしながら何度もデートを重ね、仮交際期間を経て、考え方のすり合わせをしながら、正式な交際に入り、よしいける!と確信が持てるまで関係を深め、給料3ヶ月分はたいて買った指輪を手に夜景の見えるホテルで跪いてプロポーズし、やれ入籍手続きだの両家顔合わせだの新居探しだの、などとやっていたら1年や2年など平気で過ぎてしまう。子どもをもうけるなど、それからしばらく経って、やっと出てくる話だ。
そう考えていると、今さら腰を上げても、どう考えても手遅れとしか思えない。というか、重い腰を上げたとて、それ以前の大きな大きな問題が僕にはいくつもあったのである。
「結婚」への高すぎるハードル
これが、「家庭を持つ」ことを諦めざるを得ない理由の2つ目だ。これまで、あたかも自分がその気になれば結婚できるかのような前提で話を進めてきたが、そもそも、その土台となる恋愛経験を全く積んでこなかったのである。自ら積極的に出会いを求めるでもなく、指をくわえているだけで、いつの間にか歳を重ねてきてしまったのだ。これでは話にならない。
共同生活のハードル
別の記事でも色々と書いているので、詳しくは省略するが、大学入学以降、友人というものが1人もできたことがなく、誰かと物事や経験や時間を共有することもないまま、孤立無援の生活に慣れ切ってしまった。結婚して家庭を作って共同生活を送る、つまり365日ずっと誰かと顔を合わせていなければならないという、今とは正反対の状況に順応できるかどうか、はなはだ自信がない。
恋愛経験の無さ
これも何度も書いている通りで、いい加減ウンザリする読者もいるかもしれないが、たとえ結婚相談所で誰かと意気投合できたとしても、今まで女性との交際経験がなかった人間がいきなり「交際」だなんて言われたらどうなるか。変に舞い上がったり、お相手に迷惑をかけたり、呆れられたりするだろう。会話のリードやデートのエスコートさえおぼつかない男を誰が仮交際、ましてや結婚相手に選びたいだろうかという話だ。
そんな段階は、ここにくるまでの10代、20代でみんなとっくにクリアしているのに、一体あなたは今まで何をしていたんですか?と、きっと呆れ顔でカウンセラーに言われることだろう。ぐうの音も出ない。すみませんでした。仕事の忙しさや一人の生活の気楽さに甘えていました。いたずらに過ぎていく時間にただ身を任せているだけで、何の努力もしてきませんでした。
そもそも「恋愛経験がなく、友達もいない」という、そこはかとない地雷臭にまみれた僕のような異常者を受け入れてくれるほど、海のように心が広い女性なんてこの世の中に存在するんだろうか?いや、いない(反語)。普通の人ならドン引きするよ。受け入れてもらおうなどと考えること自体がアホらしいし、傲慢でしかない。
スペックの低さ
あとはまあ、相変わらずつきまとうスペックの問題だ。もういちいち説明するのも飽きた。説明するほどの価値もない。身長が低い、容姿が冴えない、つまり「この男の子供を産みたい」と相手に思ってもらえるような性的魅力のある要素を何一つ持ち合わせていない。X(旧Twitter)でも「お前のような人間は頼むから子供を作らないでくれ」と誰かから懇願されたこともあるし、今までの経験からそれは痛いほど理解している。
一人っ子というのも地味にマイナスポイントだろうし(親の介護の面倒まで見させられるのではという恐怖心を女性に抱かせてしまうのだという)、日頃の社畜生活にかまけて、家事スキルを向上する努力もなかなかできていない。結婚相談所の入会の時点で「まさしく見本のような事故物件」と判断される可能性が高い。
特に身長が低いことについては、自分でも様々なデメリットを感じてきた。生まれてくるのが女の子なら許されるが、男の子だと最悪いじめの標的にされたり、多くの女性からは男として見てもらえないなど、生きていくうえで大きなハンディキャップを背負うことになる。
ルッキズムが光ファイバーの隅から隅まで浸透しているこの現代社会で、自分の残念な容姿を受け継いだ子供が果たして幸せに生きていけるのだろうか、と泣けてくる。例えば奥さんが絶世の美女だったら中和されてちょうどいい顔になって、モテすぎるゆえの贅沢な悩みもなく、平凡に平穏に生きていけるのかもしれない、などと荒唐無稽な妄想をしている自分を鼻で笑い飛ばしながら、この記事を書いているところだ。
甲斐性の無さ
男が結婚して家族を持つには「甲斐性」が必要だとよく言われる。「男が稼ぎ、女は家庭を守る」という旧時代的な価値観からすると、それは主に経済力を意味していたようだが、現代においては、一説によると、(自分よりも弱い)妻と子供を守る力、支える覚悟のことをいうのだそうだ。精神的なタフさや余裕とも言い換えられるだろう。
だが、お世辞にも精神的に健康とはいえず、自分のことで精一杯なうえ、繰り返すように、ずっと孤独な生活を続けてきた僕は、人のことをどれだけ気にしていられるか、はなはだ疑問だし、人の親になるという覚悟ができる気がしない。
現実にはありえないシナリオだが、今まで挙げてきたような僕の致命的な欠点をすべて許してくれる女神のような女性が突如目の前に出現し、めでたく結ばれて、子供ができたとしても、誤って自分の子供を車で轢いたり・・・というのは極端すぎる例だが、周りが見えないから、少し目を離したスキに子供がどこかに頭をぶつけて事故になったり、それでパニクって我を忘れて二次災害を起こしたり、みたいなことは十分あり得る話だ。
さて、10歳前後の僕は、こういった現実の厳しさや大人になった自分の不甲斐なさには全く思いが至らなかったので、罪なほど子どもらしい純粋さをもって、ただただ漠然と「幸せな家庭」を夢見ていたのだろう。そんな「絵に描いた餅」は、クシャクシャに丸めて、ビリビリに破いて、踏みつけて、ゴミ箱に捨てるとしよう。
一生独身・子なしのメリット
ここまで書いてきたようなことをX(旧Twitter)でつぶやくと、ただネガティブで卑屈な弱虫がグジグジと自らの不運や努力不足を嘆いているだけだ、だからモテねえんだろと知らない人から不快感の表明や余計なお世話のお説教やマウントが続々と届いたりする。いや、Xの性格の悪い連中に限らなくとも、この記事を読みながらイライラされた方も多いだろう。実際自分でも記事を書きながら、スマホの画面を叩き割るところだった。
まあ記事のテーマ的にそうなってしまったのは仕方ないが、ここまで貴重なお時間を使わせたうえに不快な思いをさせてしまって申し訳ない。こんなところで何だかんだとウダウダ書き殴っても現状何も変わらないし、そんな暇があったら努力しろやと言われるのはその通りだが、僕にだって愚痴を吐き出す権利くらいはあるはずだ。
最後に、そんな自分をなんとか正当化しないと収まりがつかないような気がするので、「一生独身(=必然的に子なし)生活」のメリットを検討してこの記事を終わらせようと思う。
メリット。何だろうね?「自由」だろうか?例えば自分で稼いだ金は全部好きなことに使えるし、可処分時間も全部自分のために使える。でも行き過ぎた自由はかえってデメリットにもなるのでそれは違う気がする。
うーん、しばらく考えたが、「嫁さんと子供を養うために死ぬまで働かなくてもいい」ということに尽きるのかなぁと思った。安定した収入を前提として、修行僧のように慎ましい生活を送れば、早期リタイアだって可能だ。あとは些細なことだが、したたかに酔って深夜に帰ってきても、休日昼まで寝ていても誰にも咎められないし、義実家との厄介な人間関係に煩わされるようなこともない。
そんな自由気ままなライフスタイル、表面的にはそう見えるかもしれないが、しかしその裏で、胸にぽっかり空いたままの穴が埋まることは一生ない。きっとこれからの僕の課題は、ふとした時に襲ってくるそういう虚しさ、そしてその先に見え隠れする破滅願望とどうやって孤独に闘っていくかということだ。
これまでの自分の選択に責任を持つという意味でも、その虚無感を、他人に頼らず、全て自分の中で完結させなければならない。それができなくなった時は、自ら消え失せるまでだ。(おわり)




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**ねばならないの呪縛から解放されて良かったね。 結婚は親を確定して扶養義務を負わせて、長期間養育させるための制度設計だから、1人でも子育てできる時代、社会的な福祉がある場合、男女が独立生計で生きられる場合には不要だと思うよ。 自由になって生活を謳歌すれば良い。
この記事、とても参考になりました!素敵な情報をありがとうございます。